族長
車で夜道を走ること数十分、山道を黒い四駆が駆け上がっている。ここ足尾山の道は狭く、街灯もない。
車一台が走るのでやっとの広さだ。
「天狗の村ってのはこのまま進めば良いのか?」
忠継がシフトレバーを操作しながら聞いてくる。先程までは烏丸の背中にビビり散らしていたが、今はその存在を認めざるを得なくなっている。
「うむ。もう少ししたら抜け道がある。ほれ、そこの道を右だ」
後ろから烏丸が指を差す。
そこは今走ってきた道よりも更に狭く、普通なら絶対に通らない道だ。
「この来た道って……俺たちがハングで飛ぶ時にいつも通ってる場所だよね、もう少ししたら離陸場だし」
ここから300メートルも行けば、俺がいつも練習で飛んでいる離陸場がある。あまりの暗さに普段とは違う場所なのかと勘違いするが、この前墜落した時もそこから飛びたっている。
忠継はハザードを焚き、車を端に寄せ停車させた。
「着いたのー」
茜が一番にドアを開け外に出ると、皆が続く。
「こんな場所に天狗の村があるのか?」
忠継が森に向かって投げかけるが、烏丸と茜は「うむ」とだけ答えで、先を進んでいく。
深夜の森は薄気味悪い。誰もいる筈はないのに何者かの気配を感じてしまう。
「ほれ、もう少しじゃ」
そこから暗い獣道を歩くこと数分。車のエンジン音も届かないほどの無音。気がつくと目の前に、オレンジ色の淡い灯りが見えてきた。提灯の灯だろうか、それは次第に数を増やし、瞬く間に俺たちを取り囲んだ。
「天狗一族、烏丸あずきだ!土地神様と治療士をお連れした!」
「…入れ!」
次の瞬間、辺りは更に明るい光に包まれた。
視界を遮っていた鬱蒼とした木々が開け、俺は思わず息を呑んだ。
そこには、常識では考えられない『立体的な集落』があった。
樹齢何百年を超えるであろう杉や檜の巨木群。その太い幹や入り組んだ枝をそのまま基礎として利用し、幾重にも重なる木造の家屋や見張り台が空高く連なっている。家と家を繋ぐのは、ゆらゆらと揺れる心許ない吊り橋や、重力を無視したかのように切り立った螺旋状の階段だ。
歩くことよりも『飛ぶこと』を前提とした、天狗ならではの構造なのだろう。
村のあちこちに無数に吊るされた提灯が、闇の中にオレンジ色の幻想的な風景浮かび上がらせている。無数の灯りは風によりゆっくりと揺らめき、まるで山そのものが静かに呼吸をしているようだ。
どこからか、松の葉を燻したような微かな香の匂いが漂ってくる。
「……すげぇ。まるで映画の世界にいるみたいだ……」
忠継が、口を半開きにしたままポカンと空を見上げている。
「うむ!山の民の住処も、なかなかの見栄えであろう?」
なぜか茜が自分のことのように胸を張り、得意げにふんすと鼻を鳴らした。
バサッ、バサバサバサッ!
