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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
53_Outburst of Anger 〈これにて終幕〉

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257/262

247 夕陽色に抱かれて

 次の日の朝、ノッグは早くに目を覚まして、これ幸いとばかりに身支度を整えていった。

 昨夜の話し合いは決着が着かず、眠気に負けて結論を出せないまま終わっていたから。

 ホロガンと留守番をさせられるのは嫌で、出かける準備を済ませてからダルツを揺り起こし、調査団へ挨拶に行くと言い残し、劇場から飛び出してやった。


 劇場も雲の神殿も調査団も、すべて街の西側に揃っていてどこも遠くはない。

 恐らくは「緑」の迷宮へ向かっているであろう探索初心者たちの作る波に逆らい、ノッグは目的地に向かって進んだ。

 調査団の扉を叩き、そっと開け、中にいた誰かに声をかける。

 ウベーザ劇場の者だというと、すぐ近くにあった応接間に通され、昨日やって来た調査団員がすぐに顔を出してくれた。

 厳しい目をした男で、ただ挨拶しているだけの間でも緊張してしまう。


 改めて非礼を詫び、神官長へも謝った上で、支配人についての話を聞かせて頂きたいと思っております――。


 ノッグのしおらしい態度に、調査団員は頷き、支度をするから待つように告げた。

 すぐに三人の団員がやって来て、今の時間ならばちょうどいいからと、すぐに神殿へ向かうと決まった。


 朝を迎えた神殿では、神官たちが掃除に勤しむ姿が見られた。

 入口近くに破壊された長椅子が積まれているし、ノッグを見る目は随分と厳しいが、面と向かって文句を言うような者はいないらしい。

 話は調査団員が進めて、奥の部屋へと通され、神官長がやって来る。

 まずは深々と頭を下げた劇場の関係者へ、長であるゲルカ・クラステンは静かに頷いてみせた。


「劇場支配人、バジム・ウベーザ殿は迷宮に足を踏み入れ、戻っていない」

「確かなんですか?」

 疑問を口にするノッグに対し、ゲルカの視線は厳しい。

「ザグとジュエット、ラジュを引き連れて迷宮へ向かったと聞いた。ラジュは中で足に傷を負い、置き去りにされてしまったそうだよ」

「置き去り……」

「おそらくは最初の罠が作動したのだろう。ラジュは深い傷を負いながらもなんとか入口に戻り、運良く街の者に救い出された」

 ろくに手当もできずにいたから、気付く者がいなければ命を落としていたはず。

 ゲルカの眼差しには嘘などなさそうだが、ノッグとしては納得がいかない。


「バジム様は迷宮になんか、興味はなかったはずです」


 ラジュの話はすべて真実なのか。

 偽りが紛れ込んでいるのではないか。


 正直に問いかけてみるが、神官長の態度に変化はなかった。


「君たちの劇場は、営業開始当初は随分とうまくいっていたように見えた」

「ええ、そうですね」

「だが、急に店を開かなくなったね。バジム殿は恋に溺れて、奇行に走ったと聞いている」

「……その通りですけれども」


 部下たちから聞いてはいるが、ノッグは「黒い女」について知らない。

 舞台の為のドレスを勝手に持ち出して捧げようとしたり、魔術師の屋敷を手に入れて贈ると言い出したり、確かに奇行としか言いようはないのだが。


「我々はホーカ・ヒーカムなる魔術師の屋敷が劇場の関係者に襲撃された件について、調べを進めていた」

 事情を知っているか問われて、ノッグは首を振っている。

「あれはあたしらが知らない間に起きたことなんです。バジム様は夜が明ける前に用心棒たちを集めて、何も言わずに出ていってしまって」


 その少し前、営業がうまく回らなくなり始めた頃に、踊り子が一人逃げてしまった。

 その前に脱走劇があったから、自分もと思ってしまったのだろう。

 料理人の一人と仲良くなっていて、二人は用心棒たちがぞろぞろと出かけたことに気付き、飛び出していったという。


 少女たちは厳しく管理されていたが、数が多い。

 用心棒なしの状態で全員を抑えきれるはずがなく、何人も後に続いてしまった。

 中に手癖の悪い者が混じっていて、アクセサリが盗まれそうになり、ラジュとジュエットはそちらに気を取られていた。

 ノッグとダルツも駆けずりまわったが、金庫の番もせねばならず、すべての騒ぎを収めることなど不可能でしかなかった。


「君はヒーカム邸の襲撃についてはなにも知らないということかな」

