第15話 地図を納品する
動態回廊での誤案内事件から数日。
作業日報のタイムスタンプがD36を迎えたその日、梶谷朔は霞浜物流協議会の会議室で、分厚いファイルの束をテーブルに置き、依頼主である担当者の前に提示した。
「動態回廊における『恒久経路案』です。早瀬の反響測位と相沢の現地測量により、迷宮内の絶対に動かない『不動区画』と、夜間にスライドする『変動区画』の法則性を観測と再測量で区別しました。この図面は、不動区画のみを経由して奥へと至る基本ルートを記したものです」
担当者が目を見張りながら図面をめくる。そこには、数日前に彼らの外部物資班が迷い込んだ旧経路にはしっかりと『進入禁止』のバツ印が引かれていた。
「素晴らしい。ですが梶谷さん、いくら基本ルートが不動でも、連絡路の一部が動く以上、やはり図面だけでは不安が残るのですが……」
「おっしゃる通りです。ですから、これはただの地図の納品ではありません。これから現場で、この経路案を『誰でも安全に歩ける物理的な道』にするための実地試験と設置工事を行います。同行をお願いします」
数時間後。
動態回廊の内部には、朔、澪、慧、冬佳、朱里の継路メンバー五名と、物流協議会の担当者が揃っていた。
先頭に立つのは、地図ケースを首から下げた朱里だ。彼女の瞳にはもう、かつてのような迷いやトラウマの陰りは一切ない。
「ここから先が、第一の交差点です。奥の連絡路は変位する可能性がありますが、手前のこの岩壁は不動区画に属しています」
朱里は迷宮の壁を指でなぞりながら、後続の担当者にも聞こえるようにはっきりと解説した。
「ここで重要なのは、どこに案内を出せば『絶対に曲がる方向を間違えないか』です。《路標》」
朱里が短く唱えると、交差点の手前、人の視線が自然と向く高さの岩壁に、青白く発光する幾何学模様が浮かび上がった。
「梶谷さん、ここです。ここなら、どの角度から来ても見落としません」
「よし。霧島さん、頼む」
「了解です」
朔の指示を受け、重い工具箱を持った冬佳が前に出る。
彼女は朱里が光の目印を置いた壁面に、迷宮用の電動ドリルを押し当てた。激しい駆動音と共に岩盤にボルト穴が開けられる。冬佳はそこに、蓄光塗料と強力な反射材でコーティングされた、物理的な『案内板』を当てがい、アンカーボルトで強固に打ち込んで固定した。
朱里が魔法の光を消去すると、そこには誰の目にもはっきりと見える、進行方向を示す矢印の看板が残った。
「……なるほど」
後ろで見守っていた担当者が、感心したように息を漏らした。
「案内人の方の魔法を、直接道案内に使うのではなく、看板の『最適な設置位置』を決めるためのマーキングに使っているんですね」
「個人の特殊な魔法を、恒久的な物流インフラにしてはいけない」
朔はタブレットで案内板の設置座標を記録しながら、淡々と答えた。
「魔法はいつか切れる。発動者が休めば道は途絶える。俺たちの仕事は、魔法の力を借りて現場の安全を確保し、最終的には『誰の目にも見える物理的な設備』と『運用手順』に落とし込むことです。これで、彼女がいなくても、あなた方の物資班はこの看板に従って歩ける」
朱里が最適な位置を割り出し、冬佳が物理的な案内板を固定し、慧が周囲の安全を音で確認し、澪がそのすべての工程と時刻を記録する。
一行は変動区画の境界にも、物理的なゲートポールを設置した。
「変動区画については、毎朝一番に協議会の指定担当者か、別契約を結んだうちのスタッフが目視確認を行い、接続先が安全であることを確認してからポールのチェーンを外す『定期点検条件』を運用に組み込みます。異常があった日は閉鎖し、図面を差し替えてから開けます。点検と連絡までが、この経路の運用条件です」
設置を終えてから、案内を受けていない運送員の二組に、時間をずらして歩いてもらった。使うのは納品する図面と案内板だけ。朱里は後方から見守り、分岐で声を掛けずに、二組とも指定経路を通れることを確かめた。
