第37話 主任がいない通路
D114の朝、東谷昇降廊の分岐点で、澪は朔と別れた。
朔と深雪は外側の重量搬送区画。澪は慧、朱里、千紗、冬佳とともに、内側の軽資材区画へ入る。
「定時の連絡が戻らなければ、新しい工程へは進まない。安全の確認済み範囲で、今の小工程を終えるか中止する。分かるな」
「はい。進む範囲と、中止条件を確認しました」
班長として答えた澪の声は、思ったより小さかった。言い直そうとしたが、冬佳が既に通路側へ顔を向けていた。
返事を待つより、仕事を始める時間だった。
五人が管理通路へ入ってしばらくすると、背後で隔壁が閉じた。
定期的に圧力を区切るための防護隔壁だ。事前資料には閉鎖中も内側の小工程を継続できるとある。ただし、開放の確認が取れるまで次の区画へは移動しない。
連絡機から朔の声が途切れ、やがてノイズだけになった。こちらも想定していた障害だった。
「通信断、記録しました。確認済みの作業範囲からは出ません」
澪は四人へ声を掛けた。
「慧さん、この区画の通路を。朱里さんは退避地点を示してください。冬佳さん、資材の状態をお願いします。千紗さん、空気質を確認してください」
「了解」
冬佳が台車の輪止めを入れる。慧は同じ区画の手すりを叩き、二十メートル以内の硬い壁と架台の位置を確かめた。
隔壁の向こうは分からない。彼はそこを測ったふりをせず、作業票へ「範囲外」と記した。
朱里は三つの場所へ歩き、目印を置いた。最初は荷受け位置。次は一時退避場所への曲がり角。最後は、今通ってきた隔壁前だ。どれも同じ通路から、接近すれば視認できる位置だった。
「非常時に逃げる先は、奥ではなく、こちらの防護区画です。奥の避難戸を使うのは、周囲を確認してから」
澪は地図へ印を移した。
「了解です。人員五名、空気質は基準内。資材搬入を始めます」
最初の台車を進めたところで、冬佳が止めた。
図面の搬入位置には、壁から張り出した古い配管があった。台車だけなら通る。しかし、部材を持って降ろす時に、作業員の肘が当たる。
「この位置は使えません。一つ手前の架台から降ろす方がいい」
冬佳は隣の置き場を示した。
澪は反射的に通信機へ手を伸ばした。触れたところで止める。軽資材の置き場変更は、訓練で確認した許可範囲だった。
「架台の使用荷重は?」
「この資材には足ります。固定も確認しました」
「移した時、退路は?」
朱里が通路を歩いてみせた。
「空きます。こちらの方が、一時退避場所へ近いです」
千紗の測定にも変化はない。
澪は元の位置に取消線を引き、変更先を記録した。
「では、手前の架台へ。移動距離は短くなりますが、資材は一組ずつ降ろしてください」
四人が頷き、作業が再開した。
朔に聞けば、何と答えただろう。澪はその想像を途中でやめた。今の結論を出すための数字は、目の前に揃っている。
一組目の部材が架台へ降り、冬佳が固定した。
二組目も、配管へ触れずに収まった。慧が通行幅を確かめ、朱里が変更した置き場へ目印を移す。不要になった印は消した。
「搬入済み、二組。固定確認済み。残りは三組です」
澪が記録すると、冬佳が作業票を覗いた。
「最初の二組をまとめずに残しておいてください。途中で止めることになっても、ここまでは引き渡せます」
「はい。時刻と写真を分けてあります」
冬佳はそれを見て、自分の確認印を入れた。
初めて任された班で、最初の成果ができた。澪はその二つの印を見て、少しだけ肩を下ろした。
定時の連絡確認では、やはり外へ通じなかった。
澪は新しい工程の開始欄を空けたままにした。許可されている今の搬入だけを続け、それが終われば指定の待機地点へ戻る。
「残りも、同じ条件で進めます。変化があれば、途中でも止めてください」
朱里が荷車の前を確認し、慧が機材を持ち直した。
五人の作業には、少しずつ決まった順番ができ始めていた。
昼近く、冬佳が三組目の固定具を手に取った時だった。
ズン、と低い衝撃が足元へ伝わった。
手に持った固定具が、架台の角に触れて鳴る。誰も動かないのに、天井から細かい埃が落ちてきた。
「工具を置いてください」
澪が言った。
千紗が測定器を持ち上げる。その画面を見る前に、澪は変更記録の下へ、新しい時刻を書いた。
小工程を続けてよい条件が、変わろうとしていた。




