第7話 重さは数字で決まる
旧昇降坑の内部は、ひんやりとした空気に機械油とカビの匂いが混ざっていた。
作業開始から二日後のD11。梶谷朔、霧島冬佳、早瀬慧の三人は、薄暗い昇降装置の点検帯に立ち、巨大なレールと巻き上げ機を検分していた。
「何度計算しても同じです。依頼主の要望は呑めません」
冬佳がクリップボードの書類をペン先で叩きながら、苛立たしげに言った。
「北浜資源工業は、地下に残された魔鉱石ケースを一括で引き上げることを要求しています。ですが、先日確認した通り、この昇降機の記録は古すぎる。魔物討伐時の衝撃の影響もある。図面上の『最大積載量』をそのまま信じて一度に全量を載せれば、巻き上げ機かレールが破断する確率が極めて高いです」
「ああ、同感だ。だからこそ、今日ここで実測を行う」
朔はヘルメットの顎紐を締め直し、手元のタブレットを起動した。
「早瀬、頼む。昇降路の内部、お前の測位が届く二十メートルの範囲で、レールの歪みと構造の異常を探ってくれ」
「了解です。音、出します」
慧は聴覚保護具を耳に当て、点検帯の手すりを金属のレンチで鋭く叩いた。
カンッ、カンッ。
無機質な打音が、縦に伸びる坑道の奥深くへと吸い込まれていく。慧は目を閉じ、跳ね返ってくる反響音の微細なズレを脳内で処理していった。魔力ノイズがあろうと、物理的な音波は硬い構造物の形を正確に浮き彫りにする。
「……下方に三メートル。レールを支える第三ブラケットのあたりで、音の反発に妙なブレがあります。金属が歪んでいるか、ボルトが緩んで隙間ができている音です」
「分かった。霧島さん、測定を」
「行きます」
冬佳は安全帯のフックを命綱のワイヤーに掛け、身軽な動作で点検用の足場を降りていった。
彼女は《仮固定》という魔法を持っているが、ここでは一切使わない。腰の工具帯からノギスとマイクロメーターを取り出し、慧が指定した第三ブラケットの接合部に当てて、現物の金属の摩耗量をミリ単位で正確に測り出していく。
数分後、冬佳が足場を登って戻ってきた。その表情は険しい。
「早瀬さんの言う通りでした。ブラケットの基部が歪み、レールの厚みも許容範囲を超えて摩耗しています。過去のずさんな過積載の蓄積でしょう。このまま使うことはできません。案内部を交換した上で、所有者の設備責任者にも使用荷重の再判定を依頼しましょう」
「数字を出してくれ」
冬佳が読み上げた実測値を、朔がタブレットに入力していく。巻上機とワイヤーの別点検記録も合わせ、所有者の設備責任者が使用を認めた制限荷重は、回収予定の総重量を下回った。傷んだままの運転を認めた数字ではない。案内部の修理と、所定の試験を通すことが条件だった。
「やはりな。一括搬出は物理的に不可能だ」
朔は迷うことなく、搬出計画の修正案を作成し始めた。
「ケースを小分けにし、三回に分割して搬送する案に変更する。これならワイヤーにもレールにも致命的な負荷はかからない」
数十分後。プレハブの準備室に戻った朔は、通信機越しに北浜資源工業の現場担当者と対峙していた。
『分割搬送案? 困りますよ、梶谷さん』
スピーカーから響く担当者の声は、明らかな不満を帯びていた。
『現場の安全が第一なのは分かりますが、引き上げ回数が三倍になれば、それだけ工期も人件費もかさむ。こちらは予算が限られているんです。そっちには魔法を使える設備技師がいるんでしょう? 魔法で荷物を軽くするとか、レールを補強するとか、どうにか一回で済ませられないんですか』
魔法という言葉に対する、都合の良い万能感。
横で聞いていた冬佳の眉がピクリと跳ね上がり、慧が気まずそうに俯いた。だが、朔の声は氷のように冷たく、揺るぎなかった。
「不可能です。魔法で質量の数字をごまかすことはできません。重力は平等に働きます」
『ですが、そこを何とかするのがプロでしょう? 前の工事業者は図面通りにできると言っていましたよ』
「なら、その業者を呼び戻せばいい。俺たちは実測した数字しか信じない」
朔は手元の資料を叩き、はっきりと告げた。
「図面上の数字ではなく、現場で実測した摩耗量が真実です。一括で引き上げれば、過荷重でレールが破断し、荷物も昇降機も完全に失われる。分割搬送に伴う工期延長と安全条件を契約書に追記し、合意を頂けない限り、うちはこれ以上の着工をお断りします」
通信機の向こうで、担当者が絶句する気配が伝わってきた。
『……分かりました。上に掛け合って、契約の修正を通します。ですが、レール案内部の部品交換は今日中に終わらせてくださいよ』
「書面の合意を確認してから再開します。部品が現物に合わなければ、その時点で止めます」
朔が通信を切ると、準備室に静寂が下りた。
「……梶谷さん」
冬佳が、少しだけ驚いたような目で朔を見ていた。
「依頼主の要望を突っぱねて、契約を書き換えさせるなんて。普通、元請けの機嫌を損ねるのを恐れて、現場に無理を押し付ける監督の方が多いのに」
「俺は自分が信じた安全基準を売る気はない」
朔はタブレットをしまい、工具箱へ向き直った。
「現場の最前線で実測した技術者の数字が、一番正しい。それだけのことだ。変更書面の到着を待とう。届いたら、部品の確認からだ、霧島さん」
朔の言葉に、冬佳の背筋がピンと伸びた。
「はい。任せてください。施工品質には妥協しません」
分割搬送と荷重制限を明記した変更書面を双方で確定してから、三人は必要な工具と、新しく調達した交換用のレール部品を台車に載せ、再び昇降機へと向かう。
空中で部品を八秒間だけ保持する《仮固定》。その短い時間内に朔がボルトを通し、恒久的な締結を行う。手順の打ち合わせは完璧だった。
だが、現場の点検帯に到着し、冬佳が新品の交換部品をメジャーで確認した瞬間、彼女の手が止まった。
「……梶谷さん」
冬佳の顔から、先ほどの自信がすっと消え失せ、厳しい技術者の顔に戻っていた。
「どうかしたか」
「この新品の交換部品……メーカーの既製寸法通りに作られていますが、現場の実寸とわずかにズレています」
「ズレ?」
「はい。長年の使用で昇降機側の土台が数ミリ歪んでいるせいで、この真っ直ぐな新品をそのまま当てはめても、ボルト穴の位置が合いません。このままではボルトが入りません」
討伐後の危険区域において、作業の遅れは命取りになる。
魔力ノイズが漂う薄暗い坑道の中で、新たな障害が三人の行く手を塞いでいた。