試験を見届けた担当者は、深く頷いた。
「いまの二組とも、図面と案内板だけで指定経路を通れました。先日、旧経路で迷ったうちの物資班の連中も、相沢さんの案内がなければ生きては帰れなかったと泣いて感謝していました。……この恒久経路、確かに検収いたしました」
担当者が持参した電子端末に承認のサインを書き込む。
「それから梶谷さん。地形が変動した際の看板の移設や、毎朝の定期点検……いわゆる継続保守についても、御社と小契約を結ばせていただきたい」
「ええ。喜んでお受けします」
朔と担当者が固い握手を交わす。
動態回廊という危険な迷宮は、継路の知恵と手順によって、社会が利用できる安全な物流路へと生まれ変わったのだった。
その日の夕方。
検収を終え、ギルド窓口での各種手続きを済ませた一行は、継路の事務所へと帰還していた。
「お疲れ様でした! これ、皆さんにお茶です!」
澪が人数分の紙コップを配り、事務所には和やかな空気が流れていた。
朔は自分のデスクに座ると、引き出しから一つのクリアファイルを取り出し、朱里の前に置いた。
「相沢」
「は、はい!」
お茶を飲んでいた朱里が、慌てて背筋を伸ばす。
「今回の一件、君の現況把握と《路標》の運用がなければ、あの道は完成しなかった。俺の判断ミスをカバーしてくれたことにも、改めて礼を言う」
朔はファイルを開き、中に入っていた真新しい書類を朱里へ向けた。
「これまでの案内委託ではなく、合同会社継路の正社員としての雇用契約書だ。給与と安全手当の条件は記載されている通りだ。……うちに来てくれるか」
朱里は、その書類を両手で受け取った。
案内ミスでパーティを危険に晒し、どこからも雇ってもらえなかった自分。そんな自分が、今度は自分の知識と魔法で、誰も迷わない恒久的な道を作り上げた。そして、それを最も正当に評価してくれる現場監督がここにいる。
「……はいっ。私、どこまでもご案内します」
朱里の目からぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。彼女は袖でゴシゴシと涙を拭うと、ペンを握りしめて力強くサインを書き込んだ。
「よろしくお願いします、梶谷さん!」
慧が小さく拍手をし、冬佳が「よろしくね」と微笑みかける。
これで継路は、記録の澪、測位の慧、設備の冬佳、そして案内の朱里という、四人の専門家を抱えるチームへと成長した。
だが、安堵の時間は長くは続かなかった。
朔のパソコンに、ギルドのネットワーク経由で次々と新規の着信通知がポップアップし始めた。
「……すごいですね。動態回廊が開通したという情報がギルドに公告された途端、依頼が殺到していますよ」
澪が画面を覗き込みながら驚きの声を上げる。
「ああ。安全な道ができたことで、北浜資源工業や物流協議会から、奥の区画で採掘された魔鉱石の搬送依頼が一気に回ってきた」
朔は依頼のリストをスクロールし、各案件の『重量要件』の項目に目を留めた。
そして、ふぅと短く息を吐いた。
「朔さん? どうかしましたか」
「依頼の数が多すぎる上に、一つ一つの荷物が重すぎる」
朔はモニターを全員に向けた。そこに記載されていたのは、数十キロといった次元ではなく、数百キロからトン単位に及ぶ大型貨物の輸送要件ばかりだった。
「道ができたのはいいが、今の俺たちの設備と人員では、こんな大荷物を安全に運ぶ『搬送能力』がない。霧島さんの仮固定でも支えきれないし、坂道で万が一台車が滑り出せば大事故になる」
朔は腕を組み、ホワイトボードの空きスペースを睨みつけた。
「荷物を安全に滑らせ、そして確実に『止める』ことができる、物流・搬送の専門家が必要だ。すぐにツテを探すぞ」
道が開けたからこそ生じた、新たなボトルネック。
継路の現場攻略は、次のステージとなる「重量輸送」へと突入しようとしていた。




