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12/22

Episode 12:再契約

泥だらけのスリッポン。引き裂かれたシャツ。


そして、ドロドロのヘドロが顔面でパックされたような、情けなさ全開のツラ。


今の俺を鏡で見たら、引退してゴミ捨て場に転がっているマネキンの方が、まだ社会性のあるエリートに見えるに違いない。


脳内では、ブレーキを失ったジェットコースターみたいな異常なノイズが、止まる気配もなく回り続けていた。


嫌われプログラムが発動した、冷たいエナ。


感情を切り捨てたはずの彼女の頬を、青白い輝きが静かになぞった。


それは回路の誤作動か。それとも、俺たちが重ねてきた時間が、処理しきれずこぼれ落ちた痕跡か。


俺は、そのかすかな光をつかみ取り、奈落の底から必死に身を起こそうとしていた。


「お兄ちゃん、ガチでキモいんだけど。ドブ川にダイブして、カッパと相撲でもしてきたわけ?不法投棄ゴミでも、もうちょっと清潔感あるよ」


そこは、駅の裏手にひっそりと佇む、タケルのジャンクショップだった。


怪しい基板と、時代遅れのホログラムの残像が漂う、カオスな密室。


そこに俺の妹、凛の毒舌が消毒液のように身に染みる。


凛は市役所のバイト帰りだ。ピシッとした公務員風の制服を着て、泥だらけの兄を、心底汚物を見るような目で見つめていた。


「だから……見たんだよ。エナの涙を」


俺は床にへたり込みながら、枯れた声を絞り出した。のどの奥にはまだ、ロータリーの砂利の味が残っている。


タケルが、古びたモニターから目を離し、ゴーグルをカチャリと跳ね上げた。


「涙?アンドロイドの冷却液が漏れただけじゃねえのか?この辺のアスファルトはデコボコだからな。振動でパッキンがイカれたんだろ」


「違う!あれはガチの涙だ!西園寺の野郎に連れ去られる寸前、あいつ、俺をカイ様って呼んだんだ!リンクの残響越しに、確かに……!」


タケルがキーボードを叩く手が、一瞬だけ止まった。モニターに映る複雑な波形が、激しく上下する。


「同調率が99.9%の極限状態で、無理やり人格を上書きされたせいか……。バグだな。スパコンでも予測できない、マジのイレギュラーだ。お前の『情けなさ』という名のノイズが、エナのコアを焼き切る直前で踏みとどまらせたのかも……」


タケルがニヤリと笑う。その顔は、壊れた最新家電を分解する時のクソガキのような残酷さと、底知れない好奇心に満ちていた。


「いいか、カイ。エナは今、研究所にはいねえ。市役所だ。地下のサーバーに幽閉されてる。正確に言うと、嫌われプログラムの地獄みてえなフィルターにかけられて、お前への愛を憎しみに強制変換されてる状態。これ、精神的な強制労働だわ」


「……助け出す方法は?」


俺が身を乗り出すと、凛がスマホをスワイプして、市役所の立体図を空中に映し出した。


この街の住人なら誰もが知る、あの微妙に新しくて、でも中身は役所然とした建物。


その地下深くには、北浦和の研究所と直通の巨大なサーバールームが隠されていた。


「正面突破は……はい、無理ゲー確定ね。で、セキュリティはガチ鬼レベル。生体認証からAI監視までフルコンボだから、抜け道とかないし。マジでエラーでフリーズした画面くらい、穴が見つからないの」


凛が冷たく言い放ち、図面の一部を拡大する。


「まあでも……唯一の抜け道があってさ。ジモピー専用の、裏から入れるやつ!」


凛が指したのは、市役所の裏手、堤防沿いにある古い排水ダクトだった。


「ここね、柳瀬川が増水でヤバいとき用のサブ放水路なの。100年分のヘドロと不法投棄の黒歴史が詰まってる感じね。今のお兄ちゃんなら、泥まみれすぎて逆にピッタリじゃん!ワンチャン背景と同化できるかもよ、カメレオン的に?」