頭上のあちこちから、いくつもの大きな羽音が響いた。
見上げると、提灯の光に照らされた太い枝や屋根の上に、何十人もの鴉天狗たちが集まり、こちらを見下ろしていた。皆、烏丸と同じように漆黒の翼を持ち、その瞳には不安と、外敵に対する強い警戒の光が宿っている。
「おい、あずきの奴……人間たちを村に入れて、族長様は本当に助かるのか……?」
「見ろ、あの小娘……いや、もしやあのお方は土地神様か!?」
ヒソヒソと交わされる声が、夜の静けさに響く。
烏丸はスッと背筋を伸ばし、周囲の天狗たちに向かってよく通る声で叫んだ。
「皆、案ずるな!こちらの蒼也殿の腕は、私が身をもって保証する!現に私の翼も完璧に治していただいたのだ! 今は一刻を争う、道を空けよ!」
烏丸の力強い言葉に、周囲の天狗たちの間にどよめきが走り、張り詰めていた警戒の空気が緩んだ。
「蒼也殿、こちらへ。族長様の家は、あの一番大きな神木の上にある」
烏丸が指差した先には、村の中心にそびえ立つ、ひと際巨大な杉の木があった。その遥か上部、提灯の灯りが最も密集している場所に、立派な造りの大きな建物が見える。
「……あそこまで登るのか。エレベーターは……当然ないよな」
俺が天高くそびえる階段を見上げて尋ねると、烏丸は真剣な顔で首を傾げる。
「……蒼也殿。我らの族長様を、頼みます」
「任せてください。茜、忠継、行くよ」
俺は往診用バッグの肩紐をきつく締め直し、幻想的な光に包まれた天狗村の階段を進む。
神木に巻き付くように造られた螺旋階段を、俺たちは急ぎ足で登っていった。
一段登るごとに木が軋む音が鳴り、下を見下ろせば足がすくむような高さだ。しかし、先頭を行く烏丸は焦っているのか、立ち止まる余裕はない。
「はぁ、はぁ……もう脚がパンパンだぞ……」
「頑張れ。ほら、もう着くぞ」
息を切らす忠継を励ましつつ、茜の手を引きながら最後の一段を登り切る。
そこには、見事な一枚板で作られた巨大な両開きの扉があった。
「族長様!烏丸あずき、治療士をお連れいたしました!」
烏丸が扉を開け放つと、畳敷きの広大な空間が広がっていた。奥の上座には豪華な布団が敷かれており、その上で一人の女性が苦悶の声を上げながらのたうち回っている。
その周りを複数の年老いた天狗が囲み、香を焚いたり、木の棒で空中を叩いたりしている。
「あぁぁぁ……!頭が割れるぅぅ……!!誰か、頭を切り落としてくれぇぇ……ッ!」
「族長様!!」
烏丸が悲痛な叫びを上げて駆け寄る。年寄り達は少し避け、スペースを作ってくれた。顔には焦りと、疲れがみてとれる。
「あずきよ、人間をこの村に連れてくるなど……」
「ババ様、わかってる。でもこんな状態の族長をみてられなかったんだ!」
「……土地神様がいなければ、決して村に人間等入れらせなかったが……」
「久しいな、マツよ」
横にいる茜が声をかけた。
「これは土地神様、お久しゅうございます。まさか土地神様がこのようなところにおいでくださいますとは……」
「何十年ぶりになるかの、元気そうで何よりだ。だが今は族長を救うのが先じゃろ?」
「……はい」
俺は茜と目配せを交わすと、急いで患者の傍らに膝をついた。
族長と聞いて、てっきり髭の生えた厳格な老人を想像していたが、布団の上で苦しんでいたのは、艶やかな黒髪を持ち、鼻筋の通った美女だった。
「失礼します。俺は桜咲蒼也。あなたの頭痛を治しに来ました」
