249 探索志願
「やあ、いらっしゃい」
二日後の朝早い時間に、シェリアは穏やかな顔をした魔術師に迎え入れられていた。
時間のせいか、単純に予定がないからなのかはわからないが、教室には誰もいない。
どうぞとすすめられた椅子に素直に座って、少女はごくりと唾を飲みこんでいる。
「決めた、ということでいいのかな?」
主語は省かれているが、シェリアはこくりと頷いて答えた。
「他のところもまわって、見学させてほしいって頼んでみて、決めました」
「ここでいいのかい。私の教室について、噂に聞いたこともあるんじゃないかな」
「のんびりしてるせいで高くつくって」
グラジラムは笑い、シェリアもつられて頬を緩めている。
「魔術は基礎が一番大事だから、じっくりと教えるんだよ」
続けて魔術師は、基礎ができなければどうにもならないし、基礎がしっかりと身に着けば、後は自在に操れるようになると話した。
「身につかない人もいるって聞いたんだけど」
「ああ、その通りだよ。どうしても出来ない場合は仕方がない。諦めてもらうしかない」
「ちなみに授業料は」
「それは頂くよ。出来ない理由は生徒にあるんだからね」
なるほどとシェリアは頷き、どうにか魔術師になれるよう祈りを捧げていた。
魔術師が跪くべき神は、向かうべき神殿はどこかはまだ知らないけれど。
「君は探索の為に魔術を学びたいと考えているのかな」
「それ以外に理由なんてあるの?」
「迷宮から持ち帰った物の鑑定をしたい、湧水の壺を造りたいだとかね。商売の為に学ぶ人もいる」
その手があったかと考える新たな弟子に、グラジラムはまた笑った。
父親と同じくらいの年だろうかと呑気に考えていると、次に、探索の経験はどのくらいか問われた。
「一度だけ。『緑』に」
ちらりと視線を向けて、魔術師は小さく首を捻っている。
まさか、見ただけでどんな悲惨な内容だったかわかってしまうのだろうか。
シェリアは焦り、不安な顔をしだした弟子に、グラジラムは戸惑ったような顔をしていた。
「長くは進まなかったのかな、その表情だと」
「……その、地図を読み間違えちゃって」
「そうか。じゃあ、そうだな、明日また来れるかい?」
「明日?」
「ああ。本格的な授業を始める為に、やるべきことがある」
今日はもう出来ることはなく、これでおしまい。
明日の昼また訪ねて、「やるべきこと」が済んだ後に授業料の支払いをする。
弟子入りの最初の流れを示されて、シェリアは声に力を込めて答えた。
わかりました。よろしくお願いします、と。
神妙な顔で頭を下げた少女に、師匠は優しげに微笑んでいる。
年齢や家族構成などが気になるが、聞くのはもう少し打ち解けてからにしておこう。
そんな思いを抱えつつ、るんるんとねぐらに向かって街を歩いた。
グラッディアの盃の二階に、エルンの姿はない。
大失敗した探索で剣を失くしてしまったから、買いにいったか、稼ぎにいっているのだろう。
また市場で荷運びを引き受けているのだろうか。
「そういえば、なんにも言わないまま来ちゃったな」
エルンに誘われて、勢いでここで暮らし始めてしまったが。
ボロ小屋暮らしは一年近く続けており、南の市場には知り合いも多い。
急に消えたと思われているのかもとようやく気付いて、どうしようかと部屋をうろついてしまう。
「シェリア、いるの?」
すると扉の向こうから声がして、ノックと同時にリティが顔を覗かせていた。
「ノックの意味がなくない?」
「ほとんどタダで暮らしておいて、そんな風に言うの」
「ごめんなさい」
「ふふ、いいんだよ。あんた、魔術師の塾に通うんだって?」
「エルンが話した?」
「うん。シェリアが本気出すから、頑張るってさ」
昨日のうちに武器屋を巡り、良さそうな剣を見つけたので、今日は労働に励んでいるらしい。
「どこに通うかはもう決めたの?」
「グラジラムさんって人のところ」
リティの返事は「そう」のひと言で終わり。