「そうですね。バジム様は戻ってきた後、部屋に籠ってしまってろくに話も出来ませんでしたから」


 説得したり、部屋の扉をこじ開けようとしている間に、更なる脱走と強奪が行われていった。

 このままではまずいと、ノッグとダルツは金庫だけを抱えて、本部の指示を仰ぐべく、マリーデンへと戻り、その後は人を派遣して劇場の様子を窺っていた。


「神官長様は、バジム様が本当に迷宮なんぞへ行ってしまったと考えておられるんで?」

 ゲルカは鋭い目をして、小さく頷いている。

「バジム殿が恋した相手は、探索をして暮らしている魔術師だ」

「魔術師?」

「彼女の目に留まるには、探索ができる人間だと示すしかないと考えたそうだよ」


 本人の言動は支離滅裂だったが、こんな理由があったのだと思う。

 これはラジュが語った話のようだが、ノッグは理解できずに唸っていた。


「ラジュは戻って来たんでしょう? だったら、バジム様だって」

「残念だが、行った場所が悪かった。『橙』か『緑』なら可能性はあったかもしれないが」


 支配人が部下たちを連れて向かったのは「白」の迷宮。

 探索の経験がない者が足を踏み入れて良いところではないと、神官長は言う。


「なんの準備もせずに向かったそうだ。食糧も水も、地図も武器も持たずに」


 襲い掛かって来る敵がいて、罠が仕掛けられている道だから。

 勢いだけで進むことなどできないし、深く入り込んでしまったら、もう戻れない。


「絶対にですか」

 ノッグの問いに、ゲルカは小さく首を振っている。

「絶対はない。だが、よほどの奇跡が起きなければ、無事に戻ることは出来ないところだよ」

「……奇跡は起きなかったと?」

「あれからバジム殿の姿を見た者はいない。生きているのなら、劇場に戻るのではないかな。少なくとも、本部へ連絡くらいはするだろう」


 消息がわからないのが、なによりの証。

 迷宮都市では、迷宮に足を踏み入れる者にとっては、これが当たり前らしい。

 なんとか反論できないか言葉を探すが、いつまでたっても見つからなかった。

 ノッグはがっくりと肩を落とし、ラジュから直接話を聞きたいと呟いている。


「そう考えるのは当然だろうが、昨日来た……」

「ホロガンさんですか」

「ああ。彼のような人物がいる場所に、彼女を返すわけにはいかない」

「でも、うちの従業員なんですよ」

 ゲルカは首を振って、安全が保証されなければ駄目だと繰り返した。

「迷宮で深い傷を負った上、見捨てられて、ラジュはとても傷ついている。劇場の経営の急激な変化もあって、不安も強い。すぐにまた戻ろうと考えられるような状態ではないんだよ」

「経営は、確かに、まあ……」

「ホロガン殿が後を引き継ぐのかな」


 神殿を訪れただけであんなに暴れた男が、女性に親切に振舞うわけがないと考えているのだろう。

 神官たちがそう思うのは当然で、ノッグは言葉に詰まっている。


 大丈夫です、ああ見えて紳士的な人物なんですよ――。

 言ってみても良いだろうが、信じてもらえるとは思えない。


 面会させてもらえただけで充分と考えるべきだ。

 ラジュを戻せと要求するには、早すぎる。

 

 魔術師の屋敷を破壊したし、神殿に身を寄せていた少女を強引に働かせたりもした。

 一からやり直す為に、まずは「まともさ」を示す必要がある。

 街を歩くだけでトラブルを起こすような暴れん坊は、送り帰さなければ。


 面会はこれで終わり、調査団に付き添われて劇場へと戻った。

 調査団員はまだ若いだろうに、鋭い目をしてノッグの一挙手一投足に注意を払っている。


 大袈裟なくらいに礼をして、ノッグは急いで中へと入った。

 神官から話を聞き、ささやかながらも前進はしたのだが。

 何も言わずに一人で出かけていたと、咎められると思っていたから。


 しかし。緊張しながら開いた扉の先には、誰の姿もなかった。

 勝手にどこかへ出かけてしまうのではという不安は既にあったものではある。

 食事をしに行ったとか、着替えが必要になったとか。

 そんな用事ならばすぐに戻ってくるはずで、ノッグは長椅子に座り、まずはふうと大きく息を吐いていた。

 

 留守にしているのなら、その間に出来ることをしておこう。

 そう考え、今日聞かされた情報をまとめ、手帳に書きつけていく。


 バジムの行方はわからないまま。

 迷宮に足を踏み入れた可能性が高い。

 ザグ、ジュエット、ラジュが同行させられ、ラジュ以外は戻っていない。

 話は雲の神殿の長から聞き取り。魔術師の屋敷を襲撃した件についても調査をされており、弁償の問題が未解決のまま残されている――。

 

