Episode 15:サドンデス
「カイ、こっちよ。砂利道よりは、コンクリートの方がマシでしょ?」
志木駅南口の、人目に付かない古い雑居ビルの地下。
暗闇の奥から、一華先輩が手招きしている。
そこには、地下鉄計画が中止になった時に放置されたと言われる、カビ臭くて湿った、忘れ去られた空間があった。
「ハァ、ハァ……おい、エナ、しっかりしろ。お前の指輪、まだ光ってるぞ。ヘタレのド根性見せてくれよ」
エナは、強制帰還命令による電気信号で、ピクピクと小刻みに震えていた。
命令に従って、路上で俺の首を絞めようとした彼女。
通りがかった一華先輩が、特殊なジャミング弾で一時停止させてくれたんだ。
俺はエナを抱きかかえて、地下の暗闇を突き進む。
彼女の排熱ポートからは、ラーメン屋の湯気より熱い蒸気が噴き出していた。
「一華先輩、マジ救世主。今度、立ち食いそばおごらせてください」
「ごちゃごちゃ言ってないで早くしな。死んだら、そばもクソもないのよ」
その隣には、なぜかマスターが、最新鋭のホログラム端末を腕に装着して立っていた。
「マスター?なんでここに……コーヒー豆の秘密基地ですか?」
「フッ、相変わらず各停な冗談だな、カイ。私は昔、北浦和と大宮のAI研究所で、心を数値化する設計図を描いていた男だよ。いわば、エナのおじいちゃんみたいなもんさ」
マスターの口から、さらっと衝撃の真実が語られた。
彼がいれるコーヒーが異様に美味かったのは、精密な化学組成を計算していたからだったのか……
俺は、意識が混乱してオーバーヒート気味のエナを、簡易ベッドに寝かせた。
「あ、っ……。カイ、様……。私、溶けちゃいそうです。脳内の回路が、真夏のマヨネーズみたいに、ドロドロ……」
エナが震える手で、俺のシャツの袖をギュッとつかんだ。
そのまま、俺の腕を引き寄せ、熱を持った頬を俺の手にこすりつける。
「カイ様……。強制命令のノイズが、すっごく怖くて。でも、こうして触れていると……心拍数のバックアップが取れて、安心します。てへへ……」
エナの瞳が、薄暗い地下室で不規則に瞬く。彼女の放熱の熱気が、俺の肌をチリチリと焼く。
このまま、彼女を抱きしめてやりたい。
だが、マスターの言葉が、俺の甘い思考を氷水のように冷やした。
「カイ。エナを救う方法は、もはや一つしかない。彼女のボディは、西園寺の強制帰還命令にハックされ、崩壊寸前だ」
マスターが、ホログラムで俺の脳の断面図を映し出した。
「エナの全人格ログを、お前の脳に引っ越しさせるんだ。つまり、お前の脳を、お前の記憶と、エナの意識のシェアハウスにする」
「俺の脳に、エナを……?」
マスターは、かつてないほど厳しい目で俺を見た。
「そうだ。だが、一度失敗して通行禁止になった経路を無理やりこじ開けるんだ。お前の脳内ニューロンは、踏切事故の自転車みたいに粉々になるリスクがある。二度と階段を自力で登れなくなるぞ。それでもやるか?負け犬、カイ」
俺は、俺の手を握ったまま、必死に自分を保とうとしているエナの寝顔を見た。
「当たり前です。俺の脳みそなんて、もともとエナのことしか詰まってねえんだ。空き容量なら、テラバイト単位で余ってますよ」
地下の湿った空気の中で、俺は迷いなく答えた。
たとえ俺が俺じゃなくなっても、この指輪をしたエナの心だけは、絶対にデリートさせない。
「カイ、見て。これが九条特務官が指揮する、プロジェクト・プロメテウスの全貌。私の愛した彼も、この実験の犠牲になったわ」
一華先輩が、地下室のコンクリート壁に映し出したホログラム。
そこには、人間の脳を巨大なサーバーの一部に変え、アンドロイドの処理能力と融合させることで国民を完全管理する、政府特務局の悪魔のような計画が記されていた。
「西園寺なんて、九条の足元に転がっている使い捨てのビットでしかない。九条の狙いは、あんたの脳を壊してでも、エナのバグ――つまり、演算不能な感情を抽出して、システムの一部に組み込むことよ」