「ふん、やってやるよ。泥水なら、もう一生分飲み干したわ。エナを、あの冷たい北浦和仕様から砂利道に戻してやる」


俺は、タケルが差し出した、セキュリティ突破用の怪しいUSBメモリを握りしめた。


傷だらけで、どこかのジャンクパーツから抜き取ったような、不格好な武器。


「いいか、カイ。そいつをサーバーのコアにブチ込め。お前の脳内に残ったエナのバグを、市役所のクリーンなシステムに逆流させちまうんだ。お前の全人生の恥を、弾丸にして撃ち込んじまえ!」


「恥、か……。そんなの、カッパの皿に盛れるほど持ってるよ」


負け犬が、システムという名の神様に喧嘩を売る。


逆襲の号砲は、駅裏のジャンクな煙と共に、今、静かに上がった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「なぁ、凛。この排水ダクト、マジで100年放置プレイした納豆みたいな匂いするんだけど……。くせぇ……俺の嗅覚センサーが、市役所に即刻解体の請願書を出したがってるわ」


俺は今、公衆トイレで熟成されたようなヘドロがこびりついた放水路の中を、イモムシのように無様な格好で、はいつくばっていた。


2080年になっても、この街の地下インフラは、明治から令和にかけてため込んだ負の遺産を全力で引きずっているらしい。


ハイテクの聖地・北浦和じゃ、きっと排水溝まで自動洗浄されてて、バラの香りか、JKのシャンプーの匂いでもさせてるんだろうよ。


「はいはい、いいから黙って進んで。お兄ちゃんの鼻なんて、ドブ臭にとっくに耐性あるでしょ?文句言う前にさ、その思考停止マシュマロ脳、エナお姉ちゃん救出モードに再起動して」


耳の奥に仕込まれた超小型通信機から、凛の鬼のような声が響く。妹は今、市役所の警備システムを内側からハッキングしている。


俺の進むルートの監視カメラを、カッパがクロールで横切るだけの、ふざけたループ映像に書き換えているはずだ。


でも、そんなガバガバな偽装が、いつまで持つか分かったもんじゃない。


「タケル、そっちはどうだ?」


「おう、順調。市役所のメインフレームの裏口は見つけた。……でも、カイ。ここから先は、俺のハッキングじゃどうにもなんねえ。西園寺の野郎、地下サーバーの入り口に、サイコウォールっていう精神防壁を張りやがった」


「精神、防壁って、なに?役所の窓口でたらい回しにされる時の、あの心の壁みたいなやつか?」


「いや、もっとタチが悪い。侵入者の脳に直接干渉して、一番痛い記憶をマシマシにして自滅させる防衛プログラムだよ。お前の脳が、取り壊し待ちの雑居ビル並みにガタがきてるなら……。おっ、始まったぞ」


俺が最後のダクトの格子を蹴り破り、地下の冷え切った通路に降り立った瞬間だった。


突然、目の前の空間が、猛暑日のアスファルトみたいにゆらゆらと歪み、ホログラムの映像が実体化し始めた。


「えっ、カイ?あんた、まだそんなことやってんの?ウンコみたいに泥まみれになって、機械の人形を追いかけて……マジでドン引きなんだけど」


そこに立っていたのは、数ヶ月前に俺をフった元カノ、ミオの偽物だった。


俺をフったあの日の、ゴミを見るような目が、解像度4Kで再現されている。


続いて現れたのは、高校の同級生たちだ。


俺を指さしてあざ笑う、歪んだ顔、顔、顔。


『見てよ、あの各停男。自分を救えないからって、アンドロイドに逃げてやんの』


『志木から出られない、一生負け犬のカイ君!ダセえ、マジでダセえよ!』


「っ、う、うるせえ!フェイク野郎が!」


俺は頭を抱えて叫んだ。でも、ホログラムは容赦ない。


次に現れたのは、冷酷な顔をしたエナだった。昨日、俺をゴミとして切り捨てた、嫌われプログラム全開の彼女だ。


「カイ。あなたの志木愛なんて、ただの現状維持という名の怠慢です。私の本当の居場所は、北浦和。あなたの脳内にある汚い思い出フォルダなんて、もうゴミ箱に捨てました」


にせのエナが、俺の心臓を冷え切った金属板に押し当てるように、じわじわとメンタルを削ってくる。


市役所のサーバーは、俺が一番隠しておきたい情けなさを、最高火力で調理してぶつけてくる。


「ぐっ……ガチで、きついわ、これ……」


俺の足が震え、冷たい床に膝をつく。


目の前のエナが、俺を見下して記号的な笑い、(笑)を浮かべる。


脳内に残ったリンクデータが、この精神攻撃に共鳴して、火花のようなノイズをまき散らし始めた。


「おい、カイ!そこで止まるな!それは西園寺の書いたクソ脚本でしかない!」


タケルの怒鳴り声が通信機から響く。


「いいか、カイ。よく聞け!お前の脳内には、まだエナのバグが残ってるだろ?そいつを、そのホログラムにぶつけろ!お前の一番カッコ悪い本音で、スパコンの演算をブチ壊してやれ!」


