250 実践教育
「緑」の迷宮には日々、大勢の探索者がやって来る。
初心者たちは朝早くから稼ぎを得ようと入り込んでいるので、昼になる頃には仕事を終えて帰路に着く者たちとすれ違う。
うまくいった者は微笑みを浮かべ、思うようにやれなかった者は暗い顔をして。
大怪我をした仲間を抱えながら歩く者ももちろんいて、シェリアは思わず目を伏せていた。
自分もきっと、いや、もっと酷い姿をしていただろう。
親切な第三者に背負われ、青い顔をして手足をぶらぶらさせていたはずで、悔しい気分になっていく。
心に刻まれた恥ずかしさ、情けなさを、原動力に変えていく。
もう二度とあんなみっともない負け方はできない。シェリアは奥歯を噛み締め、絶対に魔術を身に着けてやると考えながら歩いていた。
「さて、そろそろ始まるぞ」
前を歩いていたユーゼンが振り返り、もう敵が出始めるとシェリアに告げた。
「いつでもナイフを抜けるように備えておくんだ」
「わかった」
「もしも俺たちがやられたら、頑張って戦えよ」
「そんなに弱いの?」
元探索者は笑い声をあげるだけで答えない。
シェリアがちらりとグラジラムに目を向けると、魔術の師匠は前を見たまま小さく頷いていた。
「三層目は敵が出始める階層で、『緑』は『橙』の次に向かうべき難易度の迷宮だ。だから皆、なぜだかここの敵はまだ弱いと考える」
「え……、違うの?」
「そうだよ。正しくは『弱い物が多いだけ』だ。どんな魔法生物が何層目に出て来るのか、傾向はあっても絶対はない」
へえと呟きながら、シェリアはたった一度だけの迷宮歩きについて思い出していた。
ナッコが逃げ出して混乱している隙に現れた、大きな大きな犬のことを。
噛みつかれたラディエルを救おうと、エルンは必死になって戦っていた。
「魔竜について聞いたことは?」
「最後の最後で出て来るっていう大きな敵でしょ」
「大きいというのは正解だよ。三十六層に辿り着いても、絶対に出て来るわけじゃあないらしいけど」
「そうなの」
魔竜との戦い、勝利は勇者の証。
うろこや肉など採取できる物が多く、すべて高値で買い取られる為、この勝利はそのまま富に結び付く。
グラジラムはそう話して、肩をすくめてみせた。
「最下層を目指すのは魔竜との戦いに挑む為でもある。現れないとなると、最下層を目指した甲斐がない」
「まあ、宝は用意されてるんだけどな」
迷宮は最下層に辿り着いたご褒美をきちんと用意している。
ユーゼンが付け加え、魔術師はそうだけどと首を振ってみせた。
「ユーゼンは知らないんだよ。魔竜がもっと浅い層で出て来ることもあるって」
「え? 最下層以外にも出て来るの?」
「聖なる岸壁と呼ばれたカッカー・パンラは、仲間たちと共に『赤』の二十七層で魔竜に出会っている」
この話は有名で、夜になると酒場で語られる定番の物語のひとつになっているらしい。
シェリアはへえと呟いて、エルンを誘って行ってみようかと考えている。
「そんな半端なところで魔竜に会ってもまだ生きてるんだから、カッカー・パンラはすごいよな」
ユーゼンは神妙な顔でこう呟くと、振り返り、シェリアをじっと見つめた。
「あれだ、要するに、諦めるなってことさ」
迷宮では想定していないことがよく起きる。
思いがけない強い敵との遭遇、罠の発動、誰かのミス、怪我、準備不足など。
「なにか起きた時には知恵を働かせるんだ。使える物は全部使って、やれることは全部やる」
大真面目な忠告は、今日の少女の心構えと合っていない。
魔術を習い始める為の最終確認でもするのだろうと考えていたシェリアは、頷いたものの戸惑っていた。
そんな素人とは違って、探索の経験者たちは有事にきっちりと対応している。
かすかな音に気付き、剣を構えて、駆け寄ってきた魔法生物を屠り、通路の上に転がしていた。
「解体してみるか」
「えっ」
通路の端に追いやられた兎の傍らに膝をつき、ユーゼンはシェリアを手招きしている。
グラジラムは自然と見張りを引き受けて、なにごとも経験だよと少女に向けて微笑んでいた。
「やったことは……、なさそうだな」
「見たことはある」
「どうだった? 嫌いか?」
「好きなわけないよ、こんな」
