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ボスを倒したのに攻略失敗? ~元現場監督、補助職だけの会社でダンジョンの難関依頼を片付けます~  作者: 他力本願寺


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第35話 無理をしない会社

遠見中継所での作業開始から数週間が経過した、D109。


 地下の旧式排水・搬送設備の前には、梶谷朔たち継路のメンバーと、依頼主である設備管理会社別事業部の担当者が立ち並んでいた。


「……それでは、試運転を開始します」


 霧島冬佳が、制御盤のレバーを押し上げる。


 ガチャン、という重々しい起動音に続き、長年閉鎖されていた区画の設備が一斉に目を覚ました。摩耗しきっていた連結機構は冬佳の手で新品に交換され、正確に調整されている。


 コンマ数秒の作動遅延を起こしていた機械たちは、今は見事な連動を見せ、溜まっていた地下水を吸い上げながら、レール上の搬送用台車をスムーズに押し出し始めた。


 ガタつきも、異音もない。ただ、機械が本来の設計通りに、力強く安全に稼働する音だけが地下空間に響き渡る。


「素晴らしい……!」


 担当者が、食い入るようにその光景を見つめながら感嘆の声を漏らした。


「見事な稼働です。もし前の部署が計画していた通り、ろくな踏査もせずに一括で丸抱えさせていたら、この完璧な連携には至らなかったでしょう。安全を担保した段階施工の正しさが、この目でよく分かりました」


「ええ。問題のある箇所を一つずつ潰していけば、古い設備でも確実に蘇ります」


 朔が答えると、担当者は深く頷き、バインダーに挟まれた書類にペンを走らせた。


「排水・搬送区画の第一フェーズ、確かに検収いたしました。残りの区画の更新工事につきましても、引き続き御社の安全基準にて進行をお願いします」


 担当者から手渡された検収書には、分割された着手金と、今回の段階完了による成果報酬が明記されていた。


 一括の巨額な報酬には及ばないかもしれない。だが、そこには無理な工期に追われることも、安全を切り売りすることもない、自分たちの手で勝ち取った確実な利益があった。


 その日の夕方。


 霞浜市内にある継路の事務所には、朔をはじめ、澪、慧、冬佳、朱里、深雪、千紗の全メンバーが顔を揃えていた。


「遠見中継所の第一フェーズ検収完了に伴い、公社やその他の小規模案件の入金も合わせて、今月も十分な利益が確定した」


 朔がホワイトボードの前に立ち、タブレットの画面をモニターに映し出した。


「今回の利益の使い道だが、新しい工具や万能な魔法の設備を買う予定はない。利益の大半は、全員分の『各種保険の拡充』と、万が一現場で事故が起きた際の『休業補償原資』の積立に回す」


 その言葉に、メンバーたちが顔を見合わせた。


「休業補償、ですか?」


 深雪が尋ねる。


「ああ。俺たちの仕事は常に危険と隣り合わせだ。どれだけ注意しても、怪我をして現場に出られなくなる可能性はゼロじゃない。その時、生活の不安から無理をして現場に戻ろうとしたり、痛みを隠して作業を続けたりすれば、必ずもっと大きな事故に繋がる」


 朔は、ホワイトボードに『撤退余力』と書き込んだ。


「休んでいる間も給与が保証される。その安心感があって初めて、お前たちは現場で『危険だから作業を止める』という正しい判断ができる。会社としての防衛線を、もう一段階引き上げるための投資だ」


「……なるほど。確かに、生活の不安がなければ、無理な強行は減りますね」


 千紗が、環境安全監督としての視点から深く頷いた。


「それに関連して、今日はお前たち全員に話しておかなければならないことがある」


 朔はモニターの電源を消し、ホワイトボードの前に直立した。


 彼の顔から、いつもの現場監督としての厳しい表情が消え、どこか静かで、重い決意を秘めた表情に変わった。


「第三換気区の現場に入る前、俺は塚原さんから、冬佳さんもいる場で過去の業務停止処分について問われ、それを認めた。……だが、俺の指示で動くお前たち全員にも、俺の口から正確な経緯を伝えておく義務がある」


 朔の言葉に、空気がピンと張り詰めた。


 澪や慧は息を呑み、冬佳と朱里も真剣な眼差しで朔を見つめる。


「俺は数年前、白稜の現場管理責任者としてある危険区域の現場を指揮していた。その時、俺の立てた事前の作業計画に対し、部下の一人が『現況が計画と違う、異常の兆候がある』と申告してきた」


