緊急事態
二日後の夕方。
明日は夏菜と映画だ。デートじゃないと言ったが男女で映画はどう考えてもデートだろう。俺は少し浮ついた気分で、バイトを終わらせて家路についていた。
しかし、自宅の前に差し掛かった時ギョッとした。
「おお!蒼也殿、お帰りなさい!」
俺に気づくなり烏丸が羽を広げ手を振る。
「烏丸さん!?人目に付くでしょ!」
「ハハハ!安心なされよ。我ら妖怪は人には視えん。土地神様と縁のあるものや視る力のあるものには見つかってしまうがな」
豪快に笑っているが、こっちは肝が冷えた。
「それなら……で、今日はどうされたんですか?次回の治療は来週じゃなかったかな?」
我が家の庭先。そこには、烏丸の他に見知らぬ二人の鴉天狗がいた。その正面には、縁側に座って足をぶらぶらさせている茜の姿がある。
「すまぬ。私の翼が劇的に回復したのを見て、こいつらがどうしても蒼也殿の施術を受けたいと騒ぎ立ててな!土地神様にはすでにお許しをいただいるのだが」
「なるほどね……で?症状は?」
俺が二人を見ると、彼らは深々と頭を下げた。
「どうか我らの翼も治してくだされ!最近、飛ぶたびに背中の奥がギシギシと痛み、満足に風を掴めぬのです」
「スマホの見過ぎが原因と聞いたのだが、動画アプリの沼にハマってしまい……このままでは天狗の面目丸潰れです!」
「……どんだけ人間の娯楽に依存してるんですか」
呆れつつも、俺の脳内では既に電卓が弾かれていた。
純金1グラム×3人……。しかも天狗のネットワークで口コミが広がれば、太客はさらに増える。これはチャンスだ!
「わかりました。とりあえず中に入てください」
居間に座布団を敷き、臨時の施術所が完成した。
「うぐおおおおッ!?も、もげる!羽がもげるぅぅ!」
「動くな、力抜かないと余計痛いぞ。お前らも烏丸さんと同じで、完全に肩甲骨周りの筋膜が癒着してる。スマホを持つために腕を前に出し続けてるから大胸筋も縮こまって、典型的な『巻き肩』になってるんだよ」
俺は淡々と解説しながら、二人の天狗の背中に容赦なく指を沈め、石のように固まった癒着を引き剥がしていく。
関節の可動域を広げ、仕上げにテーピングを施す。所要時間は一人につき二十分。前世で何千回と繰り返してきたルーティンワークの一つだ。
「ふぅ……よし。次、烏丸さん、うつ伏せに」
最後に烏丸のテーピングを貼り替え、軽く筋肉の張りを緩めて再調整を行う。
「おおお……!またしても羽に命が吹き込まれたようだ!」
「肩が回る!背中が羽毛のように軽いぞ!!」
三人の半裸天狗達は、居間の中でバッサバッサと力強く羽ばたきながら雄叫びを上げる。
「こら!家の中で風を起こすな、うるさくするなと言っただろう!」
茜が座布団を盾にしながら怒鳴ると、三人は慌てて平伏した。
「も、申し訳ありませぬ!しかし、蒼也殿の施術は素晴らしい!これなら明日からの『空のパトロール』も完璧にこなせます!」
「はいはい、お疲れさん。で、お会計だけど」
俺が手を差し出すと、烏丸が恭しく小さな布袋を俺の掌に乗せた。
「約束の品だ。今回は急な訪問の詫びと、我らの感謝の印として、少し多めに包ませてもらった」
想像以上の重みに、俺は思わず息を呑んだ。中を覗くと、キラキラと輝く純金の砂や小さな塊が、ざっと見積もっても数十グラムは入っている。
マジか……良いのかな……まあ貰えるものは貰っておくけど。
「……ありがとうございます」
「では、我らはこれで、土地神様失礼つかまつる!」
外に出ると、ドンッ!という強烈な突風と共に、三人の天狗はあっという間に夕焼け空の彼方へと消えていった。
「蒼也。顔がニヤけておるぞ」
「そ、そうか?いやー、良い仕事をした後の達成感ってやつかな」
俺は袋を握りしめて密かにガッツポーズをした。この調子なら、タンデムシートどころか、最新式の装備だって買えそうだ。
その日の夜中。
日付が変わる直前、俺は自室で明日の映画についての前情報を入れていた。夏菜と二人で出かけるなんていつぶりだろうか。妙にソワソワしてしまう。
ドンッ!!!
