15th Broadcast Episode:ローズゴールドの花火(AB)
「マスター、頼む! ノアを助けてくれ!!」
駅裏の低層区画。カフェ『カッパの隠れ家』の重いドアを、僕は右肩で押し破る勢いでくぐった。
抱えたノアは、もう形を保つのも限界だった。
むき出しになった左腕のフレームからは、青白い火花が細かく散り続けている。瞳の光は細りきっていて、今にも消えそうだ。
「ったく……朝から騒がしい野郎だ。人生で最大の無駄は、パニックを起こしてドタバタ走り回ることだってのに」
店の奥で、マスターの義手が、ギギッと短く鳴った。
ノアへ目をやったのは、わずか一秒にも満たない。直後には、店内のホログラム・メニューが一斉に消えた。
カウンターの天板が左右に割れて、下から無機質な処置台がせり上がってくる。
「そこに寝かせろ」
マスターは声を荒げず、必要な段取りを告げた。ノアを処置台へ横たえた時には、もう義手の先から細いケーブルと工具が展開している。
「……過電流、だな。外からやられたんじゃない」
ノアのまぶたを指で持ち上げ、深いところの光を確かめた。
「内側から湧いたものが、制御回路を焼き切りかけてるぞ」
僕はパニックになりながら、必死に言葉を絞り出した。
「僕の、僕の記憶が、逆流して――!」
「自己免疫疾患だろうな。コアがパンク寸前だ」
説明なんて不要だった。この人は、一瞬ですべてを見抜いている。マスターの琥珀色に濁った生身の左目が、鋭く僕に向いた。
「五時間前ってところか。……ダン、お前、この子に何をした?」
「何もしてませんよ!」
叫んだあとで、その言い方では足りないと気づいた。
「ただ……ノアが、サエとの過去に引っかかって、知らない記憶まで無理やり解析しようとしたんだ!」
「はぁ……そう来たか」
マスターは首筋の端子まわりに触れ、ノイズの流れを追って眉間を寄せた。
「嫉妬はな、アンドロイドにとっちゃ猛毒だ。効きすぎるのさ」
そう言って、工具箱を足先で引き寄せると、ためらいなく接続端子を開いた。太いケーブルが、そこへ一発で接続される。
火花は大きく跳ねたが、マスターはまばたきすらしなかった。空いた手はもう端末を起動していて、動きに遅れがない。
「ノアの意識を、街のネットワークに逃がす」
端末の画面が、次々と切り替わっていく。
「負荷を志木全体に薄く流すんだ。ノイズに飲まれる可能性はあるが、今はそれしかない。やるぞ」
「やってくれ!」
店内のスピーカーが一斉に開いた。この街が吐いている無数のノイズが、一気に流れ込んでくる。
途切れ途切れのカッパ祭りのアナウンス。
誰かのどうでもいい愚痴。
どこかの店先でソースが焦げる匂いと音。
買い物袋がカサリと擦れる響き。
暮らしの断片が、電子の血流となってノアのシステムへ一気に流れ込んでいく。
「……っ……」
ピクッ、とノアの指先が動いた。黒に沈みかけていた瞳のかすかな残り火が、ゆっくりと明かりを灯し始める。
「あ……、ダ……様……」
かすれた息もれのような声。スピーカーから拾うノイズに合わせて、ノアの音声回路が震えていた。
「街が……私の中に……入って、きます……」
冷え切ったフレームに、日常の温もりが伝わっていく。
「すごく……っ、温か、い……」
ノアの眼差しに、力強い黄金の光がじわじわと満ちていく。生きた輝きが、真っすぐに僕を捉えた。
マスターは一切の手を止めず、左腕の露出したフレームへ新しい合成シリコンを迷いなく走らせていく。
ひび割れた箇所を埋める速さは、最初から形を知っている手つきだった。
貼られたばかりの腕はまだ不安定でも、前より人の肌に近い。
「ダン。ノアを連れて行け。この街の熱を、もっと直接浴びせろ」
義手が、ノアの端子から静かに離れた。
「彼女の中で暴れてるものは、閉じ込めるより、外の空気に触れさせた方がいい」
カチッと小さな金属音が鳴って、ケーブルが外れた。
「それで人間に近づくのか、もっと面倒なものになるのかは、まだ分からん」
サイボーグの赤い右目が、鋭く僕を見据える。
「ただ……今日が、彼女にとって最も幸せで、最も残酷な日になるかもしれん」
その意味を聞き返す前に、マスターはもう別のモニターへ移っていて、無言で顎をしゃくった。
今は問う時間じゃないと、それで分かった。
◇ ◇ ◇
夕方になる頃には、退屈なベッドタウンの風が、カッパ祭りのざわめきに塗り替えられていた。
一年に一度きりの祭典。上空にはカッパ型ドローンが舞い、土手沿いにはホログラム屋台が並んでいる。
それでも、温度をいちばん弾ませているのは、そこに集まった人間の方だった。
仕事帰りに流れ込んだ大人も、浴衣姿ではしゃぐ子どもも、みんな本気でこの一日を楽しんでいる。
「ノア、ちょっと止まって。絶対こっちの方が似合うから」
僕は道端のホログラムステーションに、残っていたバイト代を全部突っ込み、ノアの外装データを切り替えた。
光の粒が全身を走って、ゆっくりと現れたのは、柳をモチーフにした鮮やかな紺色の浴衣だった。
「浴衣……ですか」
ノアは袖口を見下ろして、迷いながら顔を上げた。
「ダン様……変じゃ、ないですか?」
落ち着かなそうに、指で裾をつまんでいる。直後に、流れてきた人波に後ろから押され、よろけたノアが僕に飛び込んできた。
