第9話 価値より命を選ぶ
「識別札と中身が違う。予定外の超重量物が混在しているぞ。これは一体、何の荷だ?」
旧昇降坑の地下荷捌場に朔の鋭い声が響いた。
秤の上に置いた古い木箱の隙間から、鈍く黒光りする高密度の金属が顔を覗かせていた。木箱にくくりつけられた色褪せた識別札には、『軽量魔鉱石・第三種』と手書きされている。だが、どう見てもそれは軽量の魔鉱石などではない。
依頼主である北浜資源工業の現場担当者は、その黒光りする金属を見た瞬間、驚愕に目を見開き、次いで歓喜の色を顔に浮かべた。
「こ、これは……特級のレアメタルじゃないか! 二十年前の一時閉山時に、どさくさに紛れて持ち出せなかったという噂は本当だったんだ!」
「レアメタルだと?」
「そうです! 梶谷さん、これは信じられないくらいの価値がありますよ。他のクズ鉱石なんてどうでもいい、まずはこれを最優先で引き上げましょう。まだ地下に同じケースがいくつかあるはずだ。工期を巻いて、全部一括で一気に昇降機に載せて引き上げてください!」
興奮で早口になる担当者の言葉を、しかし隣にいた冬佳が冷たく遮った。
「不可能です」
冬佳は手元の計測モニターを指差した。
「搬送前に計量した値です。このケースは一つで、今回認められた一便の使用荷重を超えています。鉱石の識別札ではなく、秤の数字で扱ってください」
冬佳は昇降カゴへ進む動線を塞ぎ、ケースに搬送禁止の札を付けた。
「案内部を直しても、巻上機やワイヤーの許容荷重が増えるわけではありません。この荷だけは、別の方法が必要です」
「だが、価値が違うんだ! これは会社にとって社運を分けるほどの――」
「荷物の市場価値と、重力は無関係だ」
朔は担当者の言葉をぴしゃりと切り捨て、昇降カゴのロックを手動で掛けた。
「計量した重量が一便の使用荷重を超えている以上、この箱を積むことはできない。この荷をカゴへ入れず、中身を安全に分けられるか調べる。できなければ、今回の搬送から切り離す」
「そんな悠長なことをしている暇はない! ここは危険区域なんだぞ、時間が経てばまた魔物が湧いてくるかもしれないんだ!」
「だからこそ、事故を起こさない安全な手順を踏むんだ。ワイヤーが切れて荷物が落ちれば、回収すらできなくなるぞ」
朔が台車を用意し、超重量のケースを秤から安全な置き場へ移す段取りを組もうとした、まさにその時だった。
ズズンッ……!
地中深くから、腹の底を揺らすような低い地鳴りが響いた。
同時に、朔の腰に下げた環境計測器がけたたましい警告音を鳴らし始める。魔力圧の異常上昇を示す赤いランプが点滅していた。
『――梶谷! 聞こえるか!』
朔の襟元の通信機から、周辺警戒のために外注していた独立護衛班の切羽詰まった声が飛び込んできた。
「聞こえている。魔力圧が跳ね上がったな」
『旧坑道の奥から、想定外の大型魔物が複数こちらへ向かっている。討伐済みのボスの残滓に引き寄せられたらしい。俺たちだけじゃこの防衛線は維持しきれん。五分以内にそちらへ到達するぞ!』
「了解した。防衛線を放棄し、そっちも直ちに退避しろ」
朔は通信を切ると、即座に振り返った。
「状況が変わった。予定作業を全て中止する。全員、直ちに荷物を置いて規定の安全区域まで撤退するぞ!」
その言葉に、現場担当者が血相を変えて朔の腕を掴んだ。
「ま、待ってくれ! 退避するにしても、せめてあのレアメタルのケースだけでも持って逃げてくれ! 置いていって魔物に壊されたらどうするんだ!」
「持てない」
朔は担当者の手を振り払った。
「あれは一つで百キロ近い。人力で素早く運べる重さじゃない。台車を使ってもこの起伏のある脱出路では足手まといになるだけだ」
「なら、そっちの彼女の魔法で空中に浮かせて――」
「三十キロが上限です。この箱は対象外です。八秒持てば運べる、という話でもありません」
冬佳がきっぱりと拒絶する。
「そ、そんな……価値が、数億円の価値があるかもしれないんだぞ!」
「数億円だろうが、命の重さには及ばない。価値より命を選ぶ。それが現場の絶対原則だ。置いていくぞ!」
朔は未練たらたらな担当者の背中を力強く押し、出口へ向かって走り出した。
「澪!」
走りながら朔が叫ぶと、最後尾を固めていた澪が、すでにタブレットを両手でしっかりと構えていた。
「保存しました。移動中の入力はやめます!」
澪は端末を胸の固定具に収めた。退避前に荷重値と残置場所を撮り、十四時二十二分の中止時刻を残してある。走りながらは、前にいる人間の数だけを数えた。
「五人、揃っています。護衛班は別出口へ退避中です!」
「よくやった!」
「早く、走れ!」
慧が前方を先導し、安全な坑道外のゲートへ向かって駆け抜ける。
五人が分厚い防護ゲートを抜け、外光の射す安全区域へと転がり込んだ直後だった。
背後の旧昇降坑の奥深くから、耳をつんざくような獣の咆哮と、金属がへし折られる凄まじい轟音が響き渡った。
もしあの時、担当者の言う通りに重いケースを抱えて逃げようとしていたら。
もしあの時、無理に昇降機を動かしてワイヤーが切断されていたら。
間違いなく、全員が魔物の餌食になるか、崩落する設備の下敷きになっていた。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
冬佳が膝に手をついて荒い息を吐き、慧がへたり込む。澪はタブレットを胸に抱きしめながら、全員が無事であることに安堵の涙を浮かべていた。
朔は乱れた呼吸を整えながら、地面に座り込んで震えている現場担当者を見下ろした。
「……怪我はないな」
「あ、ああ……助かった。あんたが強引に引っ張ってくれなかったら、死んでいた……」
担当者は青ざめた顔で朔を見上げ、震える声で感謝を口にした。
だが、その安堵は数秒しか持たなかった。
彼は坑道の奥から響く破壊音を聞き、自分たちが「何を置いてきたか」を思い出したように顔を歪ませた。
「助けてもらったことには感謝する。あんたの判断は、命を守るためには正しかった……」
担当者はよろよろと立ち上がり、絶望的な声で言った。
「残置した荷の写真と重量を、上に説明しなければならない。分割搬送の変更は通っているが、検収の一覧にはまだ全量が載ったままなんだ」
「搬送方法の変更と、回収対象を減らす変更は別だな」
朔は頷いた。命が助かったことだけで、全量回収を完了したとは言えない。
「運べた分と、残った分を分けて報告する。検収担当も交えて話そう」
秋風が吹き抜ける安全区域で、命を守った正しい判断が、冷酷な契約と報酬未払いという現実の壁に直面していた。




