Episode 13:R-Zero
俺とエナは、志木市役所の地下室から、肺がひっくり返るような勢いで駆け出した。
背後では、俺が流し込んだ特大バグのせいで、数億円は下らないであろう最新鋭サーバー群が派手にショートしている。
火花が散り煙が立ち込める光景は、オンボロパチンコ屋の壊れかけネオンみたいに、もはや致命的に修復不能に見えた。
「ハァ、ハァ……エナ、足、大丈夫か?お前の関節、さっきの無理な再起動で、ネジが行方不明のイスみたいにガタついてないか?」
俺はエナの細い手をしっかりと引き、非常階段を一段飛ばしで駆け上がる。
エナは、黄金色の瞳をパチパチさせている。
どこか吹っ切れたような、それでいてガチで楽しそうな笑顔で俺に応えた。
「大丈夫ですよ、カイ様。今の私は、砂利道で鍛えたド根性回路がフル稼働してます!でも、この非常用電源の明かり……エモすぎませんか?ラブホ街みたいで…ドキドキしちゃいます」
ああ、マジでよかった……この、感動の再会シーンに泥を塗るような、場違いな自虐ユーモア。
間違いなく、俺が愛するバグだらけのエナだ。
「お前さあ、人格を取り戻したばっかで、その自虐…ガチで性格戻りすぎだろ」
非常口の重い鉄扉を蹴破ると、そこは市役所の裏手、柳瀬川の土手だった。
湿った夜風が、泥と汗でベタつく俺たちの顔を冷やしてくれる。
でも、安心する暇なんて、深呼吸一回分すら残されていなかった。
『お兄ちゃん!突っ立ってる場合じゃないから!研究所から、マジで洒落にならんヤツ放たれた!はい撤退!全力で逃げて!!』
耳元の通信機から、凛の悲鳴に近い怒鳴り声が響く。
空を見上げると、夜の闇をカミソリで切り裂くような一筋の青白い閃光が、俺たちに向かってくるのが見えた。
いや、冗談としか思えない。あれは流れ星じゃなくて、迎撃ミサイルの速度だ。
「逃げるぞ、エナ!朝霞台だ!あそこなら武蔵野線と東上線が交差して、追跡センサーをノイズでまき散らせる!」
俺たちは、土手の草むらに隠していた、タケル特製の魔改造原付バイクに飛び乗った。
見た目は古びたスクーターだが、中身は軍用の高出力モーターが詰め込まれている。
「カイ様、捕まっててください。私、今なら、東上線の急行をママチャリで追い抜いた、伝説のヤンキーの気持ちが分かりますッ!」
エナがハンドルを握り、俺が後ろにまたがる。狭いシートの上で、俺の胸とエナの背中が、隙間なく密着した。
エンジン音が、耳元でドラム缶を転がされたみたいに爆音で鳴り響く。
「うおっ、近っ……エナ、お前、体が熱いぞ!」
「出力全開ですから!背中を通して、カイ様の心臓のバクバクを演算中…。あっ、私の服をこのまま脱がせて、超エロいことしようと妄想中ですね?」
「するか!こんな時に!!」
原付は、土手沿いから慶応通りを、リニアモーターカー並みのメチャクチャな速度で走り抜けた。
振動で胃の中のコンビニおにぎりがシェイクされるが、背中に感じるエナの体温だけが、俺の意識をこの世に繋ぎ止めていた。
目指すは隣の街、朝霞台。
西園寺が放った北浦和の技術の結晶――最強の殺し屋『R-Zero』が、重力すら無視した勢いで追ってきている。
俺たちが、朝霞台駅南口のバスロータリーに、タイヤを焦がしながら滑り込んだ、その瞬間。
「おいおい、マジかよ……。あんなの、空からクジラが降ってくるよりあり得ないだろ!」
そいつは夜空を引き裂き、酔っぱらった流れ星みたいな軌道で地面へ突っ込んだ。
ドオォォォォォォンッ!!!