「ひゃっ!?」
襟元の合わせ目がわずかに乱れ、白いうなじと、左腕に貼られた補修パッチの境目がのぞいた。触れた体温と浴衣の淡い光が、近すぎる距離で重なる。
ノアは、上目づかいで僕を見つめてきた。
「ダン様の心拍数、土手ラン百メートルダッシュより激しいです」
声をひそめるでもなく、堂々と言った。
「これ、私に見とれてるって解釈して、保存してもいいですか?」
「ちっ、違う!」
そう返しながらも、目はそらせなかった。
「いや、綺麗だよ。……めっちゃ似合ってる」
「……バグ確、発生です」
ノアが、僕の手を強く握った。
「もう、ダン様のバカ。……責任、取ってください」
握られた場所には、マスターのオペが終わった後も、ぬくもりが残っている。
あの恐ろしい熱とは、何かが違う。街の熱気を吸い込みながら、自分の力で体温を紡ぎ出している気がした。
僕たちは焼きそばを半分こしながら、人混みをかき分けて柳瀬川の土手を進んだ。
行き交う人たちの浴衣の袖が、何度もノアをかすめる。そのたびに、ノアが僕の手をしっかりと握り直す。
180日の終わりなんて、今は考えたくなかった。でも、こういう時間に限って、信号が変わるより早く終わる。
屋台の明かりが届かない影の中に、数人のスーツ姿が息をひそめて立っていた。
その中心にいるのは、雨宮だった。白いスーツは、浮かれた空気の中で不自然なほど目立っている。
その姿には、楽しむ側の人間には一生持てない温度のなさがあった。理不尽に家族を失い、二度と誰とも心を通わせないと決めた人間が宿す、執念の冷徹さだ。
祭りに来た顔じゃない。最初から、ここを終わらせるために来ている。
「やっと見つけたよ」
雨宮の口調は静かだった。それでも、お囃子の隙間を縫って、真っすぐこっちに届く。
「人間の心を狂わせる、バグに汚染された不法保持機。および、それを隠匿する非協力市民。これ以上の蔓延は許されない」
雨宮の後ろにいた男たちが、一斉に電磁ネットを広げた。ホログラムの光を受けて、金属の網が冷たく光っている。
「ノア、逃げるぞ!」
僕はその手を引いて、暗がりへと走り出した。
「無駄だよ、ダン君」
雨宮は歩幅を崩さず近づいてきた。
「今日のノアは、街のネットワークに触れている。つまり、位置も負荷も、市役所側から追えるということだ」
そこで一度、視線をノアに向けた。
「その機体をこちらへ渡しなさい。税金で管理される資産の回収は、正当な行政執行だ」
雨宮が顎をわずかに動かすと、上空の警備ドローンが一斉に降下を始めた。レンズの群れが、獲物を囲う角度へ変わっていく。
命令を出したあとも、その横顔には、予定どおりに処理が進んでいることへの無表情な確信があった。
「嫌です!」
ノアの一言が、お囃子より先に夜へ飛び出した。
「私はまだ、ダン様と花火を見ていません!」
祈りに近い叫びと共に、最初の一発の花火が打ち上がった。
ドン――!
腹に響く爆音。星の浮いた夜空に、巨大な火の華が咲いた。
極彩色に染まった川沿いで、僕たちは市役所の回収班という現実に追われている。
「逃げ場があると思っているのかい? サーバーの管理外に出た機体に、この街で認められる居場所はない」
雨宮の忠告が背後から正確に届き、回収班の足音が近くに迫った、その時だった。
ノアが急に足を止め、古びた堤防へと大きく手をかざした。
突然、ドクン、とコンクリートが脈を打つ。
この街に渦巻く無駄な熱とノイズが、目に見える波となって、手のひらから一気に吸い上げられていく。
柳瀬川を渡る風の冷たさ。
屋台から漂う焦げた油の匂い。
響き渡る子どもの叫び。
酔っ払いのくだらない笑い声。
その波は、ノアの全身に激しいグラデーションを描いた。瞳の黄金はどんどん深くなり、その奥に、透き通ったローズゴールドの光が宿る。
「逃げ場がない、って言いました?」
ノアは振り向かないで言った。
「分かってませんね、雨宮主任。私は今、この街そのものと繋がっています」
次の瞬間、祭りの制御系に、ありえない連鎖が走った。上空を漂っていた演出用のカッパ・ホログラムが、一斉に表示を変える。
同時に、屋台の配膳ドローン、清掃用の小型搬送機、川沿いの保守ユニットが、無茶な速度でその座標へ集まり始めた。
投影と実機が重なり、そこに実在するとしか思えない輪郭が、夜の暗がりに次々と立ち上がる。
「なっ……! 投影制御と市街メンテ機を同時に奪ったのか……!?」
雨宮の口元が、わずかに乱れた。その前に現れたのは、ホログラムの緑と実機の外装が重なって、生き物にしか見えないカッパたちだ。
「ケ、ケケ……ッパ!!」
回収班が放った電磁拘束網に、街の保守ユニットが一斉に飛びついた。
網は空中でグシャリと引き裂かれ、そのはずみで跳ねた泥水が、雨宮の白いスーツをまともに汚した。
「何をしている!止めろ!」
泥を浴びた途端、雨宮の眉間がはっきり寄った。
さらにあちこちのスピーカーが、市民の愚痴や告白や店の呼び込みを一斉に吐き始める。
お囃子のリズムを合図に、照明と音響と投影が一気につながっていく。
人の声と機械の音がごちゃまぜになって、会場全体がひとつの生き物のようにうねっている。
ドンドコ、ドンドコ、ドンドコドン!!!
