完治
夏菜の作った肉じゃがは、新玉ねぎの甘みがこれでもかと溶け出していて、文句のつけようがないほど絶品だった。
箸でつまむとホロリと崩れるじゃがいもに、しっかりと味が染み込んだ豚肉。そして、主役である新玉ねぎは普通の三倍の量のが使われている。トロトロに煮込まれており、口に入れると濃厚な甘みと旨味が口内を喜ばせる。
「お代わり!」
「はいはい。蒼也、ほんとによく食べるようになったね。昔は玉ねぎとかピーマンとか、お皿の端っこに避けてたのに」
「それは昔の話だろ。今はちゃんと食べてる」
「母殿の味も良いが、夏菜の飯も格別じゃな!この『にくじゃが』という料理、人間の知恵と恵みが詰まっておる!」
茜は器用に箸を使いこなしながら、目を輝かせて肉じゃがを頬張っている。
「えへへ、茜ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな。作り甲斐があるよ」
「うむ!夏菜は本当に良い『嫁』になるぞ。蒼也にはもったいないくらいじゃ!」
「よ、嫁っ!?も、もったいないって、別に蒼也のお嫁さんになるわけじゃ……!」
無邪気な爆弾発言に、夏菜は顔を真っ赤にして箸を落としそうになっていた。
「…ほら、茜。夏菜をからかうなって」
「からかってなどおらぬ。事実を述べたまでじゃ」
俺はむせるのを誤魔化すように、冷えた麦茶を喉奥に流し込んだ。
食後は、片付けを3人で行なった。洗い物を俺がやると言うと、夏菜はやはり目を丸くしていた。
その後はテレビの前に三人で座り込んでのゲーム大会になった。
棚の奥から引っ張り出してきた、古い対戦型のカートレースゲームだ。四分割された画面で、それぞれがキャラクターを操って順位を競う。
「あーっ!ちょっと蒼也、今わざと甲羅ぶつけたでしょ!」
「勝負の世界は非情なんだよ。甘い顔してたら出し抜かれる。ほら、茜もコースアウトしてるぞ」
「ぬぬぬ……この四角い板の操作、どうにも慣れん!ええい、なぜ右に曲がらんのだ!というより、なぜ私の車は後ろに向かって走っておるのだ!?」
「茜ちゃん、それアクセルじゃなくてブレーキボタン押してる!ほら、こっちのボタン!」
身体ごと右へ左へ傾きながらコントローラーを強く握りしめる茜に、夏菜が横から世話を焼く。
「よーし、茜ちゃん、私と一緒に蒼也を潰そ!蒼也ばっかり一位なんてズルい!」
「うむ!合点承知じゃ!夏菜、私に続けぇっ!」
「おいおい、なんで俺が標的になってんだよ。1対2なんて卑怯だろ!」
「さっき非情って言ったのは蒼也でしょ!いけーっ!」
夏菜の放ったバナナの皮に見事に引っかかり、俺のカートがスピンする。その隙に、壁に激突しながらも茜のカートが俺を追い抜いていった。
狭い居間には、夜遅くまで三人の大きな笑い声が響き渡っていた。
時計の針が九時を回った頃、夏菜が帰り支度を始めた。
「あー、楽しかった。そろそろ帰るね。美佐子さんたちにもよろしく言っといて」
「送っていくよ。暗いし」
「ううん、大丈夫。すぐそこでしょ」
玄関先でスニーカーを履きながら、夏菜はチラッと上目遣いでこちらを見た。
「土曜日、13時に駅だからね。遅刻したらアイス奢ってもらうんだから!」
「わかってるよ。映画だろ」
「うん。……楽しみにしてるからね。茜ちゃんもおやすみー!」
少しだけ頬を染め、ひらひらと手を振りながら、夏菜は夜の闇の中へ自転車を走らせていった。その後ろ姿が見えなくなるまで見送り、俺はゆっくりと引き戸を閉めた。
家の中が急に静かになる。
「さてと」
俺は居間に戻り、短く息を吐く。施術家としてのスイッチを入れた。