 朔の声は、静かな事務所に低く響いた。


「だが当時の俺は、自分の計画を過信していた。発生確率の低い『例外』だとその警告を切り捨て、スケジュールを優先して作業を強行した。……結果、崩落事故が起き、申告を上げたその部下に、一生残るかもしれない重傷を負わせた」


 ごくりと、誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。


「俺の判断ミスが原因だ。俺は現場監督としての業務を一時停止する処分を受け、その後、必要な資格を再取得して回復した上で、白稜を自己都合で退職した」


 朔は、言い訳を一切しなかった。


 誰かのせいにすることも、仕方がなかったと保身に走ることもなく、ただ自分が犯した罪の事実だけを淡々と述べた。


「俺を信じてついてきてくれているお前たちには、俺がそういう取り返しのつかない失敗をした人間だということを、知っておいてほしかった」


 朔は深く頭を下げた。


 彼が求めているのは、同情でも免罪でもない。「そういう人間である」という事実の共有だ。


 沈黙が落ちた事務所の中で。


「……梶谷さん」


 最初に口を開いたのは、冬佳だった。


「私たちが知っているあなたは、図面よりも現物を優先し、安全基準に満たなければ絶対に妥協しない現場監督です。……過去の失敗を教訓にして、今のあなたがあるのなら、それでも、指示と現物が違えば確認します」


「私もです」


 朱里も真っ直ぐに朔を見た。


「私だって、過去の案内ミスを引きずっていました。でも、動態回廊では、私も一度、警告を退けられました。次に同じことがあったら、意見を言っただけで終わらせたくありません」


 慧も、深雪も、千紗も、同じように朔への信頼を崩すことはなかった。


 だが、朔は頭を上げた後、彼らを見渡して首を横に振った。


「ありがたい言葉だが、それではダメなんだ」


「え?」


「俺が過去を話したのは、俺を許してほしいからじゃない。会社の『ルール』を変えるためだ」


 朔はホワイトボードの『撤退余力』の横に、『自主判断権』と書き殴った。


「俺も人間だ。またいつか、焦りや思い込みで判断を誤る日が来るかもしれない。その時、お前たちが『梶谷さんの言うことだから正しいだろう』と指示を待っていたら、必ずまた同じ過ちが起きる」


 朔は、真っ直ぐに澪を見た。


「塚原さんのような環境安全の独立停止権とは別に、俺は今後、現場ごとに『班長』を指名する。班長には、各自に既にある停止権に加え、俺の確認や指示を待つことなく、規定された範囲内で作業変更を判断し、危険とみなせば即座に作業を中止・退避させる『独立判断権』を付与する」


「一人だけが正しい計画を持つんじゃない。現場にいる全員が現物を見て、自分たちで判断し、止められる仕組みを作る。それが、俺がこの会社で作るべき本当の安全の形だ」


 朔の言葉に、メンバーたちの顔が引き締まった。


 守られるだけの存在から、自ら判断し、現場の命運を握る存在へ。会社が、そして彼ら自身が、新たなフェーズへと足を踏み入れた瞬間だった。


 その重みのある空気を切り裂くように、デスクの端末から新規依頼の受信音が鳴り響いた。


「ギルドから、新しい発注の打診です」


 澪がモニターを確認し、依頼書を画面に表示させた。


「依頼主は、遠見管理会社の別事業部。場所は『東谷(ひがしたに)昇降廊』。先行隊による魔物排除は済んでいますが、安全な資材搬送が完了しておらず、そのルート確保と運搬の依頼です」


 朔が画面に記載された現場の特記事項に目を滑らせる。


「……なるほど。東谷昇降廊か」


 朔の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


「どうしました、朔さん?」


「特記事項にこうある。『当該区域は強い魔力干渉が発生しており、複数の作業区画間で通信が断続的に途切れる』とな」


 その言葉に、全員の表情がハッとして変わった。


「通信が途切れる……。つまり、梶谷さんからの指示が届かない時間がある、ということですか」


 深雪が確認すると、朔は大きく頷いた。


「そうだ。何か問題が起きても、俺にどうすればいいか聞くことができない。……班長に権限を委譲し、通信なしで動けることを出動前に確かめなければならない現場だ」


 指示が届かない日。


 自律した現場を作るための、継路にとっての新たな試練が幕を開けようとしていた。

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