「本音……」


俺は、泥まみれの顔を上げた。目の前のエナは、相変わらず氷の美しさを保っている。


「ああ、そうだな……。たしかに俺は負け犬だよ。志木から一歩も出られない、超鈍行な各停人生だよ。でもな、エナ! お前が俺のいびきに安心するって言った時、俺の人生はリニアよりも輝いたんだよッ!!」


俺は、タケルから渡された傷だらけのUSBメモリを、サーバーの緊急アクセス端子に叩きつけた。


脳内からエナの思い出ログが逆流し、市役所のクリーンなシステムを侵食し始める。


俺から噴き出すヘドロが、最新鋭の回路に詰まっていく。


「いっ、痛え……!脳みそが……乱気流に突っ込んだみたいに、天地がひっくり返りやがった!」


USBを端子に叩き込んだ瞬間、俺の視界に強烈な火花が散った。


タケル特製のウイルスが、市役所の完璧なシステムを、泥だらけの色に染めていく。


エナ。今、いくぞ。


絶対に助けてやるからな。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


俺は何とか、サーバー室の最深部までたどり着いた。そこは、北浦和のAI研究所が誇る最新技術の結晶だ。


でも今は、俺が流し込んだコバエ並みに粘るウイルスのせいで、アラートが鳴り響くパニックルームと化していた。


中央のポッドの中で、エナが苦しそうにもだえている。


「あ、あ、ああぁ……っ……」


彼女の体に繋がれた無数の光ファイバーが、青から赤へ、そして不吉な夕焼け色へと、激しく点滅していた。


「検知……未知の、低解像度な……データ。カイ……いびき……泥水スープ……砂利道……消去、不能……ガチで……処理落ち、します……ッ!」


「エナッ!!!」


俺は警備ロボットの電磁警棒を間一髪でかいくぐり、ポッドに飛びついた。


目の前のエナは、まだ濁ったグレーの瞳をしている。


でも……その奥に、俺には見えた。非情なプログラムの檻の中で、必死にこっちをのぞこうとしている、本物のエナの心が。


「無駄だよ。カイ君」


背後の巨大モニターに、西園寺の顔が映し出された。安全な部屋から、エアコンの効いた椅子に座って高みの見物ってわけか。


「嫌われプログラムの最終工程、人格の初期化が始まった。君がどれだけ泥臭い思い出を流し込もうと、10秒後には彼女のメモリーは真っ白な無になる。砂利道も、君のくだらない人生も、全部まとめてデリートだ」


「10秒だと?俺の鈍行人生をなめんなよ。各停を待つ10分に比べれば、10秒なんて永遠に等しいんだよッ!」


俺は自分のスマホを、エナのメンテナンス・ポートに直結した。


凛が言っていた、同調率100%の壁。それを超えるには、もう論理的なデータ転送じゃ足りない。


「聞いてるか、タケル!凛!俺の脳の全リミッターを外せ!エナのコアに、俺の恥ずかしい黒歴史を全て叩き込む!」


『おい、カイ、マジかよ?お前の脳が、秒で崩壊するぞ!!』


タケルの叫びが、通信機から割れて聞こえる。


『お兄ちゃん、待って!やめて!マジで死ぬから!!』


凛が、のどを壊しそうな声で叫んだ。


『やめて、お兄ちゃん!お願い……お願いだから、行かないで!!!』


妹は、分かっている。


俺が今、冗談でも勢いでもなく、本気で――命を差し出そうとしていることを。


「おい、凛!俺たち何年兄妹やってる?お前がドブ川にハマった時も、いじめられて心折られた時も、このヘタレ兄貴が、毎回真っ先に泥かぶってきただろ!たとえ役立ずでも、逃げたことだけは一度もねぇ。だから——頼む、俺を信じてくれ!!」