魔術師について詳しく知らないのか、小さく頷くだけだった、
「無事に決まったんなら良かったよ。大変だろうけど、頑張んな」
「うん」
賄いで良ければ食べるか問われて、シェリアは断り、再び街へ繰り出していた。
そのまま南の市場へ向かい、エルンの姿を探す。
ついでに、迷宮都市に来て以来世話になった誰かがいないか見て回った。
市場は活気に満ちていて、人の往来は激しい。
小柄なシェリアでは遠くまで見渡すことはできないし、馴染みの商売人もいつもの場所にはいなくて、望んだ遭遇は果たせなかった。
出店で適当に軽食を取って、次になにをしようか悩んでしまう。
昼を少し過ぎたくらいの時間帯で、なにを始めるにも中途半端だった。
「ねえ、君、一人で食事?」
声をかけてきたのは見知らぬ、にやついた顔の若い男で、シェリアは急いで歩き出している。
返事をすればしつこく絡まれるばかりだとわかっているから、無視を決め込み、大通りへ。
「なあ、知らんぷりなんてちょっと意地悪なんじゃないか」
年齢も服装も容姿もありふれた印象で、なにを生業にしている男か想像がつかない。
けれど、探索者ではないだろうとシェリアは思う。
暮らす場所は北に偏っていて、あまりこちらまで足を伸ばしたりはしないと聞いていたから。
「どこの店で働いてるの。可愛いね、君。綺麗な目をしてる」
まるで諦めずに追いかけて来る男が怖くなってきて、シェリアは足を早めた。
無言のまま走って、走って、はたと思いついて、視界の先に見えた樹木の神殿へ駆け込んでやる。
「すみません、ケルディはいますか!」
入るなり叫んでみると、まだ若い女の神官がやって来て不在を伝えてくれた。
さすがに神殿に入るのは気が引けるのか、追いかけてきた男の姿は見えなくなっている。
「ケルディはいないんだけど……、もしかしてなにか困ってる?」
きょろきょろと振り返る様子で察してくれたのだろう。
同年代らしき少女の神官は心配そうな顔で、シェリアへこう問いかけてきた。
「あ、うん。しつこい人がいて」
「そうなんだ。じゃあ、よければこちらへどうぞ」
優しげな笑みに連れられて、奥の小部屋へと足を踏み入れる。
神官の少女は水を一杯持って来て、追われる少女に差し出してくれた。
「ありがとう」
「もし不安なら、送っていくこともできるから」
「え、いいの?」
「ケルディの知り合いなんだよね。彼は今日は当番じゃないから、神殿には来ていないんだけど」
他の男性の神官で良ければ付き添うから、遠慮せずに頼んでね。
神殿に通う習慣のないシェリアは、なんと親切なのかと驚いていた。
「良かった、ここに来て」
「ふふ。普段はあまり神殿には来ないのかな」
まんまと見抜かれてしまい、少しばかり恥ずかしい。
シェリアはゆっくりと水を飲み干して、隣の屋敷でも良かったのかも、と考えていた。
「ここの隣に知り合いがいるんだよね。さっきの男がいなければ、声をかけに行けるかも」
「お隣に? カッカー様のお屋敷とは中で繋がっているから、外に出なくても行けるよ」
「え、そうなの」
「そうなの。ふふ、前の神官長様のお屋敷だからね。よく考えたら、おかしなことなんだけど」
いくら長とはいえ、神殿と繋げて家を建てるのは公私混同じゃないかと思う。
神官の少女は明るい顔で笑っており、シェリアもつられて噴き出してしまう。
「知り合いってだあれ?」
そういえばカミレイルもいるんだったと気付いたものの、頼るのはどうにも気が引ける。
なのでシェリアは最近入ったばかりの新入りだと話し、神官の少女は「ああ」と頷いていた。
「ラディアルだったっけ、一昨日来た」
「ラディエルだよ」
「あ、ごめんごめん。いるかどうか、確認しに行ってみる?」
「いいの?」
「うん、あなたの名前は?」
シェリアは名乗り、神官の名はララだとわかる。
そのまま案内されて、神殿の後ろの扉をくぐり、中庭へ。
「わ、木が生えてる」
