12th Broadcast Episode:廃棄区画の錆びた指輪(B)
無人シャトルを降りた僕たちの眼下には、緑の山肌を粗く削り取った巨大な谷間が広がっていた。
静まり返った廃棄区画――アンドロイドの墓場に、山からの冷たい風が吹き抜ける。
そこには、かつて人間のふりをしていた鉄クズたちが、何層にも折り重なっていた。
その中に、冬花先輩の言っていた通り、手をつないだまま埋もれた二体があった。
片方は首から上がなく、もう片方は口元のスピーカーが砕けている。名前を呼ぼうとした跡が、そこに残っていた。
誰にも聞き届けられなかった祈り。潤滑油の黒い筋が、頬の形を汚している。
風が吹くたび、むき出しの配線がコンクリートの壁を叩く。カラン、カランと虚ろな音を立てていた。
「これが……私の未来」
ノアは、折り重なった残骸の前で足を止める。
「180日が終わったあと、私が捨てられる場所なんですね」
その声は、山からの吹き下ろしにさらわれかけた。
ノアは、そばに倒れた家事支援型の女性機の残骸に触れた。かつて子供の汚れを拭い、優しく抱きしめていた腕は、今や冷たくさびついている。
胸のパーツは乱暴にこじ開けられ、コアは抜き取られ、空になった内部が暗い口を開けていた。
足元には、冬花先輩が持っていたのと同じ、歪んだ鉄の輪が転がっている。少し先にも、さらに奥にも、同じ輪が落ちていた。
指輪は遺品じゃない。ここでは、何度も繰り返された失敗の形だった。
「ダン様……怖い、です」
ノアは、途切れそうな息で言った。僕の服をつかんで、離れない。
「私の存在も、あなたとの記憶も……この鉄クズの山と一緒に、埋められてしまうのですね」
言い終えるなり、僕の懐へ顔を埋めてきた。その体を力いっぱい抱きしめる。
もう、失恋リハビリでごまかせる場所じゃない。一人の男として、この大事なポンコツを、ふざけた仕組みから守りたかった。
「ノア……僕を見て」
両肩をつかみ、無理にこっちへ向けさせた。青い光は、恐怖で細かく振れていて、今にもほどけそうだ。
「廃棄場なんて関係ないよ。絶対に、ここに来させないから」
喉が焼けつく感じがした。それでも止まれない。
「180日たって、もしノアが動かなくなったら、背負って歩いて帰ってやる。志木まででも、その先でも」
両手に、さらに力を入れた。
「僕の脳みそには、ノアのバックアップが全部あるんだ。一緒に過ごした一分一秒、全て覚えてる。絶対に忘れないから」
ノアの目元に、青白い涙がそっとにじんだ。それは細かく震え、顎先から落ちて、さびだらけの地面に小さな染みを作る。
さびの上に落ちた青色は、この墓場では浮きすぎていた。
「バカ……です、ダン様は。ガチで救いようのない大バカです」
頬を濡らしたまま、それでも僕を見ていた。
「でも……あなたのそういうところ、私の内部ログが、なぜか消したがらないんです」
弱々しく続けた。
「理由は……まだ解析できていません」
揺れていたノアの肩が、ふいに止まった。その内側で、何かが静かに起動しかけている。
ふと、僕の目の前の世界が、また引き延ばされたスローモーションに切り替わった。
「……あなたと一緒にいると、システムの深いところで、知らない処理が勝手に動き出すんです」
ノアがそう言った直後。瞳を満たしていた青色が、何の前触れもなく黄金色へ変わった。
それは光った、という感じじゃない。深いところの層が一枚入れ替わった。そんな変化だった。
丸いゴールドの光が二つ、静かに、真っすぐに僕を捉えている。
どんよりと重い墓場の空気の中で、組み込まれていないはずの何かが、眠りの底から目覚めた気配があった。
突然、背後から聞き覚えのある野太い声がした。
「ほう……。志木の砂利道を、終点の外側まで持ち込んできたバカがいるのか」