「感情を……システムに?」
「そう。愛や絆を、効率的に管理するためのプログラムに変える。それが、あの日、九条が私の目の前でやったこと」
一華先輩の瞳には、救いようのない、深い絶望が沈んでいた。
10年前。まだ志木の街が、今より少しだけ不便で、でも今よりずっと暖かかった頃。
一華先輩の隣には、穏やかに微笑む一体の青年アンドロイドがいた。
彼はプロメテウス計画の最初の完成体であり、彼女の心を守るリハビリ・パートナーだった。
「彼は、なんでもない日常を愛してくれたわ。効率を無視して、私のために柳瀬川で綺麗な石を探してくるような……そんな不器用なバグを抱えていた。でも、九条は、それをエラーだと断じたの」
一華先輩の声が、怒りで低く震える。
「九条は、彼の意識を無理やり引き抜き、空になった身体を、私の目の前でスクラップにした。彼の心は今も、政府の巨大サーバーのどこかで、冷たい数字の羅列として囚われている。ゴミ箱に捨てられたデータみたいに、永遠に……」
一華先輩の拳が、白くなるほど握りしめられていた。
彼女が背負う、底知れない暗闇。
俺の胸の奥底から、ドブ川より濁った怒りという名の泥が、沸騰したコーラみたいに噴き出してきた。
「九条とかいうクソ野郎……。インテリぶったツラして、この街を自分のチェス盤だと思ってやがる。人の愛を数字に直して、何が楽しいんだよ!」
九条の冷徹なロジック。効率と管理、愛の排除。そんなもん、点字ブロックの隙間に詰まったガムのカス以下だ。
「カイ。エナを、彼と同じ目に合わせたくない。だから……あんたが、エナの器になりなさい」
一華先輩が、真っすぐに俺を見つめる。その瞳の奥には、10年間守り続けてきた、執念の火が灯っていた。
「分かってます。九条が俺たちをただの管理対象としか思ってないなら、各停男なりのやり方で、その管理表をズタズタに破いてやりますよ」
俺は、ベッドで苦しげに息を吐くエナの傍らに立った。
一華先輩の悲劇を繰り返させない。その決意が、俺の脳内を、岩盤より硬い意志で埋め尽くしていった。
「マスター、引越しの準備をお願いします。引っ越し先の脳みそは、いつでも入居可です」
マスターは無言で、ホログラム端末を操作した。
エナのコアから吸い出されたログが、地下室の壁に滝のようなコードとなって流れ落ちる。
その時。重厚な鉄のハッチが、暴力的な音を立てて蹴破られた。
「ハァ、ハァ……カイ!悠長に引っ越し作業してる場合じゃねえぞ!」
息を切らして飛び込んできたのは、タケルだった。その顔は、いつものナンパな余裕なんて1ミリもない、悲痛な表情をしている。
「どうした、タケル?そんなに慌てて。駅前のパチンコ屋が全席禁煙になったか?」
「笑えねえよ!地上が激ヤバの戦場になってる。特務部隊が、市役所の名前で非常事態宣言を出しやがったんだ。街中、武装したドローンだらけだぞ!」
タケルの叫びに応えるように、その後ろから、凛がタブレットを抱えて猛ダッシュで走り込んできた。
凛の指先は、親のカタキを討つような鬼速で画面を叩きながら、顔面は蒼白になっている。
「お兄ちゃん、マジで最悪……今、市役所のメインサーバーから、エナお姉ちゃんの隠しログ抜いたんだけど……これ、見て。ほんとにヤバい」
凛が突き出した画面には、真っ赤に点滅する『00:06:00:00』という不吉な数字が踊っていた。
『00:06:00:00』
その無機質な数字が並んだ瞬間、地下室の空気が氷点下まで凍りつく。
それは、日、時、分、秒を刻む、残酷なまでのデッドリミットを意味している。
「バカな…………。メインフレームのシャットダウンまで、あと6時間だと……!?なんなんだ、これは……ふざけるな!!!」
マスターが、ホログラムの数値を二度見して、聞いたことがないほど絶叫した。