「迷宮都市ではここだけなんだよ」
故郷では当たり前の草花の存在に素敵だねと微笑みあって、屋敷へ向かった。
確かに一昨日押し掛けたところで間違いない。
ララに連れられて廊下を進んでいくと、何故だかエルンが立っていて、シェリアは驚いていた。
「エルン、なにしてるの、こんなところで」
「シェリアこそ、どうしてここに?」
エルンは市場で配達を請け負い、野菜を運んできたところ。
シェリアはエルンを探しに市場へ行ったものの、しつこい男に追われて云々と、互いの事情を明かしていった。
「追っかけられたの? うーん、シェリアは可愛いからなあ」
「二人は知り合いなの?」
「一緒に暮らしてるの。探索の仲間で」
「え、二人とも探索者なの」
ララは感心したような声をあげたが、本格的に始めたとは言い難い立場で、くすぐったい気分になっていく。
「エルン、仕事はもう終わったの?」
「ううん、市場に戻って報告しなきゃいけないんだ。まだ稼ぎ足りないから、もう少しやっておきたいし」
「そっか……。じゃあ、どうしようかな」
「店に戻るなら、一緒に行くよ。どうせ通り道だし」
ラディエルを探す手間はなくなり、ララに礼を言って屋敷から出る。
エルンは木箱を載せた台車を牽いており、二人は揃ってゆっくりと進んでいった。
「ラディエルには会った?」
「ううん、いなかったから。探索の練習に連れていってもらったみたいだよ」
「へえ、本当に教えてもらえるんだ」
「ね! いいよね、結構な腕の人が来て教えてくれることもあるんだって。あたしたちもあそこで暮らせたら良かったのになあ」
「もしかして魔術も教えてもらえたりする?」
「……それはさすがにないんじゃない? 剣は時々良い先生が来てくれるって言ってたけど」
「剣だけかあ」
「仕方ないよ。魔術の塾って高いんでしょ。ただで教えてるなんて知られたら、わけわかんないことになっちゃいそうじゃない」
それもそうかと答えながら、大通りを南へ向かう。
道を歩いているのは商売人たちばかり。
探索者の姿はほとんどないが、「藍」の迷宮入口が近くにあり、日帰りの探索をする者がぽつぽつと現れる頃合いだった。
二人はこの時間帯の事情に気付いていなかったが、路地からふらりと現れた影があり、揃って足を止めている。
脇道から出てきたのは探索者らしき三人組で、見知った顔に気付いて、エルンは大きな声でこう叫んだ。
「ケルディ! ちょっと、まさか探索帰りなの?」
腰から剣を提げた神官戦士は驚いた顔で立ち止まり、連れの二人は顔を見合わせている。
「あたしたちにはあんなこと言っておいて」
「エルン、その、違うのだ」
「違うってなに? ああ! もう、やっぱりなあ! おかしいと思った」
相棒がぷりぷりと怒り出している間、シェリアは「残りの二人」の姿に気を取られていた。
一人は長い髪を変わった形に結った垂れ目の男前で、悪くない。
その隣にいるもう一人は、天から遣わされたような美しさに満ちていて、目が離せない。
「なにもおかしくはない。話を聞いてくれないか、エルン」
「えー?」
長引きそうだと判断したのか、「またねケルディ」の一言を残して男前たちは去っていってしまう。
置き去りにされた神官は悲しそうな顔をしていたものの、エルンに向き直って言い訳をし始めていた。
「確かに探索には行ったが、今日だけの話だ。神官の助力が欲しいと頼まれて」
「クリュのお願いならほいほい聞くんでしょ」
シェリアはエルンの袖を引き、クリュとは誰のことか尋ねた。
「さっきいた、金髪の方。前に『緑』でいろいろ教えてくれたんだ」
そのクリュの幼馴染が故郷からやって来て、探索の訓練が必要になり、神官に手助けを頼んできた。
ケルディは同行の理由をこう語り、固定の仲間になったわけではないとエルンに告げている。
「サークリュードは探索の為に神官を探しに来て、たまたま非番の私が同行を引き受けただけで。……私を頼りに来たわけではないんだ」