 つらつらとペンを走らせながら、戻りはまだかと焦りが募る。

 またどこかでもめ事を起こしているのではないかと考えると、額からじわりと汗が滲んでいった。


 ノッグが手帳を閉じたところで入口付近が騒がしくなり、ダルツとホロガンが現れる。

 ホロガンは興奮状態のようで、ダルツが必死になって腕を引っ張っていた。


「おう、この野郎! 一人で勝手な真似しやがって!」

 目が合うなりこう喚かれて、ノッグは慌てて飛んでいき、ひとまずぺこりと頭を下げている。

「雲の神官から話を聞きました」

「うるせえ!」

 乱暴者の返事は粗暴そのもので、ノッグは顔に一発お見舞いされてよろけた。


「黒い肌の女を見つけたんだよ、俺ぁ。なのにこの、いくじなしが!」

 ダルツにも平等に制裁が加えられ、ぶつかって、揃って床の上に倒れてしまう。


 怒りに任せて吐き出された言葉から察するに、ホロガンたちはバジムが女神と呼んでいた女を見つけ出したようだ。

 だが、接触する前にダルツに止められてしまった。

 女と共に歩いていた男があまりにも強そうで、敵わないと考えたかららしい。


「最近噂のかなりの強者だって男なんですよ、ありゃあ」


 怒声を浴びながら、心の中でダルツを褒め称えていた。

 よく止めてくれた。騒動を未然に防いでくれてありがとう。

 ほとんど意味のない罵声を浴びせられ続けるのは苦痛でしかないが、仲間の偉大な仕事は褒めてやらねばならない。

 隙あらば女の尻に触れてにやつくような下衆ではあるが、今は貴重な、唯一の同志なのだから。


「ホロガンさん、女と一緒に居たのは、背の高い、髭を整えた男だったんじゃありませんか」

「……そうだ。気取った感じのいけすかねえ野郎だった」

「王都で騎士団長を務めてたって話を聞いたことがあります。相当な手練れで、探索をしてる連中から一目置かれてるって」


 争い合わなくて良かったのだ。

 毅然とした態度を心掛け、ノッグは話した。

 賢い選択をしたのだと言って心をくすぐり、気分を良い方へ変えてもらう為に。


「バジム様の行方と、劇場を再開する為になにが必要か調べに来たんですから」

「バジムはあの女と一緒にいるんじゃねえかと思ったんだよ」

 ホロガンは眉間に深い皺を寄せ、唸り声を漏らしている。

「飯はもう食いましたか。神殿で聞いた話を伝えますんで、ちょっと落ち着きましょう」


 机はいくつも破壊されていて、無傷のまま残っているのは三台だけ。

 床の上に残っていた破片を足で追いやり、空気を和やかにするべくノッグは殊更に明るく声をあげている。

 ダルツもそうだそうだと片づけを手伝い、椅子を整えてホロガンへ勧めた。

 暴君は気まずくなったのか小さく咳払いをして、用を足してくると部屋から出ていってしまった。


 二人はほっと息を吐き、互いに朝から起きた出来事について報告しあっていった。

 ダルツは黒い女探しに付き合わされ、家を突き止めたと話している。


「へえ、家がわかったのか」

「有名らしくてな。そりゃあ有名になるだろうと思ったよ。あんなにいい女なんだから」

「見たのか」

 急に真剣な目をして頷くダルツに、どうだった、と問いかける。

「黒い肌に、青紫色の大きな目をしたとんでもない美女だった。暗い色のローブなんか着こんでて、なんでもっと色気のある服を着ないのかって思ったね」

「バジム様もドレスを持っていったと聞いたな、そういえば」

「もっと胸の開いた、足がよく見えるものを着せたいと思ったに違いないよ。隠していてもわかるんだ。たまらねえ体をしてるって」

「そんなに?」

 ダルツは口を拭う仕草をして、にやりと笑っている。

「とろんと垂れた可愛い目をしてるのに、澄ました顔でこっちを見もしないんだぜ。どうしたって落としたくなったんじゃねえかな」

 いやらしい顔をして笑いながら、ダルツは床の上に散らばるごみを拾い上げていく。

 

