第27話 火力だけでは守れない
討伐作戦を再検討する、D72の早朝。
北支柱迷宮の入り口付近に設けられた前線基地のテント内で、梶谷朔と霧島冬佳は、白稜の現場指揮者である高峰峻と図面を囲んでいた。
「……昨夜の速報を見た。元の経路では、戦闘中の退避を保証できないということだな」
高峰の整った眉間に、深い皺が刻まれた。
「ああ。昨日の偵察の終盤で、致命的なイレギュラーが見つかった」
朔は図面の上、ボス魔物が陣取る最奥の広間へと続く太い通路の一箇所を、赤のペンで丸く囲んだ。
「この通路を支えている最も太い主柱の根元に、構造の深くまで達する既存のクラック(亀裂)が入っているのを霧島さんが発見した。この柱は現在、自重と天井の荷重をギリギリで支えている状態だ」
「私の魔法でどうにかなるレベルではありません」
冬佳が、すかさず設備技師としての見解を付け加えた。
「私の《仮固定》が支えられるのは、三十キロ以下の小さな部品だけです。数万トンの岩盤を支える柱には何の役にも立ちません。H鋼などの物理的な支持材を持ち込んで本格的な補強工事を行うには、資材の調達を含めて数日の工期が必要です。当初の予定には間に合いません」
その報告を聞き、高峰は腕を組んで黙り込んだ。
冬佳の提示した数値と現場の写真を見れば、その柱がいかに危険な状態にあるかは素人でもわかる。
「白稜の当初の作戦計画では、ボス魔物をこの通路へ引きずり込み、部隊の最大火力を集中させて一気に叩き伏せることになっていたはずだ」
朔は赤い丸のすぐ横に、青い線を引いた。
「だが、ここは俺たちが設定した『避難路』の真横だ。このひび割れた主柱のすぐそばで、Sランクのあんたたちが広域魔法や全力の物理攻撃をぶっ放せばどうなるか。直撃しなくても、衝撃波だけで柱は破断する。敵を倒せたとしても、退路が崩落して全員が瓦礫の下だ」
「だから、戦闘の経路を変更しろと言うのだな」
高峰は図面を睨みつけ、重い息を吐き出した。
「梶谷。お前の言う安全の論理は理解できる。だが、戦闘指揮官としての俺の論理も聞いてくれ」
高峰は、赤い丸の反対側にある、比較的柱の少ない東の広場を指差した。
「戦闘経路をこちらへ逸らし、支柱への影響を避けるために火力を制限する。……それは、敵の息の根を止めるのにそれだけ時間がかかるということだ。相手は未知のボス魔物だぞ。戦闘の長期化は、前衛で戦う白稜の隊員たちにとって最大のリスクになる。最大の火力で最短で叩き伏せるのが、味方の被害を最小にする最善の策だ」
危険な敵は一瞬で殺す。それが最強の剣を持つ彼らの、絶対に正しい生存戦略だった。
「討伐が早く終わっても、退路が潰れて帰れなければ意味がない」
朔は一歩も引かずに高峰を見据えた。
「俺たちは契約時に、二社間の責任と権限を文書化したはずだ。現場の設備保全と、退避命令権は俺が持っている。もしあんたたちがこのままの経路で火力を放てば、俺は戦闘の最中であっても契約に基づき『作業の即時停止と全軍退避』を命じることになるぞ」
それは、ただの脅しではない。
朔はかつて、部下の警告を軽視して自分の計画を強行し、取り返しのつかない事故を起こした。彼は二度と、現場の危険な例外を無視するつもりはなかった。
数秒の、ヒリヒリとするような沈黙がテント内に降りた。
「……わかった。戦闘計画を変える」
やがて、高峰が両手を軽く挙げて降参の意思を示した。
「不本意だが、退路が潰れれば全滅だというお前の指摘は正しい。火力を制限し、魔物を東の広場へ誘導する。だが、その分討伐の難易度は跳ね上がるぞ。継路のチームは絶対に前線に出ず、後方の避難路で待機しろ」
