第30話 あいつらは強い
D77の午前。探索ギルド霞浜支部の一階ロビーは、数日前に完了した『北支柱迷宮』の合同任務の実績公開により、静かなざわめきに包まれていた。
巨大な実績掲示板に貼り出された検収書。そこには、Sランククラン『白稜』によるボス魔物討伐の成果と並んで、『合同会社・継路』による支柱設備保全および退路確保の成果が、明確に別の項目として同等の扱いで記載されていた。
「……本当に、私たち補助職の仕事が、白稜と同じ大きさで書かれています」
掲示板を見上げていた羽鳥澪が、信じられないものを見るように目を瞬かせた。
かつて白稜の末端にいて、高速戦闘についていけず「役に立たない」と判断された彼女にとって、この公的な証明は過去の自分を肯定する何よりの証だった。
しかし、その光景を面白く思わない者たちもいた。
「……おい見ろよ。なんで俺たちがあんな裏方の連中と同列扱いなんだ?」
ロビーを通りかかった数人の若い探索者たち。北支柱迷宮で前衛を張っていた、白稜の若手隊員たちだ。彼らは掲示板を横目で睨み、わざと澪たちに聞こえるような声で不満を漏らした。
「討伐した俺たちと、後ろで部材を締めていた人たちが、同じ大きさの欄なんですね。こういうのも、攻略の実績になるんですか」
若手の一人が、不満を隠せない声で言った。
そのあからさまな軽視の発言に、冬佳がムッとして言い返そうと一歩前に出た。だが、澪は冬佳の腕をそっと引き、小さく首を横に振った。
澪は怒っていなかった。自分が残した時刻記録と点呼、そして冬佳と朔が繋ぎ止めた支柱のボルトが、どれだけ確かな仕事だったかを、自分自身が一番よく知っていたからだ。
だが、その若手たちの背後から、氷のように冷たく、重い声が降ってきた。
「……命がけで戦えば、それだけで仕事が完了すると思っているのか」
「た、高峰隊長!?」
若手隊員たちが弾かれたように振り返り、直立不動の姿勢をとった。
白稜の現場指揮者である高峰峻が、静かな怒りを湛えた目で部下たちを見下ろしていた。
「お前たちが前線で、支柱を庇うための繊細な火力を保ちながら、あの強敵を倒し切った腕は高く評価している。……だが、思い上がるな。お前たちが背後の崩落を一切気にせず、攻撃にだけ意識を集中できたのは、そこに『絶対に崩れない退路』が確保されていたからだ」
高峰は掲示板を指差した。
「戦闘の成功と、通路維持の成功。この二つは全く次元の違う専門技術だ。彼らの技術がなければ、我々はボスの下敷きになるか、帰りの通路で瓦礫に押し潰されて全滅していた。どちらの職能が欠けても成立しない勝利だ。それを理解できないなら、お前たちにSランクを名乗る資格はない」
若手は掲示板を見直し、それから継路へ向き直った。
「後ろで、何が起きていたか知りませんでした。すみません」
澪は自分の記録を開き、処置前後の写真を見せた。謝罪を重ねてもらうより、それを見てもらう方が仕事の話になった。
高峰は彼らを下がらせると、澪たちの前に進み出た。
そして、かつて彼が戦力外を通告した元部下に対して、真っ直ぐに頭を下げた。
「羽鳥。先日は騒がしい現場で手短に済ませてしまったが……改めて言わせてくれ。お前たちの現場での働きは見事だった。常に全域の状況を把握し、冷静に時間を管理するお前の適性を見抜けなかった俺の目は、完全に節穴だった。……心から敬意を表する」
「高峰、さん……」
澪は、Sランククランの指揮官からの公式な謝罪と承認に、胸が詰まって言葉が出なかった。
「……随分と丸くなったな、高峰」
ギルドの入り口から歩いてきた梶谷朔が、少し皮肉っぽく笑いながら声をかけた。
「俺たちの仕事が評価されるのはありがたいが、あんたの部下をいじめるな。前で負った危険まで、小さく扱う必要はない」
「梶谷さん?」
澪が驚いて朔を見る。
朔はうつむいている白稜の若手たちに向き直り、極めて真面目な声で告げた。