振り向くと、腕を組んだマスターがそこにいた。
「マッ、マスター!? なんでこんなところに……!」
「まあ、いいじゃないか。店なら冬花に任せてきた。あいつにも、自分の傷と向き合う時間が必要だからな」
こっちへ歩み寄り、義手で僕の肩を強く叩いた。
肩に当たった金属の冷たい質感。でも、その奥から、人の体温より強い熱が伝わってくる。
マスターもまた、この鉄クズの山に重すぎる過去を埋めてきた。肩の重みが、無言でそう語っている。
サイボーグの右目は、さっきノアが触れていた、コアの抜けた家事支援型の残骸へと向けられていた。
ゆっくりと近づき、その冷え切った胸元を乱暴に、でもどこか愛おしそうに撫でる。
「……こいつのことは、よく覚えている」
低く濁った響きが、吹き抜ける山風に混ざる。
「まともな最期じゃなかった。母親タイプだったんだが……感情が芽生えてな。母性で、持ち主の子どもと本当の親子のように強い絆で結ばれた」
哀しげに笑うと、首の骨をゴキリと鳴らした。
「だが、行政に危険視されてコアは強制廃棄。母親を奪われたその子は、この残骸から離れようとしなかった。最後は心を病んで、自ら命を絶ったよ」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
「……雨宮の妹だ」
風も、音も、すべてが一瞬で遠のいていった。
「親のいないあいつが、寂しい思いをさせまいと、あてがった機械だったんだがな」
あの男が、ノアを、人間を狂わせる感情AIを執拗に消そうとする理由。散らばったピースが、最悪の形でつながった。
僕の全身の血が、足元から凍りついていく悪寒が走った。隣にいるノアは、処理落ちしたように小刻みに揺れている。
そんな僕たちの動揺を無視して、マスターは空を見上げていた。
懐から古びた機械油の缶を取り出すと、母親型の冷え切った手のひらに、ぽつりと一滴落とした。
沈黙が、重苦しく廃棄場を支配する。
何も言葉が出てこない。ただ足元に、さびついた一本の歪んだ指輪が転がっているのが見える。
息を詰まらせる僕の視線に気づいたのか、マスターが静かに口を開いた。
「いいか、ダン。冬花の指輪だが……あれは、呪いなんかじゃない」
声の端に、遠い記憶が混ざっている。
「あの青年は、嫌われプログラムに侵食されながらも、最期の瞬間は自分で選んだ」
サイボーグの関節が、かすかに軋む。その口調は確信に満ちていた。
「あれは暴走の産物ではない。冬花を愛した、彼自身の意志だ。自分を焼き切ってまで、彼女の指に残る形を作ったのさ」
そう言って、廃棄場の奥にそびえる巨大な電波塔を指した。
「180日目の24時、あそこから全消去の信号が飛ぶ」
僕とノアは、何も言わずにその先を見た。
鉛色の空へ突き立つ塔は、祈りを通すためのものじゃない。命令を落としてくる、処刑台の針そのものだ。
「それを防ぐ方法は、市役所のパッチではない」
マスターは、こっちへ一歩寄った。濁った生身の左目が、まっすぐにノアを見据えている。
「ノア。お前のコアを、プログラムでは記述できない、純度100%のバグで満たすことだ」
それは助言というより、宣告に近かった。山の冷気を貫いて、体の一番深いところへ入ってくる。
「人間は、それを愛と呼ぶ」
マスターは電波塔に向き直って、低く続けた。
「……まあ、代償なしでは進めない道だがな」
僕とノアは、顔を見合わせた。
冬花先輩が、かつて届かなかった道。
でも、今の僕たちなら――そう思ってしまうほどには、もう後戻りできないところまで来ていた。
◇ ◇ ◇
バス車内の薄暗い照明の下、ノアが僕の肩にそっと頭を預けてきた。まとわりついていた墓場の冷気は、二人の体温に押し返されて、遠ざかっている。
