17th Broadcast Episode:国家中枢区のプロメテウス(B)
タケルの工房は、表向きは古びた時計修理店だった。でも一歩入れば、まともな時間感覚の人間が長居していい場所じゃない。
壁際にはバラしたドローン、天井からは用途不明のアーム、床には絶対に踏みたくない部品が転がっている。
なのにタケルの足は、迷わず部品の隙間を抜けていく。紫っぽい煙まで出ているのに、なぜか機材はちゃんと動いている。
「ねえ、ダン様。この場所、私のセーフティ機能が全力で警報を出してます」
ノアは不安そうに辺りを見回してから言った。
「でも……嫌いじゃないです。危ないのに、変に落ち着きます」
そう言い終える前に、僕の腕をそっとつかんできた。タケルは、見て見ないふりをしながら突っ込んできた。
「ダン、お前また無茶してんだろ? さっきの連中、関わらないほうがいいぞ。中学の時のママチャリ特攻を忘れたか?」
僕は思わず、真っ赤になってそっぽを向いた。
「うるさいって! あの時は前歯が折れるかと思って、マジで泣きそうだったんだからな!」
タケルは、ガハハッと喉を鳴らして笑うと、呆れたように僕のつむじをポンと小突いた。
あの時、ハイスペックな他校の不良グループに囲まれたタケルを助けたくて、僕はノーブレーキのママチャリでド真ん中に突っ込んだ。
つむじの脇には、ブロック塀に激突した衝撃で出来た、小さなハゲ傷がある。タケルは今でも、申し訳なさそうにそこを突っついてくる。
「はいはい、悪かったよ。で、お前がそこまで命懸けになる女の子、早く見せろって」
タケルはノアを作業台へ座らせ、首筋のコネクタを確かめると、ためらいなく古いケーブルを接続した。
「おい、タケル! もうちょっと丁寧にやれよ!」
「黙ってろ。いま見てるから」
こっちの焦りをよそに、手元は淡々と動き続ける。
「……うわ、何だこれ。北浦和の連中が見たら卒倒ものの書き換えだな」
画面の異常を確認すると、タケルの軽口が引っ込んだ。
「これ当てたの、カッパの隠れ家のマスターだろ。……マジあり得ねえ、神の手だわ」
指の動きが速すぎて、見ているこっちまで酔いそうだった。モニターには、ノアの思考回路が映し出されている。
線は何度も折れ、途中で枝分かれし、とんでもない数が伸びていた。追うほど頭がこんがらがる。
「……あった」
タケルの眉が、ピクリと動いた。画面の中央に、赤い鍵がかかった巨大な隠しフォルダが現れる。
フォルダ名は、『Dear My Dan|私の愛しいダン様』だった。一瞬、工房ごと止まった気がした。
「え、えっ? 何それ……僕、そんなデータ入れた覚えないけど」
僕の顔が、また夕焼けより赤くなった。ノアの頬は金色に染まり、激しくオーバーヒートし始める。
「し、知りません!」
言い返したあと、ノアの視線が泳ぐ。
「……いえ、心当たりはあります。たぶん、カッパ祭りの夜です」
その色が、目元のあたりまで上がっていく。
「花火の音とダン様の心臓の鼓動が私のマイクに重なった時、予約領域を許可なく食いつぶして……その、できてました」
最後は、作業台の端へと背を向けてしまった。
タケルはフォルダ名を何度か確認した後、勢いよくゴーグルを跳ね上げた。
「いいか、ダン。このR-180シリーズ、表向きは失恋リハビリ用だ」
さっきまでの軽さが、もうどこにもない。
「でも、北浦和の連中は別の使い道を見てるぞ」
「別の、使い道?」
「このフォルダは、思い出置き場なんかじゃねえ。人間の側にある何かを、AIのコアへ定着させるための受け口だ」
タケルが、画面の中のフォルダを小突いた。胸の内側に、嫌な重さが落ちてくる。
「少なくとも、180日で全部終わりにする設計には思えないな……」
その一言で、僕の中にあった終わりの形が崩れた。180日は終点じゃなく、別の何かの入口かもしれない。
背筋が冷える。隣で、ノアの動きも止まった。
「たぶん連中がやりたいのは、機械の体と人間の意識を、どこまで一つに寄せられるかって実験だ」
タケルの手が、キーボードの上で止まった。
「国が税金を突っ込んでる、『プロジェクト・プロメテウス』ってのがある。志木特区は、その試験場のひとつだと俺は見てる」
プロメテウスの名が出た途端、工房がさらに冷えた。
「人間の意識を、機械に近づける……」
ノアが、低く震える声でつぶやいた。
「それって、私が消えて、ダン様の中に残るってこと……ですか?」
「うん。……少なくとも連中にとっては、どっちを残すかも含めて、片方を材料にする実験なんだろうな」
タケルは、苦いものを噛んだ表情で言った。
「命を混ぜれば、進化だと思ってやがるのよ。効率しか考えてねえ連中の考えそうな終わり方だ」
ノアは何も言わなかった。僕も、すぐには反応できない。
沈みかけた空気を、タケルが急に蹴っ飛ばした。ポケットの中のボルトをカチャリと鳴らして、にやついている。
「でも、ダン。お前が欲しいのは、自分の中に残るノアじゃなくて、隣でお前を困らせるノアなんだろ?」
その直後。
――ドオォォォン!!!
