第39話 指示は待たない
東谷昇降廊の分断された区画。
局所崩落による猛烈な土煙が少しずつ収まっていく中、岩盤の下に駆け込んだ五人は、咳き込みながらも確かな生存を噛み締めていた。
「……全員、怪我はありませんね」
班長である羽鳥澪が、ライトを向けて仲間たちの顔を一人ずつ確認した。
元の通路は瓦礫の山に完全に塞がれ、通信機は依然として無機質なノイズを吐き出している。朔の指示を仰ぐことはできない。
だが、澪の心にもう迷いはなかった。
「羽鳥班長。このままここに留まるのは危険です。気流の乱れで、有毒なガスが吹き溜まる可能性があります」
環境測定器を見つめる塚原千紗が、冷静に告げる。
「はい。すぐにここから脱出します。新しい退避経路を探しましょう」
澪はタブレットのマップを展開し、周囲の構造を確認した。
「早瀬さん、岩盤の脇に見えている、同じ通路の続きはどうなっていますか」
「やります」
早瀬慧がレンチで同じ通路に露出した金属管を叩き、《反響測位》を走らせる。
「……前方二十メートル以内、大きな崩落はありません。ただ、天井付近にいくつか、落下しそうな配管の固定具があります。そこを避ければ通れます」
「了解です。相沢さん、早瀬さんの情報を元に、安全なルートのマーキングをお願いします」
「任せてください!」
相沢朱里が力強く頷き、慧の指示する方向へと慎重に足を踏み出した。
彼女は自分の目と足で安全を現認した地点に、青白い《路標》を一つずつ置いていく。最大三個という制限を守り、最後尾の冬佳が通過した標識を即座に消去し、前方の暗闇へと新たな光を設置する。
朔や高峰のような強引な突破力はない。だが、補助職たちの知恵と技術を束ねることで、閉ざされた暗闇の中に確かな命綱が紡がれていった。
「……行き止まりか?」
路標を追って進んだ先で、最後尾を歩いていた霧島冬佳が声を上げた。
「いえ、壁じゃありません。古い避難戸です。ここを抜ければ、隔壁を迂回して梶谷さんたちのいる主通路へ出られるはずです」
朱里がライトで照らした先には、錆びついた鉄製の重い扉があった。
冬佳が前に出て、扉の取っ手とロック機構を点検する。
「軽いラッチが固着しています。扉そのものではなく、ここを解除すれば開きます」
冬佳はラッチの刻印を拭き、退避計画の付表として携行していた保守票と照合した。工具帯から小ぶりのハンマーと鏨を取り出すが、まだ打たない。
「この型式は、弱く叩いて座を潰すと、かえって抜けなくなります。試し打ちはしません」
安全帯を掛けた姿勢で、ハンマーを振れる幅を測る。足元の崩れた場所へは踏み込めず、大きな工具を使う隙間もなかった。工具票に残した出力記録と照らすと、この振り幅では解除に必要な範囲へ少し届かない。
「扉を切る方法なら、工具を取りに戻るところからです。ここで長く作業できるなら、そちらも考えますが」
千紗は環境測定器を確認した。
「今は基準内です。ただ、気流は安定していません。長時間ここに留まれるとは言えません」
冬佳は保守票を閉じず、別の通路を示す図面へ目を移した。
「一撃で解除できる見込みが立たなければ、別経路を探しましょう。闇雲に叩く方が遠回りです」
「……その一撃、私に支援させてください」
澪が顔を上げた。
「霧島さんの打撃に、二五%を上乗せできます」
冬佳はもう一度、工具票の数値と保守票の範囲を見比べた。
「それなら、出力のばらつきを見込んでも範囲内です。お願いします」
本体水門では、自分から計器を読んで提案した。今回は、誰のどの作業を支援するかまで、自分が選ぶ。対象を冬佳へ変えても、四秒後の一秒という条件は変わらない。
「発動した瞬間に、短く合図します。そこを起点にしてください。打つ時の声は出しません」
「四秒半を狙います。先に動きを合わせましょう」
冬佳はラッチから離した位置で、空振りの動作を確かめた。澪が模擬の開始合図を出し、端末で三回計る。予定した打点をハンマーが通るまで、いずれも四・四~四・六秒。実物には触れていない。
冬佳が鏨を当て、足元を確かめた。朱里は扉の先に出る準備をし、慧は上方の固定具を見張る。
澪は冬佳から四メートルの位置に立った。全員の準備を確かめ、視界の中の冬佳へ《遅延強化》を発動する。
「今」
発動と同時の、短い開始合図。光は出ない。冬佳は自分で拍を取り、予行と同じ動きでハンマーを運んだ。
四秒を過ぎる頃には、ハンマーは既に打点へ向かっていた。
ガキンッ!