「……ん?」
突然、家の外からものすごい物音が響いた。何かが落ちてきたような音だ。
急いで一階へ降りて引き戸を開けると、土埃の舞う庭に、真っ黒な羽が見えた。烏丸さんだ。
「どうしたの烏丸さん!?」
「はぁっ、はぁっ……蒼、也殿……!」
烏丸の息は絶え絶えで、立派な黒い翼は乱れていた。
騒ぎを聞きつけて、パジャマ姿の茜も奥から出てきた。
「カラス!?どうした、何事じゃ!」
「と、土地神様……! お願いです、助けてくだされ……!」
烏丸は地面に這いつくばったまま、必死に頭を擦り付けた。
「族長が激しい頭の痛みでのたうち回っておられるのです!山の薬草も、祈祷も全く効かぬ……!このままではっ!」
「頭痛?」
俺は眉をひそめた。妖怪の頭痛?それも、のたうち回るほどの激痛。
脳の血管障害か、くも膜下出血のような致命的な病の可能性もあるが……それだったら外科的な処置でなければ助からない。いや、烏丸たちが重度の『スマホ首』だったことを考えれば、頸椎の歪みや極度の後頭下筋群の緊張からくる『緊張型頭痛』、あるいは『後頭神経痛』の可能性が高い。
もしそうなら、俺の専門領域だ。
「蒼也…あいつらは、私の大切な民じゃ。なんとか、ならないか……?」
茜が、縋るような、泣きそうな目で俺の袖をギュッと掴んだ。俺の胸の奥で、またあのチクッとした痛みが走る。
「…診てみないと何とも……でも最前は尽くすよ」
俺は短く答え、玄関の横に置いてある往診用の黒いバッグを掴み取った。中には各種テーピング、マッサージ用のオイルや医療に使える物が詰まっている。
「烏丸さん、診るよ」
「お、おおお……っ!感謝いたします!!」
烏丸が涙と汗でぐしゃぐしゃの顔を輝かせて立ち上がった。
「待て、私も行く!」
「茜、肩が治ったとはいえ、神の力は戻ってないんでしょ?危なくないの?」
「バカを言うな!あそこは私の山じゃ!それに……お前だけを、いかせるわけにはいかん」
茜の瞳を見て、彼女の頭をポンと撫でた。
「では……お二人ともつかまってくだされ」
「……待ってよ。烏丸さん、二人も抱いて飛べるの?」
「……やってみせます」
「いや、根性論じゃなくて物理的に二人も人を抱えて飛べるのかって話だよ!」
いくら大きな羽で、あれだけの速度を出せると言えど、烏丸さんを含んで三人は無理だろ。
「ぐっ……しかし、歩いてなどいたら陽が明けてしまいまする!」
「大丈夫、俺には頼りになる先輩がいるから」
俺はニヤリと笑ってポケットからスマホを取り出し、とある番号を呼び出した。
数回のコールの後、電話の向こうから寝起きの不機嫌そうな声が響く。
『……あぁ?蒼也?お前、今何時だと……』
「ごめん忠継、でも緊急事態なんだよ。今すぐ車を出してくれないか?足尾山の林道の奥まで行きたいんだ」
『はぁ!?お前ふざけんなよ、こんな夜中に車出させるとか……』
「お願い!族長が……カラス天狗の族長が大変らしいんだよ」
『……何を訳のわらねぇこと言ってんだ…………あーくそッ、三分でいく。待ってろ』
プッ、と即座に電話が切れた。
やっぱり忠継は頼りになるな。
「よし、これで行ける。茜はその格好で良いの?」
「ん?何か不都合があるのかの?」
茜が自分の体を見回しながら頭にはてなマークが飛ぶ。
ふと、薄手の生地越しに揺れる胸の膨らみに目が行ってしまった。パジャマ姿ってのは……良いよな……なんか、昼間とは違う無防備さがあって……
「いや、茜が良いなら良いんだけどさ」
「?変なやつだな。凄く着心地が良いのだぞ、この服は」
着心地の話じゃないんだけど、まあ良い……
少しすると、排気音と共に、見覚えのある車が家の前に停車した。
「蒼也!こんな時間に呼び出しやがって……って!?何だそいつは!!!!」
忠継が烏丸を指差して後ずさる。
「あー話は後で、先ずは向かおう」
俺たちは烏丸を強引に後部座席に押し込み、茜もその横に乗り込んだ。
夜の闇の中、四輪駆動車のヘッドライトが暗い山道を切り裂いていく。




