【第一章 限界社畜、異世界で「絶対安全な引きこもり部屋」を作る】
終電の女神と、明日会社に行かなくていい魔法
ガタン、ゴトン。
深夜零時を回った最終電車。まばらな乗客を乗せた車両には、疲労とアルコールの入り混じった空気が漂っている。
木本ヒカリ(25歳)は、窓ガラスに映る自分の顔を見て、ふう、と小さく息を吐いた。
(ひどい顔……。目の下のクマ、コンシーラーでも隠しきれてないや)
ヒールのせいでパンパンに浮腫んだ足は、靴を脱ぎ捨てたいほどジンジンと痛む。膝の上には、駅前のコンビニで買った半額のペペロンチーノが入ったレジ袋。温める気力すらなかったから、きっと油が固まって美味しくないだろう。
ヒカリの仕事は、中堅イベント企画会社の「進行管理事務」。
華やかに聞こえるかもしれないが、実態はただの「何でも屋」であり「サンドバッグ」だ。
クライアントの度重なる無茶な仕様変更に振り回され、現場の設営トラブルに走り回り、上司が丸投げしたミスの尻拭いをして、ひたすら頭を下げる毎日。
今日も、他部署のミスで怒り狂うクライアントに三時間も謝り倒し、誰もいなくなったオフィスで一人、明日のイベントの備品リストをチェックしていた。
(……誰も、怪我なく、無事に帰れますように。それだけ確認できれば、まあ、いいか)
誰にも「ありがとう」なんて言われない。
イベントが成功すれば上司の手柄になり、失敗すればヒカリの段取りが悪いと責められる。
自分のやりたい企画なんて一つも通らない。ただ、他人が気持ちよく過ごせるように、裏方で泥にまみれて動線を整え、ゴミを拾うだけ。
(疲れたな……。何もかも、放り出せたらいいのに)
ガタン、と電車が揺れる。
(アラームをかけずに、ふかふかのベッドで泥のように眠りたい。誰にも怒られず、理不尽に怯えなくていい……絶対に安全な場所で、ただ息をしていたいよ……)
そんな限界ギリギリの社畜の願いが、ぽろりと口からこぼれ落ちそうになった、その時だった。
「――プシュッ、ゴクゴクゴク……ぷはーっ! わかるわぁ、その気持ち。あんた、今にも過労死しそうな顔してるもんね」
「……え?」
ヒカリは驚いて隣を見た。
いつの間にか、ヒカリの隣の座席に「変な女の人」が座っていたのだ。
年齢は高校生くらい? いや、よく見ればヒカリと同じくらいにも見える絶世の美女。だが、その格好は致命的に場違いだった。
上下揃いのえんじ色の芋ジャージ。足元には健康サンダル。手には開けたばかりの缶ビール(しかもロング缶)を持ち、どこから出したのか、イカの姿焼きをかじっている。
「えっと……あの?」
「あ、ごめんね。私、しがない女神やってるルチアナって言うんだけど。永遠の17歳ね、よろしく」
「め、女神……?」
完全にヤバい酔っ払いに絡まれた。ヒカリが席を立とうとした瞬間、ルチアナはヒカリの肩をポンと叩いた。
「あんたみたいに、自分の身を削って他人のために動ける子、嫌いじゃないわ。どう? 今の人生、もう一回やり直してみる?」
「……やり、直す?」
「そう。誰もあんたを怒らない、あんただけの安全な居場所を持てる世界でさ。どうせ明日も会社行きたくないでしょ?」
ドクン、と心臓が跳ねた。
(明日、会社に行きたくない)
その言葉は、ヒカリの理性を吹き飛ばすのに十分すぎる破壊力を持っていた。幻覚でも、詐欺でも、酔っ払いの戯言でもなんでもいい。
「……行きたく、ないです」
「よろしい。じゃあ、あんたのその細やかな気遣いが、ちゃんと報われるスキルをあげる。行ってきなー!」
ルチアナが指パッチンをした瞬間。
ヒカリの視界は、真っ白な光に包まれた。
◆ ◆ ◆
「……ん、んん……?」
次に目を開けた時、ヒカリを包んでいたのは、冷房の効きすぎた車両の空気ではなく、草の匂いが混じる心地よい夜風だった。
頭上には、東京では絶対に見えないような、こぼれ落ちそうな満天の星空。
背中には、柔らかな下草の感触。
「……ここ、どこ?」
ヒカリはゆっくりと身を起こした。
視界の果てまで広がるのは、なだらかな草原。遠くにぼんやりと山の稜線が見える。
静かだった。
電車のガタンゴトンという音も、酔っ払いの怒声も、そして何より――
ポケットの中にあるはずの、仕事用スマホの、胃がねじ切れるようなバイブレーションの振動が、一切ない。
「あ……」
ヒカリの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「私……明日、会社に……行かなくて、いいんだ……!」