「制御不能……」
ついに、雨宮の足が止まった。
「制御系が、R-180経由で汚染されたのか……」
そのつぶやきは、太鼓とスピーカーのノイズに飲まれた。
「今です、ダン様! あの場所へ!」
ノアが僕の腕をつかんで走り出した。背後では、お囃子と警報が混ざり合って大騒ぎになっている。
泥まみれの査定官を置き去りにして、カオスに包まれた土手を二人で駆け抜けた。
向かう先は、一番好きなあの場所だ。
◇ ◇ ◇
僕たちは人混みをぬって、入り組んだ裏通りを駆け抜け、ついに柳瀬川のほとりにある古びた水門へたどり着いた。
さびた鉄の匂いがした。川から返ってくる湿った風が、頬を優しくなでる。
水門の屋根へ続くハシゴを、一気に駆け登った。そこには、花火が綺麗に見える特等席があった。
遠くからは、祭りの騒ぎがまだ響いてくる。それでも屋根の上は、世界から外れていた。
「ハァ、ハァ。やったね、ノア! ガチで街ごとひっくり返したよ!」
まだ呼吸も整わないまま、隣を見た。
「そうですね。……いえ、ただのオーバークロックです」
言い直すまでの間が、いつもより少し長かった。
「でも、あと数分で街との接続は強制遮断されます。ノイズが、少しずつ遠のいてます」
ノアは水門の縁に腰を下ろし、夜空を見上げた。次々と打ち上がる花火が、その横顔を赤く、青く、そして金に近い色で塗り替えていく。
左腕のパッチは半分はがれかけていた。でも、もう危ない火花は出ていない。
「ねえ、ダン様」
花火を眺めながら、噛みしめるように言った。
「私、今日初めて、志木市民になれました。泥の匂いも、砂利道の痛みも……この花火の響きと一緒に、すべて私の中へ入ってきたから」
ノアが僕の方を向いて、両手で僕の手をやんわりと包み込んできた。
「180日目が来て、私が不燃ゴミになっても……今日、一緒に見た花火の色は、絶対に消さないでくださいね?」
「当たり前だ。ていうか、ノアを不燃ゴミになんかさせない。もし回収日に出されたら、何度でもゴミ置き場から拾って帰る」
「……それ、不法投棄の回収ですから犯罪です。……でも、必ず来てください」
ノアはそう言って、声を揺らして笑った。
突然、世界の時間が完全に止まった。視界が極限までクリアになり、ノアの動きがスロー再生に切り替わる。
いつもの、綺麗に作られたスマイルじゃなかった。口元のほどけ方が不器用で、そのぶん前より目が離せない。
何度も見てきたのに、知らない表情だった。ドクンと鼓動が大きく跳ねる。
ノアは、僕の肩へ頭を預けてきた。
「……あの、ダン様」
呼びかけが、普段と違っていた。瞳には、花火が何色も映っている。その一番奥で、ローズゴールドが激しく燃えていた。
「私、今……冷却ファンが追いつかないくらい、幸せです。バグもプログラムも……もうどうでもいい。ただ、ダン様の隣にいたいです」
ギュッと、手に力がこもる。伝わってきたのは、演算結果じゃない、生きている少女の熱だった。
僕は喉を詰まらせながら、その手を強く握り返した。
「ノア……」
目元から、青白い大粒の涙があふれ落ちる。浴衣を濡らす温度は、間違いなく本物だった。
最後の特大スターマインが打ち上がり、夜空と僕たちを白く塗りつぶす。その爆音のド真ん中で、ノアはこらえきれずに叫んだ。
「好き! ダン様、大好き! 私のバグを抱きしめて!!」
僕はノアの肩を抱き寄せ、その熱を逃がさないように全身で受け止めた。
それはシステムを超えたノアが、生まれて初めて世界に叫んだ、愛おしい反逆だった。




