カラスの悩み
「足りない、どう考えても足りない」
泥と汗、汚れた服装。
夕日が俺の影を伸ばす時間帯、親戚の畑で収穫のバイト後に自転車を押しながら帰宅している。
八郷はフルーツや野菜、米など、多くの一次産業により成り立っている。この時期は玉ねぎの収穫がメインだ。新玉ねぎは瑞々しく、とても甘いので食べやすい。
自転車のカゴには売り物にはならない、廃棄となる形の少し悪い新玉ねぎが山のように積みあげてある。バイトにいくとバイト代よりも、多くの野菜や果物を貰える。
「アレもこれも必要なのにな……」
ハンググライダーはお金のかかるスポーツだ。機材だけで何十万とする。タンデムシートを使用できる機体となると、新品なら200万、中古でも80万くらいはかかるだろう。なのに今の俺は絶望的に金がない。
茜と一緒に空を目指すと言ったものの、物理的な障壁が多すぎる。
どうしたもんかな……
頭の中でこれからかかるであろう費用を計算していると目の前に人影が現れた。
「……お前が土地神様を連れ去った人間だな?」
いきなり話しかけられた。顔を見ると異様なまでに長い鼻に目が止まる。
「えっと……どなた様でしょうか?いきなり連れ去ったなんて、まるで人を誘拐犯のように、失礼ではないですか?」
「確かに人違いであれば、非礼は詫びる。だがお前が土地神様を連れ去るのを、昨日私自身がみている。であればかける言葉に棘があるのも仕方ないことであろう。
して、土地神様を何処へやった!」
詰め寄られ、自転車を持つ手に力が入る。
「ちょ、ちょっと待ってください。多分、色々と誤解があると思うのですが」
「何が誤解だ!我々にとって、土地神様は欠かせぬ存在。お前が大切なお社を壊し!土地神様連れ去ったのだろう!なんと卑劣な!許せぬ!
おい人間、私が優しく話してるうちに土地神様を返せ、さもないと…」
物凄い剣幕だ。
「だ、だからそれが……」
誤解と言う言葉が次は出なかった。誤解だろうが何だろうが殆ど合ってるし、側から見ればどう見ても俺が悪い。
「……いえ、そうですね。すみませんでした。全て私が悪いです。お社の件も土地神様をお連れしたのも、重ねてお詫びいたします」
俺は自転車を置き、深く頭を下げた。
「わかれば良い。して、土地神様は何処に?」
多少態度の軟化がみられたが、引き続き厳しい顔色に変わりはない。
「土地神様は家にいます。着いてきていただけますか?」
「うむ。では連れていけ」
そういうと、背中から黒い羽根が現れた。バサっと羽ばたくと辺りの土を舞い上げる。
目を細めて見ていると、ゆっくりと電柱程の高さに浮かんでいく。
この人は……まぁ、神様がいるんだ、妖怪だっているのは当たり前か。
空で何やらおかしな動きをしたかと思うと直ぐに降りてきた。
「人間、さぁ連れて行け」
……?なんだ今の不自然な動き、気になった聞けない。俺は言われるがまま、男を家まで案内することにした。
「着きましたよ。ここが家です」
自転車に乗れば数分だが、乗ろうとしたら「待て、自転車は押して行け」と言われ15分は歩いた。夕方と言え、まだ外は暑く、歩くのは怠い。
カゴから玉ねぎを袋に詰め、玄関に着くと引き戸が勢いよく開いた。
「遅いではないか!また玉ねぎばかり貰ってきたのか? もう冷蔵庫に入らんぞ……って、カラス!?」
エプロン姿の茜が目を丸くする。隣に立っている男を見て、彼女の表情が一瞬で固まる。
「お前、どうしてここに」
「土地神様っ!!」
男はその場に片膝をついた。長い鼻と鋭い目、黒光りする羽根が夕陽に照らされて異様な存在感を放っている。
「大変申し訳ありません! 土地神様が誘拐されたのに直ぐに助けに来れず、この男を成敗し、山に連れ帰れと——」
「待て待て待て!何やら誤解しているぞ?!」
茜が慌てて手を振る。
「誘拐などされてはいない。というか、寧ろ社が壊れてしまったから居候させてもらってる身なのじゃ」
男は胡散臭そうな目で俺を睨みつけたが、茜が「本当だ」と頷くと、ようやく肩の力を抜いた。
「……なるほど……誤解だったようだな。人間、さっきはすまなかった」
男は素直に頭を下げた。意外と話が通じるタイプらしい。
「いやいや、こちらこそすみません。きっと茜は山に住む方にとって大切な……」
「茜だと……?貴様ァァァァアアア!!土地神様をあ、あ、あ、茜などと、呼び捨てにするとは何事かぁぁぁあ!!」
大きな羽を全開に開き顔を真っ赤にして怒号と共に物凄い風圧が叩きつけられた。
「うおぉあぁぁ!?」
俺は後ろに吹っ飛ばされ、袋から玉ねぎがゴロゴロと土間に転がる。体勢を立て直す間もなく男が突進してきて、そのまま馬乗り状態になった。