その事実を理解した瞬間、ヒカリの胸の奥で固く結ばれていた何かが、音を立ててほどけていった。
もう、誰かのミスの尻拭いで頭を下げなくていい。
無理なスケジュールでイベントを回さなくていい。
怒鳴り声に怯えなくていい。
「あはっ、あははは……っ! やったぁ……っ!」
ヒカリは誰もいない草原で、涙を流しながら笑い声を上げた。
人生で一番の、圧倒的な安堵と多幸感だった。
ひとしきり泣いて笑って、ようやく落ち着きを取り戻したヒカリの脳内に、ふと無機質なアナウンスが響いた。
《ユニークスキル【ダンジョンクリエイト(絶対領域創造)】が解放されました》
「ダンジョンクリエイト……?」
空中に、半透明のパネルが浮かび上がる。そこには、女神ルチアナがくれたスキルの説明が記されていた。
【ダンジョンクリエイト】
・任意の空間を「ダンジョン」に指定し、構造・ギミック・内装・安全基準を自由自在に改変・拡張できる。
・ダンジョン内部のルールは、マスター(木本ヒカリ)の意思が絶対となる。
「ダンジョンって……あの、暗くてじめじめしてて、モンスターが襲ってくるような危険な洞窟のこと?」
ヒカリはブルッと身震いした。
「嫌だ嫌だ。私はもう、痛いのも怖いのも理不尽なのもお断り。私が欲しいのは……誰も無断で入ってこられない、鍵がしっかりかかる、清潔で安全なお部屋だよ」
ヒカリはパネルを操作してみた。
まるで、前世でイベント会場の設営図面を引いていた時のように、頭の中に空間のイメージがスルスルと浮かび上がってくる。
「とりあえず、雨風がしのげる広めのログハウス。ベッドはふかふかで、シーツは洗い立て。お風呂とトイレは絶対水洗で、清潔に!」
ヒカリが強く念じると、地面がゴゴゴッと静かに揺れ、瞬く間に土と木々が組み上がり、可愛らしい一軒のログハウスが完成した。
ここが、ヒカリのダンジョン『第1層』となる空間だ。
「すごい……! 本当にできちゃった」
ヒカリは感動しながら、ログハウスの扉の前に立つ。
そして、ダンジョンマスターとしての『絶対ルール』を設定した。
「この空間内では、一切の悪意と暴力を禁止。私が許可した人以外は入れないし、中では誰も傷つかない『絶対安全領域』にする!」
《ルールを設定しました。ダンジョン『第1層:マスタールーム』稼働開始》
カチャリ、と扉を開けて中に入る。
そこには、ヒカリが想像した通りの、木の香りがする温かくて清潔な部屋があった。奥には真っ白なシーツが敷かれた大きなベッド。
「あぁ……天国だ……」
ヒカリは靴を脱ぎ捨て、そのままベッドにダイブした。
ふかふかのマットレスが、疲労困憊の体を優しく包み込んでくれる。
ご飯のことや、これからの生活のことは、明日起きてから考えればいい。今はただ、この幸せなまどろみの中へ落ちていきたい。
「おやすみなさい……」
限界社畜だったヒカリは、ついに手に入れた「自分だけの安全な居場所」で、泥のように深い眠りについたのだった。
――だが、ヒカリはまだ知らない。
彼女がこのポポロ村の近郊に、突如として『異常な魔力反応を伴う謎のダンジョン』を出現させてしまったことを。
「……なんだ、あの建造物は。昨日までは影も形もなかったはずだが」
ヒカリが幸せな夢を見ている頃。
ログハウスから少し離れた森の木の上で、暗視ゴーグルを下ろし、消音器付きのアサルトライフルを構える黒服の男――ポポロ村自警団の特命警護官・神谷シンが、極度の警戒心をむき出しにして、ダンジョンの扉をスコープ越しに睨みつけていたことを。
限界社畜OLの異世界ダンジョン経営(引きこもり生活)は、こうして幕を開けた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
毎日お仕事や学校、家事でお疲れの皆様。
ヒカリと一緒に「明日会社(学校)に行かなくていい魔法」にかかった気分で、この絶対安全なダンジョンで少しでも休んでいってくださいね。
次回は、最強に過保護で「世界一臆病な暗殺者」のシンくんが、パジャマ姿のヒカリの部屋に突入してきます!
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皆様の応援が、ヒカリのダンジョンを豊かにする力になります。
次回もどうぞよろしくお願いいたします!




