第4話 倒さなくても攻略完了
水門本体からの急激な圧力上昇を受け、霞浜迷宮管理公社からの作業許可は即日下りた。
公社が取水制限と圧力監視を続ける間に、朔は再突入の準備を進めた。前回の調査で、目標である連結部の周辺には複数の魔物が徘徊していることが判明している。戦闘能力のない彼らだけでは、あの固着ピンを抜くための安全な時間は確保できない。
「今回は、外部から有償の『独立護衛業者』を雇った。彼らに戦闘と退路の保持を任せる」
開始から五日目。準備を整えた朔は、水門迷宮の安全待機所で澪と慧、そしてフル装備の戦闘員三名に向けて最終ブリーフィングを行っていた。
「護衛班の目的は魔物の全滅じゃない。あくまで俺たちが作業を終えて撤収するまでの間、退路側の安全空間を保持することだ。不要な追撃は避けてくれ」
護衛班のリーダーが短く頷く。彼らもプロだ。戦闘と現場復旧の責任区分が明確に分かれている朔の指揮は、彼らにとっても動きやすい。
「早瀬。お前は通路と設備の位置を測る。出した音に魔物が反応したら、護衛班が目で確認して引きつける。現場の安全が確保され次第、俺と羽鳥でピンを抜く。行くぞ」
魔力ノイズが濃く立ち込める本体水門の内部通路を、朔たちは護衛班に守られながら進んでいった。
電子機器がエラーを吐き出す霧の中、先日慧が設定した「限界安全線」の手前に到着する。
「早瀬、やってくれ」
朔の指示を受け、慧は護衛班の警戒範囲内で短くレンチを鳴らした。
カンッ、カンッ。
「……同空間、前方二十メートル以内。右の副通路は開いています。連結部は先日と同じ位置です。音に反応して、奥から足音がします」
護衛班の先頭が照明を振り、姿の見えた四体を数えた。右に二体、連結部の奥に二体。慧はその報告を聞いてから、誘導に使う手すりを指した。
慧の反響測位は、壁の向こうこそ分からないが、同じ空間にある硬質物体の位置を正確に炙り出す。
「よし。早瀬、あえて少し大きめの音を出して右の副通路へ魔物を誘導してくれ。護衛班はそこに防衛線を敷き、奥の二体も音で引きつけてまとめて抑えろ」
慧がパイプを連続して叩くと、霧の奥から這いずるような足音が近づいてきた。護衛班が瞬時に展開し、魔物を副通路側へと誘導しながら交戦を開始する。
剣戟の音と魔物の咆哮が離れた場所で響く。現場の安全が、力ずくではなく「戦術」によって確保された瞬間だった。
「道が空いた。俺たちは連結部へ向かうぞ」
霧を抜けた先には、大人の背丈ほどもある巨大な金属の連結部が、本来の軌道から外れてレールに食い込んでいた。
朔は素早く連結部の駆動部に近づき、構造を確認する。
「やはり支管の時と同じだ。レールとの接点にある小固定ピンが歪んでストッパーになっている。これを規定の打撃で抜き飛ばせば、後は既設の重りが勝手に水門を下ろしてくれる」
朔はそう言いながら、連結部の脇にある機械式の圧力計に視線を向けた。
水門本体の圧力は、先日作業した支管の「約十一秒周期」とは全く異なっていた。より大きく、ゆっくりとしたうねりだ。
「……周期は約十八秒か。一・二五倍の強化を乗せた一撃を、もっとも負荷が下がるタイミングで叩き込む必要がある」
朔は工具帯からハンマーを引き抜くと、隣に立つ澪を見た。
「澪」
「はい」
「今回は、お前が時刻を管理しろ」
澪は一瞬、はっと息を呑んだ。
支管の救助では、朔が圧力計を読み、朔が合図を出した。澪はただ言われた通りにスキルを発動するだけだった。
「私、が……?」
「そうだ。俺はピンを叩く姿勢に入ると、圧力計の針が視認しづらくなる。お前が針の動きを読んで、一番負荷が下がる底を見極めろ。できるな?」
