第45話 同じ針を見る
D125、十五時。非常放流の予測時刻まで、残り約六時間。
制御資料室で、冬佳が二組の記録を重ねた。二日前の限定診断と、今朝撮り直した三つの計器の映像だ。
「基準管に新しい漏れはありません。針の差も、読み取りを含めて最大一秒以内です。予告線から低圧へ入る時間も、確認できました」
無線は途切れている。しかし、独立した油圧基準管は動いていた。
深雪が、南斜坑の荷役装置の作業票を脇へ置く。
「あの時より距離があります。差がある前提で、余裕を残すんですね」
「ああ。声を届ける方法を探すより、今ある針で揃える」
朔は波形に線を引いた。
約九十秒周期。その中に、八秒間だけ圧力の下がる窓がある。
各区画で針が予告線を通った時を、そこにいる班の『T0』とする。四秒後に低圧が始まり、十二秒後に終わる。
「目標は、予告線から六秒で操作を完了すること。低圧になってから始め、六秒前後に終わらせる」
朔は完了時刻の横へ、〇・五秒ずつの幅を書き込んだ。
「計器同士の差が一秒。各班の動作の幅が、前後〇・五秒ずつ。いちばん離れた二班を比べても二秒に収まる。装置が認める三秒に、一秒は余裕を残せる」
「その動作時間は、現場で確かめる。間に合わなければ実行しない」
冬佳が付け加えると、全員が頷いた。
数字が書いてあるだけでは、条件は満たせない。各自が実物の前で、その通りに動けることを確認する必要があった。
「三つ揃えば、どう閉まるんですか」
朱里の質問に、水野が既設設備の断面図を示した。
「主封鎖の重りが解放されます。ただし、ゲートを自由落下させる装置ではありません。逃がし弁と制動機構を通じて、決められた順序と速さで閉まります」
「急に全部塞いで、水圧を跳ね返す方法ではないんですね」
「ええ。だから、三入力のどれか一つを省くことはできません」
機械式の確認装置は、三つの完了が同じ低圧期の三秒以内に揃った時だけ動く。揃わなければ、主封鎖は始まらない。
朔はその欄を丸く囲んだ。
「誰かが中止しても、残った班が無理に合わせてはいけない。局所の装置は安全位置へ保持する。避難と非常放流の手順は、別に進めてもらう」
水野が頷いた。下流の住民の避難は、継路が成功するかどうかを待たずに進めている。各作業盤からは、放流経路を横切らずに入れる防護退避区画も確保した。失敗時に作業員が水の進路へ取り残される計画にはしない。
北区画の構造図を広げると、澪が椅子を引き寄せた。
「ピンを抜いてから、レバーを掛け金まで入れるんですね」
「そうだ。高圧の間は、ピンが錠としてレバーを支えている。先に抜いて待つことはできない」
朔はピンの脇に作業姿勢を描いた。
「現物を見て、必要なら君の強化を使う。俺が打撃姿勢へ入ると計器は見えない。澪は、俺と計器を両方見られる場所を選んでくれ。対象との距離は八メートル以内だ」
澪は記録票へ発動と打撃を別々に書いた。
「私が予告線を見て、異常がなければ発動。同時に、一言で合図する。梶谷さんが時間を測り始めるのは、その合図から」
「ああ。君の実際の発動から四秒後に強化が始まる。俺は合図から四・三~四・六秒で打つ。計器のT0から数えて打ってはいけない」
遅れて発動したのに、打撃だけ予定通りなら、魔法は間に合わない。澪は開始合図に印を付けた。
「予告線を見てから発動まで、〇・三秒以内。その遅れも入れて、北の操作を六秒前後に収める」
「練習で確かめる。実ピンへの試し打ちはしない」
朔は続けて、掛け金を示した。
「一撃で抜いたら、同じ低圧期の間にレバーを掛け金まで押す。ここで保持されれば、他班が中止しても北は跳ね戻らない。危険なのは、抜いたまま待機位置で高圧を迎えることだ」
「発動前だけでなく、打撃前なら中止できる。抜いてしまった後は、安全位置まで必ず続ける」
澪が復唱する。
「はい。異常があれば、私が止めます」
朔はそれを聞き、停止条件の欄を彼女へ渡した。自分が計器を見られないことを、今日は弱点として隠さずに済んだ。
「実行する周期を、全員で決めておく」
朔は時刻表を広げた。
現場確認と修理、荷の搬入、動作の予行まで終える必要がある。通信が戻る保証はないため、途中で誰かの判断だけで実行周期を早めることはしない。
「共通の目安は二十時五十九分十秒頃の予告線。時計はその周期を選ぶために使う。秒単位の操作開始は、必ず現地の針で取る」
保護ケースに収めた機械式の時計は出発前に揃え、点検記録から今回の待機時間内のずれを最大一秒と見込む。ただし時計の時刻だけを頼りに操作しない。九十秒先の次の波は、二十一時を越える。
「予定までに準備が済まない班は、中止する。早く済んだ班は、次々と試すのではなく待つ。異常があっても、時刻を優先するな」
東班の冬佳と深雪、南班の慧と朱里と千紗が、それぞれの作業票へ実行周期を書いた。北班の澪も同じ欄へ線を引く。
「中止した後の退避経路も確認しました」
千紗が言った。慧はまだ不安そうだったが、作業票を閉じずに読み直し、分からない項目を二つ質問した。
朔は答え、南の現物が図面と違った場合の確認範囲を朱里とすり合わせた。分からないまま出発する者はいなかった。
資料室を出る前、澪が一枚の紙を朔へ戻した。
北班の票だった。発動の欄の署名は澪。打撃とレバーの欄の署名は朔。それぞれが責任を持つ位置に、名前が並んでいる。
「これで、持っていきます」
「頼む」
朔は紙をケースへ収めた。最初の水門では自分が出した合図を、今度は彼女から受け取る。
それを不安に思わずに済むまでに、積み重ねた記録があった。




