第10話 契約を書き直す
旧昇降坑での緊急退避から三日後のD19。
北浜資源工業のオフィスにある無機質な会議室で、梶谷朔は二人の男と対峙していた。一人は現場で腰を抜かしていた担当者。もう一人は彼の上司に当たる、恰幅の良い管理職だ。
「――梶谷さん。あなたがたが現場で危険な目に遭ったことは理解しています。ですが、契約は契約です」
管理職の男が、テーブルの上で両手を組みながら重々しく口を開いた。
「分割搬送への変更は承認しています。ただ、契約対象は地下にある貨物の全量のままです。しかしあなたがたは、最も価値の高い特級レアメタルのケースを地下に置き去りにして帰ってきた。これでは契約未達です。着手金はお支払いしますが、完了の成果報酬を全額出すわけにはいきません」
現場担当者が、気まずそうに目を逸らす。
朔は薄い疲労の張り付いた表情を一切崩さず、手元のタブレットをテーブルの中央へ滑らせた。
「回収対象の前提となっていた、そちらからの事前情報です」
タブレットの画面には、依頼時に提示された貨物リストと、現場で澪が撮影した特級レアメタルの入ったケースの写真が並んで表示されていた。
「ケースには『軽量魔鉱石・第三種』という古い識別札が付いていました。しかし中身は超重量のレアメタル。事前情報と実物の質量が根本的に乖離していました」
「それは……数十年前の閉山時に起きた混乱のせいで、札が掛け違っていたんでしょう。不可抗力です」
「不可抗力で済む重量ではありませんでした」
朔は画面をスワイプし、次のデータを表示した。
「これは、積み込む前の計量記録です。使用を認められた一便の荷重を、このケース一つで超えていました。予定表に載っていても、そのまま運ぶことはできません」
画面には、秤の数字と搬送禁止の札が並んで写っていた。
「すでに回収した二便は、重量も受領数も照合済みです。残置したケースは別の回収方法が決まるまで区分して、所在地と状態を御社へ引き継ぎます」
管理職の男の顔から、余裕がスッと消えた。
「加えて、当時の環境計測器の魔力圧異常上昇のデータと、護衛班からの撤退勧告の音声記録もタイムスタンプ付きで揃っています」
澪が事細かに記録したデータ群。それは、朔たちの行動がパニックによる逃亡ではなく、規定の安全基準に基づいた正当な作業停止と退避であったことを、疑いようもなく証明していた。
「……」
「事前の荷重情報と現物の不一致。そして、予見不可能な魔物の襲撃。我々の判断は、御社の昇降機設備と、現場の人命を守るための最適解でした」
朔はタブレットを回収し、代わりに一枚の書類を突きつけた。
「残された超重量貨物は、今回の契約対象から明示的に除外します。あれの回収には別の重機と安全計画が必要です。別途、再契約という形にしましょう。その代わり、安全に分割輸送できた軽量魔鉱石の部分に関しては、契約を履行したものとして部分検収とし、規定の対価をお支払いいただきます」
冷徹な事実とデータの前に、北浜側の二人は反論の言葉を持たなかった。
沈黙が会議室を支配する。やがて、管理職の男は深く息を吐き出し、朔が提示した契約変更の合意書にペンを走らせた。
「……分かりました。あなたの報告書の正当性を認めます。回収済みの貨物で部分検収とし、報酬を支払いましょう」
「賢明なご判断、感謝します。残置物の回収計画については、また後日ご相談に乗りますよ」
朔は合意書をファイルに収め、短く頭を下げて会議室を後にした。
霞浜市内にある『合同会社 継路』の事務所に戻ると、澪と冬佳がデスクで待機していた。
「朔さん、お疲れ様です。交渉、どうでしたか……?」
不安そうに尋ねる澪に、朔は手にしたファイルを軽く振って見せた。
「変更合意と検収が下りた。残置した荷物は対象外として切り離し、回収した分の報酬が振り込まれる」
「よ、よかったぁ……!」