 バジムの行方についてホロガンが納得してくれれば、迷宮都市での用事はもう終わる。

 もう本部へ戻って、今後についての話し合いをするべきだとノッグは考えていた。

 神殿とのやり取りに関しても、指示を仰ぎたい。ラジュの処分についても。

 ホロガンの悪行は正直にすべて報告し、支配人に相応しい者は誰か、考えてもらう。


 ダルツと二人ででも構わない。確かにミスはあったが、立ち上げは上手くいったし、金庫の金は無事に持ち帰ったのだから。

 

「遅いな、ホロガンさん」


 「今後」について考えを巡らせていたノッグに、ダルツが不安を投げかける。

 

「確かに」


 気は進まないが、様子を観に行くしかないだろう。

 勝手に出ていったりしていないよなと、ハラハラしながら二人で向かう。

 

 扉を開けるとすぐにホロガンの姿が目に入った。

 問題児はあまりにも問題児らしく、入口の扉の前に座り込み、顔を真っ赤に染めている。


「あ、お前ら! 酒を隠してやがったな」


 あんなに厳重に隠しておいたのに。

 ノッグは思わずダルツを見つめ、まんまと目が合ってしまう。


「なにをしてるんです、ホロガンさん」

「酒があったんだ、飲むに決まってるだろう」


 たいした量ではなかったはずなのに、ホロガンの顔は首まで真っ赤に染まっている。

 ぶつぶつとなにか呟いており、嫌な予感がしてたまらない。


「水、飲みましょう、ホロガンさん」

 ダルツの言葉も空しく、暴れん坊は勢いよく立ち上がっている。

「そんなことしてる場合か、行くぞ!」

「行くって、どこへ」


 ホロガンは目を据わらせて、黒い女を捕まえてやると言い出していた。

 もういいじゃないか、それよりもやることがあると説得してみたが、駄目。

 むしろ逆効果だったらしく、ホロガンは扉を開けて外へ飛び出していってしまう。


 慌てて後を追いかけ、ノッグたちは引き返すべきだと繰り返した。

 必要なのは今後についての話し合いで、女については一度忘れるしかない。

 言葉を変えて何度も話したが、ホロガンの歩みは止まらなかった。


「あの女はバジムをどこかに隠してやがるんだ。金を巻き上げるつもりかもしれねえ」

「バジム様は迷宮に」

「あいつが迷宮なんてわけのわからねえところに行く訳ねえだろう!」


 酔いの勢いのままに、ホロガンは東へ向かって進んでいく。

 歩いている間にあれこれ言っていたが、大きな通りに出た辺りで、本音がぽろりと顔を出していた。


「あの女に男の恐ろしさってもんを教え込んでやる。へへ、俺なしじゃ生きていけねえ体にしてやるんだよ。俺は女の体を知り尽くしてるからなあ」


 緩んだ口から下品な言葉を吐き出しながら、ホロガンは進んでいく。

 進んでいった先にはこじんまりとした家が並ぶ通りがあり、黒い石で出来たものが一軒だけあって、ひどく目立っていた。


「ここだったな、ダルツ」

「……やめましょう、ホロガンさん」


 勇気を出して止めたダルツは、殴られて通りへ吹っ飛んでいってしまう。


「おい、出てこい。女! 黒い肌のメス猫め、ホロガン・ウベーザが来てやったぞ!」


 何度激しく叩いても、応答はなし。

 ノッグも意を決して「留守にしているのでは」と口に出し、ダルツと仲良く並んで転げている。


「開けねえつもりか? ふざけるんじゃねえぞ、売女がよ!」


 中途半端な昼下がりの時間帯だからか、通りかかる者はいない。

 ホロガンを止められる者は居らず、質の悪い酔っ払いのせいで、黒い家の扉は壊され、蹴り破られてしまった。


「なんてこった」

 ダルツが呟き、二人で力を合わせて立ち上がる。

 また弁償の話が増えたと考えつつ、どうか留守でありますようにと、祈るような気持ちで後を追う。


 すると家の中には、恐ろしいほど美しい女がいた。

 テーブルと椅子が置かれただけの簡素な室内にひとり、蠱惑的な青紫を輝かせた女が、酷く冷たい目をして立っている。


「おう、いやがったな。……へへ、髭の野郎はいねえのか」


 ホロガンは勝ち誇ったように笑い、テーブルに手をかけひっくり返している。


 美女は微動だにせず、視線を客に向けたまま。

 

