14th Broadcast Episode:嫉妬という名の過電流(B)
「排斥対象と認定。これより――」
瞳のハイライトの光が消えたノアの指先が、サエの喉元へ触れた、その瞬間。
「ノア、やめろッ!!」
僕は二人の間に体をねじ込み、ほてったノアの体を強く抱きしめた。服越しに伝わる火傷しそうなほどの熱量が、僕を焼く。
「……ダン様。離れてください。害虫の排除を――」
「だめだ! 絶対離さない!」
金属の機体が、過負荷でガタガタと震えている。僕は腕に力を込め、耳元で必死に叫んだ。
「頼むからやめろ! ノアが初めて抱えたバグが、誰かを壊すためのものなんて……そんなの、絶対にだめだ!!」
「……あ」
ノアの動きが停止した。耳を刺す異音が、すっと消える。代わりに、高速で回る冷却ファンのリズムが戻った。
紫の光が、ゆっくりと穏やかな色に染まっていく。僕の胸の中で、熱が少しずつ下がり始めていた。
「……ふん。バカみたい」
気の抜けた声が、上から降ってきた。恐怖で震えていたサエが、冷ややかな目で見下ろしている。
「何よそれ……キモすぎて見てらんない」
サエは言い捨てると、ベッドに潜り込んで背を向けた。その丸まった体が、頑固に突っぱねている。
僕は荒い息を吐きながら、ゆっくりとノアから体を離した。
もう、二人の間に言葉はなかった。
◇ ◇ ◇
深夜。古いアナログ時計の規則正しい響きが、律儀に部屋の隅を打っていた。
僕は仕方なく、床に予備のシーツを敷いて横になっていた。
ふと目を開けると、充電ケーブルを繋いでいないノアが、枕元に体育座りで座り込んでいる。
紫の光が、暗闇の中でもくっきりと浮かび上がった。
「……ノア、寝ないのか? 充電しないと、明日またシステムエラーが出るぞ」
「寝られません。今の私のストレージは、サエ様へのムカつきと、よく分からない敗北感で容量オーバーです」
ノアは膝を抱えたまま、しばらく動かない。
「……ねえ、ダン様。私、やっぱりバグ確です」
その言い方が、いつもの軽い自己申告と違う。不具合の報告にしては、生々しすぎる。
ノアは音もなく、シーツの中に潜り込んできた。体は、もう冷えていた。肌の下で回るファンの振動が、胸に細かく触れる。
僕はパニックになりそうな心臓をなだめるように、自分の手首の脈を同じリズムで必死に叩いた。
「あのさ、サエがそこに寝てるんだぞ。起きたらどうするの?」
「いいんです。見せつけてやります」
ノアの口調は安定しない。それでも、言い切り方は崩れなかった。
「サエ様が持っている十年なんて、今の私の熱量には勝てません」
そこで一度、言葉を飲み込んでから黙った。
「……ダン様。私を見てください」
首筋のすぐ下で、ノアの声が触れた。
「私を、記録してください」
僕の手をつかみ、自分の胸元へ押し当てた。そこは明らかに熱い。内側から、細かすぎる振動が打ち返してくる。
「……ガチで、熱いね。ノア、これは……」
「これ、たぶん嫉妬です」
僕の喉元に額を押しつけながら、低く言った。
嫉妬。
その二文字が、頭の真ん中に鋭く刺さった。手のひらに、汗がじっとりとにじむ。
「最悪にみっともなくて、プログラムを無視してて、どうしようもなくムカつくのに、もう止まりません」
触れた額が、わずかに熱さを増した。
「……サエ様には、こんな温度、出せませんよね?」
勝ち負けの話じゃないのに、ノアは本気だ。その必死さに、息がうまく吸えない。
ノアは僕の首筋に口元を押し当てた。わざとなのか、制御が飛びかけているのか、もう判別がつかない。
すぐそこには、元カノが寝ている。その状況を意識した途端、ノアの体温がさらに上がった気がした。僕の鼓動も、それに引っぱられて速くなる。
なのに、嫌な予感は、どんどん輪郭を持ち始める。
「……ダン様。サエ様の後ろ髪から、『大宮先進失恋治療センター』の検閲チップ由来の薬品臭がします」
耳元で冷たくささやいた。
「……治療センター?」
雨宮に言われた一言が、遅れて記憶の底から浮いた。
ノアの目は、静かすぎる。
「今日の反応で分かりました。サエ様は、ダン様との過去に執着する方向へ、強く誘導されています」
紫の光が、細かく揺れている。
「思い出を語るたび、瞳の中のログが更新されていました。雨宮主任は、私と並べて、その反応を見ています。何を残し、何にしがみつくのかを」
雨宮の顔とサエの涙が、思考の中でひとつに重なった。
「……サエも、利用されてたってこと?」
「そうです。でも、私は負けません」
ノアが、僕の左眉の傷をじっと見つめ、そっとなぞる。そのまま、抱え込むように腕を回してきた。
「彼女が過去を武器にするなら、私は今を使います」
その言い方には、変な荒れ方がない。
「……ねえ、ダン様。抱きしめてください」
シャツの背中が、くしゃりとつかまれた。
「サエ様が目を覚ました時、もう割り込めないと絶望するくらい、強く」
その指先は、まだ震えていた。
僕は無言で、ノアを強く抱き寄せる。床の冷たさも、サエの存在も、その間は遠のいた。
この壊れそうなほど不安定なアンドロイドを、これ以上ひとりで暴走させたくない。
僕の体温で止まるなら、いくらでも使わせていい。そう思った。
◇ ◇ ◇
翌朝。カーテンの隙間から差し込む光は白く、目を開けた途端に頭が痛んだ。