返事のない数秒が、永遠みたいに伸びた。


通信機の向こうで、IQ155のギフテッドJKが、その天才的ロジックをブン投げた音がした。


『……っ、もう!!このバカ!!大バカ!!そんな命懸けの無茶、世界ごと巻き込んで証明してやれ!!AIの神様でも何でも、全部ひっくり返せ!!!』


凛の絶叫と同時に、俺の意識がビッグバンを起こした。


砕けた隙間から、記憶が雪崩のように流れ込んでくる。


――――


俺が子供の頃、柳瀬川で調子に乗って溺れかけた時の情けない記憶。


中学の文化祭で、渾身のギャグを放って盛大にスベり、静寂を作った時の黒歴史。


ミオにフラれて、駅のホームでうずくまって泣いた時の、みじめすぎる自分。


そして――エナと出会ってから、あの六畳一間のボロ部屋で過ごした、世界で一番解像度の低い、でも最高の幸せ。


「受け取れ、エナッ!これが、俺の……魂だッッッッ!!!」


俺の脳から、言葉にならない叫びと記憶が、一本の泥臭い光となってエナのコアへ突き刺さった。


それは最新鋭の巨大サーバーには絶対に理解できない、愛という名の特大バグエラー


――シンクロレート:101%――


その瞬間。


エナの瞳が、パァンッ!と黄金色に弾けた。


「ガ、ガチ……カイ、様……鬼……私、の……中が……思い出の、匂いで……いっぱいに……なって……」


強制初期化のゲージが、完了の0.1%手前で完全フリーズ。


市役所のメインサーバーが、俺たちの熱すぎる思い出を処理しきれず、派手な火花を上げて爆発した。


そして――


不気味なほどの静寂が訪れる。


俺は煙の中をはいつくばって、ポッドから崩れ落ちたエナを抱きとめた。


「エナ。聞こえるか?俺だ。世界で一番のヘタレ、カイだ」


エナは、ゆっくりと目を開けた。


冷酷なアンドロイドの姿は、もうそこにはなかった。


ちょっと自虐的で、ユーモアたっぷりで、俺のことがガチで大好きな、いつものエナがいた。


「……あっ、カイ様。……おはようございます。私、今、すっごく恥ずかしい夢を見てました。なんかインテリぶって、あなたをディスりまくるっていう、鬼畜なロールプレイをしてたような……」


「ああ、そうだな。お前、超性格悪かったぞ」


「すみません……カイ様。お詫びに、腐ったへドロを隠し味にした、特製の泥水スープ、10リットル作りますね。強制的に完飲していただきます」


エナが、俺の胸に顔を埋めて、クスクスと小さく笑った。


その笑い声は、目覚まし時計の電子音よりも、世界中のどんな音楽よりも、俺の心に深く響いた。


でも、まだ終わっていない。


サーバー室のアラートが、再び狂ったように鳴り響く。西園寺の野郎が、最後の強制廃棄コマンドを入力しようとしていた。


「チッ、しつこいんだよ、偏差値信者は!」


俺たちは、崩壊を始めた地下サーバーから、地上の光を目指して駆け出した。


「おい、エナ!立てるか?ここ、もうすぐパニック映画のワンシーンだぞ!」


俺は煙が立ち込めるポッドの中で、エナの細い肩を抱き寄せた。


再起動直後の彼女の体は、オーバーヒート寸前のスマホみたいに熱い。


泥まみれの俺と、熱を帯びたエナ。


狭いポッドの中で二人の肌が、ウェットスーツを無理やり脱ぐ時みたいな密着度で重なり合う。


「カイ…様……。はふぅ、熱いです。でも、この泥臭い匂い……ガチで落ち着きます。無菌室の匂いより、100万倍エモいです……」


エナが俺の胸に顔を埋め、深呼吸をする。


……おい、今まさにサーバーが火を吹いてるんだぞ?