「にん、げん……?ええい、誰でもいい!この頭を締め付ける呪いを解いてくれるならッ!」
族長は俺の腕を力強く掴み、ギリギリと歯を食いしばった。尋常ではない痛がり方だ。
俺は冷静に視診を開始する。美しい顔は激痛で青ざめ、滝のような汗を流している。しかし、チアノーゼは見られないし、呼吸も正常、みて取れるようなケガも見つからない。
ただ族長の枕元で、ぼんやりと青白い光を放っている四角い板が目に留まった。
……十インチサイズの最新型タブレット端末だ。画面には、人間界で流行っている海外ドラマの再生終了画面が表示されたままになっている。
「族長さん、どこが痛む?頭の上か?横か?後頭部か?それとも目の奥か?」
「ぐッ……頭全体と……目の奥だ…」
「ちょっと失礼」
俺は族長を座らせ、頭側に座り首と肩、背中と触診していく。喋り方、呂律、眼振や手の痺れ、痙攣、諸々の重症症状の可能性を排除していく。直近で頭を強く打ったとかも無さそうなので安堵した。
「……なるほど。これは呪いでもなんでもないかもしれないですね」
「な、何だと!?」
「烏丸さん。族長は、ここ数日ずっとそのタブレットで映像を見ていませんでしたか?それも、うつ伏せで顎を突き出すような姿勢で」
「……い、言われてみれば、先週行商から『たぶれっと』なるものを手に入れてから、三日三晩、寝食を忘れて見入っておられたが……」
烏丸の証言に、俺は深くため息をついた。
「完全な『後頭神経痛』と『緊張型頭痛』、『片頭痛』の併発だ。首の後ろと横の筋肉が極限まで緊張して、頭の中や頭皮に向かう神経を締め上げてる。そりゃあ頭も割れるように痛いわけだ」
俺は往診用バッグからヒ◯ロンを取り出す。これは軽い衝撃を与えると急速に冷え、氷よりも冷たくなる代物だ。
ヒ◯ロンを手で軽く殴るとパンっと音がなり、化学反応により一瞬で冷たくなった。
「「「!?!!??」」」
族長も天狗達も音に驚き、武器を取ろうとする者もいたが、茜と烏丸がなだめてくれた。
凍りつきそうな温度に下がったヒ◯ロンをうつ伏せに寝かせた族長の後頭部へと押し当てる。
「!?な、なんだこれは?冷た……い?」
「首や肩周りが炎症を起こしている。これもあまり冷たく感じないだろ?」
「あぁ……気持ち良いぞ……なんだかやっと呼吸が出来るようだ…」
族長の声に力がなくなって行く。
それから頭痛の為の治療を進めていった。十分に炎症を鎮め、族長を仰向けにさせる。
「族長さん。今から後頭部の付け根にある『後頭下筋群』という筋肉のロックを外す。一時的に凄まじい痛みが走るが、動くなよ」
「い、痛いだと………ひぐぁッ!?」
俺は族長の頭を両手で包み込むように持ち上げ、親指を後頭部の骨のキワ——第一頸椎と第二頸椎の間の深層にグッと沈み込ませた。
石のように硬直した筋肉が、大後頭神経を押し潰している。
「ごあァァァァァッ!!痛い!痛いいいいいッ!!」
「我慢しろ!ここは力を抜く方が楽だぞ!」
族長が激痛に身をよじらせるが、俺は容赦なく圧を加え続けた。
ミリ単位で指先を動かし、筋肉の硬結を丁寧に解していく。
ゴリッ
指先から伝わる不快な感触が、次第に滑らかな筋肉の弾力へと変わっていく。滞っていた血流が解放され、首から頭部へと一気に熱が巡り始めた。
「よし、筋肉は緩んだ。最後に頸椎のズレを調整する。深呼吸して……息を吐いて」
族長の力が抜けた一瞬の隙を突き、俺は首の関節を矯正する。
コキッ!
