第6話 八秒しか持たない工具
霞浜市郊外の山間部に位置する『旧昇降坑』。
北浜資源工業が保有するその古い採掘施設は、三日前に高ランクの戦闘クランが入り、巣食っていた魔物の討伐を完了させていた。しかし、現場の空気は決して明るくない。
プレハブの準備室に案内された梶谷朔と羽鳥澪の前に、北浜資源工業の現場担当者が疲労の色濃い顔で一枚の現場写真を置いた。
「魔物の討伐自体は終わったんです。ですが、ボスの巨体が暴れたせいで、採掘層から貨物を引き上げるための旧式昇降機がやられました。レール案内部の部品がひしゃげて、昇降カゴが途中で引っかかって動かない状態です」
「地下には、高価な魔鉱石のケースが残されたままということですね」
「ええ。早急に引き上げたいんですが……壊れた部品の交換作業が難航していまして」
担当者の言葉に、朔は写真と昇降機の図面を見比べた。
「重機やクレーンは入らない場所ですね。しかも高所で、足場が極端に狭い」
「その通りです。交換用の新しいレール部品は数十キロの重さがあります。不安定な高所の足場で、人間がその重い部品を抱え上げたまま、数ミリ単位でボルト穴の位置を合わせ、レンチで締め付ける……。何社かの工事業者に現場を見てもらいましたが、手作業では落下事故の危険が高すぎると断られました」
「物理的な支持点がない空中で、重量物の位置合わせを行うのは人力の限界を超えていますからね。業者の撤退判断は妥当です」
朔は図面に視線を落としたまま、手元のタブレットを開いた。
「ですが、方法はあります。そのために、専門の技術者を呼びました」
朔がそう言った直後、準備室の扉がノックされた。
「合同会社『継路』の梶谷さんですね。依頼を受けて参りました、設備技師の霧島です」
入ってきたのは、黒髪を後ろで低く束ねた女性だった。年齢は朔より少し下の二十代後半。身体にフィットした作業着の上に工具帯を締めているが、そこに収まっている大小のレンチやメジャーなどの工具類は、驚くほど整然と管理されていた。グリスの汚れ一つない手袋と、背筋の伸びた率直な立ち姿が、彼女の職人としての誇りを静かに物語っている。
「霧島冬佳さんだな。よく来てくれた」
朔がパイプ椅子を勧めると、冬佳は軽く会釈をしてから腰を下ろし、すぐにテーブルの上の図面へ視線を向けた。
「事前に送っていただいた現場の写真は確認しました。昇降機のレール案内部、支持ブラケットの交換ですね。足場が狭く、吊り具を掛ける場所もない」
「ああ。そこで、君の技能の出番だ。メールで確認したが、仕様を直接聞かせてほしい」
朔の問いに、冬佳は真っ直ぐに視線を返し、淡々と自分の能力の限界を口にした。
「私の能力《仮固定》は、空中の任意の位置に、対象物を保持させることができます。ただし、制限は厳しいです。対象は三十キロ以下の単一部品のみ。位置を保持できるのは、最大で八秒間だけです。それ以上の重さのものや、外から大きな荷重や衝撃が加われば、魔法は即座に破綻して部品は落下します」
朔は図面の上に、交換部品から既設の支持材へ矢印を引いた。
「交換用の部品はおよそ二十五キロ。位置を保持してもらい、その間に俺が二本のボルトを仮締めする。以後の荷重はボルトと支持材へ移す。この使い方ならどうだ」
冬佳はすぐには頷かなかった。矢印の途中、工具の位置へ指を置く。
「梶谷さん。この図では、片手でボルトを持ってからレンチに替えています。八秒で二本という見積もりに、その持ち替えは入っていますか」
朔のペンが止まった。
「まだだ。実際の足場で使う配置も決めていない」
「なら、八秒でできるとは言えません。保持は八秒が上限です。八秒いっぱいまで作業する計画では、穴が一度ずれただけで落とします」
同席していた北浜資源工業の担当者が、図面から顔を上げた。
「では、この方法も無理ですか」
「今の段取りでは、引き受けられません」
冬佳は朔へ向き直った。
「部品を外した後で手が足りないと分かっても、戻せません。先に工具を配置し、部品を落とさない措置を決めて、同じ手順を地上で試します。仮締めが済む時刻に余裕が出なければ、施工方法から見直してください」
「仮固定に渡す荷重も、交換部品の自重だけに限る。昇降カゴを支えさせるつもりはない。そこは、現物を見て確認してほしい」
「ええ。それなら、まず調べるところからです」
朔は「八秒で二本」と書いた箇所に線を引き、予行と荷重確認の欄を作った。
「調査と予行も外注範囲に入れる。施工は、その結果を見て確定する。条件を書き足してくれるか」
冬佳は差し出された作業票を受け取り、余白へ中止条件を書いた。澪は図面に残った修正の線を見てから、自分の記録にも同じ条件を入れた。
「外注費と保険の条件はこちらだ。調査だけで施工を見送った場合の費用も分けてある」
冬佳は契約書と作業票を並べ、双方を確かめてからサインをした。
「お受けします。まず、昇降機の仕様と保守記録から確認します」
「では、俺と澪で交換用のボルトと必要な工具をバンから下ろしてくる。霧島さんは、準備室にある資料で昇降機の仕様を再確認しておいてくれ」
「了解しました」
十数分後。朔と澪が工具箱を抱えてプレハブの準備室に戻ってくると、冬佳が壁に貼られていた古い書類の束を険しい顔で睨みつけていた。
「どうした、霧島さん」
朔が声を掛けると、冬佳は振り返り、手元にあった『回収貨物リスト』と、壁の書類を交互に指差した。
「梶谷さん。依頼主は、地下に残された高価な魔鉱石のケースを、一度の昇降で全量引き上げたいと希望していましたよね?」
「ああ、そのはずだ。引き上げ回数が増えればその分時間がかかり、魔物の再流入リスクが高まるからな」
「ダメです。それはできません」
冬佳は技術者としての厳しい声で断言した。
「この壁に貼られている昇降機の実荷重記録、古すぎます。過去の改修履歴と照らし合わせると、現在のモーターとワイヤーの摩耗状態では、図面上の最大積載量を下回っているはずです。依頼主の言う通りに全量のケースを一度に載せたら――」
冬佳は図面の上をペン先で叩いた。
「少なくとも、一括搬送に使えるという根拠がありません。摩耗を測って、使用できる荷重を出し直す必要があります」
準備室の空気が一気に張り詰めた。魔物は討伐されても、見えない『荷重』という敵が、口を開けて彼らを待っていた。