「そりゃ結構」
ナイフを入れる箇所を示され、仕方なく迷宮の床に膝をつく。
既に血に塗れた魔法生物の死骸だが、刃を入れれば更に血が流れだし、緑色のタイルを汚していった。
「もっと深く」
前回は誰かが残していった抜け殻を見かけただけ。
解体の真っ最中は目にしていない。不快な臭いを嗅ぎ、崩れた肉の塊を目にしていたが、刃を入れた時にどんな音がするのか、手にどんな感覚が伝わるかは知らなかった。
「うう」
涙目で見つめてみても二人の男の態度に変化はない。
目を逸らせば作業は終わらないし、都合よく臭いが消えたりもしない。
だから、やるしかない。
「そこをまっすぐ……、まっすぐだって、不器用な奴だな」
「初めてなんだから仕方ないでしょ」
素人のナイフ捌きは褒められたものではなく、皮はまともに採れずに終わった。
肉は無数の細かいかけらになり、それでも持ち帰ろうということで葉に包まれ、シェリアの荷物袋に入れられている。
「なあ、どうして肉を解体して持って帰るか知ってるか?」
通路にしゃがみこんで荷物の整理をするシェリアに、ユーゼンの声が降り注ぐ。
「兎なんざまるごと持って帰れば手間にはならないのに」
「理由があるの?」
「ああ。まるごと持ち出すと崩れて駄目になっちまうからだ。魔法生物を生きたまま連れ出すことも出来ない」
「崩れて駄目になるって、どういうこと」
「言葉の通りさ。腐ったわけじゃあないだろうに、ぐずぐずのでろでろになってどうしようもなくなる」
「解体すれば平気なの?」
「そうだ。だからどんなに嫌でも、探索をするなら解体の基礎は身に着けておかなきゃならない。長い探索に挑もうって時には特に困るからな。持ち込める食糧には限りがあるんだから、現地で調達できなきゃ飢えちまう」
腹が減っては歩けない、戦えない、正しい判断もできなくなる。
食料と水の確保と管理は探索の基本だとユーゼンはしたり顔で話し、迷宮歩きが再開されていた。
「地図の見方もしっかり学んだ方が良い。わかる奴に聞いて頭に入れておくんだ」
「今日はいいの?」
「実際に歩きながらじゃ、やることが多すぎる。覚えきれやしないさ」
だから前回の探索は失敗してしまったのだろう。
シェリアは暗い気分を抱えながら、浮かれたナッコの様子を思い出していた。
地図を見ながらおしゃべりしていて、道そのものをよく見ていなかったのだと思う。
前からやって来た探索者に気を取られたのも良くなかったはずだ。
彼らは「先に深く進んでい来た者」ではなく、「散々迷った末にようやく戻ってきた」だけだったのかもしれないのだから。
「そろそろ着くよ、ユーゼン」
「おうよ」
少し進んだ先でグラジラムが声をあげ、元探索者が振り返る。
「どこに着くの?」
「ちょうどいい場所さ」
「なにに」
少女の問いに、ユーゼンは前に目を向けたまま答えてくれた。
「糞ができるところだ」
「は?」
「探索は戦いだけじゃないんだよ。飯も食わなきゃならないし、睡眠なしには進めない」
歩き続ける為には休息が必要で、街で売られている地図には「ちょうど良い場所」の案内も載っているという。
食事や睡眠をとる為に使える広い場所と、用を足すのに都合の良い通路の行き止まりが。
「罠がないと確認されていて、曲がり角の先で道が終わっているところが糞をするのにちょうどいい」
「もうちょっと他の言い方はできないの?」
「お前だって糞は出るだろう。迷宮じゃ気取ってなんかいられないぞ。魔法生物に襲われて一番困るのは、飯の時間でも寝てる間でもない。用を足してる時だ」
「……そうかもね。確かに」
「男と女で組む時に一番気を遣うところだって言うぞ。俺は女と組んだことはないから、想像するしかないけどな」
グラジラムが知らせてくれた「ちょうどいい場所」は短い通路で、途中に曲がり角があった。
角の手前に見張りが立ち、向こうでさっと用を足す。
迷宮に扉のついた部屋など用意されていないのだから、これが誰にとっても「最も良い形」なのだろう。
「せっかくだから小便してくらあ」
お前はどうだと聞かれて、シェリアは慌てて首を振った。
「そうか? ここを逃すとなかなかないんだぞ、ちょうどいい場所は」