朔の言葉には、テストするような響きはなく、ただ現場のプロに対する純粋な信頼があった。
澪はぎゅっと唇を結び、圧力計の前に立った。
針は重々しく上下している。上がって、下がる。その動きのリズムを、澪は瞬きもせずに追った。彼女の持ち味である几帳面さが、ここで最大限に活かされる。
「三周期とも、約十八秒です。今の振れ幅なら、同じ位置で低負荷域に入ります。ずれたら見送ります」
澪は計測した情報をはっきりと口にした。
「この動きなら、私から提案できます。私が針の動きを読んで、底が来る『四秒前』に、私から発動の合図を出します」
「俺の打撃位置と安全姿勢に問題はない。提案を承認する。合わせろ」
朔がハンマーを構え、ピンの前の極小の隙間に狙いを定めた。
背後では護衛班と魔物の戦闘音が続いている。だが、朔も澪もそちらへは一切気を逸らさなかった。
澪の目は、圧力計の針だけを捉えている。
「次の下降に合わせます。……発動まで、あと少し」
澪が心の内でカウントダウンを刻み、強化が始まってから打撃を入れられるだけの幅を見込み、低負荷域に入る約四秒半前。
「今っ、《遅延強化》!」
澪の声と同時に、魔力のパスが朔へと繋がる。
一、二、三。
四秒を過ぎ、澪の示した低負荷域に針が入った。
朔が放った通常打撃は、一・二五倍に底上げされた運動エネルギーを伴い、衝撃の許容帯のど真ん中を正確に撃ち抜いた。
ガァンッ!
強烈な金属音が響き、歪んでいた小固定ピンがレールから弾き出される。
刹那、ストッパーを失った巨大な連結部が、軋み音を立てて動き始めた。
「退避!」
朔と澪、慧が素早く後方へ飛び退く。
直後、天井近くに設置されていた数トンもの巨大な重りが自重に従って落下した。重力と滑車の機構が働き、本体水門の分厚い隔壁が轟音と共に床へ叩きつけられる。
魔法で巨大な質量を直接動かしたわけではない。人間の小さな一撃が、機械本来の力を解放したのだ。
水門が完全に閉鎖され、霧の原因となっていた魔力圧の噴出がピタリと止んだ。
「水門閉鎖を確認。護衛班、撤収するぞ!」
朔の合図で、護衛班も残存する魔物を深追いすることなく、速やかに退路へと後退を開始した。倒さなくても、攻略は完了した。
一時間後。水門管理所の安全な事務所内で、公社の水野詩織がタブレットの最終データを確認していた。
「……本体水門の漏水停止、および内部の圧力安定を現認しました。これにて、水門本体の現場復旧工事を検収します」
水野がほっとしたように微笑み、朔たちに頭を下げた。
「あの状況から、魔物を無理に討伐することなく、しかも短期間で安全に水門を閉めるとは思いませんでした。素晴らしい手際です」
「うちは現場の設備復旧が仕事ですから。戦闘はプロに任せました」
朔が淡々と応じると、水野は苦笑しながら一枚の公式記録用紙を取り出した。
「白稜さんが撤収した時はどうなることかと思いましたが……これで、公社の正式なインフラ整備記録に、新しい業者の名前を記載できますね」
彼女のペンが、『合同会社 継路』という文字をしっかりと書き込む。澪と慧が、その文字を見て誇らしげに顔を見合わせた。
「この完了報告は、当初の請負人であった白稜さんへも通知がいきます。現場責任者の高峰さんも、きっと驚かれるでしょうね」
水野の言葉に、朔は小さく肩をすくめた。
あのSランククランがどんな反応を示すかなど、朔の関心事ではない。彼にとって重要なのは、今この手の中にある仕事の対価と、全員が五体満足で現場から帰還できたという事実だけだった。