乾いた音が部屋に響き渡り、その瞬間、族長の身体が完全に弛緩した。
「ぞ、族長様……!?」
烏丸が青ざめて身を乗り出す。忠継も息を呑んで見守っている。
数秒の静寂の後。
族長はゆっくりと目を開け、自分の両手でそっと後頭部に触れた。
「……痛みが、消えた」
その声に、先ほどまでの色は乗ってない。
「あの痛みが……嘘のように消えている。視界も驚くほど澄んでおるぞ!」
「神経の圧迫を取り除いて、血流を正常に戻した。これで大丈夫な筈だ」
「ははは……これは笑うしかないな!」
族長は布団からゆっくりと起き上がり、俺の前に両手を付いた。
「人間……いや、蒼也殿だったか。この大恩、何と礼を言えばよいか。貴殿はまさに私の救世主だ!」
「大袈裟だ、ただの現代病なんだから。それと……いくらドラマが面白くても、一時間に一回は首を回して休憩してくださいね」
俺がタブレットを指差して言うと、威厳を取り戻しかけていた族長の顔が、ボンッと音を立てるように真っ赤に染まった。
「あ、あれは……その、人間界の文化を学ぶための重要な視察でっ!」
「視察でもちゃんと寝ること!良いですね?正直言って今回の原因はタブレットと睡眠不足、姿勢が原因ですよ。しかも三日三晩の徹夜でドラマみるなんてどうかしてます」
「うぅ……だって……あんなに面白い話を観てしまったら手がとまらんくて……」
烏丸も忠継も思わず吹き出した。パジャマ姿の茜も「しかたないのぅ!」とケラケラ笑っている。
「……コホン。ともかく、貴殿の素晴らしい腕前には深い敬意を表する」
族長は誤魔化すと、部屋の奥から立派な漆塗りの小箱を取り出してきた。
「これは今回の治療代、そして深夜に山へ足を運ばせた迷惑料だ。受け取ってくれ」
差し出された箱を開けると、そこには烏丸からもらったものとは比べ物にならないほどの、大粒の純金の塊がいくつもゴロゴロと入っていた。
「っ!!」
俺はニヤけるのを必死に堪えた。
「族長さん、また首や肩が痛くなったら、いつでも呼んでください。俺が治しますから!」
「ありがとう。すまぬが、頼りにさせてくれ」
俺は満面のスマイルで小箱をバッグにしまい込んだ。
近くの年老いた天狗達も腰が痛いだの、肩が張るだのといっているので顧客には困らなそうだ。
俺たちが族長の家を出て螺旋階段を降りる頃には、空の端がうっすらと白み始めていた。
「蒼也殿、本当にありがとうございました!土地神様も忠継殿も本当に助かりました。気をつけてお帰りくだされ!」
烏丸の羽ばたきに見送られながら、俺たちは再び獣道を抜け、忠継の車へと戻ってきた。
「はぁ〜……なんか、夢でも見てた気分だわ」
運転席に乗り込んだ忠継が、ドッと疲れたようにシートに背中を預ける。俺と茜も後ろの席に乗り込んだ。
「んぁ〜眠いし、疲れたのー」
茜は伸びを一つ入れると俺の肩にもたれかかる。
「本当にお疲れ様。でも、忠継のおかげで助かったわ。これ、お礼ね」
小袋に金を少し入れて渡す。
「おう?これなんだ?」
「えっと……金」
「金?なんか小さい粒がいくつか入ってるけど」
忠継は金の価値がよくわかっていないらしい。
「えっと……その袋に入ってるだけでも数万円はすると思うよ?」
「な、なんだとーー!?こんな粒で数万???!」
ワナワナと震えながら顔色を変えていく。
「妖怪達の通貨は金らしくてさ。治療の報酬でもらってるんだよ。早く機体も直さなきゃならないし金がとにかく必要だからね」
「……まあハングは高いからな。何から手伝えることがあったら言えよ?タクシーくらいにはなれるからさ」
エンジンを掛け、山を下る。
車の時計を見ると、時刻はすでに朝の四時を回っていた。
夏菜との待ち合わせは十三時。帰ってシャワーを浴びて少し仮眠を取れば大丈夫だろう。
「ふふん。そう言えば、今日は『でーと』の日だったな!存分に楽しんでくるが良いぞ!」
茜がニカっと笑いながら肩を叩いてくる。
「んあ?蒼也……お前……デート……だと?」
「夏菜と『えいが』なる場所へ行くのだろ?私も行きたかったのー、別の機会に連れてってくれー」
「お、おま!…………それ…………」
ハンドルの握り方が強くなり、忠継が口角を引き攣らせる。
「忠継、どうかした?」
「……いや、なんでもない」
「そう?」
何か言いたそう忠継が気にはなるが、俺も疲れたので黙った。
徐々に外が明るくなる。俺はバッグの中の純金の重みを感じながら、これからの計画に胸を躍らせる。
資金の問題は、解決しそうだしな。