 酔っ払いはずんずんと進んで、女の目の前で立ち止まった。

 後ろ姿に遮られ、ホロガンの表情も女の姿も見えなくなっている。


 だが、声は聞こえた。


「貴様ら」


 視線と同じくらい冷ややかな声は、ノッグの胸に強い不安をもたらしていく。


「いつもならば警告は二度してやるが、虫の居所が悪くてな。だから、この一度だけだ。今日は容赦ができん。酷い目に遭いたくなければ、すぐに出ていけ」


 こんな強気な発言を、ホロガンは冗談だとか強がりとして受け取ったようだ。

 品のない笑い声の後に、布を裂くような音が聞こえてきたから。


 暗い色の長いローブを引き裂いたのだろう。

 白昼堂々、他人の家の扉を壊して押し入り、暴行まで働くつもりとは。


 呆れと諦めと、一抹の期待が入り混じる。

 二人が話した通り、黒い肌の女は恐ろしく美しかったから。

 あの冴えない服の下にどれほどの艶めかしさを隠しているのか。

 見たくないと言えば嘘になる。


 体の奥の疼きに堪えられず、ノッグは小さく唸っていた。

 その僅かな、ほんの一瞬の間に。

 景色は変わって、なにもかもが白く染まっていた。


「……え?」


 気を失ったのかと思っていた。誰かに殴られた、例えば、件の髭の戦士が戻って来て狼藉者を成敗したとか、そんなことが起きたのではと感じていたけれど。


 目の前にホロガンが立っているし、振り返ればダルツの姿も見える。

 けれど二人以外はなにもかもが白に染まっていて、理解ができない。

 あまりに異様な光景で、女がいないと叫ばれるまで、動けないままだった。


「どうなってやがる」


 おい、と声をかけられても、わからない。

 頭を働かせたくても、白に圧倒されてしまって、うまくいかなかった。


「どうしてこんなに真っ白なんだ」


 同じ言葉を繰り返しながら、ホロガンはうろうろと歩き始めていた。

 何歩か進んだところで急に鋭い音が響いて、唸り声がして、それでようやくノッグは、自分たちがどこにいるのか理解することができた。


「迷宮だ」


 ホロガンの肩には矢のような物が刺さっている。

 

