第17話 滑るのは簡単、止めるのが難しい
D41。南斜坑輸送路の下り坂は、照明を当てると薄く光った。
染み出した地下水だ。深雪は坂の手前で止まり、靴底と床の両方を確かめた。
「この路面で、荷を載せた台車に人が追いつこうとしてはいけません」
継路の後ろには、北浜資源工業の担当者がいた。旧昇降坑の残置判断を知っている彼は、手にした納品予定表を折り直した。
「最終納品先は、速度を上げてほしいと言っています。私からも危険だと伝えましたが、今の速さが必要な根拠を出せないかと」
「試験結果を渡します。まず、現物を見てください」
朔は坂の上下に立入禁止の柵を置いた。試験中は作業員を台車の進路へ入れない。主ワイヤーと独立した制動索を接続し、終端の停止余地も確保した。
空荷で動かすのは、今回の台車と巻上機がどのように止まるかを確認するためだ。空荷で問題がなくても、五百キロの搬送を認める試験にはならない。
「規定の低速から始める。下は無人か」
「確認済みです」
冬佳の返答を受け、朔は巻上機の担当へ合図した。
台車が坂を下る。ワイヤーの繰り出しが止まると、台車も停止した。深雪が路面の印を読み、冬佳が索の荷重を記録する。
次は、試験計画で認めた範囲内で少し速度を上げる。同じ停止位置から合図を出したが、台車は前より先で止まった。破損も火花もない。それでも、停止余地の線へ近づいているのは見えた。
「これが空荷の記録です。荷を積めば、制動器が受ける仕事は増えます。希望速度で満載試験をしてよい条件ではありません」
深雪が担当者へ記録を示した。
「魔法で床を滑りやすくしたら、速くなるのでは……という質問も来ていましたが」
「滑りやすくはできます。ただ、車輪が転がるのと、床を滑るのは違います。滑らせたら方向まで失います」
深雪は一平方メートルの枠を床へ置いた。
「この範囲を三秒変えるだけです。摩擦を増やす使い方もできますが、走っている重い台車がここを通る瞬間を、緊急ブレーキ代わりにはできません。車輪がここから出れば、それで終わりです」
担当者は枠と長い坂を見比べた。
「本体のブレーキで止めるしかないんですね」
「はい。人間も魔法も、暴走した荷を正面から受ける役ではありません」
午後は安全な低速へ戻し、荷を少しずつ増やして制動試験を進めた。
深雪は停止のたびに、台車が完全に止まってから輪止めを入れる。冬佳は巻上機と固定点を確認し、澪が時刻と試験荷重を記録した。
最後に五百キロ。台車が指定の位置へ止まるまで、誰も声を出さなかった。
「停止。主制動、異常なし。予備索の張りも正常です」
深雪の声で、担当者がようやく息を吐いた。
朔は試験表を渡した。
「採用するのは、この速度です。速度を上げる案は採用しません。積替え口の初動だけ摩擦調整を使い、勾配では巻上機と制動器に任せます」
「分かりました。これなら私から納品先へ説明できます」
担当者は自分の端末で資料を送り、短い通話をした。声を荒らげず、停止距離と搬送時間を順に説明している。
朔はその間に、深雪へ紙コップの水を渡した。
「止める専門家を呼んだ覚えはなかったんだがな」
「運ぶ仕事の半分は、止める場所を作ることです」
深雪は受け取った水を一口飲み、まだ乾いていない坂を見た。
「残り半分は、止まっている間に何をしておくか、ですね」
朔は工程表へ目を戻した。
台車が坂を下っている間、積込班は同じ空台車が戻るのを待っている。停止位置は決まった。まだ詰められるのは、その待ち時間だった。
通話を終えた担当者が戻ってきた。
「納品先も、速度の件は撤回しました。ただ、搬送数を増やす案を検討してほしいそうです」
彼は新しい提案を画面に出した。
二台の台車を、横に並べて一度に下ろす。
「机の上では二台入る幅だと。どうでしょう」
深雪は答える前にメジャーを出した。冬佳も台車の幅を測り直す。
朔は、台車と壁の間を歩いていた作業員の位置へ、図面上で丸を付けた。
「荷物だけなら、通るかもしれません」
担当者が顔を上げる。
「その横にいる人間は、どこへ逃げるんですか」