発動から約四・五秒。二五%を上乗せされた一撃が、ラッチを打ち抜いた。
固着していた錆が砕け、留め具が抜ける。冬佳が取っ手を押すと、避難戸は重い音を立てて外側へ開いた。
「開きました! 退路確保です!」
冬佳が叫ぶと、五人は歓声を上げ、開かれた扉の向こうへと一斉に駆け出した。
同日、夕方。
代替退路を抜けた澪たちは、東谷昇降廊の主通路にて、所有者の救援担当と隔壁の開放手順を確認し、代替出口にも誘導員を置いていた朔と深雪の班に無事合流を果たした。
「お前ら……!」
無事な五人の姿を見た朔が、安堵に顔を歪めて駆け寄ってくる。
「梶谷さん、ご心配をおかけしました。全員、怪我はありません」
澪は泣きつくことも、安堵にへたり込むこともなく、班長として真っ直ぐに朔の前に立った。
「測定値が事前の中止条件を超えたため、塚原さんが停止を宣言しました。私は残る搬入予定を打ち切り、全員の退避を指揮。一時安全帯へ入った直後、局所崩落で元の通路が塞がれました。相沢さんと早瀬さんの連携で代替退路を確保し、霧島さんの打撃を私の強化で補助して避難戸を開放、退避しました。……これが、中止および変更の記録データです」
澪はタブレットを差し出し、理路整然と報告を行った。
朔は、その詳細な時刻と計器の記録を見て、そして目の前で毅然と立つ澪の姿を見て、深く息を吐き出した。
「……完璧だ」
朔は、心からの称賛を込めて言った。
「俺の指示を待たず、現場の状況に合わせて最善の判断を下し、全員を無事に連れ帰った。……よくやった、羽鳥班長。お前たちの勝ちだ」
その言葉を聞いて、澪の目からようやくホッとしたような涙がこぼれ落ちた。冬佳や千紗たちも、互いの肩を叩き合って笑顔を見せる。
だが、全員の無事を喜ぶ空気は、朔の胸元で鳴った通信機の音によって切り裂かれた。
電波の通じる主通路に出たことで、外部からの着信が繋がったのだ。
「……俺だ」
朔が応答すると、通信機越しに、遠見管理会社の担当者が、状況の確認を求めてきた。
『地上で受け取った設備警報では、隔壁の閉鎖と工程停止しか分かりません。元の動線とは別の出口から出たと聞きました。状況を説明していただけますか』
澪が自分の端末へ目を落とした。作業の半分を残したまま、帰ってきた記録だ。
「局所崩落に伴う退避だ。全員無事。変更した経路と、運搬済みの範囲は記録してある」
朔は相手の確認事項を聞き、受領先を復唱した。
「先に人員の帰還を報告する。部分検収の資料は、落ち着いて整理して提出する」
通信を終え、朔は澪へ端末を返した。
「その記録を、一緒に出そう。残りの工事を終わったことにはしない。その代わり、やった分も、正しく止めた理由も、省かない」
澪は頷き、作業票の帰還時刻へ丸を付けた。