「迷宮だと?」


 怒りのままに矢が引き抜かれ、血が飛び散って、床の形が浮かび上がっていた。

 朝、聞かされた話。雲の神官長の穏やかな声が脳裏に蘇り、ここは「白」の迷宮なのだとノッグはようやく気が付いていた。


 一気に血の気が引いていく。

 なにもかもすべて、聞かされていたのに。

 バジムたちが足を踏み入れたところは、「白」の迷宮であり、探索の経験がない者が足を踏み入れて良い場所ではないと。

 食料も地図も、武器も持たずに行って、帰って来られるところではない。

 それに。

 バジムが女神と呼んでいた黒い肌の女は、魔術師だと、雲の神官は言った。


「あの女、どこに隠れてやがる……。おい、行くぞ」

「行くって」

「こんなところでもたもたしてられねえだろう!」

 ホロガンは怒鳴り、ダルツはこくこくと頷いている。

「そう、ですね。そうです。はやいとこ街へ戻りましょう」


 行くぞと声をかけられ、ノッグは呆然としたまま二人の背中を追った。

 自分だけが耳にした不吉な言葉の数々を、なにひとつ口に出来ないまま。


 ホロガンは尖った棒を手に、血を流したまま進んでいく。

 別れ道をあてずっぽうに右へ左へ歩いていると、きいきいと鳴き声が聞こえてきて、街で見かけるものよりもずっと大きな鼠の化け物が道を塞いでいた。


「まさか、迷宮に出るっていう」

「しゃらくせえ!」


 足に噛みつかれながら、ホロガンは棒を振り下ろして鼠と戦ってみせた。

 ちょろちょろと動き回る小動物相手に苦労はしたものの、見事に勝利を収め、通路の上に死骸を転がしている。


「さすがです、ホロガンさん」


 ダルツは勇者を褒め称え、すごい、強いと繰り返した。

 確かにこの異様な状況で怯えた様子も見せず、暴れ続けられるのは尋常ではないとノッグも思う。


「行くぞ」

「はい、あ、そうだ。探索の話を思い出したんですよ、少しなんですが」


 迷宮は入口から入って、下に向かって進んでいくものだとダルツは言う。

 だから上に続く階段を見つければ、出口に辿り着けるはずだと。

 なるほど、簡単じゃねえか。

 ホロガンは豪快に笑ったが、その次の瞬間、三人の体は宙に投げ出されていた。

 無様な態勢のまま床に強く打ち付けられ、体中が痛くてたまらない。


「くそう、なにが起きた」

「……下に落ちたような気がします」

「そんなのはわかってんだよ!」


 何故「落ちた」のかわからないまま、三人の旅は続いた。

 迷宮は名前の通り、迷いの道。

 自分たちが何層にいるのか、どの地点にいるのか、知る術もなく彷徨い、何度も戦いの渦に放り込まれ。


 三人は皆傷だらけで、足を引きずりながら、あてどなく歩き続けていた。


 ゲルカに伝えられた重要な情報は結局、伝えられないままだ。

 今更言ったところでどうにもならないし、ホロガンを怒らせるだけだろうから。

 ノッグはなんとか迷宮の道を歩き通す術がないか辺りの様子を見つめているが、なにもわからない。


 探索について知らないから。役に立つ物など、持っていないから。


 だからなにひとつ、理解できることなどない。


 ホロガンが持っていた棒も折れてしまい、もう用を為さなくなっている。

 戦いはうまくいかなくなり、三人はみんな血だらけになって、揃いの赤いボロを纏ってまだ歩き続けていた。


「へへへ……」


 ふいに笑い出したダルツに、やめろとホロガンが怒鳴りつけている。

 

「ふへへへ」

「気色悪い笑い方をするんじゃねえ!」


 ダルツは殴り飛ばされ、通路の先で倒れた。

 どうしてなのかノッグにはわからないが、爆発が起き、断末魔の悲鳴が響き渡っていく。

 赤に染まっていたはずがすべて真っ黒に焼け焦げて、同僚はもう動かない。


「行くぞ」


 悲しんでいる暇もない。いや、悲しいかどうかすらわからない。

 絶望しか残っていなかった。

 ノッグを満たしているのは、迷宮の色とは真逆の闇ばかり。


 ここからはもう出られない。バジムと同じ、ザグやジュエットのように、迷宮に行ったまま二度と地上には帰れない。

 劇場の再建は叶わない。支配人になる夢も、泡のように弾けて消えた。

 歌姫が天使の声を響かせ、少女たちが舞い踊る舞台が好きで、劇場で働こうと決めたのに。

 あの選択が間違っていたのだろうか。

 やれると思ったし、うまくいきかけていたのに。

 朝、一人で出かけなければ、こんな風にならずに済んだのだろうか。

 もっと早く、ホロガンの戻りが遅いと気付いていたら?