「勘違いするなよ。あんたたちの戦闘は、俺たちには代わりができない。俺たち継路のメンバーが束になったところで、あのボス魔物の足止めすらできずに数秒で肉塊にされる。あんたたちは強い。それは絶対的な事実だ」
朔は、自分の両手を軽く広げて見せた。
「戦って、暴力で障害を排除するのはあんたたちの仕事だ。俺たちには決して真似できない。俺たちは俺たちの持っている技術で、道を守っただけだ。違う専門職同士で、どちらが上だの優劣だのを比べる意味はない」
朔の言葉に、若手隊員たちがハッと顔を上げた。
「……そうだな。俺たちは、俺たちの仕事を全うするだけだ」
高峰が深く頷く。
その直後、ギルドの窓口の奥から、受付の職員が小走りで朔の元へとやってきた。
「継路の梶谷代表! おりますか!」
「なんだ、騒々しい」
「い、いえ、大変なんです! 今朝、あの実績が掲示板と広報に回ってからというもの、うちの窓口に御社宛ての依頼が殺到しておりまして……!」
職員が抱えているファイルには、何枚もの依頼書が挟まれていた。
Sランクの戦闘クランが、わざわざ別項目でその安全管理技術を認め、合同検収を出したという事実。それは社会に対して、継路という会社が「危険区域において最も確実な安全を担保できる専門家集団」であるという、最高峰の公的証明として機能したのだ。
「……なるほど。魔法で敵を倒すだけじゃ解決しない問題を抱えていた企業が、こぞって飛びついてきたわけか」
朔は分厚いファイルを受け取りながら、ため息交じりに笑った。
「仕事が増えるのはいいことだ。一旦、持ち帰って精査する」
高峰も別の依頼書を取り出した。
「相談がある。遠見中継所の案件だ。討伐の範囲は終えたが、設備更新まで同じ条件で引き受けてよいか判断できない」
「分かった。そっちも事務所で見よう」
「ああ。頼む」
朔たちは高峰を伴い、ギルドを後にした。
数十分後、霞浜市の継路事務所。
澪が持ち帰った依頼書を次々と仕分けし、冬佳と慧がその内容を覗き込んでいた。
「すごい数です。今まで見向きもしなかったような大企業からのインフラ調査や、物流の経路確保の案件ばかり……。これで当分、会社の資金繰りには困りませんね!」
澪が嬉しそうに言うが、朔の顔は決して晴れやかではなかった。
彼は応接のソファに高峰と向かい合って座り、高峰がギルドで持ちかけてきた、一つの大型案件の契約書を睨みつけていた。
「……『遠見中継所』の旧式排水・搬送設備の更新工事、か。先行した護衛隊が危険魔物を排除済み。だが、その後に入るはずだった設備業者が次々と辞退して、計画が停滞している」
朔は契約書の条件欄を指でなぞった。
「報酬額は飛び抜けて高い。うちが受けている通常案件の数倍はある。……だが、条件が狂っているな」
「わかるか、梶谷」
「ああ。この規模の老朽設備の更新なら、普通は区画ごとに細かく段階を分けて検収を行う。だがこの契約は、全設備の更新が完了して初めて金が支払われる『一括成功報酬』だ。しかも、設定されている工期が異常に短い。実質、事前の安全確認(踏査)に使える時間が全く考慮されていない」
朔は契約書を机に放り投げた。
「俺たちの仕事の鉄則は『現物確認』だ。図面と違う例外が必ずある。だが、この工期と一括報酬の縛りの中では、現場で危険な例外を見つけても、途中で作業を止めて引き返すことができなくなる。資金回収を焦って、強引に作業を進めるしかなくなるんだ」
高峰が重々しく頷いた。
「先に辞退した業者にも、安全な見積もりを作れなかった事情があるのだろう。俺たち白稜なら、魔物が出たという理由で強引に引き受けることもできるが、設備のことは専門外だ。お前ならどうする?」
「……」
朔は腕を組んだ。
実績が評価され、売上を劇的に伸ばすチャンスが目の前にある。
だが、その対価として求められているのは、安全基準を切り売りするような危険な労働条件だ。
現場の物理的な障害から、契約と経営という新たな次元のハードルへ。
朔は、積み上げられた依頼書の山と、この危険な契約書を交互に見つめ、現場責任者として、そして会社代表としての厳しい決断を迫られていた。