「茜。そろそろ時間だ。肩の調子を診るから、こっちに来て座ってくれ」
俺の低く落ち着いた声に、茜はハッとしたように表情を引き締め、畳の上にちょこんと正座した。
俺は背中側へ回り、彼女の右肩の衣服を少しずらす。
三日前に貼り替えたテーピング。皮膚を持ち上げ、筋肉と筋膜の間に意図的な空間を作ることで、リンパと血液の循環を滞りなく流し、生体本来の自然治癒力を極限まで引き出す目的だ。
しかし、その役目は、もう十分に果たされた。
「剥がすぞ。ちょっと皮膚が引っ張られるからな」
「うむ。頼む」
俺は片手で茜の肩のテープの端をつまむと、皮膚が傷つかないように、テープから皮膚を押し、慎重にテープを剥がしていく。
炎症による熱感は完全に消え去り、筋肉の緊張も解けている。柔らかく、生命力に満ちた滑らかな筋繊維の感触だ。
「蒼也よ」
俺が棘下筋から三角筋にかけての状態を指先で確認していると、茜が背中越しに口を開いた。
「なんだ?痛むか?」
「いや、そうではない。……土曜日は、あの娘とお出かけなのか?」
「……ああ、今日約束してな」
「ふむ……逢瀬と言うやつだな!」
逢瀬?確か今でいうデートのことか。
「な、なんだよ急に。ただの映画だよ。夏菜が観たいのがあるって言うから、付き合うだけだ」
「ふふん。誤魔化しても無駄じゃぞ。夏菜はお前を見る時、いつも瞳がキラキラしておる。まるで恋する乙女じゃな」
「……っ、馬鹿なこと言ってないで、じっとしてろ」
「おや、照れておるのか?夏菜は器量も良いし、ご飯も美味い。人間の番としては最高ではないか。蒼也も、まんざらではない顔をしておったしな。
しかし、羨ましいの〜私にはその様な相手、おらんからな」
茜はニヤニヤと笑いながら、肩越しに俺の顔を覗き込んでくる。
俺は無意識に顔が熱くなるのを感じながら、わざと肩甲骨のキワにある痛みの元、トリガーポイントを少し強めに押し込んだ。
「あいたっ!?な、何をする蒼也!」
「口が減らない患者にはお灸を据えるんだよ。ほら、余計なこと考えてないで、治療に集中しろ。……痛みは?」
「い、今の攻撃以外は、全くないぞ」
茜が涙目で抗議するのをスルーし、俺は本格的な可動域の確認に入った。
「じゃあ、ゆっくり腕を前に上げて、そのまま耳の横まで持っていってみろ」
俺が促すと、茜は恐る恐る右腕を動かした。
屈曲、外転、内旋、外旋。
すべての動作を指示通りに行わせるが、どの動きにも引っ掛かりや代償動作は見られない。肩甲骨と上腕骨の連動も完璧だ。関節の可動域は、完全に正常な状態を取り戻していた。
「上がるのう」
真っ直ぐに天井を指さしたままの自分の腕を見つめ、茜の大きな瞳が揺れる。
「痛くないぞ、蒼也!一番上まで腕が上がる!」
「当然だ。構造を元に戻して、お前の身体の治癒力を手助けしただけだが、棘上筋の炎症も完全に引いてる。もう、どこも壊れてない」
俺が静かに告げると、茜は天井に向けていた腕を下ろし、勢いよく振り返った。
そして、そのまま俺の胸元に思いきり飛び込んできた。
「ありがとう、蒼也!!」
「うおっ…!」
ドンッとぶつかってきた華奢な身体を受け止めながら、俺は苦笑いする。石鹸の甘い香りと、温かい体温が伝わってくる。
「これでもう肩や腕は大丈夫だ。あの時、助けてくれて本当にありがとう」
「うむ……!」
俺の胸から少し離れ、茜が力強く頷く。
その屈託のない笑顔が、また俺の鼓動を早くする。
ふとした時にこの顔が頭をよぎる時間が増えたのは、確かだった。
さぁ、次は本格的に稼がなきゃな。