澪が胸をなでおろす。成果報酬が遅れても賃金と外注費の原資は確保してある。それでも、次の工具を買う資金を失わずに済んだことは大きかった。
朔は冬佳の前に歩み寄り、一つの封筒を置いた。
「霧島さん。今回の外注費と、規定の危険手当だ」
「確認しました。ありがとうございます」
冬佳は中身を確かめ、小さく頭を下げた。外注としての仕事はこれで終わりだ。彼女は工具帯を外し、帰り支度を始めようとした。
「霧島さん」
朔が声をかける。
「君の《仮固定》がなければ、あの八秒の施工は不可能だった。そして何より、君が古い書類の数字ではなく、現場の実測値で過荷重を指摘してくれたおかげで、俺たちは事故を防ぎ、こうして正当な対価を勝ち取ることができた」
朔は封筒の隣に、もう一枚の書類を置いた。
「単発の外注ではなく、正式な継続契約を結びたい。君の施工品質へのこだわりと、安全を重んじる技術者としての態度は、うちの会社に必要だ」
冬佳は、置かれた継続契約書と朔の顔を交互に見つめた。
元請けの圧力に屈せず、利益よりも仲間の命と安全基準を選んだ現場監督。その姿勢は、冬佳が理想とする技術者のあり方と完全に一致していた。
「……いいんですか? 私は現場で、元請けの担当者に平気で逆らうような生意気な技師ですよ」
「技術的な根拠がある反論なら大歓迎だ。俺は計画を過信しがちだからな。現場からの例外情報の指摘は、いくらでもしてくれて構わない」
冬佳の口元がほころんだ。
「梶谷さんがそう言うなら。……よろしくお願いします。長く安全に使える設備を、一緒に作りましょう」
彼女は迷いなくペンを取り、継続契約書にサインを書き入れた。
澪がパチパチと嬉しそうに拍手をする。
「さて、これでうちは俺を含めて四人体制になった。今回の利益の使い道だが」
朔は事務所のホワイトボードの前に立ち、マーカーを取った。
「代表の懐に入れて贅沢をする気はない。全て設備投資と会社の基盤強化に回す」
ホワイトボードに『整備工具の拡充』『予備の安全帯と保護具の更新』『精密計測機器の導入』といった項目が次々と書き出されていく。
「魔物と戦うための武器は買わない。だが、現場を安全に終わらせるための道具は必要性と資金を見て揃える。それに、万が一の事故に備えた休業補償の原資も、少しずつだが積み立てていく」
朔の言葉に、澪も冬佳も深く頷いた。
その日の午後。
一息ついた事務所の端末に、探索ギルドから新たな案件の打診が届いた。
「今度の発注者は『霞浜物流協議会』か。場所は……近郊の『動態回廊』」
朔がモニターに表示された依頼内容を読み上げる。
「先行した探索隊が魔物を一掃し、回廊の奥までの走破には成功した。だが、翌日には物資を運ぶ輸送隊が迷子になってしまい、安全な経路として納品できずにいるらしい」
「道に迷う? 迷宮の通路なんて、一本道か分岐があるくらいじゃないんですか?」
澪が首を傾げると、朔は送られてきた資料の特記事項を指差した。
「動態回廊は特殊な地形変動を起こすダンジョンだ。概ね夜間になると、一部の連絡路が数時間かけて接続先を変えてしまう。昨日通れた道が、今日通れるとは限らない」
「ええっ、道が動くんですか!?」
「ああ。だから、単なる一過性の『走破』じゃ物流には使えない。『翌日も再現できる恒久的な安全経路』を確立し、標識を設置して納品するのが今回の合格条件だ」
朔は添付されていた動態回廊の図面を開いた。
だが、その図面を見た瞬間、朔は眉をひそめた。
「……ダメだな。この案内図、日付が古すぎる。最近の地形変動が全く反映されていない」
ただでさえ動く迷宮に、古い地図。これではいくら慧の反響測位があっても、どこが安全な基準点なのか分からない。
「最新の案内図がない現場に、図面だけを頼りに突っ込むのは自殺行為だ。……地図が読めて、実際に道を現認できる案内人が必要だな」
朔が呟く。
水門、昇降機とクリアしてきた継路の前に、『動く迷宮』という新たな難題が待ち受けていた。