神官はしゅんと俯き、寂しそうに目を伏せている。
それでエルンは言いがかりだったと気付いたようで、ごめんと小声で謝っていた。
「わかってくれたか」
「なんかごめんね」
「……いや、君がおかしいと考えたのは、私にそう思われる理由があるからだ」
もう少し反省の時間が必要だと言い残し、樹木の神官が去っていく。
エルンはしまったと呟いているが、シェリアはその様子がおかしくて笑みを浮かべていた。
「あんなに綺麗な子がいるんだね」
「男なんだよ、クリュは」
多分だけどね、とエルンは苦い顔で呟いている。
シェリアは驚きつつ、自分たちも探索の基礎を教えてもらえないのか尋ねてみた。
「どうかなあ。さっき、ケルディを置いてすぐに行っちゃったでしょ。あたし、本当は女の子なんでしょってクリュにしつこく言っちゃってさ。もしかしたら、嫌われてるかも」
「そんなにしつこく絡んだの?」
「だって、全然男に見えないだもん」
話していると帰り道はあっという間で、グラッディアの盃に到着していた。
エルンは台車を牽いて去って行き、シェリアは明日の準備をしておこうと部屋に戻り、どの服を着るか夜まで悩んだ。
この日の反省を活かし、ある程度予定を伝えあっておいた方が良いと少女たちは話し合っていた。
エルンは引き続き仕事の為に市場へ行き、シェリアはグラジラムのもとへ向かい、正式に弟子にしてもらう。
ラディエルの様子も確認しておくべきであり、それぞれの用が済んだらあの屋敷へ行ってみる。
あまり遅い時間になった場合は次の日以降にと決めて、シェリアはエルンを送り出していた。
少女は支度を進めていったが、昨日決めたはずの服ではどうもいまひとつな気がして、着替えているうちに時間が過ぎていった。
結局昨日考えた通りの服に身を包み、街の真ん中へと急ぐ。
魔術師たちの住まう通りは人が歩いていることはほとんどないらしく、この道で見かけた人物はまだコルフだけだ。
「こんにちはー」
緊張しながら扉を叩くと、すぐに声がしてグラジラムが現れていた。
中に招かれ進んでいくと、教室には何故だか探索者らしき装いの中年男が立っている。
ぼさぼさとした黒髪に、半端に伸びた無精髭は、とても魔術師志望とは思えない。
戸惑うシェリアに、中年男はにやりと笑って、ユーゼンと名乗った。
「ユーゼンは私の友人で、元は探索者なんだ。今は商売をしてるけどね」
「革の売買をやってるよ」
「革だったか?」
「最近変わったんだ。別にいいだろ、そんな細かいことは」
なあお嬢ちゃんと、ユーゼンは笑みを浮かべている。
「シェリア、探索の為の装備を用意したから、着替えておいで」
「え、装備?」
つまり、迷宮に向かうのか。
シェリアの問いに、グラジラムは頷いている。
「弟子入りは」
「迷宮から戻った後にね。さあ、まずは着替えだ。隣の部屋にすべて用意してあるから」
よくわからないまま、シェリアは教室奥にある小部屋へと向かった。
部屋に入ってまず目に入ったのはいかにも魔術師らしいローブで、思わず息を吐いてしまう。
「ふふ、いいかも」
長いローブを身に纏って満足した少女だったが、そのほかにも様々なものが置かれていることに気付いていた。
大き目の荷物袋に、頑丈そうな革のブーツ。服も上下揃っており、ローブの前にこちらを着なければならない。
余所行きの赤いスカートを脱いで探索者らしい格好に変わり、袋に手を伸ばす。
中にはロープや食料、小瓶が数本に、その他にも細かな物が詰め込まれている。
「グラジラムさん、この荷物も持っていくの?」
「ああ、背負えるようになっているだろう」
言われた通りに背負ってみると、ずっしりと重たく、シェリアは小さく唸った。
部屋から出ると師匠たちも同じような格好になっており、荷物も同じサイズの物を背負っているようだ。
「さて、じゃあ行こうか」
「どこへ?」