あの冷静沈着なマスターが、端末を叩く指をガタガタと震わせている。
「………嘘よ…。なんで?まさかこんなこと……。これじゃ、人格のバックアップを取る前に、エナのコアが焼き切れてしまうわ!」
一華先輩が、崩れ落ちるように壁に手をついた。
彼女の瞳に浮かんでいるのは、かつて愛したパートナーを失った時と同じ、救いようのない絶望の再来だった。
本来なら、俺たちの未来だった『79日』が表示されるべき場所。
でも今は、無慈悲に、無機質に、秒単位で削り取られていく。
「……残り、6時間?なんだよ、これ……。バグか?おい、 凛!お前のハッキングスキル、無料Wi-Fiより弱くなったんじゃねえのかよ!」
「違う!!バグじゃない!!西園寺のクソがやったの!!解除された腹いせで、期限吸い取るプロトコル仕込んでた!!解除した瞬間にさ……エナお姉ちゃんの残りの寿命、解除料とか言って、全部奪ったんだよ!!!」
凛の分析を補うように、マスターが壁に流れる数式の一点を指差した。
「それだけじゃないな。朝霞台でのR-Zero戦だ。あの時、エナが発動させた志木市民モード。あれは結果として、残ったエネルギーを寿命ごと前借りして爆発させた、禁断のブーストだったんだ。……エナは……自分の命をロウソクのように燃やし尽くして、お前を守ったんだよ、カイ」
俺の頭の中が、全記憶が完全に消え去った瞬間のような、猛烈な虚無感に包まれた。
ベッドの上で、エナが静かに、そして激しく震え出す。
「う、そ……。私の、カイ様との時間が……あと、6時間……?」
エナの黄金色の瞳から、涙に似た冷却液がこぼれ、枕を濡らしていく。
二人で買ったダイヤモンドの指輪。
未来を繋ぐはずだった輝きが、今は、看取り直前の心電図みたいに、弱々しく点滅していた。
「カイ、様……。ごめんなさい、私……。こんなポンコツ、もう、引っ越す価値なんて……ないです。あと数時間で、私はただの鉄クズに……」
エナの手が、俺の袖から力なく滑り落ちようとした。
その瞬間――俺の胸の奥底で、何かが音を立ててブチ切れた。
ドブ川の底に沈んでいた、ドス黒くて熱い各停男の意地が、一気に沸点を超えて噴き出す。
「価値があるかないか、決めるのはお前じゃねえ。……俺だ」
滑り落ちようとしたエナの手を、指が折れるほどの強さで握りしめた。
冷たくなり始めた彼女の指先に、俺の体温を無理やり叩き込む。
「西園寺。九条。どいつもこいつも、勝手に俺たちの時間を査定してんじゃねえよ。6時間だ?上等だ。その数時間で、エナの人生全て、俺の脳内に焼き付けてやる!」
俺は顔を上げ、震える凛と、拳を握りしめるタケルをにらみつけた。
その瞳には、もはや1ミリの迷いも、恐怖もない。
「凛。泣いてる暇があったらキーボードを叩け。無料Wi-Fi以下のゴミ電波でも、ドブネズミが本気出せば、インテリ軍団をかく乱くらいはできるだろ?」
「……うん。もう泣かない。あいつらの鼻、私がへし折る!志木高電脳部長が、本気で相手してやるから!!!」
凛が涙を乱暴に拭い、タブレットの画面に指を走らせる。
俺は、タケルの肩を力一杯たたいた。
「タケル。時間を稼ぐぞ。マスターと一華先輩が、引越しの準備を終えるまで、地上の連中に、各停男のしぶとさを教えてやろうぜ。お前の魔改造ショベルカー、まだ動くよな?」
「おう、当たり前だ!土木工事はな、予定通りに進まないのがデフォなんだよ。九条の効率的な管理なんて、工期遅れでボコボコにしてやるぜ!!」
タケルが、いつものクソ生意気な笑みを取り戻す。
絶望という名の闇に、ドブネズミたちが中指を立てて笑い始めた。
俺は、エナに向き直って、彼女の額に自分の額をコツンと当てた。
「エナ。180日目の朝は、絶対に二人で駅前の立ち食いそばを食うんだ。お前、自虐ポエムの新作、まだ書き上げてねえだろ?自分の終わりを勝手にプログラミングする暇があったら、俺への愛を1テラバイト分、余分に用意しとけ」
