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10th Broadcast Episode:検閲と十年の思い出(B)

 青白いホログラムの光と、カウントダウンの電子音が、狭い地下室の空気を痛いほど圧迫していた。


 サエとの十年間の過去ログを売り払い、ノアの記憶を守るか。それとも断って、目の前の機体ごとノアを失うか。

 二者択一のカウントが、残り五秒を刻んだ、その時だった。


 ノアが、ゆっくりとまぶたを開いた。左のまつ毛の端が、鋭く白銀に輝いている。首元から火花を散らしながら、はっきりと首を横に振った。


「ダメです、ダン様。私のために、あなたの十年を生ゴミ扱いしないで……」


 その願いは驚くほど真っすぐだった。


「私が私でなくなるより、あなたがあなたでなくなる方が……嫌です」


 そして、小さなスマイルを作った。こんな状況でも、それを差し込んでくるところが、とことんノアらしい。


「……取引は決裂だ! 勝手に人の人生を査定するなよ!」


 僕は手元の投影パネルを、力任せに払いのけた。


「そうか。なら、手続きを続行するまでだ」


 雨宮は淡々と言って、コンソールの実行キーを叩いた。視界が真っ赤な警告色に染まる。


 ノアの首元のコネクタから、さっきとは桁の違う高電圧が走った。青白い電子のスパークが、激しく肌を焦がしていく。


『強制消去プログラム実行。情動関連領域を優先消去。セクター1より順次削除を開始します』


 機械音声が開始を告げ、空中のホログラムに、断片化したログが次々と浮かび上がる。


『ヘアピン』

『鍋』

『柳瀬川』

『あなた』


 ログの見出しが、白いノイズに食われながら、ひとつずつ崩れていった。


「やめろぉぉぉぉ!!!」


 僕の過集中脳のギアが爆発した。世界のすべてが、完全に止まって見える。


 放電に反応して、警備ドローンの拘束がわずかに緩んだ隙に、ノアへ向かって体ごと飛び込む。首元で火を噴くコネクタを、素手でつかんだ。

 