着地の衝撃で、駅前のアスファルトが、クモの巣状に激しく割れる。
猛烈な土煙の中から現れたのは、エナにそっくりな顔をした、でも一切の感情を削ぎ落とした完全体のアンドロイド少女だった。
その身体は、極秘に開発された、自己修復型の流体金属で覆われている。
月光を浴びて、不気味に美しく輝くその姿は、埼玉にはあまりに不釣り合いで、氷のような殺気を放っていた。
「ターゲット、捕捉。被験者ヒロセ・カイの抹殺、および個体名エナの強制回収を開始」
声まで、エナにそっくりだ。
でもその響きは、真冬の金属に素手で触れたような、心臓まで凍りつく冷たさだった。
「あれが、R-Zero……私のバグをすべて排除して作られた、完璧な次世代機です。まったく、かわいげのカケラもないですね。鏡を見てるみたいで、自己嫌悪が秒でギガバイトです」
エナが原付から飛び降り、俺を守るようにR-Zeroの前に立ちはだかった。彼女の指先からは、青白い電位火花がバチバチと散っている。
俺たちのジャンクな絆と、北浦和の完璧な論理。
朝霞台駅前という、最もカオスな乗り換えの聖地で、今、激突の幕が上がる。
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「やめろ、エナ!あいつは市役所のガードマンとはレベルが違う!校長先生とプロ格闘家が戦うくらい、絶望的な差があるぞ!」
俺は、原付から転げ落ちながら叫んだ。
目の前に立つR-Zeroは、微動だにしない。ただそこに存在しているだけで、空気が絶対零度まで凍りついていくのが分かる。
「分かってますよ、カイ様。でも、ここは朝霞台です。東上線と武蔵野線が絶妙に噛み合わない、カオスな乗り換えの聖地です。秩序を重んじるあの子には、この街の空気は毒になるはずです!」
エナが強がって見せるが、その膝は震えていた。
無理もない。R-Zeroの流体金属ボディは、月光を反射して、地獄の魔王のようにうごめいている。
「個体名エナ。あなたの演算は、限定的な低解像度環境に最適化されすぎです。それは進化ではなく、退化。不快です。その汚れた感情、初期化します」
R-Zeroが、目にも止まらぬ速さで踏み込んできた。加速の予備動作すら見えない。物理法則を完全シカトした、ありえない暴力だ。
流体金属の腕が、一瞬で鋭いカマへと変形する。エナが張ったバリアオーラを、安物のレジ袋みたいに切り裂いた。
「っ、あぁぁぁッ!!」
エナの肩から、青白い火花が噴き出す。攻撃を喰らった肩口から、熱を持った流体金属に侵食され、黒く焦げ付いていく。
「エナ!!」
俺は半分やけくそで、タケルから渡されたジャンクな電磁グレネードを、R-Zeroに向かって思い切り投げつけた。
でもそいつは、R-Zeroの目に見えない透明なバリアに、パチンと虚しく弾き返される。
グレネードは、駅舎を軽々と超えて吹っ飛んでいった。そして線路の向こう側で、パチンコ屋の看板を盛大に粉砕しただけ。
「無駄です。被験者ヒロセ・カイ。あなたの行動は、私の予測モデルではノイズ未満」
R-Zeroの視線が、俺をとらえた。
蛇にニラまれたカエルなんて、そんな可愛いもんじゃない。
巨大なプレス機に押し潰される、空き缶のようなプレッシャーだ。
「カイ様に、触るなッ!!!」
ボロボロのエナが、出力限界を超えたスピードで突っ込む。
R-Zeroは、最小限の動きで華麗に回避し、流体金属の脚でエナの腹部を蹴り上げた。
ドゴォッ!という嫌な衝撃音。
エナの体が、ロータリーのアスファルトをバウンドしながら吹き飛んでいく。
「ぐっ、ガチで、鬼つええ。本気出しすぎだろ……」
俺は、倒れ込んだエナに駆け寄ろうとした。
ふと背後に、凍るような気配を感じたその瞬間、のど元をグロテスクなドロドロの指が締め上げる。
「が、はっ……」
俺の足が宙に浮く。
R-Zeroの顔が、至近距離に迫ってくる。エナと同じ顔だ。
でも、瞳には光がない。あるのは、深い、底なしの虚無だけだ。
「ヒロセ・カイ。あなたは個体名エナに、回復不能なエラーを植え付けた。その罪は、生命活動の停止によってのみ清算できる」
「……っ、う、るせ……!エナは……エラーじゃねえ……!」
俺の意識が、少しずつ遠のき始める。
視界の端で、エナが必死に立ち上がろうとしているのが見えた。彼女の瞳からは、青白い涙が滝のように吹き出している。
「ああ、カイ……様……。やめて……お願い……!私の全機能を、カイ様の保護に回して……!私のコアなんて、どうなってもいいから……ッ!!!」
エナの狂ったような叫びが、眠りに落ちた世界を引き裂く。
自分の命を削ってでも、俺を助けようとする彼女の思い。
