014-01. 花嵐来たりなば
「――で、ざくくんはどう? 楽屋で何食べた?」
「えっと……会場入り前にコンビニで買ったおにぎりと、レーズンパンと、ケータリングのハンバーグ弁当と、サラダと、ワッフルと……」
「食べ過ぎだろ……よく踊れたな、前半」
「そういう衣織はこれに追加でオムライスも食べてたけどな」
マイクを通して響く四つの声に、クスクスと小さな笑い声が渦を巻く。
スポットライトを浴びて輝くステージで横並びになったNIRZ――彼らに向けられているのは、アリーナいっぱいに集った約一万人のファンの瞳だ。
NIRZデビューライブツアー「Drop」。
ToPプロジェクト発足時に予定されていたドームライブが延期され、当初の予定から遅れること一ヶ月半――プロジェクト全体からNIRZ単体へ、ドームからアリーナツアーへと規模を縮小しつつも、彼らのファーストライブは大盛況のうちに進行していた。
「いやー……それにしても、今回のツアーではいろんなところに行ったねぇ」
「全国を巡ったもんな。公演前後に観光もできた」
「最後はこうして東京に戻ってきた形だけど……終わっちゃうの、なんだかちょっと寂しいね……」
「そうだな……ファンのみんなも寂しい?」
衣織の問い掛けに、客席からは「寂しい~!」「終わらないで~!」と終幕を惜しむ声が響く。
北は北海道から南は福岡まで……ゴールデンウィークを跨いでの公演となった当ツアーも、今行われている東京の夜公演をもってオーラスを迎えようとしていた。
「寂しいって」
「っふふ、寂しいね~。俺らもみんなとずっと一緒に居たいよ~」
ローザが甘えるような声を会場に投げかければ、控えめな音量で黄色い声が上がる。
「でも、そういうローザは来週ポップアップショップのイベントだよな」
「一番最初に戻ってくる……」
「そう! 来週ね、渋谷でやりますので。アイルビーバック」
「お時間ある方は是非、会いに行ってやってください」
「そうだ! イベントと言えばさあ、先週の札幌で発表した――」
流れるように話題を変えながら、宣伝のノルマを順調に消化。
続いて、MCの話題は出演予定番組の紹介、物販情報とニューシングルの宣伝、コールアンドレスポンスや振り付けの話へと移っていき……最高潮の瞬間に向けて、会場全体のボルテージは再び上がっていく。
そして、NIRZが一度ステージから捌け、メンバーをモチーフにしたマスコットのアニメーションVTRが会場に放映され終わったところで――
「――皆さーん! 後半も、盛り上がっていきましょう!」
「さっき練習したやつ、覚えてるか? みんなで一緒に踊ろうな!」
――トロッコに乗って2階席へ登場した柘榴と衣織の声を合図に、後半戦が幕を開けた。
「衣織、ちょっと手伝って〜!」
「ああ――今行くよ、母さん」
月が明け、六月。
ツアーやそれに続く仕事が一段落し、ようやっと固まった休みが取れるようになった頃……衣織は、四日間の連休を埼玉の実家で過ごしていた。
「これ、越生の伯父さんが送ってきてくれたやつね。今年も新しく漬けたから〜って」
「おっ、梅シロップ……もうそんな時期だっけ」
母に呼ばれてキッチンに赴けば、テーブルの上を占拠する大きな保存容器が目に入る。
琥珀色に色付いた液体の中に、皺が寄った梅の果実が浮かぶそれは、恵良家――母方の伯父が経営する果樹園から送られてくる、毎年のお裾分けのひとつだった。
「今年は豊作だって。多分このあと梅酒と梅干しも来るよ」
「それは……ありがたいけど、急いで消費しないとだ」
「そうよ〜。容器分けるから、あんたも持っていって頂戴」
そう言いながら、母は大きめの鍋でガラスジャーを煮沸している。
テーブルのそれよりも二回りほど小さなその容器に、衣織が持ち帰る分を分けてくれるらしかった。
「俺は何すればいい?」
「梅、瓶から取り出しておいてくれる? 冷凍しちゃうから」
「了解」
戸棚から保存袋を取り出し、菜箸を使ってシロップに浮かんだ梅をひとつずつ引き上げる。
テイルプロに入所して寮生活となる前まで……物心ついたときから、毎年恒例のこの作業は衣織の担当だった。
「………………」
静かなキッチンに、換気扇の控えめな唸り声と小さな物音だけが響く。
その沈黙は、決して居心地が悪いわけではないが……なんとも言えないむず痒さのせいか、衣織の肺の中をぐるぐる渦巻いていた感情の靄が、言葉になって漏れ出した。
「……ねえ、母さん」
「ん〜?」
「…………ばあちゃん、最近どう?」
なんでもないような声音で、しかし声を小さくして問う。
それは、ダイニングとガラス戸を隔てた先――今日も祖母がぽつねんと座る、サンルームまで声が届かないようにという配慮だった。
「どうも何も、変わらないよ。毎日早起きしてお花に水やりして、おじいちゃんの歌聴いてる」
「……そっか」
「花菜があんたの歌も聴かせてたよ」
「……それは少し恥ずかしいな」
手を動かしながら耳を澄ませば、サンルームから僅かに音楽が聴こえてくる。
母の言う通り、祖母は変わらず日々を過ごしていて……小さくなった背中も、あの時から変わらない。
「…………」
元を辿れば、衣織は亡くなった祖父との繋がりを求め、アイドルの道を歩み始めた。
しかし、そこには当然のように出会いがあり、別れがあり、絶望があり――そして、予想だにしていなかった輝きがあって、衣織はそれらを心の灯火に、今も前へと歩み続けている。
それはつまり――良し悪しは別として――衣織は既に、祖父の影を標として彷徨うフェーズを終えて、自らの未来を見据える道に進んでいるということだろう。
(……でも、)
それは同時に、祖母を置き去りにしてしまっている、ということでもあるのだと思う。
祖父が旅立ったあの日から、同じ寂しさを背負ってきた唯一無二の祖母を、孤独の淵に取り残してしまった――その事実は、確かな罪悪感となって衣織の胸に爪を立て続けていた。
………俺に、できることがあればいいのに。
「……梅、終わったよ。次は?」
「はあい、ついでに冷凍庫に入れておいて〜」
「はいはい」
こみ上げる気持ちを飲み下して、久々の穏やかな日常に耽る。
喉に残ったピリピリとした酸味は――きっと、不甲斐なさの味だった。