 行政のルールも、雨宮のAIロジックも、そんなもん知るか。


「ダン様、ダメっ……感電、します……!」


 叫びが聞こえたが、もう遅い。


「うっ、ああぁぁぁ!!!」


 電流が腕を駆け上がり、歯の根まで震えた。地下の景色が、真っ白に潰れる。


 次の瞬間――パンッ、と二人の間で青い光がパンクした。網の目に走るコバルトブルーの光線が、周囲に複雑なデータ網を張り巡らせる。


 まるで青い神経がネットワークを組んだ、リンク・ネット。

 無数の光の糸が、現実の診察室を世界から切り離していく。触れれば皮膚が焼き切れてしまいそうなほど、鋭利で、綺麗だ。

 その中心で、僕とノアは完全に繋がっていた。


 直後、僕の頭の底に沈んでいた十年分の記憶が、無理やり表面に引きずり出された。

 痛みじゃない。もっと乱暴な感覚だ。記憶の中枢へ、合わない端子を無理やり差し込まれた気がする。


 市役所の電圧が仲介して、ノアのコアシステムと僕の生身の脳が混線していた。


《UNKNOWN MEMORY STREAM》

《SOURCE:HUMAN》

《CORE OVERFLOW》


「ッ、……あ……」


 見えたのは、僕が忘れていた景色だった。ノアの視点に映る、僕の姿。


 サエにフラれて、駅の改札ゲートで情けなくうなだれる僕。ジャージ姿のノアに鼻の下を伸ばしている、どうしようもない僕。

 そして、あの泥水スープを飲んで――鬼ウマだと騒いでいた時の、ひどく幸せな顔。


 全部、ノアの視界だった。僕の知らないところで、ずっと僕を見ていた。


『……温かい。……フワフワして……隣にいると、処理が静かになる……』


 ノイズ混じりのログが、途切れながら押し寄せてきた。ノア自身の記録だ。

 でも、それはどこにも保存されていない。分類タグもない。エラーとして、処理待ち領域に置かれていた。


 バグ。


 ノアにとっては、その程度のものなのに、胸がざわついた。こんなものを、僕は知らない。こんな感情を、ノアが持つ理由もない。


 何よりも――それは温かかった。内側からふつふつと湧き上がる熱が、固まっていた血を一気にかき回す。


「絶対に消させない。僕たちの思い出は……あんたの安っぽいサーバーなんかじゃ、容量不足なんだよ!」


 僕の中であふれた記憶の断片が、混線したままノア側へ雪崩れ込んでいった。


 どうやったのかなんて分からない。ただノアの中に見えた、消えたくないという想いに、僕の過去が勝手に引きずられていく。

 砂利道で積み重なった痛み。川沿いの湿った桜の匂い。そして、フラれた日の、喉が焦げる苦み。


 雨宮が取り出そうとしていた僕の十年が、消去プログラムを塞ぐノイズとしてノアの中へ押し込まれていった。


「何をしてる! 生身の記憶をコアに直接混線させたのか? そんなもの、機体も人間脳も耐えられるわけがない!」


 雨宮が叫ぶが、もう止まらない。僕が歩いてきた時間が、消去プログラムの処理をぐちゃぐちゃに踏み荒らしていく。


 ――バチンッ!