「今はいい、大丈夫だから」
「じゃあ、見張りを頼む」
グラジラムと二人で、角の手前に立つ。
奥からはごそごそと服を脱ぐ音、じょぼじょぼと小便がまき散らされる音が聞こえてきて落ち着かない。
「角があっても覗かれたら意味がないかも」
「いいところに気付いたね、シェリア」
「え? そんなこと言うの、グラジラムさん」
「そりゃあ言うよ。探索者のうち、初心者はほとんどが君と同じくらいの年の若者だからね。君のような可愛い子がいれば、ちらっとでいいから見たいと思う者もいる」
「……どうしたらいいの?」
「どうしようもない。女ばかりだったとしても、絶対に覗かれないとは限らないだろうし」
エルンが一緒なら、覗かないよう睨みを利かせてくれるかもしれない。
シェリアはそう考え、では、エルンの番の時に不届き者が現れたらどうすれば良いのか悩んでいた。
非力な自分では抑えきれない。何人もいたらもっと無理で、思わず頬を抑えてしまう。
「絶対にそんな真似しないって思える人と組めば大丈夫かな」
「それは良い案だ」
「本当にそう思ってる?」
師匠の相槌には緊張感がまるでない。
シェリアが文句を言うと、グラジラムはこんな答えを少女にくれた。
「聖なる岸壁と呼ばれたカッカー・パンラは何人もの女性探索者と組んでいたというよ」
「何人も?」
「もともとの人となりもあると思うけど、なんといっても神官だから。女性が嫌がるようなことはしなかったんじゃないかな」
「神官かあ」
「初心者のうちはなかなか仲間にできるものではないよ。神官に限らず、スカウトも魔術師もだけど」
「魔術は私が習うから」
「ははは、そうだね」
師匠に笑われたところでユーゼンが戻って来て、三人は再び歩き出していた。
時々帰り道を歩く探索初心者とすれ違いながら、戦い、解体を試み、進んでいく。
シェリアがナイフを振るって戦うことはなかったが、罠が仕掛けられ、毒花が咲く迷宮は歩くだけでも大変だった。
荷物も重い。すれ違う誰かが向ける好奇の目も気になる。死骸の放つ悪臭にはまだまだ慣れそうにないし、上手に皮を剥げるようになる日は遠いだろう。
六層目の回復の泉までの道のりを進むことなく、少女の二回目の迷宮歩きは終わった。
疲労が溜まってふらついて、危うく転びそうになったところをグラジラムに支えられて、終了を告げられた。
「四層目踏破とはいかなかったか」
ユーゼンが呟き、今自分がいる位置を知る。
こんなことでは駄目だと気付きながら、魔術師の振るう力に導かれ、気付いた時には入口に戻っていた。
「脱出の魔術?」
「そうだよ、お嬢ちゃん。便利だろう」
「緑」の迷宮入口の扉の隣、帰還者の門の上に立っている。
探索者が仲間に魔術師を求める理由が一瞬で理解できたが、荷物の重たさは変わらない。この後、梯子を登って地上に出なければならないし、塾に戻る道を歩かねばならない。
「さて、次は精算だな」
「精算?」
「迷宮で得た物を売らなきゃ、金にはならない」
シェリアの背負った袋に入っているのは、細切れになってしまった兎の肉くらいだ。
犬の肉は固くて、どんなに頑張ってもどうにもできなかった。
「普通なら仲間の人数で割るもんだが、今日はいいぜ。お前の総取りで」
「あれを売りに行けばいいの?」
「買い取りをやっている店はたくさんある。大勢入り込む迷宮の近くには特に多く並んでるんだ。店の看板やら主の顔つきやらを見比べて、良さそうなところを選ぶといい」
良い店の噂を聞いているなら、それを当てにしてもいい。
ユーゼンはそう話したが、シェリアに心当たりはなく、どうしたらいいのかわからなかった。
「買い取りなんて頼んだことないんだけど」
「じゃあ、探すしかないな」
元探索者の男は通りを指さし、そこらにいくつか並んでいると少女に示してくれた。
魔術の師匠になる予定のグラジラムは微笑んでいるだけで、なにも言わない。
「ほれ、行かなきゃ終わらないぞ」
「買い取りをお願いしたら、終わりなの?」
ユーゼンはにやりと笑ったきりで、仕方なくシェリアは歩き出した。
よく見てみれば確かに「買い取り」の看板を出している店がいくつも並んでいて、探索者らしき若者が出入りしている。