工房のドアが、凄まじい衝撃音と共に蹴破られた。北浦和は、命令が下りたら迷わない。感情より処理速度。そういう街だ。
入ってきたのは雨宮じゃなかった。真っ黒なタクティカルスーツに身を包んだ、市役所の武力行使班だった。
「ターゲット確認。R-180および協力者を拘束する。抵抗した場合は、規定手順に従い処理する」
黒ずくめの男たちが、電磁警棒をパチパチと鳴らしながら距離を詰めてくる。狭い室内が、急に息苦しくなった。
「ダン様、私の後ろに!」
ノアが僕の前に立ちふさがった。瞳の中で、ゴールドと赤が激しくせめぎ合う。
「タケル様、工房のローカル回線を三秒貸してください」
その口調から、熱っぽさが消えた。薄くて鋭い。
「武力行使班の装備認証、北浦和インフラ管理網、工房周辺の保守ユニット。接続経路を確認」
「ちょっ、ノア――」
「黙っててください、ダン様。今の私は、かなり機嫌が悪いです」
工房の照明が一斉に落ちた。
次の瞬間、外の路地に並んだ保守灯が赤く反転し、非常警報が耳を刺す。
『北側旧街区にて高圧変電異常。周辺ユニットは戦術装備を停止し、絶縁モードへ移行してください』
武力行使班のゴーグルにも、同じ警告が走ったらしい。男たちの動きが止まった。
「何だ、この警報は――」
その隙に、工房の天井レールに吊られていた整備アームが落ち、先頭の一人の電磁警棒を横からはじき飛ばした。派手に火花が散る。
さらに路地の車止めが地面から突き出し、逃げ道を狭めた。自動シャッターが半端な高さまで降りてきて、隊列を強引に分断する。
「装備認証が乱れてる!外へ下がれ!」
「下がらせません」
ノアが、一歩前へ出た。パッチの貼られた左腕で、二人目の突進を受け止めた。金属と金属がぶつかる鈍い音が、工房の隅々まで響く。
そのまま体をひねり、相手の膝裏へ保守用のケーブル束を蹴り込んだ。黒い影が床に崩れ落ちる。
「三秒稼ぎます! その間に走ってください!」
ノアの叫びに被さるように、あちこちのスピーカーが短く鳴った。
『周辺区画を非常封鎖します。三秒後に遮断』
警告を聞いた瞬間、血の気が引いた。目の前にいるノアが、一歩も引かずに黒ずくめの男たちを止めている。
背後で、タケルが低く息を吐いた。
「……おいおい。守るってレベルじゃねえぞ、これ」
その一言は、いつもの悪ふざけを差し込む温度じゃなかった。
「よし、説明は後だ。ダン! これ持って走れ!」
タケルが、古びたUSBメモリを投げつけた。
「ノアの隠しフォルダのスペアだ。それがあれば、市役所にデータを消されても、砂利道にバックアップは残る!」
口ぶりは軽いのに、受け取ったUSBはひどく重く感じる。僕はそれを、指が痛くなるほど強く握りしめた。
「タケル! 借りは絶対返す。だから、お前も無事でいろ!」
僕はノアの腕をつかみ、煙の中を突っ切って外へ出た。夜の裏通りセクターを、何も考えずに走り抜ける。
背後から、装備認証の乱れた武力行使班の怒号と、立て直しにかかる足音が追いかけてくる。
でも、逃げ道はもうふさがれていた。
◇ ◇ ◇
裏通りを抜けて中央の幹線道路へ出る角で、黒塗りの公用車が一台、無言で待っていた。
ヘッドライトが僕たちの影を長く引きのばし、逃げ場を白く塗りつぶしている。