視線をずらすと、ベッドの上はもう空だ。サエの姿はない。その代わり、枕元に書き置きが一枚落ちていた。
『ダン、あんたの歩き方ってさ、一生変わらないんだと思う。不器用で、泥臭くて、一度つかんだものは絶対に離さないやつ』
昔から、そういうところだけは、きちんと見てる。
『あの子、大事にしなよ。あの目、昔のあんたとそっくり。……私はもう、誰かに治してもらうのやめる。自分の足で歩くわ』
走り書きの文字は、かすかににじんでいた。
サエなりの卒業だった。雨宮が用意した筋書きからも、ようやく降りたのだ。
「サエ……最後まで意地張りすぎ。だから志木の女はめんどくさいんだって」
僕は独り言を吐き捨て、キッチンにいるはずのノアを呼んだ。
「ノア? サエが行ったよ。やっと二人きり……ノア!?」
キッチンの床に膝をつき、左腕をじっと見下ろしているノアがいた。その姿に、心臓がひやりと止まった気がした。
床には、切りかけの食パン、落ちたバター、ひっくり返った皿が散らばっている。いつもの朝をやろうとして、途中で止まったのだと一目で分かった。
左腕の人工皮膚が、陽に焼けた古い写真のように、端からパリパリとはがれ落ちている。
そこからむき出しになっているのは、鈍く光る銀色のフレームと、小さく火花を散らし続ける配線だ。
「ダン……様、おは、よう……ござい、ます……サエ様、無事に……デリート、完了、しました、ね」
ひどく音が割れている。無理にスマイルを作ろうとするたび、顔の右側がピクピクと遅れて波打つ。
「ちょっ、ノア! 腕が……顔も、何だよそれ!?」
喉がカラカラに乾き、口がうまく開かない。
「昨日のあれで、本当に回路が焼き切れたの!?」
僕は駆け寄って、ノアを抱きかかえた。
恐ろしく熱い。でも、昨夜のあれとは違った。体温じゃない。内側で何かが燃えている。
コアのあたりが異様な高温で、抱き上げた僕の胸まで焼けそうだった。
「……脳内……演算、エラー……」
発音が、ところどころ引っかかる。
「……サエ様との、過去のデータを……無理やり、解析、しようと……しました」
左腕のフレームで、青白い光が細かく散っている。
「……泥の、匂い……ずぶ濡れの、温度……私の、知らない、あなたの、記憶を……どうしても、取り込みたくて……」
瞳の紫は、左右に大きく振れている。僕を捉えようとしているのに、焦点が合わない。まつ毛の白銀が、ひどく濁って鉛色にかげっている。
冬花先輩が予告したシステム崩壊。僕の記憶の逆流が、ノアを追い詰めていたのは確かだ。
でも、この惨状は、それが原因とは思えなかった。僕との今を守ろうとして、届かない過去に手を伸ばして自爆した。
サエへの嫉妬が、最後の引き金を引いた。そうとしか思えない。
「バカか!」
自分でも何に向かって怒鳴ってるのか、もう分からなかった。
「そんなもの、知らなくていいんだよ! 泥の匂いなんて、後でいくらでも教えるから!」
「……ダメ、です……」
ノアの声が、そこで沈みかけた。
「……今の、私の……ままじゃ……180日目の、私に……負ける」
途切れ途切れのノイズが混じった。
「……嫌いに、なりたく、ないんです……最後まで、あなたのこと……ガチでキモいって……言って、いたいから……っ」
左腕から、パチンと小さな破裂音がした。青白い冷却液が噴き上がる。ノアの意識が落ち、瞳の光が薄れていく。
「ノアッ! 目を開けろっ!!!」
返事はない。
軽いはずの体が、今は鈍い重さで全身にのしかかる。遅れたら終わる、という感覚が一気に喉元までせり上がった。
僕はノアを抱きかかえ、なりふり構わずアパートを飛び出した。
朝の風は冷たく、走るたびに肺を刺す。向かう先は、一つしかない。駅の裏通りにある『カッパの隠れ家』だ。
マスターなら、この嫉妬という過電流を止める方法を知っているはずだ。そう信じるしかない。
「どけ! どいてくれっ!!」
街並みが、急ぐ僕の横を荒く流れていった。
ノアの重さが昨日の比じゃない。熱が肌に食い込んでくる。
取り込んだサエのデータのせいなのか、それとも嫉妬のせいなのか、もう考える余裕はない。この重さは、そのまま僕の責任だ。
駅前ターミナル区画の東エリア。マヌケなカッパ像が、朝日に照らされて立っている。
その足元を、昨日と同じ道で駆け抜けた。なのに今日は、何一つ同じには見えない。
いつもならニヤついているカッパが、今日は、必死に走る僕を黙って送り出している。
「死なせてたまるか……! ただの鉄クズになんて、絶対にさせない!」
心臓が破裂しそうだ。足がつりそうで、視界が歪む。
スマートに救えないなら、泥だらけで抱えるしかない。かっこ悪くても、遅くても、一度つかんだものを捨てない。それが僕に残った唯一のやり方だった。
柳瀬川の向こうで、国家中枢区を囲う巨大な管理ドームの輪郭が、朝日にギラリと光っている。
180日の物語は、もうとっくにプログラムされた線路から外れていた。そして、その脱線は後戻りできないところまで加速している。
僕の腕の中で、ノアの指がかすかに動いた。まだ終わっていないと、そう告げる合図だった。
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【NOA CORE COUNTDOWN】
《145:00:00:00》