誰かが使おうと考えた店ならば、評判もそれなりに良いのかもしれない。
少女はそう考え、若い五人組が出てきた店の扉を開いた。
「いらっしゃい。……お嬢さん、その格好は探索者かい?」
「そうよ」
「買い取りをご希望で?」
店の中に入るとすぐにカウンターがあり、その向こうに口ひげを生やした中年男が座っている。
シェリアは店主らしき男にそうだと告げて、荷物袋の中から今日の戦利品を取り出していく。
「『緑』で獲った兎の肉なんだけど」
「兎か、いいね。料理に使う店は多いから、兎の肉ならいつだって買い取るよ」
「良かった」
ごそごそと袋の中から取り出した戦利品は、たいした量でもなく、細切れになっていて見栄えも悪い。
シェリアは店主の言葉に安堵していたのだが、いざカウンターの上に出してみると、男の表情はみるみる曇っていった。
「こりゃあひどいな」
「そう?」
「まあ、はじめはみんなこんなモンだよ、お嬢さん。剥ぎ取り名人を見つけて、教えてもらってようやくまともにやれるようになる」
「買い取りはできない?」
「うーん。こんな細かいかけらじゃあ、使える料理も限られちゃうからね。どこかの食堂に持ち込んで、使ってくれって頼んだ方が早いだろうな。材料と引き換えに安く食事を出してくれる店は、北の方にたくさんあるよ」
シェリアの脳裏に浮かんだのは、世話になっているリティの顔だった。
スープにぶちこんでしまえばいいよと、笑って受け取ってくれるだろう。
「ただまあ、絶対に買い取れないわけじゃあない」
店主の男に小声で囁かれ、シェリアは首を傾げている。
「どういうこと?」
「お嬢さん、こっちへ」
手招きされ、カウンターの奥の扉を示される。
扉の向こうは店の倉庫として使われているのか、木箱や袋などが積まれており、雑然としていた。
ここの片付けでも手伝えばいいのか。
そう考えていたシェリアに、男は大真面目な顔でこう告げる。
「服を脱いでくれたら、買い取りをするよ」
「……はあ?」
店主はいやいやと慌てたように首を振り、大丈夫だからとシェリアを諫めた。
「裸を見たいだけなんだ。触ったりはしない、私は紳士だからね」
「なにを言ってんのよ」
「あ! いや、勘違いしないでくれないか。下はいいよ。恥ずかしいもんな。上だけで構わないから」
「馬鹿言わないで」
「三倍払うよ! 基本の買取の三倍出すし、色も付けてあげる」
満面の笑みを浮かべる店主に歯を剥きだしにして威嚇をすると、シェリアは急いで店へと戻った。
「ちょっとお嬢さん! こんないい話はないよ、そこらの男の子には絶対にこんなサービスはしないんだから!」
少女は慌てて店の外に飛び出し、師匠たちの姿を探した。
追いかけて来るのではないか不安でたまらなかったが、グラジラムとユーゼンはすぐに見つかり、思わず陰に隠れてしまう。
「どうしたんだい、お嬢ちゃん」
「やめてよ、お嬢ちゃんなんて呼ばないで」
「買い取りは?」
「それどころじゃないの! いやらしい店主がいたの!」
「それは大変」
シェリアの懸命な訴えに対し、グラジラムはのんびりとした声で答えた。
ユーゼンは肩をすくめていたが、ぶらりと歩き出し、少女が買い取りを頼んだ店に入って、置き去りにした袋と肉を取り返してくれたようだ。
「よし、終わろう」
一度教室に戻ると言われて、シェリアはとぼとぼと歩いた。
荷物はユーゼンが持ってくれているが、慣れないブーツで足が痛いし、気持ちが混沌としていた落ち着かない。
「ユーゼン、今日はありがとう」
グラジラムの私塾に帰り着くと、元探索者の男は小さく頷いただけで教室から去っていってしまった。
帰ったのか、他の部屋に移動しただけなのかはわからない。
魔術の教室にはグラジラムとシェリアだけで、少女はしょぼくれた顔で師匠に文句をつけていく。
「もしかして、探索を諦めさせようとしていたの?」
服装、持ち物、心構え。
なにもかもが足りていないと思い知らされるだけの時間で、シェリアは唇を尖らせ、なんとか涙を堪えていた。
「そうではないよ、シェリア」
「本当に?」