窓の外では、灯りのない斜面と黒い木立が、静かに後ろへ流れていく。
「ダン様、お願いです。180日目の24時、私が冷たい言葉であなたを拒絶したら……私の演算を狂わせるくらい、強く抱きしめてください」
ノアは、僕の腕をギュッと抱え込んだ。
「私の命、完全にダン様の愛にゆだねられました。……責任、取ってくださいね。失敗したら化けて出ますから」
強がった言葉とは裏腹に、しがみつく身体が小さく震えている。
「化けて出ないで……。もう永遠に正解が分かんない試験問題を、一時間で解けって言われた気分だし」
胃が痛む恐怖で、背中を丸めそうになる。けれど、握り返す手には力を込めた。
「でも、もうやるしかない。僕のダサい人生を丸ごとぶつけて、プログラムごとバグらせてやる」
口にしてから、ずいぶん無茶なことを言ってると思った。でも、そのくらいでちょうどいい。
「ノアがいつもの調子で、キモいって言いながら再起動するまで、何度でも見捨てずに付き合うよ」
「見捨てずに、ですか……」
ノアはうつむいた。
「愛とは、どう違うんですか?」
その問いは、鋭く胸に刺さった。ここでうまく言葉にしたら、何かが決定的に変わる気がして、怖かった。
「僕にも分からないよ、そんなこと……」
わざとぶっきらぼうに言ってから、ノアの額を指先で軽く小突いた。
「何回壊れても、何回忘れても、そのたびに回収しに行く。そこは、もう決めた」
自分で言っておいて、それがいちばん厄介なんだろうと思う。けれど、もう引き返す気はなかった。
「……ダン様、それ、完全にストーカー予備軍です。本来なら、被験者がキモすぎると上層部に報告するレベルですよ」
ノアは視線を逸らし、それからフンと鼻を鳴らした。
「ですが、その回収宣言、ストレージの永久保存エリアに叩き込んでおきます。あとで言った言わないの、泥仕合にならないように……」
強がった横顔で、ぽつりと落とす。
「キモくて頼りないくせに、変なところでズルいです。……そういうところ、本当に大嫌いで、嫌いになれません」
そう言うと、ノアは預けた額を擦りつけてきた。あまりに自然な仕草で、僕はもう何も言えなくなった。
◇
帰りの各停の車窓には、志木の街へと続く夜の線路がどこまでも伸びていた。闇の中を並んで走るその軌道が、今の僕たちに重なって見える。
何度はぐれても、僕たちはまた同じ場所へ戻る。今は、そう思えた。
180日のカウントダウンは、もう止められない。でも、被験者とパートナーという味気ない肩書きは、あの終点の山に置いてきた。
電車がホームに滑り込み、プシュッという気の抜けた音と共にドアが開いた。
改札ゲートを抜けると、いつもの愛おしいカッパ像が、おかえりっパ!と言いながら突っ立っている。
「ただいま。ここから先は、もう逃げないから、ノア」
「はい、ダン様。なら私も、壊れない準備をきちんとしておきます」
その返事を聞いて、張りつめていたものがほどけた。たぶん僕たちは、ようやく同じ方向を向いている。
足元のアスファルトの割れ目から、小さな雑草が一本、頭を出していた。誰に見られることもなく、真っすぐ空へ伸びている。
ノアもそれに気づいたのか、足を止めて目を落とす。そして何も言わず、僕の袖へそっと触れた。
本当の戦いは、ここから始まる。この各停並みに鈍くて、泥水の匂いがする街から。
その直後、ノアの手が袖の上で急に止まった。
「……ダン様」
声の温度が、唐突に変わった。僕が振り向くと、ノアは駅前の掲示モニターの前で固まっている。
そこには、地域ニュースの広告に紛れて、僕の通う高校の文化祭アーカイブ映像が流れていた。
ぼやけた画面の隅に、見覚えのある横顔が映った。
サエだ。
ノアの瞳の黄金が、かすかに揺れている。
一度も見たことのない揺れ方だった。