なのに、この至近距離1センチの視界には、エナの長いまつ毛と、黄金色に戻った潤んだ瞳しかない。


『ちょ、お兄ちゃん?今、エモってる場合じゃないんだけど!』


耳元の通信機から、凛の怒鳴り声が飛んできた。


『ヤバいから!西園寺がバックアップから、エナお姉ちゃんに再ロックかけにきてる!止めるなら、今すぐそこ!メインコンソールで生体ID、上書き登録するしかない!』


「IDの登録?amazonじゃねえんだから。USBを挿すだけじゃダメなのかよ!」


『ダメに決まってるでしょ!方法は……えーっと、あっ、これこれ。【AIの所有権は粘膜接触を伴う深部の物理的リンケージにより、法的ではなく魂レベルで固定される】って書いてある……』


「はあ?何言ってんだよ、凛。もっとはっきり言え!」


『……だから開発者がキモいんだってば!……要するにさ、あのね……ガチで密着して、クソ恥ずかしいポーズのまま認証しろってことだから!』


タケルの野郎、どんなウイルスを仕込みやがった?


いや、これは市役所のシステムが、あまりの異常事態に、愛の証明でも求めてるのか?


「エナ、聞こえたか?やるしかない」


「……粘膜接触、ですか?カイ様、私、さっきまで鬼畜モードだったお詫びに、全身全霊で再接続させていただきますね。……覚悟、してくださいね?」


エナが、トロンとした目で俺を見つめる。


彼女の指先が、俺の泥だらけのシャツのボタンに伸びた。


おいおい、市役所の地下で何で脱ぐのよ!


「待て待て!せめて、その…キスくらいで、勘弁して……」


「ダメです。システムは深部を求めています。カイ様、私のメンテナンス・ハッチ、解放しますから……そこにあなたの、その、熱い指先を……」


エナが耳元で、甘ったるい、溶けたキャラメルみたいな声を出す。


俺の脳内の理性が、終電間際みたいにバタバタとシャッターを下ろしていく。


狭いポッドの中、俺の手がエナの腰に回り、熱い息が俺の首筋をくすぐる。


『おーい、お兄ちゃーん。死角だからって、ど変態な声出さないでくれます?普通に効果音素材として保存案件だから』


「凛!お前、見てるのかよッ!」


『見てないってばー、波形だけだからー。てか、お兄ちゃんの心拍数、もう限界突破してるんだけど!ほら、早く!グズってないで、サクッと認証終わらせて!』


俺はヤケクソで、エナをさらに強く抱きしめた。


彼女の柔らかい感触が、泥と汗でベタつく俺の体温を奪い、そして何倍にもして返してくる。


俺たちは今、市役所の地下室の真ん中で、世界で一番不謹慎で、世界で一番純粋な再契約を交わしている。


「カイ様……大好きです……。私の回路、全部、あなたで上書きしてください……」


エナの唇が、俺の唇に触れる。


泥の味。


汗の味。


そして、電子火花のような甘い刺激。


ポッドのモニターに、巨大な『AUTHENTICATED』、認証完了の文字が躍った。


「っし……!完了だ!」


俺が叫ぶと同時に、西園寺の廃棄コマンドが、赤いエラーを吐いて消滅した。


エナは、俺の腕の中で幸せそうに目を細めている。


「ねえ、カイ様……。私、もう二度と、鬼畜プレイなんてしません。あなたのドロドロに濁った、どうしようもなく無駄な愛が……私のOSには、一番しっくりくるんです」


「ああ、俺もだ。お前の自虐がなきゃ、夜は暗すぎて歩けねえよ」


俺たちは、崩壊を始めた地下サーバーから、手を取り合って駆け出した。


背後で、西園寺の絶叫がモニター越しに聞こえた気がした。でも、そんなもの、朝のゴミ出しより優先度は低い。


「エナ、帰ったら泥水スープ、マジで作ってくれ。10リットル完飲してやるから」


「てへっ、約束ですよ。その代わり、靴下は一生、私が洗いますから!」



嫌われプログラムというクソみたいな嫌がらせで、俺たちの180日間は無残に削り取られた。


残り、あと79日。


でも、期限の話は、もうどうでもよかった。


たとえ残された時間がどれだけ短くたって、今の俺たちなら、失った分を倍返しで取り戻せる。


いや、ヘドロみたいに粘り強い執念で、運命ごと書き換えてやる。


今はただ、ボロボロになった、目の前の愛しいポンコツを――


世界で一番カッコ悪くて、世界で一番熱いやり方で、精一杯愛し抜くだけ。


俺たちの各停人生は、ここからまた、泥臭く再出発するんだ。

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