「今日は苦労ばかりだったかな。だけど本当の探索はもっと過酷だ。君がパーティを組む仲間はきっと初心者ばかりで、ユーゼンのように戦えないし、地図の読み方も覚束ない。脱出の魔術を覚えるのもまだまだ先の未来の話だ」
グラジラムの表情は穏やかで、微笑んだ顔は優しい。
けれどその口から放たれる言葉は厳しいものばかりだった。
「皆、迷宮に足を踏み入れることは考えるけど、探索者としての暮らしについては想像していない。探索をして無事に帰るだけでも大変なのに、全員分の稼ぎを手に入れて、必要な支払いをしなきゃならないんだよ。買い取りの交渉だって生活のうちだ」
「……次はあんないやらしい店主のいない店を選ぶわ」
「それがいい」
「知ってたの?」
「なにをだい」
「あんなバラバラの肉じゃ買い取ってもらえないって」
「もちろんさ。私だって若い頃は随分苦労したんだから」
今はもう中年のグラジラムにも、若い頃が、探索の初心者だった時代があった。
頭では理解できるが、最後に起きた理不尽のせいでイライラが止まらない。
「グラジラムさんは裸を見せろなんて言われたことないでしょ」
「ああ、シェリア。嫌な思いをしたね」
「やっぱり知ってたんじゃない」
「知ってはいなかったけど、そんな風に言われるかもとは思っていたかな」
君は若くて可愛い女の子だから。
魔術の師匠は困ったような顔をして、弟子志願の少女を見つめている。
「女性の探索者が少ないのは、そもそも戦ってみようと考える子が少ないからなんだろうけど。それだけじゃなくて、さっきの君のような扱いを受けて、嫌になってしまうことも多いんだと思う」
「すまない」と呟き、師匠は言葉を続けていく。
「だけど、大勢に活躍を知られている女性の探索者はいるんだよ。カッカー・パンラと共に探索をした女性探索者は特にみんな有名で、名前を知られている」
「そうなの?」
「ああ。一番は、今では結婚して妻になったスカウトのヴァージかな。彼女はとても美人で、色っぽくてね」
「仲間と結婚したってこと?」
「探索を引退した後にね」
グラジラムは小さく笑い、シェリアをまっすぐに見つめた。
「彼女たちは負けなかったんだ。迷宮にも、男たちにも」
君にもその覚悟はあるかい?
重たい荷物を背負って我慢強く歩き、敵と戦い、戦利品を得て、仲間たちと協調し、商人たちと交渉し、良い関係を築けるか。
「君は更に、魔術を学んで習得しなきゃならないけど、……やれるかな?」
今日一日に起きた出来事のすべてが、心を揺らしていた。
探索をするには戦う術がいる。非力な自分では剣が振れないから、魔術を会得するしかないと考えていたけれど。
「そっか……。魔術師になるだけじゃ、駄目なのね」
魔術が使えるようになっても、迷宮を長い時間歩き通す強い足が手に入るわけではない。
戦利品が得られなければ、日々の暮らしが立ち行かなくなる。
探索に必要な物を揃えるにも金はかかるし、戦いが激しければ服も装備品も駄目になる。
剣を持っていても、永遠に使えるわけでもない。壊したり、失くしたり、思いがけないことが起きるのが迷宮だから。
「焦る必要はないと言いたいところだけど。でも、あまり準備に時間をかけてはいられないよ。時の流れは止められないからね。今は十五か十六くらいだろうけど、のんびりしていたらあっという間にニ十歳になってしまう」
「行き遅れちゃうって言いたいの?」
「それもある。迷宮都市で探索をしている間にこんな歳になりましたなんて、理解してくれる人は多くはないから」
やはり諦めさせようとしているのではないか。
シェリアはそう考えたが、グラジラムはこう問いかけてきた。
「それでもいいかい、シェリア。人生を賭けてもいいと、本気で考えているのかな」
迷宮に行く前に言われた通り。
ユーゼンが言った通りだと少女は気付き、小さく頷いている。
「グラジラムさんって本当に親切なのね」
「そう思う?」
「うん。他の魔術の先生はこんなこと教えてくれないんでしょ」
魔術師の返事は「多分ね」で、シェリアは思わず笑っている。
見学を許可してくれたのはグラジラムだけで、他の私塾では断られるか、料金の説明をされて終わりだった。