「了承した。助かる」
朔が頷くと、冬佳もホッと胸を撫で下ろした。
だが、朔はそれだけでは終わらせなかった。
「高峰。これはあくまで『新しい計画』だ。俺は自分の計画だろうと他人の計画だろうと、盲信はしない。計画が外れた場合の『例外』に備えておく」
「例外だと?」
「ああ。もし敵が誘導を外れて、あの亀裂のある主柱の半径二十メートル以内に接近した場合。または、後方で待機している俺たちが、柱から異常な崩落の兆候(キシミ音や粉塵の落下)を確認した場合。その二つの条件のどちらかを満たした瞬間、俺の権限で即座に退避命令を出す。両班の共同の中止条件だ」
「……徹底しているな。いいだろう、異存はない」
こうして、戦闘と安全という相反する目的は、明確な『中止条件』を共有することによって、一つの作戦として結実した。
二日後のD74。補強と退避訓練を終え、討伐が始まった。
北支柱迷宮の奥深くから、地鳴りのような魔物の咆哮と、激しい戦闘音が響き渡っていた。
「右翼、押し込め! 魔法使いは出力を三割に抑えろ! 衝撃を柱に逃がすな!」
前線では、高峰の怒号が飛んでいた。
白稜の隊員たちは、普段の圧倒的な火力で敵を粉砕する戦い方ではなく、盾と剣を駆使した緻密な連携によって、巨大な四足歩行のボス魔物をじりじりと東の広場へと誘導していた。
力を抑えながら強敵をコントロールする。それは全力で殴り倒すよりも遥かに神経をすり減らす、Sランククランならではの高度な技術だった。
「……高峰の指揮は完璧ですね。支柱への魔力干渉は規定値内に収まっています」
戦闘区域から少し離れた避難路の入り口で、冬佳が環境測定器の画面を見ながら報告した。
朔と冬佳、慧、深雪、朱里、澪、千紗の継路チームは、亀裂のある主柱の状況を監視しながら後方待機を続けていた。
「ああ。白稜は強い。だが、戦闘が長引けばそれだけ不確定要素が増える」
朔は、懐中電灯の光を主柱の亀裂に向けたまま、ピタリと静止していた。
「早瀬、音はどうだ」
「同じ空間の支持材は、今のところ位置が変わっていません。……ただ、別に気になる音があります」
聴覚保護具を当て、レンチを構えていた慧が、不意に顔を上げた。
「前線の足音が、こちらへ近づいています。敵か味方か、まだ断定できません」
「どういうことだ」
「白稜の皆さんは、魔物を東へ誘導しようとしています。でも、さっきから重い足音の反響が、誘導に逆らうように……西側、つまりこの避難路へ向かって聞こえます。前線へ確認してください」
その報告に、朔の背筋に冷たいものが走った。
「まさか……」
ドォォォォンッ!!
凄まじい轟音とともに、前方で魔物が咆哮を上げた。
『くそっ、抑えきれん! 奴め、火力が低い方向を学習しやがった!』
前線の高峰から、通信機越しに焦燥に満ちた声が飛び込んでくる。
魔物は知能のない獣ではなかった。白稜が「支柱をかばうために西側(避難路側)への火力を意図的に制限している」ことを見抜き、手薄な方角へと強引に突破を図ったのだ。
ズシン、ズシンと、重い足音が猛烈なスピードでこちらへ向かってくる。
「梶谷さん! 魔物が指定した二十メートルの警戒ラインを越えます!」
冬佳が叫んだ。
朔は即座に通信機のスイッチを押し込んだ。
「高峰、中止条件を満たした! 全員、直ちに戦闘を中断して退避しろ!!」
だが、事態は朔の退避命令よりも早く動いた。
巨大な質量を持ったボス魔物が、白稜の包囲網を完全に引きちぎり、亀裂の入った主柱と、その後ろにいる朔たちの避難路へ向かって、一直線に突進を開始したのだ。