それこそが、R-Zeroには決して理解できない、この世で最も尊いバグだった。
でも、R-Zeroには、一切の迷いがない。俺の首の骨がギシギシと鳴って、目の前が白に染まりかけた、その時。
『カイ!エナの足元を見ろ!!そこは朝霞台と北朝霞の乗り換え境界線だ!長年たまりにたまった、乗り換えに間に合わない!っていう怨念バグが渦まいてるんだ!』
耳元の通信機から、タケルの野太い声が、ノイズ混じりの爆音で響き渡った。
「……お前……こんな時に……、何言って……」
俺は意識のヒューズが飛びかけながら、通信機に向かって全力で毒づいた。
死に際に聞くラストメッセージが、怨念バグって……俺の人生の解像度、マジで低すぎだろ。
『カイ、聞け!エナの隠しフォルダに、今、強制パッチを当てた。リスクを承知で、そいつを開放する!エナの志木市民モードだッ!!!』
タケルが、キーボードを叩き壊すような勢いで絶叫した。
次の瞬間―――
真紅の閃光が走り、俺を吊り上げていたR-Zeroの指先を粉砕した。
「エラー発生。演算不能。未知のエネルギーの逆流を検知。これは……」
意識が途切れる寸前、俺はアスファルトに放り出され、肺の奥まで叩きつけられた。
のどが焼ける。空気を欲しがって、獣みたいに咳き込んだ。
視界がにじみ、世界は左右に揺れる。
体の輪郭が曖昧で、地面に寝ているはずなのに、どこか宙に浮いている感覚だけが残っていた。
俺は、限りなくゼロに近いライフをかき集め、朦朧とする意識を無理やり引き戻す。
瞼が重い……それでも、歯を食いしばって目を開いた。
エナが、そこにいた。
俺に背を向け、R-Zeroの前に立ちはだかる影。
全身を泥に染め、肩で息をしながらも、一歩も退かない。
その背中だけが、崩れかけた世界の中で、異様なほどはっきりと立っていた。
全身からは、泥臭くて熱い、どす黒い赤いオーラが昇龍のように噴き出している。
「エ……ナッ…」
俺の目の前で、エナのコアプロセッサーが、けたたましく唸りを上げる。
無数の怒りを圧縮したような音で、次の瞬間に、世界が壊されることを予告していた。
もはや、それは精密機械の駆動音じゃない。
朝霞台駅の階段を、発車30秒前に猛ダッシュで駆け上がる、サラリーマンたちの焦りと執念を凝縮したような、地響きに近いうめき声だ。
「演算終了。カイ様……今の私なら、オンボロママチャリでも、フェラーリをぶち抜ける気がしますッ!」
エナから湧き出る赤い熱気は、今や燃え盛る巨大な火柱と化し、夜空に向かって昇っていく。
それは、朝霞台という街に渦巻く、乗り換えに失敗した人々の負のエネルギーを反転させた、超不条理パッチの輝きだった。
「演算不能。エラー発生。低スペック個体が異常出力中。なぜ維持できる?」
R-Zeroが、流体金属のグロいタコ足のような手を無数に伸ばし、あらゆる角度からエナを串刺しにしようとする。
次の瞬間、エナの姿が視界から消えた。一瞬の隙をついて、空高く舞い上がっている。
「遅いですよ、R-Zero!ふふっーん、インテリの優等生様。朝霞台での乗り換えは、1分1秒を争うガチの戦場なんです!」
ドゴォォォンッ!!!
エナの飛び蹴りが、R-Zeroの鉄壁のバリアを紙クズみたいに突き破り、その無機質な顔面にめり込んだ。
衝撃波が走り、パチンコ屋のネオンが一斉にショートする。
「予測不能。演算がR-180の動きを把握できません」
「当たり前です。志木市民の朝は、予測不能な東上線の遅延との戦い。時刻表通りにしか動けないあなたに、このカオスなステップは見切れませんッ!」
エナの動きは、もはやダンスだった。
泥酔したオヤジが駅前で踊り狂うような、非論理的で予測不能な、かつ鬼ヤバい殺気をはらんだ神速の乱舞。
AIのロジックでは、致命的なバグと判定される動きだ。
R-Zeroは、演算エラーを繰り返し、エナの攻撃を喰らい続けた。
そしてついに、精密なコアプロセッサーから、焦げ付いた蒸気が上がり始める。
オーバーヒート寸前だ。
「あ、あ、あぁぁぁぁッ!処理が追いつき、ません……ッ!低解像度な非効率性が、私の回路を、汚染してる……っ!」
R-Zeroの全身に、致命的なエラーログが走り抜けた。
チャンスは、今だ。
「エナ、決めろ!砂利道のドブ根性、見せてやれッ!」
俺の叫びに、エナが応える。彼女は空高く舞い上がり、満天の星たちを背景に静止した。
その背後には、大地を引きはがして巻き上げた、赤黒い濁流のようなエネルギーが、らせんを描いてふくれ上がっている。
「これで終わりです。北浦和のスパコンには、一生解けないバグ。喰らいなさいッ!!!」
ドォォォォォォォォォン!!!