「わたし、そろそろ結婚について考えるように言われて、嫌だなって思ったの。親が探してきたちょうどいい相手と結婚したら、そりゃあ将来の心配はないのかもしれないけど」
「それで迷宮都市に来た?」
「うん。幼馴染がね、探索者になるって小さい頃から話してたの。そんなに仲が良いわけじゃなかったからしばらく気付かなかったんだけど、知らない間に行っちゃってたらしくて」
「そうか」
「偶然だけど、会ったんだ。ちゃんと探索者になってた。しかも結構やれるんだって」
「それはすごいね」
「小さい頃から抜け目のない奴だったもん」
カミレイルは二人の兄がいて、家を継ぐ以外の道を探さなきゃならないとよく言っていた。
周囲がのんきに虫を捕まえたり棒きれを振り回している間に、自分の人生について既に考え始めていたのだろう。
そう気付いて湧き上がって来たものは、悔しさだった。
「覚悟を決めれば、わたしもやれる?」
浅はかだったし、無知でもあった。
けれどまだ、生きている。初めての迷宮で命を落としかけたけれど、エルンとケルディに救われてまだ、迷宮都市の暮らしは続いている。
「もちろん。努力は必要だけど」
「努力でなんとかなるなら、わたし、やる」
「そうかい」
「うん。仲間はもう二人いるの。……二人ともまだ初心者で、経験は全然なんだ。何度か行ったくらいで、なにも知らないだろうから」
だから自分が、今日いくつもの現実を知ったシェリアが、二人の力になってやる。
焦らず、強かに、必要な知識を得て、迷宮に挑み、いつか人々の記憶に名前を残してみせる。
「グラジラムさん、わたし、絶対に魔術師になるから」
お願いしますと頭を下げた少女に、魔術師は相変わらず穏やかな笑みを向けていた。
「わかったよ。基礎はじっくり学ばなきゃいけないから、少し時間がかかると仲間に伝えて」
「はい」
「駄目でもがっかりしないように」
「……最初から駄目なんて言わないでよ」
「いや、これも覚悟に含めておいてもらわないと。あと、体も鍛えておくんだよ、シェリア」
探索をするには体力が必要だからね。
魔術師はこう話したが、すぐに目を伏せてこう続けた。
「いろいろ言ってしまったけど、一人でなにもかも出来るようになる必要はない。仲間と協力し合えば、問題はぐっと減る」
少女の心に浮かぶのは、最後に向かった買取の店で起きた出来事だ。
シェリアが一人で行ったから、あんなことが起きたのだろう。
これまでにもしつこく声をかけられたことは何度もあったけれど、二人だけの空間で、あそこまで露骨な言葉をかけられた経験はなかった。
扉に鍵がかかっていなくて良かった。今更ながらほっとする新たな弟子に、グラジラムは更に言葉をかけていく。
「誰かに頼るのも、選択肢に入れておきなさい」
「頼る、か」
「自分には出来ない、難しいことを見極めるのはとても大切だよ。世の中にはどうにもならないこともある。そう肝に銘じて、賢く立ち回るんだ」
優しい師匠の言葉はとても魔術師らしいもののように思えて、シェリアは素直に頷いていた。
借りた装備品は返さねばならず、来た時と同じように隣の小部屋で着替えを済ませていく。
魔法生物の血がついて汚れているが、そのままで良いと言われたので、甘えておこうと決めた。
袋とその中身まですべて渡したが、グラジラムは中から包みを取り出してシェリアに渡している。
「これは今日の探索の成果だから、持っていきなさい」
買い取られなかった細切れ肉の包みを渡され、更に、ナイフを差し出されている。
「これも君にあげる。帰ったら手入れをしなきゃならないが」
「いいの?」
「いいよ。探索だけじゃなく、いざという時に身を守る為にも使えるからね」
そんな機会はない方が良いけれど。
こくんと頷くシェリアに、グラジラムは優しく微笑んでいる。
「明日はよく休むといい。授業はいつでも、君の都合の良い時に来れば受けられる」
「わかっ……、わかりました。これから、よろしくお願いします、グラジラムさん」
最後に初回の代金を納めて、この日の特別授業は終わり。
思いがけない探索で時間が経って、街は夕日を浴びて橙色に染まっている。
空腹だし疲労もすごかったが、シェリアは清々しい気分でグラッディアの盃を目指し歩いていた。