「『緑』だよ。この時間ならもう混んではいないだろうし、初心者にはちょうどいい」
今日は詳しい説明を受けて、なんらかの書類にサインでもして、支払いを済ませるだけだと思っていた。
迷宮に行かねばならない理由が存在するのだろうが、想像がつかず、こうなったらもう、聞くしかない。
「迷宮でなにをするんですか」
少女の問いかけに、ユーゼンは振り返らない。
グラジラムだけが顔を向けて、答えをくれた。
「君は一度しか迷宮に足を踏み入れたことがないと言っていたから」
大抵の者は魔術師に弟子入りする為に、迷宮で稼ぎを得る。
苦手だろうが剣を振り、魔法生物から皮や肉を剥ぎ取って売り払い、授業料を貯めていく。
「勿論、探索の経験なしで弟子入りしようとする者もいる」
「そういう時は迷宮に連れていくんですか」
「そうだよ。迷宮がどんなものか知らなくても探索者にはなれるし、簡単に辞めることもできる。でも、授業料は高いだろう? 基礎から学ぶ時が一番かかるし、覚えが悪ければ追加で支払わなきゃならない」
魔術を習い始めてから、自身が探索に向いていないと気付くのでは遅すぎる。
時には借金をして支払う者もいるから、きちんと迷宮歩きを体験させた上で決断してもらうとグラジラムは話した。
「他の私塾ではこんな風にはしないよ。授業料を払ってもらえれば良いんだからね」
「グラジラムは親切だろう、お嬢ちゃん」
前を向いたまま、ユーゼンにこう声をかけられて、シェリアは「そうね」と答えた。
まだ街中を歩いているだけなのに、荷物が重たい。
エルンなら軽々担いで歩くのだろうと考えると、少し悔しかった。
「さあ、着いた。業者が順番待ちしているかな」
「一組だけだ。すぐに順番が来るだろう」
前回はエルン、ラディエルたちと共に梯子を降りた。
帰り道の記憶はない。偶然通りかかった神官と同行者が怪我人を運んでくれたと聞いている。
「不安かい、シェリア」
「ううん、そんなことないわ」
「気が強いんだな」
迷宮入口前に辿り着くと、ユーゼンは小さなナイフを取り出し、シェリアに渡した。
「これで戦えってこと?」
「必要な時には」
三人しかいないからと、グラジラムは笑っている。
ユーゼンが前に立つし、師匠ももちろん戦うけれど、手が足りなくなる可能性もあるらしい。
「どんなに腕が良い魔術師でも、武器は必ず持っていく。戦士が持つような剣が使えるんなら、その方がいい」
「グラジラムさんはなにを持ってるの」
「私はこれだ」
師匠はローブをちらりとめくり、腰から提げた短剣を見せてくれた。
「魔術は無限に使えるわけではないから、身を守る物は必要だよ」
「そうなのね」
「これで君の準備は整った。探索者としての基本の装備を、最も軽くしたらこうなる」
「これ、軽めなんだ」
「泊まりがけならもっと重たくなる。使ってなくなる物もあるけど、探索中に得た物があれば追加されていくよ」
師匠たちは顔を見合わせ、扉に手をかけてシェリアを振り返っている。
「では、入ろう。シェリア、心配しなくていい。そう長い探索にはしないし、帰りは『脱出』を使うから」
「どこまで進むのかは?」
「それは今日のご機嫌次第だ」
「機嫌って、誰の」
「迷宮のだよ。一度入ったのなら知っているだろうけど、『緑』では毒に気をつけなければならない。足元の蔦に引っかからないよう、よく確認して歩くんだ」
嫌な記憶が蘇り、シェリアは身震いしていた。
蔦の隙間からいつの間にやら這い出ていた蛇は、足首に絡みつき、鋭い牙を突き立てて少女を襲った。
忘れようのない体験で、あんな思いは二度としたくないとシェリアは思う。
あの時、足元に気を付けるよう何度も言われていた。
単純に蔦に足を取られなければよいと考えており、中から蛇が出て来るとは思ってもみなかった。
「まずは三層へ向かおう。シェリア、君の探索は何層目で終わったのかな」
「……三層目で」
「地図を見間違えたと言っていたね」
