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カラフル鳥と半夏雨の尊

 食事の片付けを終えた居間には、壁掛け時計の秒針の音だけが響いている。

 

「……よし。腫れは引いてきてる。熱感も殆どないね」

 ソファに浅く腰掛けた茜の右肩に触れながら、俺は施術家としての見立てを口にした。急性期の炎症は、アイシングとRICE処置によって少なくなっている。

 今は患部の修復を促すための段階だ。俺は適切な長さにカットしたテーピングを手に取り、彼女の華奢な肩甲骨から三角筋にかけて貼り付けていく。

 

「お前が巻いてくれたこの布……てーぴんぐ、とやらのおかげで、随分と腕が軽いぞ」

「筋肉の動きを補助して、皮膚の下にある血液とリンパの流れに空間を作ってるんだよ。神様の身体にも、ちゃんと機能して良かった」

 茜は不思議そうに、自分の白い肌に貼られたテープを撫でている。 

  

「……茜」

「なんだ?」

「神様ってことは、茜はずっとあの足尾山のお社にいたんだよね?俺が昨日、あそこに突っ込むまでの間ずっと」

 問いかけに、茜はテープを撫でていた手をぴたりと止め、視線を俺に向けた。

 

「……そうだな。ずっとあそこにいたよ」

 その声はとても静かで、途方もない年月を感じさせる。

 

「昔はな、私の社の周りにも、人がたくさんおったのだ」

 ぽつりと、茜が語り始める。

 

「この八郷の地が開拓され始めた頃、作物のために雨を降らせる『雨乞いの儀式用』として、あの社は建てられた。私はそこで生まれ、雨を降らせては、村の者たちから感謝の供物を貰っていた。祭りの日は賑やかで楽しかったぞ。人間たちの笑い声や太鼓の音が、山の上まで響いてきてな」

 茜は目を細め、微かに微笑んだ。しかし、その微笑みはすぐに影を落とす。

 

「だが、時代が変わり、人間たちが自らの手で水を制御できるようになった。人々は少しずつ山を降り、開けた盆地の方へと移動していった。必要がなくなれば、足は遠のく。それは仕方のないことだ。社は次第に管理されなくなり、深い森の中に取り残された」

「……じゃあずっと一人だったの?」

「氏神は、信仰の場である社から離れることはできない。それは土地と結びついた、呪いのようなものだ。私は山の中で何百年と、彼らが残した社と共に時を過ごした。春の桜も、夏の騒がしさも、秋の紅葉も、冬の雪も、一人で見て感じてきた。私と普通に話が出来る相手はいなかったからな」

 何百年。誰も来ない山奥。朽ちていく社。その中でただ一人、雨を降らせるためだけの存在として留まり続ける孤独。俺には到底計り知れない時間の重さだ。

 玄関で俺の袖を掴んで寂しがっていた彼女の姿を思い出す。


「寂しく、なかったの?」

 たまらず口をついて出た言葉に、茜は小さく首を振った。

 

「寂しくても、それが私の役目だったからな。神とはそういうものだ。……だから、私はよく空を見ていたのだ」

 茜の蒼い瞳に、夜空に浮かぶ月が光る。

 

「空には何も遮るものがなく、自由だ。どこへでも飛んでいける。自由に羽ばたく鳥たちを、私はあの社から見上げながら、いつも羨ましく思っていたのだ。いつか私も、あんな風に空を飛べたらな、と」

 茜の横顔が物悲しくも神秘的で、俺はその姿に鼓動が高鳴った。

 

「そうして、何百年か経ったある日のことだ。……空に、見たこともない『色とりどりの鳥』が飛ぶようになったのだ」

 茜の声に、微かな熱が帯びる。

 

「赤、青、黄色、緑。それらは次第に数を増やし、ある時など、何十羽と空を彩って、風に乗って高く高く舞い上がっていった。人間達が『はんぐぐらいだー』と呼んでいるものだと知ったのは後になってからだが……当時の私には、それがとても美しく、力強い命の輝きに見えた」

 八郷は、スカイスポーツの聖地。色鮮やかな機体が無数に舞、空を染め上げる。

 

「私は、それを見るのが大好きだった。彼らが空を舞う日だけは、自分の孤独を忘れられた。まるで自分も一緒に風に乗っているような気がしてな。彼らが飛ぶ日は、雨など降らせぬよう、空模様に気を配ったものだ。……そんな、ある時のことだ」

 茜の顔つきが、真剣なものに変わりる。

 

「一羽の、ひときわ鮮やかな『虹色の鳥』が、突然バランスを崩し、私の社の方へと墜落してきたのだ。近づいてくるそれに、私は驚いた。それはとても巨大で、鳥ではなく……人間が乗っていたのだ」

「……」

「人間は、風に巻かれて完全に制御を失っていた。あの速度で太い神木や岩に激突すれば、脆弱な人間の肉体など一溜まりもない。確実に命はなかっただろう。だから……」

 茜は俺の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「だから、私は……残っていた『全神力』を使って、墜落するお前を受け止めた」

 心臓が、うるさい。

 思い返せば、異常だったのだ。

 あの大クラッシュ。ハンググライダーの頑丈なアルミフレームはへし折れ、社は全壊していた。それなのに、生身の俺は軽い打撲程度、ほぼ無傷で地面に放り出されていたのだ。

 奇跡でも偶然でもない。身体が丈夫な訳でも、受け身が上手かったわけでもない。

 彼女がその身を挺して俺を守ってくれていたのだ。

 

「全神力を使い、お前を庇ったからな。私は社の崩壊から自分の体を守りきれず、こうして怪我を負ってしまったのだ」

 茜は照れ隠しのように、アハハと乾いた笑い声を上げた。

 

「神が人間を助けて怪我をするなど、間抜けな話であろう?」

「なんでそこまでして……俺を助けてくれたんだ。お社が壊れることも、自分が傷つくことも分かってたはずなのに」

 茜は俺のすぐ目の前まで歩み寄ってきた。

 そして、透き通るような真っ直ぐな瞳で、また俺を見つめる。

 

「だって、お前は……私に『空の美しさ』を教えてくれた、大切な鳥たちの一羽だったからな」

 何百年も孤独に空を見上げていた神様が。

 自分を犠牲にしてまで俺を助けてくれた。

 

「ところが助けたその男は話し出すなり筋肉、筋肉とうるさかったわ」

 ケタケタと笑う。


 「……蒼也」

 茜は、俺の制服の袖をそっと掴み、少しだけ頬を染めて微笑んだ。

 

「お前が『面倒を見る』と言ってくれた時……私は、本当に嬉しかったのだ。もう、一人で空を見上げなくてもいいのだと。お前が、私を見つけてくれたのだと」

「……茜」

 俺は茜の手をとる。

 

「治すから、君の体もお社も、絶対に、俺が直すよ」

 茜の目と目が合わさる。

 

「機体も直す。そうしたら、今度は俺が……『本当の自由な空』へ連れて行くよ。タンデムシートってのがあってさ。それに乗せて、あの色とりどりの鳥たちよりも、もっと高くて美しい場所へ」

「蒼也……」

 茜の蒼い瞳が大きく見開かれた。

 俺は真っ直ぐな笑顔を向ける。

 

「約束だぞ?」

「あぁ!必ず一緒に行こう」

 

 夜の闇に沈む八郷の山々、彼女がずっと見守ってきたこの土地を俺が上からみせてやる。

 こうして、俺たちの『空を目指す日々』が、この瞬間から始まったのだ。

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