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治療費

 トントントンっと小刻みの良い音が聞こえる。

 

「母殿、そろそろ味噌汁は完成だぞ」

「あらーありがとう♪今日は玉ねぎが沢山あるから玉ねぎ尽くしよ?」

「ふむ。新玉ねぎはサラダでも炒め物でも、何に使っても旨いから楽しみだ!」

「茜ちゃんは好き嫌いないから嬉しいわ〜蒼ちゃんなんて野菜全然食べなかったのよ?最近は食べてくれるけど」

「それはいかんのー私が沢山食べさせてやるからな!」

「是非そうして頂戴♪」

 おたまで味噌を溶きつつ笑いあう。


 

「あっちー麦茶麦茶っと」

 風呂上がりでバスタオルで頭を拭きつつ台所に入ると二人が俺をみた。


「噂をすれば何とやらねー」

「だのぅ」

 二人は何か俺の噂をしてたらしい。


「何の話?」

「別に〜ちゃんと野菜食べなさいって言ってたのよ」

「最近は食べてるじゃん!」

「どうかしら?茜ちゃんよろしくね」

「任せてくれ母殿!」

 いつの間にこの二人、こんな仲良くなったんだ……

 麦茶を喉奥に流し込み、居間に向かう。


「お待たせたせしました」

「……土地神様は、あんな風に笑うのだな」

 一人でテレビを観ながら待っていた天狗がボソッと呟く。


「えっと、改めて桜咲蒼也っていいます。お名前を伺っても?」

「ああ、鴉天狗族の一人、『烏丸あずき』だ」

「じゃあ烏丸さん治療を始めようか」

 話しつつ、居間のテーブルを少し避けてスペースを作った。

 

「さてと、実際俺の見立て通り肩甲骨の動きが悪いせいで飛ぶのに支障が出たりはしてるのか?」

 背中をまじまじと見ると羽は肩甲骨と完全に一体化してるようだ。

 服には羽の生え際だけ穴が空いていて、そこから付け根を観察する。


「……情けないことに、以前よりも飛ぶ速度が出なくなった。方向転換する際も俊敏さが減っている。近頃村でそんな奴が増えたと言っていたしな、俺も同じ病なのかと思っていた」

「同じ病って……そりゃそうだろうな」

 俺は思わずため息をついた。

 

「烏丸さんも村の連中も最近スマホばかりをいじってるんだろ?天狗だろうが人間だろうが、そんな不自然な姿勢を何時間も続けてたら、首も背中も固まるに決まってる」

「な、なんだと?病ではないのか?」

「ただの現代病だよ。……よし、上を脱いでうつ伏せになってくれ」

 畳の上に座布団を何枚か敷き、そこにうつ伏せになってもらう。

 俺は再び施術家としてのスイッチを入れた。

 羽の生え際、人間で言うところの肩甲骨の内縁に指を滑らせる。

 

「酷いな。まるで鉄板だ」

 本来なら筋肉の層が滑らかに動くはずの場所が、一枚の鉄板のようにガチガチに癒着している。菱形筋と僧帽筋、肩甲挙筋が完全に悲鳴を上げ、羽の可動域を縛り付けていた。

 

「ちょっと痛いぞ。息を止めずに、ゆっくり吐いて」

「痛いだと? ふん、我ら天狗一族が人間の指先ごときで……ぐっ!?」

 強がりを言おうとした烏丸の言葉が、くぐもった呻き声に変わった。

 癒着した肩甲骨と肋骨の隙間に指を深く沈み込ませた。

 固まった筋膜を物理的に引き剥がす、癒着は放置しても治らない。一度剥がす必要がある。

 『破壊と再生』が必要なのだ。

 

「アァァァッ……! 貴様、羽をもぐ気か!?」

「動くな。大した力は入れてない。それだけ癒着が酷いんだ。ここで力んだら余計に痛いぞ。お前が今まで溜め込んだ悪姿勢のツケを払ってるんだよ」

 冷徹に告げながら、指先の感覚だけに全神経を集中させる。

 ミシミシと、癒着していた筋繊維が解けていく感触が手を通して伝わってくる。滞っていた血流がドクンと音を立てて再開し、冷え切っていた翼の根元に熱が戻っていくのがわかった。

 その後、固まった筋肉を柔軟にし、圧迫されていた神経を解放してやる。

 

「ほらどうだ?」

「はぁ、はぁ……何たる痛みだ……貴様何の恨みが……」

 そう言いながら肩を動かすと顔色が変わる。


「な、な、なんだこれは!!!肩が!羽が生えたかの様に軽いぞ!!」

 肩甲骨や、腕を寝ながら動かす。


「本来あるべき状態に戻しただけだ。ほれ、今度は反対だ」

 

「おい!うるさいぞ!ご飯が……って、何をしておるのだお前たちは!」

 台所から顔を出した茜が、畳の上で半裸で悶える天狗と、その横で背中に指を突き立てる俺を見て目を丸くした。

 

「治療中。もう少しで終わるよ」

「…………治療なら……しかたないか…」

 チラチラとこっちをみるな、やりにくいだろ。

 俺は深く息を吐き、反対側も同じ様に癒着を剥がし、筋肉、神経を調整していく。


 

「……よし、立って羽を動かしてみろ」

 背中から翼の根元にかけて漆黒のキネシオテーピングを貼り、俺は一歩下がって烏丸に告げた。

 汗だくになった烏丸は、フラフラと立ち上がり、恐る恐る背中に意識を向けた。

 そして。

 バサァッ!!