 黒い肌の女の警告を、もっと真剣に受け止めていれば。

 まともに怖れを抱けば良かったのか。


 後悔の深い淵でノッグが溺れている間に、ホロガンに異変が起きていた。

 呼吸は浅くなり、全身からしたたる血の量が増えている。

 進む度にびちゃりと音が鳴り、床には大きな赤い足跡が残っていた。

 不快な音は不吉極まりない響きで、ホロガンがゆっくりと倒れて動かなくなっても、ノッグに驚きはなかった。


「申し訳ありませんでした、魔術師様。どうか、どうか許して下さい。できることなら、なんだってしますから……」


 ひとりぼっちになっても、ノッグは歩いていた。

 そうする以外になにもできないから、黒い肌の魔術師に許してほしいと願いながら、白い道をひたすらに歩き続けている。


 ホロガンのように勇敢に戦うこともできず、ダルツのように正気を失うこともできぬまま。

 苦しい迷宮の道を、たった一人で。


 諦めずに耐え忍んでいると、通路の先に、これまでとは違う物が見えた。


「あれはなんだ?」


 答えてくれる者はおらず、自分で確認するしかない。

 痛みに苛まれながらも進んでいった先にあったのは、上の階へと続く階段で、ノッグは涙を流していた。


「ああ、上に向かう階段だ。やったな、ダルツ」


 一段一段、のろのろと。

 傷だらけの足を引きずりながら、ノッグは進む。

 階段の先に見えたのはまたも白ばかりの光景だったが、途中で「落ちた」のだから当たり前だと考え、笑う。


「もう一度上がらなきゃならないんだな。はは。そうか。迷宮には落とし穴があるって、聞いたような気がするよ」


 荒く息を吐きながら大きな独り言を口にして。

 ウベーザ劇場の支配人になるべく、ノッグは歩く。


 命を削りながら、心の均衡を失いながら。


 迫りくる死を真正面から見つめるのだけはどうしても嫌で、白の中に希望を見出そうと藻掻いている。


「ザグ、ジュエット、どこにいるんだ」


 もしかしたら、バジムの傍に寄り添っているのかもしれない。

 この迷宮のどこかで、今もまだ。

 帰っていないからといって、死んだとは限らないのだから。

 ザグもジュエットも異常な忠誠心を持っていて、バジムによく仕えていた。


「物好きだよな、ジュエットは。お前みたいな年増なんかにゃ目もくれないぞ、バジム様は」


 なんといっても若い、初心な娘が好きだから。

 まるで相手にされていないのに、バジムを一心に思い続ける年増女を哀れに思っていたけれど。


「いい女じゃねえか……。こんなおっかないところまで、ちゃんと付き合ってくれるんだから」


 ノッグが褒めたところで、喜んだりはしないだろう。

 それとも、少しくらいは頬を赤くして、可愛げのある台詞を言ったりするだろうか。


「ザグ、お前もたいした奴だよ。馬鹿だけど、気が良くて、明るくてさ……。俺は好きだぜ」


 能天気な大男の顔を思い出し、ノッグは微笑みを浮かべている。

 白ばかりだった景色はほんのりと色づき、柔らかな桃色に変化していた。


「ああ、もしかして、許してくれるんですか、魔術師様。バジム様も悪気はなかったんです……。ホロガンの奴は本当に申し訳なくて、なんと謝ったらいいのかわかりませんけど。壊した物はちゃんと、弁償、しますんで」