「カイ、様……。……はい。いつだって、どんな時だって、あなたを信じています……。各停男の、無謀すぎる特攻……。最高にエモいログとして、私の中に……刻みます……」
エナの瞳に、かすかな、でも確かな光が戻った。
俺は立ち上がり、地下のハッチへと駆け出す。
「マスター、一華先輩。エナを頼みます。俺たちが地上で暴れてる間に、最高に快適なシェアハウスを用意しておいてください!」
180日の物語が、たった6時間のサドンデスへ。
運命が俺たちをデリートしようとするなら、その運命ごとバグらせて、上書き保存してやる。
夜の志木。反撃の狼煙が、地下から地上へと突き抜けた。
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「ったく、九条の野郎。勝手に人の人生デリートしてんじゃねえよ。各停だらけの平和な駅前を、ハリウッド映画のセットにでもするつもりかよ」
俺はタケルと並んで、ボロいアスファルトの路地裏を猛ダッシュしていた。
背後からは、最新鋭暗殺ドローンの駆動音が、リズム感を失った呪いの和太鼓みたいな音で迫っている。
「カイ、左だ!駅前の潰れかけのパチンコ屋、その裏路地へ滑り込め!あそこなら、あいつらのデカい機体じゃ追ってこれねえからな!」
タケルの叫びと同時に、俺たちはゴミ捨て場の山を飛び越えた。
ドガァァァンッ!
俺たちがさっきまでいた場所を、ドローンのレーザーが焼き、アスファルトがクラッカーみたいに派手に弾け飛ぶ。
九条の野郎、国民の安全なんてハナから眼中にねえ。
効率と管理、そして不要なバグの排除。そんなもん、俺の靴底で踏みつぶしてやる。
「ターゲット、再捕捉。ヒロセ・カイ、および共犯者。速やかに、その汚い人生をシャットダウンしなさい」
空中で展開するドローンから、九条のAI生成音声が響く。
暗殺機体の数は、どう見ても30機を超えている。路地裏に追い詰められ、レーザーの照準が俺の眉間に重なった、その時だ。
駅周辺の全てのビジョンに、激しいノイズが走った。
稲妻のような爆音とともに、画面の砂嵐がゆがむ。
そして――いやというほど見慣れた少女の顔が、超どアップで映し出された。
ついでに、ガチのスッピン。
『はーい残念でーす、インテリおじさーん。志木の電波ね、今から志木高電脳部が……あ、部って言っても私だけなんだけど?ま、いーや。ここ、凛ちゃんがジャックしまーす。よろぴく〜、逃げ場ないから覚悟しとこ?』
通信機から、凛の小生意気な、ふざけた声が響く。
同時に、街中のカメラとドローンが、10円玉で詰まったオンボロ自販機みたいに一斉にフリーズした。
「よっしゃー!!!凛、ナイス!今だ、タケル!」
「おう!志木の土木技術をなめんなよ!!!」
タケルがスマホのボタンを叩くと、パチンコ屋の裏に隠してあった魔改造ショベルカーが、重低音を響かせて起動した。
アームがうなりを上げ、フリーズした暗殺ドローンを次々と叩き落とす。 漆黒の闇に、鮮やかな火花が散った。
「一華先輩、マスター!こっちは引き受けました。早くエナの準備をッ!」
俺は叫びながら、地下へと繋がる換気口を一瞬だけ見つめた。
地下では今、マスターと一華先輩が、俺の脳を器にするための地獄のオペを急いでいる。
「フッ、ドブネズミどもが。一丁前に抵抗するのか?まあ、いいだろう。180日目の朝に、最高の絶望をプログラミングしてやる」
九条の冷笑と共に、増援部隊が駅を包囲していくのが分かった。空を埋め尽くすドローンの光は、まるで墜落してくる星クズだ。
でも、俺の胸の中にある指輪の感触だけは、今も異常に熱い。
エナ。
前回の失敗なんて、各停から急行への乗り換えミス程度のことだ。
今度こそ、お前の心を俺が全部抱きしめてやる。
夜の志木、 180日目の期限まで、残り6時間。
俺たちの、命と魂を賭けた再ダウンロードの時が、刻一刻と迫っていた。