胸ぐらを掴まれ首が取れそうな勢いで頭が振られる。
「なんたる無礼か!!非礼を詫びろぉぉぉ!」
「ぐぅぐるし……」
「ちょ!!?何をしとるのだカラス!止めんか!!」
茜が間に体を滑り込ませるように俺と男を引き離す。
「しかし土地神様!此奴はあろうことか呼び捨てに!」
「私が良しとしたのだ!文句あるのか!?」
「そ……そんな……」
物凄い眼光で俺を睨む。
「かーらーすー!!」
「……はい」
俺は首をさすりながら立ち上がり、玉ねぎを詰め直す。
「すまない。大丈夫か?」
「うん。大丈夫、驚いたけどね」
首が少し痛むが気にする程じゃない。
「改めて紹介する。こいつはカラス、鴉天狗の一人だ。私の山に棲む天狗一族の一人、信心深い一族でな。許してやって欲しい」
「それも大丈夫だけど、やっぱり山から連れ出したのってまずかった?」
「いや……うーん。そのな、えっと……こんなこと生まれて初めてだからな……良いか悪いか……正直言ってわからんのだ」
茜も俯いてしまう。
この前茜はずっと離れられない呪いのようなものだって言ってたけど……なんで俺と一緒にいられるのかを考えてなかった。
土地神様を移動させるってどんなことなんだろう。
「そっか。でも家がなくなったんだから仕方ないと思うけどな。なるべく早く直せるように頑張るからさ」
「うむ。そうだな!考えても仕方無し!とりあえず夕飯の続きじゃ!」
俺が持っていた玉ねぎ入りの袋を奪い取る。
「と、言うわけだからカラス。族長達にもそう伝えておくのだぞ。社はいずれ直す。それまで、私はこの家に厄介になるとな。まぁ、何かあればここに来い」
「しかしそれでは……」
不安そうに茜を見つめ、俺には眼光を向ける。交互に繰り返した後天狗は折れた。
「……わかりました。族長には土地神様はご自分の意思で山を降りたと伝えます。ですがなるべく早くお戻りください」
頭を下げる。
「おい人間、我らの土地神様に無礼なく過ごせよ?」
「勿論です」
「……では土地神様。私は一度戻ります。皆が心配してるでしょうから」
天狗が立ち上がって軽く羽根を広げ、バサバサと羽を動かす。しかしその度に怪訝な顔をしている。
家の軒先から飛び立とうとした瞬間——俺の目が、その不自然な動きの正体を捉えた。
肩甲骨が持ち上がらず、翼の付け根が硬直している。羽は肩甲骨が変形したものなのか人間とは違う形をしている。首もやや前傾気味で、腕を広げる動作がぎこちない。
これは……
前世の施術家としての視診を信じる。
「待て!」
俺は思わず声を上げ、天狗の腕を掴んだ。羽根がビクッと震える。
「な、何だ人間」
「その飛び方……肩甲骨の動きが悪い。ストレートネックに、胸郭出口症候群も併発してるかもしれない。無理やり腕力で飛んでるんじゃないか?」
天狗の目が見開かれた。
「……何を、言っている」
「筋肉が固まって、神経が圧迫されてる筈だ。痛みを感じてるんじゃないか?」
天狗は一瞬、言葉を失った。茜も驚いた顔で俺を見ている。
「カラス、お前……」
茜が天狗を見つめる。
天狗はしばらく黙っていたが、ゆっくりと羽根を畳んだ。
「……確かに、最近は肩が重い。飛ぶのも億劫になってきた。だが何故それを?」
「治せる」
俺ははっきりと言った。
「見ればわかる。構造は人間も天狗も殆ど変わらないようだしな。お前の症状、治してやるよ」
「何を馬鹿な!この痛みは治らん!村のババ様だって諦めろと!」
「長時間同じ姿勢で何かしたりしてないか?」
「長時間……」
すると、ハッと顔を上げた。
「スマホ……」
「スマホ?」
天狗から思いもよらない文明の力が出てきた。
「長時間見てるとなると、スマホが多いが……それがなんなんだ?」
「妖怪もスマホなんてみるのか?」
「舐めるな!今時妖怪とてスマホくらい使ってるぞ」
胸元から最新機種のスマホを取り出す。
「……俺のより新しいな」
「先月買ったからな」
ふふんっと長い鼻が更に伸びて見える。
「ならそれが原因かもな……どうする?治してやろうか?」
「な、治せるものか!ババ様の呪詛だって治せないんだぞ!?」
なんでそんな最新機種使ってるのに治す方法が呪詛なんだよ……
「本当だぞカラス。蒼也の腕はなかなかのもんだ」
茜が天狗に近寄る。天狗は葛藤するように羽根を小さく動かした。長い鼻の先がピクピクしている。
「本当に治るのか?また以前の様に飛べるのか?」
何かの葛藤があるのだろう、顔を背けたまま絞り出す様な声だ。
「絶対とは言えないが、自信はある」
「……わかった。土地神様が言うのだからな、お前に治療を頼みたい」
「任せておけ」
俺はニヤッと笑うと天狗の肩を叩いた。