後部座席から降りてきたのは、雨宮でも武力行使班でもなかった。
制服姿のまま、だるそうにスマホをいじり、不機嫌を隠す気もない。滑らかに光るシルクブラウンの髪をツインテールにした、一人の美少女だった。
「ちょっと……何やってんの、お兄ちゃん。志木の恥を、北浦和のド真ん中まで運ばないでくれる?」
僕は、ヒュッと息を呑んだ。間違えるはずがない。そこにいたのは、まぎれもなく僕の妹、広瀬 凛だった。
「……は!? 凛? なんでここにいるの。ていうか、その車、何だよ」
「市役所の広報でバイトしてるって言ったじゃん」
凛はスマホから視線も上げずに言った。ポケットから取り出した大粒ラムネを口に放り込み、ポリポリと小気味よく噛み砕く。
制服のポケットは、そのラムネの袋と、エナジードリンクの缶で異様なほどパンパンに膨らんでいる。
「ついでにお兄ちゃんの位置情報も拾ってた。危なっかしくて、見てらんなかったから」
極限の修羅場で、ラムネが割れる音が響く。まったく、この状況でも糖分補給優先か。相変わらず脳の燃費が悪すぎる。
凜は盛大にため息をつき、公用車の後部座席を乱暴に開けた。
「早く乗って。この車なら、誰も追って来ないから」
そこで初めて、凛はノアを見た。
「……あと、ノアお姉ちゃん。腕のパッチ、もう限界。後で私が貼り直す」
妹が黒塗りの公用車で現れた時点で、もう十分おかしい。さらに、なんでノアを知っているのか。
僕が問いただすより先に、凛はスマホから顔を上げた。無表情なジト目。説明する気が全くないのが分かる。
僕の思考は、まだ状況に追いついていない。その前に、ノアが動いた。
「初めまして、凛様」
ふらつきながらも、きちんと頭を下げた。
「ガチもんの女神降臨です。出来損ないの兄を持った悲劇すら打ち消す神々しさですよ」
そう言って後部座席へ滑り込み、僕も慌ててあとを追った。公用車は静かに発進し、北浦和の白く冷たい夜を抜けて、志木へ向かって加速する。
「お兄ちゃん。R-180を救いたいなら、もう覚悟しな」
凛の声が、いつもよりずっと低い。
「市役所は、ノアお姉ちゃんを人間にする気なんて最初からないよ」
その言葉が、窓の外を流れる夜景に溶けていく。
「凛、どうして……」
「今は黙ってて」
指先が短く動いた。こっちを見る気配はない。
「お兄ちゃんの整理されてない質問、今いちばん邪魔だから。着くまで静かにして」
冷たく言い切った。でも、膝の上の端末が細かく震えている。
怖がっているのか、怒っているのか、その両方か。どっちにしろ、ただの迎えじゃないことは分かった。
公用車が中枢区のシールドを抜けると、耳を塞いでいた不気味な無音が消え、街の雑音が一気に流れ込んできた。
管理された乾いた空気が終わり、排気ガスと湿気を帯びた、いつもの生ぬるい夜風が車内をかすめていく。
その時だった。ノアの指先が、眠ったまま探るような動きで、僕の手の中のUSBに触れた。
「……ダン、様」
夢の底から漏れた、かすれた声だった。
「その中……まだ、開けちゃダメです」
僕は息を止めた。凛の動きが止まる。車内の温度が、一瞬で変わった。
公用車は何事もなかったように、僕たちの街へ戻る道を走り続けている。
なのに触れ合った手の中では、もう別のカウントダウンが始まっていた。




