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ボスを倒したのに攻略失敗? ~元現場監督、補助職だけの会社でダンジョンの難関依頼を片付けます~  作者: 他力本願寺


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第46話 三つの弁

潮見環坑の深部に広がる地下空間には、不気味なほどの重低音が響き続けていた。


 制御資料室での作戦会議から数時間が経過し、作業日報のタイムスタンプはD125の一八時を回っていた。


 非常放流のタイムリミットである二十一時まで、残り約三時間。


「……こちら梶谷。北区画の操作盤前に到着した。各班、状況を報告しろ」


 朔が通信機に向かって呼びかけると、激しいノイズに混じって仲間たちの声が返ってきた。


『こちら第二班、東区画のバルブ室に到着しました。霧島、南野、異常ありません』


『第三班です。南区画の制御室に到着しました。早瀬、相沢、塚原、全員無事です』


「了解した。……高峰、そっちはどうなっている」


『こちら白稜だ。環坑の外周部および各区画への退路には、我々の部隊を完全に配置した。内部の魔力圧の上昇で魔物どもが狂い始めているが、一匹たりともそちらへは通さん。お前たちは安心して機械と向き合え』


 通信機越しに響く高峰の声には、剣戟の音と魔物の絶叫が混じっていたが、その口調には微塵の揺らぎもなかった。最強の戦闘クランが、朔たちの背中を鉄壁の防衛線で守り抜いている。


「恩に着る。水野さん、都市側の状況は」


『避難誘導は最終段階に入っています。放流時の下流への被害を抑えるための土嚢積みと、各種インフラの保護措置も並行して進めています。……私たちは地上の計測に専念します。現場を、お願いします』


 水野の切実な声を聞き、朔は短く「任せろ」とだけ返した。


 これまで朔が出会い、力を借りてきた専門家たちが、それぞれの戦場で己の役割を全うしている。継路がこのチームで現場に出るようになって約四か月。これが、彼らが築き上げてきた一つの集大成だった。


「羽鳥。計器の確認だ」


 朔は通信機から顔を上げ、隣に立つ澪に指示を出した。


 彼らの目の前には、壁一面を占める巨大な配管と、大人の背丈ほどもある重厚なメインレバーが鎮座している。


「はい。D123の限定診断時に校正した、機械式の圧力計ですね」


 澪がペンライトで、レバーの脇にある古びたアナログメーターを照らし出した。


 針は、脈打つようにゆっくりと上下を繰り返している。それは、魔力ノイズで不安定になった電子通信網とは無関係に、物理的な『油圧基準管』を通じて直接伝えられてくる圧力の波だった。


「東区画、南区画。そちらの計器の波形はどうだ」


『東、動いています。針の振れ幅と周期は事前記録の範囲内です』


『南も同様です。外側の診断計器で、振れ幅を確認しました』


 冬佳と慧の報告を受け、朔は頷いた。


「よし。本番では、校正した同じ計器の予告線を直接読めることまで確認してくれ。見えなければ中止だ」


 朔は視線を、巨大なレバーの根元へと移した。


 そこには、直径五センチほどの太い鋼鉄のピンが、レバーの機構を貫くようにして突き刺さっていた。


「梶谷さん、それが……」


「ああ。北区画の操作の要となる『錠ピン』だ」


 朔は、手袋越しの指でその冷たい金属の表面をなぞった。


「羽鳥。さっきの会議でも言ったが、改めて現物を前にして頭に叩き込んでおけ」


 朔の声は、地鳴りに負けないほど低く、鋭かった。


「このピンは、高圧期に巨大な圧力がかかっているレバーが、高圧に押されて不意に動くのを防いでいる『錠』だ。……本番の低圧期に入る前に、焦って事前にこのピンだけを抜くようなことは、絶対に禁止だ」


 朔は、レバーの先にある巨大な連結機構を指差した。


「もし高圧の状態でピンを抜けば、その瞬間にレバーが跳ね戻り、あの連結部ごと全てが物理的に破壊される。そうなれば、手動封鎖は永遠に不可能になる」


「……はい。事前の先行解除は絶対禁止。必ず、私の発動合図から四・三~四・六秒後、低圧期と強化が重なる時間に、一撃で抜く。ですね」


 澪が、緊張で喉を鳴らしながらも、しっかりと朔の目を見て答えた。


「そうだ。そして抜いた直後に、一息でレバーを作動位置の掛け金まで押し込む。俺がレバーを掛け金に固定しさえすれば、たとえ他班の操作が遅れて同期が失敗しても、北のレバーは掛け金で保持される。高圧期に戻っても跳ね戻ることはない。……一度ピンを抜いたら、絶対に途中で手を止めるな」


「わかりました」


 ザザッ……ピーーーッ……。


 朔が説明を終えた直後、襟元の通信機がひときわ大きなノイズを発した。


「……いよいよ、電波帯が限界みたいだな」


 朔は通信機のマイクを強く握り直した。


「東班、南班、聞こえるか! 残り三時間、これより各区画で本番に向けた操作盤の修理と準備に入れ! ここから先は、音声通信が完全に死ぬものと想定しろ!」


『……了解、しまし……』


『……南……準備に、移りま……』


 ひどいノイズ混じりになりながらも、冬佳と慧の返事が微かに聞こえた。


「指示が届かないことは、東谷昇降廊で経験済みだ。イレギュラーが起きたら、俺の指示を待つな。お前たちの目の前にある計器と、仲間たちだけを信じて動け!」


 朔がそう言い切った瞬間、通信機からブツッという音が鳴り、以降は無機質な砂嵐の音しか聞こえなくなった。


 完全な孤立。


「よし。俺たちも北区画のピンを抜く段取りと、俺の立ち位置を確認するぞ」


 朔が澪に振り返り、工具箱を開けようとした、その時だった。


 回復した短い通信の窓で、東班から部品搬入の要請が入った。手動レバーへ荷重を伝えるリンクが傷んでいる。冬佳は公社の既存在庫から該当部品を確保し、現地修復の許可も受けていた。


 北班から新しい判断を返す前に、音声は切れた。


 朔は送信ボタンから手を離した。ここで詳細を知らなくても、東班には設備判断と中止の権限がある。


 目の前の錠ピンへライトを当てる。表面には錆が浮き、周囲は細かい粉塵で塞がれていた。


「……梶谷さん?」


 澪が不安そうに覗き込む。


 朔は、ライトに照らし出されたピンの隙間を見て、舌打ちをした。


「ここも、普通には抜けない可能性がある。現物の寸法と規格を確かめる。まだ叩くな」


 ただの力任せで抜けるような状態ではない。規定の工具で、極めて正確な衝撃帯をピンポイントで打ち抜かなければ、ピンは抜けないどころか、かえって深く食い込んでしまうだろう。


 非常放流まで、残り三時間弱。


 完全に分断された三つの区画すべてに、事前の計画書には存在しない、致命的な障害が立ちはだかっていた。

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