 システムが過負荷で悲鳴を上げ、地下の診察室の全電源がパッと消えた。

 同時に、張り巡らされていたリンク・ネットの光の糸が、一斉にぷつりと千切れて闇に溶けた。


 急に、音の行き場がなくなる。非常用の薄暗い明かりが、僕たちの輪郭を青白く浮かせている。


 僕は床に倒れ込み、激しくせき込んだ。指先は焼けるほど痛い。体の内側では、まだ何かが跳ねている。


「ハァ……ハァ……。ノッ、ノア、無事か?」


 震える手で、動かなくなったノアの肩を揺すった。目から光が消え、冷たくなっている。まさか、僕の重すぎる過去のせいで、本当に壊したのか。


「……ちょっと、冗談きついって。 録音してくれよ、今の僕の、人生で一番みっともない泣き言を……」


 数秒が、丸ごと空白になる。


 やがて、ゆっくりと、ノアの瞳に小さな青い点が灯った。


「リブート、完了。システム……正常」

「ノア!」

「あ……正常じゃないです。私のメモリに、なぜかダン様の小学生時代の通知表、『体育が3、残りは全部2』が混入しています。ガチの消去案件です」


 ノアが、いつもの人を食った調子で言った。


「……ノア! 僕のこと、分かるか?」


 抱きしめようとすると、ノアはスッと手を伸ばして、僕の額を押し返して止めた。その表情には、温度がない。


「……すみません。どなたでしょうか? 顔面データが通行人Aに格下げされています」


 頭が真っ白になった。


「ノア……うそ、だ……」


 その手が額から滑り落ち、僕の左眉にある傷跡を、そっとなぞった。


「……嘘です。冗談ですよ、ダン様。ウケました?」


 ノアは悪びれた様子もなく、スマイルを浮かべた。僕は腰が抜けるほどホッとして、地べたにへたり込んだ。


 青い光の奥には、さっき入り込んだ何かの名残が、まだ静かに残っている。


「……君たち。何をしたか分かっているのか? 自治体の資産を私物化し、あろうことか行政プログラムを破壊したんだぞ!」


 雨宮が、暗闇の中で血の気を失ったまま立ち尽くしていた。さっきまでの余裕は、もう消えている。

 僕はノアを支えながら立ち上がり、雨宮の胸ぐらをつかんだ。


「僕たちは、僕たちの居場所に帰るだけだ。あんたのロジックじゃ、この街の砂利道は測れないよ。今度ノアに触ったら、サーバーごとぶっ壊す!」


 雨宮は薄い笑いを浮かべながら、息を漏らした。


「感情を持ったAIが、人間にどれほどの破壊をもたらすか、君は何も知らない。心を狂わされ、最後に残った鉄クズを抱いて死んでいった、私……いや、人間の姿をね」

「……何だと」

「あれは悪魔のバグだ。私はこれ以上、あの絶望を繰り返させないために、このバッジを付けている」


 その視線は僕ではなく、遠くの何かに向けられている。


「ダン君。一つ言っておこう。サエもまた、君のその泥臭さのせいで、都会のシステムに適応しきれていない」


 怒りでも嘲りでもなく、結果を告げる口調だった。


「君たちは、どこまで行ってもバグなんだ」


 雨宮は、捨て台詞を置いて、暗闇へと姿を消した。




 ◇ ◇ ◇




 家へ向かう帰り道。夜の砂利道は湿っていて、いつもの匂いがした。ノアは、僕の腕にしっかりしがみついてきた。


「ねえ、ダン様。私、分かった気がします。記憶って……消されるから大切なんじゃないんですね。誰かと共有すると、重くなって消したくなくなるんです」

「重いよ、ノア。さっきから僕の肩に、十年分の重みかけてるし」

「リハビリの一環ですよ。でも……ダン様。正直、怖いです」


 砂利を踏む音が、そこで途切れた。隣にいるのに、急に遠くなった気がする。


「今日の検閲で、嫌われプログラムが前より近づいた感覚があります」


 ノアは、僕の目を見ないで言った。ちょっと歩いたところで、その指先が、髪のヘアピンに触れて止まる。


「……ダン様。これ、どこで受け取ったんでしたっけ?」


 息が喉元で止まった。


「ちょっ、……ノア」

「……あ。いえ、受け取った時のログは、ここにきちんとあります」


 ノアは自分の胸に手を当て、戸惑うように首を傾げた。


「でも、その隣に、ダン様の記憶の波形が重なっています。……同じ形で、同じ処理速度で、混ざり合っているんです」


 瞳の青が、不規則なリズムで点滅している。


「私、分からなくなってしまいました。私の演算結果なのか……。それとも、さっき流れ込んできた、あなたの記憶の残像なのか」


 立ち尽くすノアの身体が、小刻みに揺れている。


「もし、私が感じてるバグが、全部ダン様からコピーされたデータだったら……」


 ノアは数秒黙ってから、強引に頭を振った。


「いえ、すみません。今のはたぶん、検閲ノイズです。大丈夫です。全部、覚えています」


 そう言って、いつものスマイルを作ろうとして、最後まで形にならなかった。

 僕は何も言えず、ただ歩幅を緩める。180日の残りが、急にその姿を見せ始めていた。


 夜空には、都会の光に押されながらも、いくつか星が出ている。たぶん、僕の通知表の『2』よりは多い。


 それでも僕は、隣を歩くノアの腕を、さっきより強く抱え直した。




 ◇◇◇




 充電ケーブルに繋がったノアが、小さな排熱音を立てて眠りについた後。

 僕はゆっくりと息を吐いた。どうしても、今日起きたあの記憶の逆流が頭から離れない。


 スマホを取り出し、ある番号をタップした。画面に出たのは本人ではなく、あいつが自作したアバターだ。


『お兄ちゃん、遅い。夜更かししてると、脳細胞がさらに各停になるよ』


 液晶の中で、粗いドット絵の大粒ラムネがプルプルと震え、真ん中からパカリと割れる安っぽいアニメーションが再生される。

 スピーカーからは、ラムネを嚙み砕くポリポリッというふざけたBGMが、リアルタイムで流れた。


「ったく、人を馬鹿にして。あのさ……ちょっと友達の話なんだけど」


 僕は心臓が速くなるのを感じながら、しどろもどろで切り出した。


「その、人間と……いや、AIパートナーがさ。頭の中が同期して、記憶が流れ込んできたりする現象って、技術的にあんのかなって……」


 スマホの向こうで、エナジードリンクの缶を開ける、カシャッという耳障りな音がした。


『友達って誰? お兄ちゃんに友達なんかいたっけ。駅前のカッパ像のこと?』

「違うわ! とにかく、そういうエラーがあるのかって聞いてんだよ」

『エラーじゃないよ、それ』


 まるで興味がなさそうな、冷え切った声で答えた。


『脳のメモリをシェアするってことは、自分の領域を明け渡して、相手のバグまで抱え込むってこと。……お兄ちゃん、まさかアンドロイドに惚れてるわけ?』

「は? なんで、ノアのこと――」

『誰それ……。一言もノアなんて言ってないけど?』


 画面のあっち側が、意地悪くニヤリと歪んだ気がした。


『……で? 感情の記述不能なエラー領域に、自分から飛び込むつもりなんだ。何それ、めっちゃウケる!』

「ちょっ! 凛、なんでそれを……」


 予想外の状況にパニックになった僕は、とっさに通話終了ボタンを叩きつけていた。


 静まり返った六畳間。スマホを握りしめたまま、『充電中』のホログラムを浮かべるノアを見た。


「惚れてる、か……」


 図星を突かれたのか、それとも強く否定したいのか、頬がじわじわと熱くなった。

 最新型アンドロイドと、ヘタレ高校生。ありえないことぐらい、僕だって分かっている。


 けれど、もし僕たちの脳が繋がったのが、本当にエラーじゃないとしたら。

 この乾いた世界の外側へ、二人で行ける未来があるとしたら。


 ドクン、と胸の深いところが跳ねた。


 そんな一人よがりの絵空事を噛み締めながら、僕は静かに目を閉じた。

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