第44話 仕事を分ける
自動制御システムが完全に沈黙し、非常放流のタイムリミットがD125の二十一時に設定された、その日の午前。
潮見環坑の中央制御室に隣接する点検室のドアが開き、公社の検収責任者である水野詩織が足早に入ってきた。
「梶谷さん、高峰さん。上層部ならびに関係各機関との調整が完了しました」
水野は、二人の前に公的な印章が押された書類を差し出した。
「現在、警察と消防が主体となり、下流域の住宅地および産業施設に対する避難指示が発令されました。都市側では被害抑制のための対応が全速力で進んでいます」
水野は一呼吸置き、真っ直ぐに朔の目を見た。
「そして、これが公社からの正式な書類です。合同会社継路、およびクラン白稜に対し、二十一時の非常放流までの間、潮見環坑の三系統手動封鎖を目的とした『緊急作業』を正式に委任します。……どうか、よろしくお願いします」
深く頭を下げる水野から、朔は書類を受け取った。
「了解した。都市の機能は公社で守ってくれ。俺たちは現場の心臓を止める」
朔は書類をタブレットのケースに挟み込み、高峰へと視線を向けた。
「高峰。書類の通り、俺たちはこれから北、東、南の三つの区画へ同時に進入し、手動での封鎖作戦の準備に入る。だが、昨日の異常な魔力活動のせいで、環坑内の魔物どもは完全に活性化している。作業中の俺たちに魔物が群がってくれば、精密な機械操作は不可能だ」
「言われずとも分かっている」
高峰は腕を組み、力強く頷いた。
「三つの設備へ通じる各進入経路の外周は、俺たち白稜が全軍で封鎖する。魔物の排除と防衛ラインの維持は完璧にこなしてみせよう。お前たちは俺たちの背中を気にせず、機械を止めることだけに集中しろ」
「助かる。頼んだぞ」
朔と高峰は短く拳を合わせ、それぞれが自らの部隊の指揮へと散っていった。
緊急作業の許可が下りた直後、継路のメンバーたちは潮見環坑の地下へと通じるメインゲートの前に集結していた。
「ここから先、北、東、南の三区画へ通じる管理用通路は、限定診断では外側の観測足場までしか調べていない迷宮区画だ。まずは安全な進入経路の確保から始める」
朔の指示を受け、早瀬慧が聴覚保護具をずらしながら一歩前に出た。
「了解しました。行きます」
慧は手元のレンチで金属の手すりを叩き、《反響測位》を走らせる。
彼の能力は、壁の向こうや物体の中を透視することはできない。だが、彼が今これから足を踏み入れようとしている同一空間内の、二十メートル以内の硬質物体の配置を耳で探り出すことができる。
「……メイン通路から南への分岐点、露出した床と架台の位置は、前の記録と合っています。床下までの保証はできません。ですが、東へ向かうルートの頭上に、崩落しかけた配管の固定具があります。そこを避けて通る必要があります」
慧が探り出した『見えない危険』の情報を、相沢朱里が手元の図面と素早く照らし合わせる。
「分かりました! 早瀬さんの情報を元に、目印を置きます!」
朱里は小走りで通路を進み、自身がしっかりと目で確認した安全な分岐点にだけ、青白く発光する《路標》を設置していく。
彼女の魔法は最大三個までしか置けない制限がある。しかし、三つの区画へと枝分かれしていく複雑な環坑のルートにおいて、最後尾が通過した標識を消し、新たな分岐に置き直していく彼女の着実な誘導は、メンバーたちに絶対の安心感を与えていた。
慧が耳で危険を避け、朱里の光が確実な道を示す。
二人の連携により、継路の三班がそれぞれ向かうべき区画への『進入経路』が、誰一人欠けることなく確保された。
「よし、各区画へのルートはクリアだ。これより、三班に分かれての準備行動に入る」
安全が確保された中継地点で、朔はメンバー全員を集めて人員と機材の最終配置を行った。
「俺と羽鳥の第一班は『北区画』。霧島さんと南野さんの第二班は『東区画』。早瀬、相沢、塚原さんの第三班は『南区画』だ。それぞれに持ち込む工具と測定器はすでに割り振ってあるな」
「はい。東班の資材、問題ありません」
「南班も、環境測定器と保護具の準備は完了しています」
冬佳と千紗が力強く答える。
「いいか、よく聞け」
朔は、真剣な顔つきで並ぶメンバーたちを真っ直ぐに見据えた。
「今回の作戦は、三つの区画が完全に同期して手動操作を行わなければ成功しない。だが……だからといって、他の班の状況に依存しすぎるな」
朔の言葉に、東谷昇降廊で分断班の班長を務めた澪が、ハッと顔を上げた。
「東谷の現場で訓練した通りだ」
朔は澪に視線を向け、それから全員を見回した。
「お前たちが現場で現認した危険や、独立計器が示す異常な数値は、俺の立てた事前計画よりも常に優先される。もし自分の担当区画で、計器の異常や進入条件の違反を発見したら、俺の指示を待たずに各班長の判断で即座に作業を中止しろ。無理に合わせてレバーを引こうとするな」
一人が無理をすれば、システム全体が破綻し、全員の命が危険に晒される。
だからこそ、全員が自律した専門家として現場の事実に向き合い、止めるべき時に止める勇気を持つ必要があった。
「俺たちは、一人だけで正しい計画を持っているわけじゃない。全員で現場を見て、全員で判断を下す。……頼んだぞ」
朔の言葉に、澪たちは深く頷き、それぞれの表情にプロフェッショナルとしての覚悟を宿した。
だが、各班がいよいよ自分たちの担当区画へ向けて出発しようと機材を背負い直した、その矢先だった。
ザザッ……ピーーーッ……ガリガリガリッ!
突然、全員の襟元につけられた通信機から、耳障りなノイズが弾けた。
「……梶谷さん。通信機の電波が」
冬佳が顔をしかめながら、機器を叩く。
「俺のもだ。音声が激しく途切れている」
朔がインジケーターを確認すると、電波の受信レベルが激しく上下にブレていた。
昨日の地鳴り以降、潮見環坑の奥底から噴き出し続けている異常な魔力干渉が、とうとう無線通信の電波帯にまで影響を及ぼし始めたのだ。
『……ちら、ちゅ……おうせ……ぎょ、しつ……』
中央制御室にいる水野からの通信も、細切れになって何を言っているのか全く聞き取れない。
この状況に、澪が青ざめた顔で朔を見た。
「通信断を前提に、操作する周期と中止後の動きを確定しましょう。荷役装置の時と同じく、計器を基準にするんですね」
三系統の操作は、三秒以内の誤差で同時に完了しなければならない。
お互いの声が聞こえなければ、「せーの」でレバーを引くことなど不可能だ。
「……そうだな」
朔はノイズを発し続ける通信機の電源を切り、暗く口を開けた三つの通路を見つめた。
午前中、通信が使えた時間帯に三計器を撮り直してある。記録は、それぞれ人が持ち帰った。午後の再集合で、前の計測と照合する。
朔はノイズの中へ返答を探さず、澪が広げた準備表へ目を戻した。
「そうだ。今から確定するのは、全員が同じ条件で動き、同じ条件で止まれる手順だ」




