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ボスを倒したのに攻略失敗? ~元現場監督、補助職だけの会社でダンジョンの難関依頼を片付けます~  作者: 他力本願寺


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第40話 任せられる現場

東谷昇降廊において、通信途絶下での緊急退避を余儀なくされたD114の同日夕方から、五日が経過したD119。


 梶谷朔と羽鳥澪は、依頼主である遠見管理会社別事業部の会議室に座っていた。


「……これが、通信途絶後に分断班が独自に判断した作業中止と、代替退路への退避行動の全記録です。合わせて、退避前に有償で運搬完了した資材の部分検収書を提出します」


 朔が分厚いファイルとタブレットを、検収担当者の前に滑らせた。


 担当者は苦虫を噛み潰したような顔で、その資料をパラパラと捲った。帰還直後の電話で、計画との差異を確認してきた検収担当だった。


「……確かに、この環境測定データを見れば、当該区画の粉塵濃度と微気圧の変動は、事前の契約に定めた『作業中止条件』を明確に超えていますね」


 担当者が渋々といった様子で認めた。


「ええ。それに加え、ここにあるタイムラインを見てください」


 朔の隣に座る澪が、毅然とした声で口を挟んだ。


「衝撃音の発生から、測定値の異常検知、塚原さんの停止宣言、私による残工程の打ち切りと退避指揮まで、わずか数十秒の間に処理されています。もし私たちが事前のマニュアル通りに動かず、通信の復旧を待つか、梶谷代表の指示を仰ごうとしてその場に留まっていれば……確実に崩落に巻き込まれ、全滅していました」


 澪が突きつけたのは、彼女自身が分単位、秒単位で記録し続けた緻密な現場データだった。


 朱里が安全を現認した代替ルートの写真、冬佳が工具で避難戸を開放した時刻、慧が測位した危険箇所の座標。それらすべての情報が、澪の手によって一つの完璧な「作業変更と退避の報告書」としてまとめ上げられていたのだ。


 担当者は資材の受領票と照合し、残りの対象を別の欄へ移した。


「……分かりました。現場の班長による独立した退避判断は、契約で規定された権限の範囲内であったと承認します。運搬済みの資材についても、ご請求通り部分検収として処理しましょう。……御社の危機管理能力には、恐れ入りました」


 担当者が検収書に正式な承認印を押した瞬間、朔と澪の間に、確かな勝利の空気が流れた。


 その日の午後。霞浜市の継路事務所。


 朔と澪が持ち帰った部分検収の完了報告に、待機していた冬佳、慧、朱里、深雪、千紗の五人は歓声を上げて喜んだ。


「やりましたね、羽鳥班長!」


 朱里が澪の手を取って跳ねる。


「ええ。皆さんが迅速に動いてくれたおかげです」


 澪も嬉しそうに微笑んだ。


「だが、喜んでばかりもいられないぞ」


 朔がホワイトボードの前に立ち、場の空気を引き締めた。


「今回の東谷昇降廊での一件は、うちの会社にとって最大の試金石だった。俺の指示が届かない閉鎖空間で、お前たちは自らの専門知識を活かし、連携して生き残った。これは大きな成功体験だ」


 朔はホワイトボードに『独立判断の手順化』と大きく書き殴った。


「だからこそ、これを個人の武勇伝で終わらせず、会社の標準手順として定着させる。……通信が断絶しても、復旧を待つために停止や退避を遅らせない。事前の判断基準と、各自が持つ時計や測定器などの『独立計器』で判断できるようにする」


 朔はメンバー全員を見渡した。


「各班における『継続・中止・救援』の優先順位を明確に文書化し、今後の基本訓練に反映させる。現場の現認と測定値は、俺の事前の計画よりも常に優先される。これが、合同会社継路の絶対のルールだ」


「了解しました。環境安全の基準値も、通信途絶時を想定した厳格なマニュアルにブラッシュアップしておきます」


 千紗が即座に応じ、冬佳や深雪も力強く頷く。


 朔は満足げに息を吐き、そして、隣でタブレットを抱えている澪に向き直った。


「澪」


「はい」


「今回の現場、お前の正確な記録と、残りを打ち切って退く道を選んだ決断が、仲間と会社を救った。俺はお前に班長を任せて、本当に良かったと思っている。……見事な指揮だった」


 朔の真っ直ぐな称賛。


 白稜との補助契約が終わった時には、こんなふうに自分の仕事を報告する日を想像できなかった。


 澪は報告書の表紙へ目を落とした。班長欄には、自分の名前がある。


 彼女はタブレットを胸に抱き直し、朔の目をしっかりと見返した。


「……ありがとうございます。でも、梶谷さん」


 澪は、プロフェッショナルとしての誇りを込めて、はっきりと告げた。


「私、もう梶谷さんからの指示を待つだけの時間は終わりにします。……次回からは、私の方から先に、梶谷さんに現場の情報を届けます。それが、私の仕事ですから」


「……」


 朔は一瞬目を丸くし、それから、心の底から嬉しそうに口角を上げた。


「ああ。期待しているぞ、羽鳥班長」


 そのやり取りを見ていた仲間たちも、自然と笑顔になっていた。


 誰か一人の絶対的な指示に依存するのではない。それぞれが専門家として自律し、必要な情報を統合して現場を攻略する。


 事務所が和やかな達成感に包まれていた、その時。


 ピリリリリッ。


 朔のデスクに置かれた端末が、短い着信音を鳴らした。


「俺だ。……水野さんか。どうした?」


 電話の主は、霞浜迷宮管理公社の検収責任者である水野詩織だった。


 数分間の通話の後、電話を切った朔の顔から、先ほどまでの笑みは完全に消え失せていた。


「どうしたんですか、梶谷さん。公社から何か?」


 冬佳がいち早く異変を察知して尋ねる。


「……ギルド経由で、正式な依頼通知が届くそうだ。D103に俺たちが要請していた、『潮見環坑』の限定診断の依頼だ」


 朔の言葉に、冬佳の顔色が変わった。


 潮見環坑。遠見中継所と同じ傾向の摩耗が疑われ、保守が長年先送りされていた巨大な公的インフラ。


「予算の調整がついたんですね。すぐに追加検査に……」


「いや。水野さんが送ってきた、現在の潮見環坑の稼働状況の初期データを見てくれ」


 朔は端末をモニターに繋ぎ、送られてきたばかりの数値を画面に映し出した。


 そのデータを見た冬佳が、息を呑んだ。


「……そんな。以前の異常が改善されていないどころか……油圧基準管の圧力変動幅が、危険域の手前まで跳ね上がっています。これでは、連結機構の摩耗が一気に加速しているはずです!」


「公社は負荷を制限して観測を続けていた。それでも変動が増えている。現物を見て、対応の段階を判断しなければならない」


 朔は、モニターに映る不吉な数値を睨みつけた。


 都市の地下深くで、巨大な心臓が不整脈を起こし始めている。


 自律した専門家集団へと成長を遂げた継路のメンバーたちを嘲笑うかのように、過去最大級の危機がすぐそこまで迫っていた。

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