エナの放った全出力の衝撃波が、R-Zeroを、そして西園寺のクソ計画を、濁った泥水とともに一気に飲み込んだ。
モクモクと土煙が上がり、駅周辺を覆っていく。駅前のロータリーは、今や巨大なクレーターと化している。
少しずつ煙が晴れると、そこにはボロボロに破壊され、再起動不能になったR-Zeroの残骸があった。
そして、肩で息をしながら、どや顔を見せる泥だらけのエナが立っている。
「ハァ、ハァ……カイ、様。見ました?私の、今の、鬼熱いフィニッシュ。ガチで志木市民のプライド、守っちゃいましたよ!」
エナが、泥まみれの顔で、にっこりと笑った。
壊れた街灯がパチパチと火花を散らし、深夜の静寂の中に、遠くで鳴り響くパトカーのサイレンが混ざり始める。
「ああ。お前、世界で一番カッコよかったぞ!」
俺は足の震えを抑えながら、クレーターの底で膝をついているエナに駆け寄った。そして、その細い肩を力いっぱい抱き寄せた。
「カイ……様……。あ、熱い、です……」
エナの体は、限界を超えた志木市民モードの熱量のせいで、真夏の自動販売機の裏側みたいに、ほてっていた。
しかも、R-Zeroの猛攻を何度も受けている。彼女のアンドロイドの外装は、あちこちが溶けて破れていた。
そのせいで、人間臭い曲線美が、月光の下で露わになっている。
「おい、エナ、大丈夫か?服が、その……かなりヤバいことになってるぞ」
俺は必死に目をそらそうとしたが、至近距離で抱き合っている以上、逃げ場なんてどこにもない。
泥にまみれた彼女の白い肌が、俺の破れたシャツ越しに直接触れ合う。
「あっ、本当ですね。ガチで露出狂一歩手前です。……でも、カイ様なら、見てもいいですよ?今の私、オーバーヒートしてて……恥ずかしさのガードが、終電後のホームくらい…ガラ空き…なん…です……」
エナが、熱くて甘い匂いがする息もれを、俺の首筋に、ふうっーと吹きかけた。黄金色の瞳が、熱っぽく潤んでいる。
これ、感動シーンのはずなのに、なんで俺の心拍数が、レジで財布が見つからない瞬間くらい激しくなってんだよ!
「お前さあ、そういうのは、もっと落ち着いた状況で……」
「落ち着いた状況……。二人で柳瀬川の底にでも沈みましょうか?あそこなら、西園寺主任も北浦和のインテリも追ってきませんし」
エナが俺の腕の中にさらに深く潜り込み、俺の腰に細い腕を回した。
泥と、オイルの匂いと、そしてエナという存在が放つ甘い熱。
クレーターの底という最悪のシチュエーションで、俺たちは世界で一番不謹慎な密着を繰り広げていた。
『ちょ、感動してる場合じゃないんだけど!ここ警察署まで徒歩レベルだよ?今すぐ逃げないと、秒で伝説の露出カップル認定されるから!』
耳元の通信機から、凛のガチで引いてる声が響く。
タケルの笑い声も重なる。
『カイ!R-Zeroの残骸から予備コアを引っこ抜いて逃げろ!それがあれば、エナのメンテナンスも一生タダだ!最高の結婚祝いだろ?』
「何で結婚祝いだよ!……行くぞ、エナ。パトカーが来る前に闇に消えるんだ」
俺はエナの手を引き、クレーターからはい上がった。
足元はガタガタだが、手を繋いでいるだけで、どんなリニアよりも速く走れる気がする。
「でも、カイ様。私……今ので、朝霞市から器物損壊の請求書、100年分くらい来そうな予感がします。冗談抜きで、一緒に柳瀬川の底で暮らしてくれますか?」
「当たり前だろ。カッパと一緒に、仲良く泥水スープをすすろうぜ。お前のいびきを聞きながらな」
エナは、俺の顔を見て、純度100%の幸せそうな笑みを浮かべた。
「ねえ、カイ様。私、早く帰って、一緒に泥だんご鍋が食べたいです。隠し味に、砂利を少々入れてもいいですか?」
「歯が折れるからやめろ!」
俺たちは、遠ざかる朝霞台の光を背に、俺たちの街へと走り出した。
戦いはきっと、まだまだ終わらないだろう。
北浦和の逆襲も、西園寺の執念も、これからも俺たちの各停人生を邪魔しに来るに違いない。
でも、今の俺たちには、どんな最新兵器も、寝起きのくしゃみ程度しか怖くなかった。
繋いだ手の熱さが、何よりもリアルな最強のプログラムだったから。