 居間に突風が巻き起こる。

 

「おお……おおおおおっ!?おおおお!!!軽い!羽ばたける!!ハハハハハ!!!」

 烏丸は歓喜の声を上げ、狭い部屋の中で何度も力強く羽ばたきを繰り返した。積んであった座布団が吹き飛び、テレビがガタガタと揺れる。

 

「こらカラス!家の中で風を起こすな!ほこりが舞うだろうが!」

 茜がエプロン姿で怒鳴りつけると、烏丸はハッとして羽を折りたたんだ。

 

「も、申し訳ありませぬ土地神様!しかしこの人間の腕は本物です!何百年も霊山で鍛えてきたこの翼が、まるで生まれ変わったように!」

 烏丸は俺の方に向き直り、畳の上で深く片膝をついて頭を下げた。

 

「人間よ、この恩、いかように返せば良いか。天狗一族にとって空を飛べぬは恥、それを私はこれまで心苦しく思っていた。だがこの羽なら何処まででも飛んで行けるだろう!」

「それは何よりだ」

 俺は首にかけたタオルで汗を拭いながら、スマホの電卓アプリを立ち上げた。

 

「さて、初診の問診料と、癒着した筋膜のリリース手技。それに特殊なテーピングの材料費込みで……しめて八千円な。これでも割引してやってんだぞ」

 画面に表示された『8,000』という数字を、烏丸の長い鼻先に突きつける。

 

「…………は?」

 烏丸の顔が、文字通りポカンと間抜けに開いた。

 

「はっせん、えん?」

「そう。お会計。まさか施術を受けといて、タダで帰れるわけないだろ。こっちも商売……というか、どうしても金が必要なんだよ」

 シビアな顔つきで俺が言うと、烏丸はワナワナと肩を震わせた。

 

「求めるのが人間の貨幣だと!?それに我ら山の妖怪が、お前たちの紙幣など持っているわけがなかろう!」

「あー、マジか。金ないの?でも最新の携帯持ってるじゃん」

 俺に鼻高々と携帯を見せびらかせてきてたからな。

 

「ああ、あれは行商と交換するんだ」

「交換?何と?妖怪の世界の通貨って何なんだよ。まさか、どんぐりとか人間の魂とか言わないよな?」

「馬鹿にするな!我らとて高度な社会を築いている!取引に用いる通貨は、古来より『金』と決まっておるわ!」

 脱いでいた服を着つつ答えてくる。

 

「……金?」

 俺の頭の中で、猛烈な勢いで計算する。

 純金。現在の人間界の相場は、ざっくり見積もっても1グラムあたり2万円を有に超えている。もしこいつから定期的に金で支払いを受けられれば、ハンググライダーのタンデム機材の調達も、決して夢物語ではなくなる。

 俺は必死に顔のニヤけを抑え込み、努めて冷静な声を作った。

 

「……なるほどな。じゃあ、人間のお金の代わりに、毎回の施術につき『金1グラム』で手を打とう」

「1グラム?たったの1グラムでよいのか!?なんと欲のない人間だ。…………よかろう、次に来る時に必ず持参しよう!」

 烏丸は、現在の金相場の恐ろしさを微塵も知らない様子で、深く頷いた。最高の太客を獲得した瞬間だった。


「あらー、すごい風の音がしたけど、何事?」

 台所の奥から呑気な声と共に、母さんが居間に入ってきた。

 

「あ、母さん。いや、ちょっと窓の隙間から……」

 俺が言い訳を考えるより早く、母さんの視線が、部屋の中央で正座している『漆黒の翼と異様に長い鼻を持つ男』を捉えた。

 烏丸がビクッと肩を揺らし、警戒するように身構える。いくらなんでも、この異形を一般人が見ればパニックになるはずだ。

 

「あらやだ」

 母さんは目を丸くした後、ふわりと微笑んだ。

 

「すごく立派な羽ねぇ。コスプレってやつかしら?」

「……こ、こすぷれ?」

 烏丸が間の抜けた声を出す。

 

「ちょうどいいわ、夕飯できたから食べていきなさい。今日は親戚の家から新玉ねぎを山ほどもらったから、玉ねぎ尽くしなのよ」

「えっ、いや、我は誇り高き鴉天狗で……」

「カラス。母殿の厚意だ。ありがたく頂戴しろ」

 茜が横からピシャリと命じると、烏丸は「は、はいっ! 土地神様がそう仰るなら……!」と即座に平伏した。

 そこへ、玄関の引き戸が開く音がした。

 

「ただいまー……おっ、いい匂いがするな」

 仕事鞄を持った父さんが、ネクタイを緩めながら居間に入ってくる。

 

「あらパパ、おかえりなさい。今日はお客さんがいるのよ」

「ん? おお……随分と気合の入った格好だね。茜ちゃんのお供の人かい?よろしくな」

 父さんもまた、烏丸に一切の疑問を抱くことなく、あっさりと受け入れてしまった。

 ……うちの親の適応力、どうなってんだよ

 俺は心の中で突っ込みながら、そっとテーブルの準備を手伝い始めた。

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