 女神よ、魔術師よ、どうかこのノッグに、僅かでも構いませんから。

 お慈悲をかけてくださいませんか――。


 どこかからきいきいと鳴き声が聞こえて来て、ノッグは慌てて通路を左へ曲がる。

 戦いから遠ざかる為に、声とは逆の方向を選んで、できる限り速く、痛む足を動かして。


「あれ」


 小さな驚いたような声は、自分のもののようで、そうではない。

 ノッグが顔をあげると、通路の先に大きな影があり、急いで進む。


「まさか」


 白い通路の上に、大きな体が横たわっていた。

 黒い服に身を包んだ長い髪の男、その死体は既に干からびているが、ノッグは満面の笑みで名前を呼んだ。


「ザグ、良かった。無事だったんだな」

「ノッグの旦那! バジム様はここにいますよ」


 気の抜けた明るい声に導かれ、ノッグはふらふらとそばに落ちていた首を拾い上げた。


「バジム様……、やっと会えました!」

「ノッグ、よく来てくれた」


 首だけになったバジムにはもう目も鼻もないが、ジュエットも一緒だとノッグに笑いかけている。


「どこです」

「ほら、そこに」


 確かにもう一人分、死体が並んでいた。

 白い服を染めた血は既に黒く変色していて、双子の兄弟の姿を近しいものに変えている。


「ああ、よかった。雲の神官が嫌なことばかり言うもんで、あたしらは本当に不安だったんですよ」

「苦労をかけたようだな」

「ホロガンさんがバジム様の代わりになるって、ついてきて」

「それは大変だっただろう。お前の働きはしっかりと、父に伝えさせてもらう」

「ありがとうございます!」


 諦めずに頑張って良かった。

 首だけになったバジムを胸に抱くと、目に映る景色がみるみる赤く染まり始めて、ノッグはほっと息を吐いていた。


「ああ、夕焼けだ。見て下さいよ、バジム様。ジュエット、ザグも」


 子供の頃、山に落ちていく夕陽の輝きを見るのが好きだった。

 黄金のような煌めきが、夜の闇に飲まれる前に一際強く放たれる光が、なによりも好きだった。


「きれいだなあ……。ちゃんと見ててくださいよ、急に夜になっちまいますから。あんなに眩しいのに、ぱって消えてしまうんですよ」


 それがまた、いいんですけどね。

 ノッグは呟き、またふっと笑った。


 夜が訪れたら家に戻って、家族みんなで食卓を囲む。

 幸せな子供時代に帰り着き、ノッグは幸せな気分のままに目を閉じた。


 そのうち迷宮の果てに連れ去られ、跡形もなく消えてしまうなどと、知る由もなく。




 ☆




「ああ、なんてことだ」


 連絡を受けてすぐに動き出したのに。

 キーレイ・リシュラは馴染みの魔術師の黒い家が扉を失っていることに一目で気付き、思わず息を漏らしていた。


 ニーロの家の周辺には野次馬が大勢集まって、地面に伏せた扉の残骸を指さし、ひそひそと言葉を交わしている。

 神官長はいくつもの視線を浴びながら黒い家の中を覗き込み、ひっくり返ったテーブルの傍に佇む魔術師を見つけていた。


「ロウラン、無事ですか」

「おお、キーレイ。見ればわかるだろう、御覧の通りだよ」


 見てわかるのは、扉が使い物にならなくなったであろうことだけ。

 ニーロとウィルフレドの姿はなく、留守にしていてまだ戻っていないのだろう。


「雲の神殿から知らせを受けました。劇場の関係者がやって来て支配人の行方を捜しているのだと」


 白い衣の神官は困った顔をして、関係者の中に暴力的な人物がいて、なにをしでかすかわからないとも話していた。

 ロウランにも接触を図る可能性があるというのがゲルカからの伝言で、神官長の不安はまんまと的中してしまったようだ。


「ウベーザを名乗る男ならばやって来た」

「彼らが扉を破ったのですか」

「ああ。勝手に中に入ってきて、怒鳴り散らしていたよ」

 キーレイが視線を向けると、ロウランは肩をすくめてこう答えた。

「ああいう手合いは無視するに限る。俺は二階で息を殺して、隠れていた」

「会ってはいないのですか」

「話などないからな。支配人を出せと喚いていたが、あの男の行方など知らん」


 ロウランがこう話したところで、入口から声がかかった。


「リシュラ神官長。それに、魔術師ロウラン」

 現れたのは迷宮調査団の一員、ヘイリー・ダングで、街中でロウランの行方を捜しまわる不審な乱暴者について知らせを受け、様子を見にやって来たと話している。


「相変わらず仕事熱心なのだな。心配ない。俺はこの通り、なんともない」

「あの男らは?」

「さあな。暴れていたのは一人だけで、止めるような声も聞こえたよ。中も少し荒らされたが、それで帰っていったのではないかな」

「そうでしたか。……わかりました、私は劇場を訪ねてみます。なにかあればいつでもお知らせ下さい」


 ヘイリーは頭を下げるとあっという間に去っていってしまった。

 誠実な働きぶりを見せる若者の身が守られるよう、キーレイは祈りを捧げながら後ろ姿を見送っている。


「ところでキーレイ」


 ロウランは相変わらずテーブルの傍らに立っている。

 今日はどこか冷たい顔をしており、キーレイを見る目も鋭いように感じられた。


「なんでしょうか」

「あの紫色の屋敷をどうするか、もう決まったのか」


 まっすぐに視線を向けられて、体の芯がぶるりと震えた。

 自分が何故そんな反応をしているのか考えながら、キーレイは答えを口にしていく。


「二階に広いスペースがあるとわかったので、そこは会議場に、一階は宿泊や滞在の為に使おうという話でまとまりました」

「ほう、有用な使い道が見つかったのだな」


 魔術師の唇は笑った形に変わったものの、視線はずっと冷ややかなまま、キーレイ・リシュラを捕らえて離さない。

 樹木の神官長は指を祈りの形に組みながら、もうひとつの決定事項について魔術師に話した。


「地下も含めて、庭に魔術研究の為の施設を設けることも決まっています」


 もっとすんなりと上下を行き来できるように改良し、そう大きくはできないが、新たに建物を用意すると決まっていた。

 ミンゲが発見してくれたおかげで資金は充分にあり、屋敷の中も使いやすいよう改装しようと話はまとまっている。


「魔術研究の為の施設?」

「ええ。あの地下部分は特別な場所のようなので」

「俺も使える?」

「勿論です」


 屋敷に隠された地下の扱いについて交渉したのは、ロウランが手に入れた鍵の存在を無視できなかったからだ。

 単純にあの場所が特別だと思えたからでもある。

 捨て置いて良いとは思えないと話し、「魔術師たちの為の」研究所にしようと決まった。


 キーレイの話に魔術師の顔はみるみる緩んで、これまでに見たことのない美しい笑みを浮かべていた。


「そうか……。とても嬉しく思うぞ、キーレイ・リシュラ」

「そうですか」

「あんな禍々しい屋敷は取り壊し、地下も埋めてしまうのではと思っていた」

 とうとう声を出して「ふふ」と笑い、ロウランは独り言のようにこう呟いている。

「もっと早く知っていればな」


 言葉はそこで途切れて、続きはない。

 魔術師の囁きには意味がありそうだが、キーレイにはなんの話かわからない。

 ロウランの機嫌はすっかり良くなったようで、なぜだかほっとしながら、次にするべきことについて決めていく。


「ニーロはまだ戻らないでしょうか」

「どうだろうな」

「扉の修繕をしなければ。ロウラン、留守を頼んで大丈夫ですか」

「構わんよ」


 世話をかけて悪いなと、魔術師は余裕の笑みを見せている。

 小柄な女性に見えても、ロウランはかなりの強者であり、暴漢が来たところで敵わないだろう。



 ニーロを待っても、お願いしますと言われるだけだろうから。

 キーレイはそう考えて、足早に馴染みの業者のもとへ向かい、黒い家の修理の手配を済ませた。

 

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