第23話 図面より現物
D60。第三換気区の点検室へ入る前に、千紗は退避時刻を全員の記録へ書き込ませた。
作業時間を延ばしてよいという意味ではない。予定より早く戻る条件も、横へ並べてある。
朔と冬佳は呼吸保護具を確かめ、交換部品を載せた台車とともに二重扉を通った。
外から見えていたカセットは、確かに『EX―402』だった。冬佳が隣の識別票を撮影し、公社から届いた回答と見比べる。
「新品への交換記録は、隣の補助換気機のものでした。機器番号を同じ欄へ転記していたそうです。この本体の交換は済んでいません」
「では、古い型だから駄目なのか」
「型だけでは決まりません。必要な捕集性能と取付寸法を確かめます」
千紗が部品票を開いた。手配してきた交換品は旧型と同寸の在庫品だが、この区画で測定された粒子に対応している。大きな筐体まで一式替える必要はない。
冬佳が機械を停止し、再起動しないよう操作部を固定する。残った動きがないことも確認してから、カセットを外した。
枠に残った跡を見て、冬佳は指を止めた。
「向きが逆です。押さえが片側しか掛かっていません」
新しいカセットを正しい向きで取り付け、気密を検査する。図面に記された設定も確認した。
人と工具を機械から離し、短い試験運転を行う。
モーターは回った。しかし、予定の風量は出なかった。
「停止してください。吸気側の差圧が高いままです」
千紗の声で、試験は終わった。
再び動力と可動部を隔離した後、冬佳が吸気経路の点検口を開いた。
朔が照明を差し入れると、奥に灰色の塊が見えた。圧縮された粉塵と、剥がれた枠のシール材が絡み合い、通り道を塞いでいる。
「カセットの交換だけでは、ここが残るんですね」
千紗が記録へ写真を添えた。
「ええ。前の誤装着で隙間ができたのかもしれません。ただ、原因の順序は持ち帰った部品と記録を照合してからです」
冬佳は塊を指で触らず、工具で少しずつ外した。取り出した物は、朔が密閉容器へ移す。千紗は経過時間と周囲の濃度を読み上げた。
「一度退避です。続きは次の入室で」
まだ最後の詰まりが残っていたが、冬佳は工具を置いた。
「ここまでを撮っておいてください。次は、この継ぎ目から始めます」
朔が写真を撮り、三人で点検室を出る。途中の作業を説明し直す時間まで含めて、今回の契約だった。
次の入室で詰まりを取り切り、取付枠の傷んだシールを規定品へ替えた。加工が必要な箇所は準備室で寸法を合わせ、粉塵の中で切断工具を動かさずに済ませる。
冬佳は最後の留め具へ確認の印を付けた。
「気密確認、終了。点検口を閉めます」
再試験では、風の音が変わった。
粉塵が細い流れになって吸気側へ引かれていく。朔の照明の中に、先ほどまで見えなかった壁の継ぎ目が現れた。
千紗はまだマスクを外させない。機械の近くが改善しても、区画全体の安全が確定したわけではなかった。
「短区画の風量、規定内です。粒子濃度も低下しています」
「よし。ここは直ったな」
冬佳が工具箱の蓋へ手を置いた。声の向こうで、今度は正常なモーター音が続いている。
朔は交換したカセットと、取り出した詰まりの写真を並べた。図面の設定を戻すだけでは出なかった風が、現物の通り道を直したことで戻っていた。
残る各系統の状態は、隣接する管理ブースの計器盤で確認する。
三人は入室時間に余裕があることを確認し、移動した。
だが、計器盤の前で冬佳が立ち止まった。
「……読めませんね」
透明な観察カバーの外側を、朔が拭いた。照明の反射は消えたが、内側を漂う灰色の霞は残る。針があるはずの場所に、何も見えなかった。
カバーは埃から機構を守る物だった。傷んだパッキンの隙間から入り込んだ微粒子が、その中に留まっている。
「開放清掃は、周囲の粉塵を落としてからです。今開けると、奥の機構へ入れます」
千紗が留め具を確認して言った。
「清掃用の空気を入れる口は?」
冬佳が探したが、既設の接続口はない。計器を外すなら、その間の別測定と部品の手配が要る。
朔は腕時計を見た。今日の残り時間で、無理にカバーを開く理由はなかった。
「一度戻ろう。次の入室で、観察部だけを外の空気と切り離せないか検討する」
千紗がカバーの幅と奥行きを測り、記録した。容積は、一立方メートルに満たない。
「これなら、私の能力を使えます。広い部屋ではなく、この中だけを対象にします」
朔が振り返ると、千紗は既に、粉塵が入ってくる継ぎ目を指で示していた。
「まず、ここを塞いでください。取り除くことと、入れないことは、別の仕事です」




