013-02. 泣きっ面に花嵐
「ごめんねぇ、蓮さん。瑠璃くんが意地悪言っちゃって」
「…………四十万すみれか」
「はぁい、四十万です」
呑気--と呼ぶには油断ならない雰囲気が多すぎる声の主に、尾崎の眉間の皺が僅かに形を変えるのが見えた。
……ちなみに、これは苛立ちじゃなくて困ったときの皺な。
「おじいちゃんから聞いたよぉ。伊久路に泥棒猫されちゃったんだよね?」
「……『根古又』の会長にまで話が伝わっているとは、お恥ずかしい限りだ」
「あははは、またまたぁ。尾崎と『ウチ』の仲じゃない」
今にも溜息を吐きたそうな表情だが、尾崎はギリギリのところでそれを押し込めている。
理由は至極単純で……電話の向こうで笑っている相手が、尾崎グループの人間にとって最上級に扱いづらい相手に他ならないからだ。
根古又映画株式会社。
関西に本拠地を置く老舗の映像制作会社であり、若き日の尾崎泰山が銀幕スターとして研鑽を積んだ古巣でもある。
時代と共に事業範囲を拡大し、今では「西の根古又」と呼ばれる巨大グループと化した根古又映画だが――ひとつ特徴的な点を挙げるとすれば、創業当時から今に至るまで、徹底した家族経営を貫いている点だろう。
元祖の映像制作業は勿論のこと、芸能プロダクション事業、不動産事業、映画館・テーマパーク運営、都市開発、飲食事業まで……その経営層のトップに立つのは「大妖怪」根古又禎墨会長をはじめとする、切れ者揃いの根古又一族。
そして――今対峙している四十万すみれもまた、輿入れしてなお根古又グループで活躍する母の元に産まれた、れっきとした「大妖怪」の御令息なのである。
「そんなことより……」
そんなこちらの現状を知ってか知らずか、相手――四十万すみれは尚も言葉を続けた。
「しばらく成り行きを見させてもらったけど、テイルってここまで防戦一方じゃない? 相手するだけ馬鹿らしいとはいえ、このままじゃどんどんシェア取られちゃうよ?」
「…………返す言葉もないな」
「っふふ! だから、そろそろ反転攻勢なんてどうかなぁ。僕としても、あんまり尾崎に衰弱されると困っちゃうんだよねぇ」
「……それは『御社』のご意向か?」
「んーん、単に僕がそうしてほしいだけ」
「……お前がそう言って、あの爺さんが首を横に振った試しがないだろう」
「あははっ、ないかも。じゃあ『弊社』の総意だねぇ」
深い深い溜息が、広い部屋へと放たれる。
どうやら拒否権を与えてくれない外圧の存在により、我慢の限界を迎えたようだった。
「具体的にはどうするつもりだ。言っておくが、現在のプロジェクトは――」
「『続けたいけど持ち弾がない』んだよね?」
図星を突かれ、尾崎は続けようとしていた言葉を飲み込む。
「中堅どころ、根こそぎ持っていかれちゃったもんねぇ。しかもその子たち、もうすぐ伊久路からデビューするなんて話だし……タレントやファンの子たち的には、パッと見『すぐに評価してくれる』伊久路に大きくなってほしいって思っちゃうよねぇ」
「……否定はしない」
ここまで詳細に内情が漏れているのか、それとも彼独自の情報網か、ただの観察眼か――どれにせよ、下手に誤魔化したところでプラスに転がることはないと判断し、尾崎は重々しい声で肯定の言葉を述べた。
――四十万すみれの言う通り、現在のテイルプロの状況は絶望的だ。
残っている研修生は小学生そこそこの若年層と、数々の理由から「芽が出ず」、メディア露出すらしたことのない成人層。
前者を安定したアイドルに育て上げるには年単位の時間が必要であり、後者をデビューさせることは商業的に難しく、どちらも現実的ではない。
そして何より、そう足踏みしている間も人材流出は止まらない。
『テイルプロは自分を正当に評価してくれない』『伊久路に移ればもしかしたら』――そんな夢を見た研修生が、オーディション候補者が、そして彼らを支える保護者やファンたちが、どんどんとその流れを加速させているのだ。
……しかし、そんな浅慮で短絡的な人間は、白長が最も嫌う類のものだ。
自分のお眼鏡に叶わない層にはチャンスすら与えない白長の傘下に入れば最後、飼い殺されていることすら自覚できずに根腐れするまで使い潰される未来が待っている……尾崎には、そういった嫌な確信があった。
「うーん、蓮さんのピュアなところを突かれたねぇ。頭でっかちのくせに性善説を信じちゃうあたりとか……意外と『友情・努力・勝利』が好きなあたりとか……」
「…………」
「まあ、そんな話はまた今度するとして。お困りの蓮さんに朗報で~す」
尾崎の脳裏に発生した濁った泡を叩き潰すように、パチパチと気の抜ける破裂音がスピーカーを叩く。
「元・テイルプロ研修生、現・根古又芸能俳優部の売れっ子がアイドルデビューをご所望だよぉ。テイル出身の経歴に偽りなし、知名度も将来性も言うことなし。なんと今なら敏腕マネージャーもおまけでついてくる!」
「……おい」
「待て。それって――」
黙って成り行きを見守っていた柴田だったが、テンポよく発された売り文句に思わず声を上げる。
つらつらと並べられた輝かしい経歴と評価……それに該当する人間は、テイルプロ発足から今に至るまで、たったひとりしか存在しない。
「……どういう風の吹き回しだ、瑠璃」
当然ながら、尾崎も同じ結論に辿り着いたらしく――つい数瞬前よりも更に低くなった声を放つ。
その矛先は――先ほどから一切言葉を発することのない、蓮の「甥っ子」に向いていた。
「……どうもこうも」
暫く黙っていた影響か、少し掠れた声がスピーカーを通って戻ってくる。
「こんだけコケにされてんのに、一方的にボコらせるだけで反撃しないのが見てて腹立つだけっすよ」
「おい、そんなふざけた理由で務まるわけが――」
「『務まる』。俺を誰だと思ってんの?」
蓮の怒気に一切臆することなく、瑠璃は声色ひとつ変えずにぴしゃりと言い放つ。
その自信に満ちた言葉には、若さに不釣り合いな重みが宿っているように思えた。
「まあ、来週帰るから待ってて。使い物になんねえって思ったら叩き出してくれていいっすよ」
「おい、待て。まだ話は――」
そんじゃ。
素っ気ない別れの言葉から数秒も立たず、スピーカーがぶつりと音を立てる。
……言いたいことを一方的に伝えた後、瑠璃が容赦なく電話を切ったのだ。
「…………」
「……ま、まあ……説教はアイツが帰ってきてから、だな……?」
不機嫌を通り越して般若のような面構えになってしまった元アイドルに、柴田は引き攣った笑いと慰めの言葉を向けることしかできない。
「……咲楽」
「ぉ、おう。買い物行くか?」
「行ってられるか。昼飯は宅配ピザだ」
「お、おお……」
……こりゃ宥めるのに数日かかりそうだ。
「……俺、照り焼きチキンがいいなー……」
連休前の激務よりもずっと高難易度のミッションを前にして……柴田は、全ての思考を放棄するのだった。
【更新日変更のお知らせ】
次回更新分より、更新日を毎月第一金曜の月1回に変更いたします。
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