魔術師街から出たら東の大通りに出て、南へ向かう。
そんな道のりの途中には樹木の神殿があり、当然、隣のカッカー・パンラの屋敷も目に入る。
一昨日会えなかった仲間が気になり、シェリアは高名な探索者の屋敷に立ち寄り、中を覗いた。
突然現れた愛らしい少女に沸き立つ者がおり、ラディエルはどこか問うとすぐに食堂へ案内してくれた。
「シェリアじゃないか。なにかあったのか?」
「ううん。あんたがどうしてるか、様子を見に来ただけ」
「一人で?」
「通う塾を決めて、授業料を払って来たところなの」
ラディエルは「そうか」と答えて、屋敷での暮らしについてシェリアに教えてくれた。
「皆、親切で助かっているよ。探索の基本や剣の扱い方を教えてもらってる」
「そう、いいわね」
「それにな、シェリア」
急に声を潜めた仲間の男に、少女は思わず息を呑んでいる。
「なに?」
「飯が旨い」
「は?」
「ここの管理人の作る飯が、とにかく旨い」
大真面目な顔でなにを言い出すかと思いきや、のんきな発言にシェリアは眉を顰めている。
「良かったじゃないの」
「ああ」
勢いでパーティを組み、奇跡的な偶然に救われたせいで仲間としてやっていくことになったが、ラディエルがどんな男なのかはいまいちよくわからない。
真面目な性格なのだろうなとは思っているが、今の発言が冗談なのか、ただただ感心しているだけなのか、シェリアには判別がつかなかった。
「じゃあ、これ、あげるわ」
「なんだ」
中途半端な細切れ肉の良い使い道に気付いて、少女は包みを取り出し、ラディエルに渡す。
「兎の肉よ」
「探索に行ったのか?」
「うん、ちょっとね」
調理が上手な管理人がいるのなら、無駄にせずに済むだろう。
シェリアはそう考えていたが、ラディエルの表情は渋い。
「どうしてこんなにバラバラなんだ」
「初めてやったから、うまくいかなかったの」
「それにしても酷くないか」
「仕方ないでしょ! わたしはエルンと違って力が弱いの!」
「なるほど。……確かに」
馬鹿正直な反応に、少女は困惑してしまう。
そんな二人のもとにふらりと誰かがやって来て、見上げた先にはコルフが立っていた。
「やあ、シェリア」
「コルフ」
「ラディエルと組んでるんだってね」
「そうなの。まだ、出会ったばかりなんだけど」
魔術師の先輩はそうかそうかと頷き、なにか言いたそうな顔でシェリアを見つめている。
思い切って「なに?」と尋ねてみると、コルフ・ヒックマンはこんな問いを少女に投げかけてきた。
「カミルとも知り合いなんだよね」
「うん。一応、幼馴染で」
「……もしかして、仲間に入れようって考えてる?」
どうかなと目で問われて、答えに迷う。
カミレイルはとにかく簡単にいかない男であり、仲間になってと頼んだところでうまくいくとは思えない。
既に「良い五人組」の一員なのだから、そう仲良くもないシェリアに手を貸す理由はない。
正当な理由がなければ、説得はできない。
「考えてない」
絞り出すように答えると、コルフはぱっと笑顔を浮かべ、良かったと漏らしていた。
「カミルもそれはないって言ってたんだけど」
「はあ?」
「あ、その……、ごめん。言うべきじゃなかったね」
コルフは風のように去って行き、シェリアは何故か悔しくてたまらず、唸り声を漏らしていた。
「どうした、シェリア、大丈夫か」
そう心配してもいなさそうな様子のラディエルを、シェリアはじろりと睨んでいる。
「ねえ、ラディエル。いい感じのスカウトがいたら仲良くなっておいて」
探索仲間は大真面目な顔のまま、ほんの少しだけ首を捻った。
「スカウトなんてカミル以外にいないぞ」
「素質がありそうな子でいいんだよ。一緒に成長していけばいいんだから」
「そうか。わかった」
本当にわかっているのだろうか。
不安がよぎるが、用事は終わった。夜が訪れる前に帰り着きたくて、シェリアは早足でねぐらへと進む。
この日あった出来事のうちのほとんどを、シェリアはエルンに話して聞かせた。
相棒の大女は感心したり、笑ったり、口を尖らせたりして忙しい。
最後の買取の話には怒ってくれて、少女は心底ほっとしていた。