初心者ばかりの五人組には、ふわふわと浮ついた空気が流れていた。
同じ年頃で、良い出会いがあったと考えていて、初心者向けの迷宮で、地図も持っているし、経験者もいるから、根拠もなく「大丈夫だ」と思ってしまっていた。
「罠の印があるから、立ち止まったの。でも、道を一本間違えていて、罠の位置も違ってて、それで一人落とし穴に落ちちゃって」
「そいつは大変だ」
ユーゼンは鼻でふんと笑い、グラジラムは驚いた顔でシェリアを見つめている。
「それは混乱しただろうね」
「うん。しかも一人、いきなり逃げだしちゃったの。地図を持っていた奴が」
「最悪だな」
「それに気を取られてたら、いつの間にか大きな犬が近付いてて。それで一人大怪我をしちゃって」
魔法生物はなんとか退治できたが、怪我は酷いし、地図もないしで散々だった。
促されるまま、結局正直にすべてを、自身が毒を受けて気を失ったことまで話すと、グラジラムもユーゼンもあんぐりと口を開けている。
「それで全員無事だった?」
「そいつはすごいな」
とんだ強運だとユーゼンは言い、グラジラムも頷いている。
知り合いの神官が通りかかり、声を聞きつけ助けてくれたとなると、酒場で謳われるようになってもおかしくないらしい。
「その話を先に聞いておけばよかったな」
「どうして?」
「そこまでの恐ろしい目にあっても、君は探索者を目指すと決めたんだろう」
「そうだけど」
「この街には毎日毎日迷宮の話を聞きつけた若者が大勢やって来る。でも、実際に迷宮を踏み入れた後、続けていくと決意できる者は半分もいない」
自分には無理だと判断できればまだ良い方で、あっさりと命を散らして帰らぬ者もそれなりにいる。
続けるにしても、初心者レベルから抜け出せなかったり、良い仲間が見つからなかったり、金策に追われて迷宮どころではなくなったりと、本当の探索者としての暮らしを維持するの途轍もなく難しいことだとグラジラムは語った。
「『藍』や『赤』に挑めるようになるのは、一割くらいはいるのかな」
「そんなにはいないだろう」
百人に一人いるかどうかとユーゼンは言う。
「じゃあ、一番難しいところに挑む人は?」
「ほとんどいない。街に十人もいるかどうかだな」
「ええ?」
「『青』の迷宮がどんなところか知ってるかい、お嬢ちゃん」
「水に沈んでて、進むのが大変なんでしょ?」
元探索者の男は首を振り、意思を持った水に襲われ、飲み込まれてしまうところだと話した。
「嘘。意思があるって、水に?」
「水のようなもので、水じゃあないんだろう」
驚き戸惑うシェリアに、グラジラムがこう付け加えてくれた。
「水の中に道があるのは本当だよ。行ける道かどうか見極めるのは、大変に難しいと思うがね」
迷宮にはそれぞれ特徴があり、進む為に特定の技術が求められることがある。
「黄」は罠を見破る達人が、「黒」は厳しい戦闘に勝ち抜く腕と体力が。
「『青』は潜水が得意な者や、魔術師を必要とするだろうね」
「『緑』は?」
「ここは薬草毒草の知識があると良い。解毒が必要になるから、神官がいてくれれば助かるだろう」
話している間に階段に辿り着き、初心者らしき五人組とすれ違った。
全身に戦いの痕をつけ、疲れ果てた顔で若者たちは歩いている。
見知らぬ初心者を見送りながら、シェリアは小さく息を吐いていた。
まだ一層目を歩いただけなのに、足が痛むような気がしていたから。
「どうだい、シェリア。疲れてはいないかな」
「まだ大丈夫」
「水は飲む?」
階層の移動中は、敵が襲い掛かってくることはないと言われているらしい。
初めて聞いた迷宮豆知識に感心しつつ、シェリアは荷物を下ろし、水を口に含んだ。
再び背負った袋は重たく、肩と背中にずっしりとのしかかってくる。
「では、行こうか」
迷宮はまだ二層目。敵との遭遇すら果たしていない。
素人だらけのお気楽な探索とは違うのだと気付きながら、シェリアは階段をゆっくりと降りていった。