「結局、魔術だけ覚えればいいってわけじゃないってわかったんだ。だから、あんたと一緒に走ろうかなって思って」
エルンはこの申し出を快諾し、次の日の朝容赦なくシェリアを起こした。
体が痛くて、訓練どころではなく、この日は断念。
一日たっぷり休んで、あくる日初めての走り込みに挑んでみたが、予定の半分もこなせずに体力が限界を迎えていた。
「待って……、エルン、あんた……、なんなの……」
北の大通りから西門まで走り、着いたら今度は同じ道を戻る。
簡単じゃないかと思っていたが、迷宮都市はシェリアが考えていたよりも広かったようだ。
「バテすぎだよ、シェリア」
「あん、たが、おかし……、の」
息切れしていると、言葉も自由に出せなくなってしまうらしい。
新たな気付きを得ながら、相棒から差し出された水を飲み干し、東門に近い店の陰で息を整えていく。
「ここで終わりにしよっか、シェリア。帰りは歩こ」
「そんな」
「無理したって仕方ないもん。少しずつ慣れて、距離を伸ばしていけばいいんだし」
さっぱりとしたエルンの言葉に、シェリアは悔しさ半分、安堵半分で息を吐いている。
「塾にも行くんでしょ。高い授業料払ったんだから、疲れて寝ちゃったら後悔するよ」
大きなエルンに背中をばしばしと叩かれ、痛い。
シェリアからの苦情に、相棒はけらけらと笑うだけだ。
「歩けないんならおんぶしてあげるけど?」
休憩は終わり、悔しさをばねにシェリアは歩いた。
大勢の若者が行き交う風景に、探索者の多さを思い知りながら。
「みんなあっちの方に行くんだね」
いかにも探索者らしい格好とした若者は、皆、北の大通りを西に向かって歩いている。
南へ向かう者は服装が違い、どこかの店の従業員だと一目でわかった。
「エルンは今日も仕事するの?」
「うん。あたし、少し良い剣が欲しいんだ。切れ味がいいやつ!」
「高いの?」
「そう」
「また失くすかもよ」
がふがふ笑うシェリアを、エルンはじろりと睨んでいる。
きゃっきゃと二人で歩いていると、しばらく進んだ先で見覚えのある人物が横切っていった。
「あれって」
エルンが呟き、揃って立ち止まってしまう。
通りを横切っていったのは、ケルディを誘っていた美しい探索者と垂れ目の男前。樹木の神官衣姿の青年に、カミレイルとコルフが続く。
「ほおーん」
妙な声をあげるエルンに、なにそれとシェリアも呟いてしまう。
「いや、神官を連れてるけど、ケルディじゃなかったから」
つまり、ケルディの言葉はすべて本当で、固定の仲間にはなっていない。
クリュは幼馴染に探索の基礎を教える為に助力を求め、今日は「五人」でどこかの迷宮に挑むのだろうが。
「カミレイルとコルフにも頼めるってこと?」
一人はスカウト、もう一人は魔術師。付き合ってくれる神官は少なくとも二人いる――。
「あの子すごくない? 金髪の、クリュだっけ」
「そうかも。凄腕と暮らしてるし」
「なんの凄腕?」
「スカウトと、戦士?」
仲間集めが特技なのだろうか。
あの麗しい顔でじっと見つめる以外に、話術も巧みに操れるのだろうか。
「可愛いねって言われる程度じゃ駄目ってことかな」
交渉も探索者の仕事のうち、とグラジラムは言った。
師匠が伝えた心構えはまだ一部だけだろうに、既に山積みになっている。
「いや、焦っても仕方ないよね。ひとつひとつやれるようになっていかなきゃ」
シェリアの独り言に、エルンは何故だかにやりと笑っている。
たいした考えもなさそうな笑顔にラディエルと似たものを感じて、少女は思わず毒を吐いてしまう。
「エルンって重たい物運ぶ以外になにができるの」
「なによ、その言い方は」
剣も使えるし、走るのも速い。
相棒は胸を張って威張り、シェリアはそれを鼻で笑った。
「迷宮の中で走ることなんかないでしょ」
「……まあ、そうか。罠があるんだもんね」
「ふふ。あんたとラディエルってちょっと似てるかも」
「え、顔が? どの辺?」
「がふふ」
同い年のでこぼことした二人の少女は、楽しげに笑いながら東の大通り進んでいった。
ねぐらに戻ったら汗を流し、小綺麗な服に着替えを済ませていく。
エルンを見送ると、シェリアは気合いを入れて、新たな自分になる為にグラジラムの塾へ向かった。




