居候
「……で、つまり何?あんたがハンググライダーで突っ込んで、このお嬢さんの家を壊して、行く当てがないからうちに住まわせるって……蒼也、あんたそれ、本気じゃないわよね?」
深夜、仕事から帰宅した母の美佐子が、リビングのソファで正座している茜を見て、眉間に深い皺を刻んだ。父の正一も、ネクタイを緩めたまま呆然と立ち尽くしている。
「母さん、順を追ってもう一回、説明するよ。まず、事故の責任は百パーセント俺にある。機体のトラブルではなく判断ミスだ。そして、彼女の家は再建に時間を時間を有する。警察に届け出ればフライトライセンスに傷が付くかもしれないし、そしたらしばらく飛べなくなるかもしれない。それだけじゃなく、多額の賠償請求される可能性だってある」
俺の淀みのない、現状分析に、両親は毒気を抜かれたように顔を見合わせた。
「だが、彼女……茜さんは、示談に応じてくれている。条件は家が直るまでの衣食住の保証。幸い、うちは空き部屋がある。食費や光熱費の増加分については、俺がバイトを増やして全額補填する。これは感情論じゃなく、桜咲家のリスクマネジメントとして最善の選択なんだ」
「……あ、蒼也あんた、いつからそんな喋り方するようになったの?」
母が引き気味だ。息子から「リスクマネジメント」なんて言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。
「うむ!蒼也は非常に有能だ。私の身体の不調も見事に説得されたわ!それと、社については急がずとも良いからな!」
茜がソファから援護射撃をくれる。
「ま、まぁ母さん、蒼也がそこまで考えて言うんなら……一旦様子をみようじゃないか」
父が折れた。
「もう!人様の娘さんを預かるなんて大変なことなのよ!?ましてや貴女、成人してないでしょ?」
母親の言葉に、茜がムッと眉を逆立てて立ち上がる。
「無礼者め!小娘呼ばわりしおって、私はこの辺り一帯の氏神なのだ!」
「失礼ですけど、さっきから神様神様って、冗談はよしてください」
「冗談だと?冗談だと思うなら見せてやるわ!」
茜さんが手で空を切ると、晴れているはずの夜空から、桜咲家の『庭の物干し竿の周辺』だけに、バケツをひっくり返したような大雨が降り出した。
夜干ししていた洗濯物が全部びしょ濡れになる。
窓の外の異常な光景に、両親も俺も開いた口が塞がらない。
「えっ……ええ!?洗濯物にだけ、ものすごい雨が!?」
「ほ、ほら。だから彼女は本物の神様なんだって、もし彼女を怒らせて八郷に豪雨でも降らされたら、この辺の農家は全滅するかもしれない。だから穏便にここに居てもらうのが、桜咲家にとっても、八郷の人々の為にも安心なんだよ」
こんな話を出しておいて何なんだが、俺も神様ってのは半信半疑だった。
「なんだか、とんでもない話のような気がするけど、父さんは蒼也がやると決めたなら応援するよ。頑張りなさい」
父さんはそれだけ言うと着替えに行ってしまった。
「……わかりました。でも女の子が男子と同じ家に住むと言うことが、どう言うことかちゃんと考えなさい。世間体も、蒼也自身の為にもね。茜さんのことは蒼也がしっかりと責任をもちなさい。それと茜さんのお家もちゃんと直すこと、良いわね?」
「はい」
「茜さん、貴女が何者でも関係ありません。家に住む以上家族と同じように接します。それと、洗濯物は後でちゃんと洗い直ししておいてくださいね?」
「う、うむ。わかった。肝に銘じよう…」
「ありがとう母さん、父さん」
両親が部屋を出て行った。居間には俺と茜の二人だけが残された。
静かになった部屋で、俺は一つ咳払いをして茜に向き直った。
「さて、茜さん。さっき母さん達にも言ったけど、今後のことについて一つだけ明確にしておきたいことがあります」
「なんだ?安心しろ、私はお前の妻として、共に――」
「そこなんだよ」
俺はきっぱりと彼女の言葉を遮った。
「俺が取ると言った『責任』は、お社を再建することと、君の肩の怪我を治すことなんです。つまり、この同居はあくまで『お社が直るまでの間の仮住まい』であって、結婚とか一生一緒にいるって意味じゃないってことなんだよ」
ピタッ、と。
茜の動きが止まった。瞬きを繰り返し、俺の言葉の意味を脳内で反芻しているようだった。
「…………は?」
「だから、俺は施術家として茜さんの身体の責任を持つと言っただけで……」
「な……なななっ!?」
ボフッ!と音がしそうな勢いで、茜の白い肌が耳の先から首筋まで、一気に茹でダコのように真っ赤に染め上がった。
「そ、それではなんだ!?あの『身体を任せろ』だの『責任を取る』だのというあの熱烈な口説き文句は、すべてただの『治療』と『弁償』の話だったというのか!?」
「だから口説いてないんですって。最初からずっと治療と弁償の話しかしてないんですから。だからその……同棲とかそういうことは、勘違いなんです」
「あ、あわわわわ……っ!!」
茜は頭を抱え、座布団の上でのたうち回った。
「恥ずかしい!!神たる私が、人間の小僧の言葉を勝手に求婚だと勘違いして、あまつさえドヤ顔で宣言してしまったなど……!!ええい、忘れるのだ!今すぐお前の記憶からこの失態を消し去ってくれ!」
「無理言わないでください。とにかく、そういうわけだから。怪我が治って、新しいお社が完成したら、帰ってもらって大丈夫なんです。つまり、それまでの『期間限定の居候』ってことです。わかりましたか?」
俺が念を押すと、茜は顔を両手で覆ったまま、震える声で小さく唸った。
「……わかった……。私としたことが、人間界の言葉の綾に惑わされてしまったと……期限付きの契約、神としてしかと承諾した……」
ちょっと可哀想だけど仕方ないよな……
こうして、神様の勘違いは解け、俺たちの関係はあくまで期間限定の「居候」という形が、なんとか成立したのだった。
翌朝。月曜日。
茜さんはまだ二階の部屋から起きてこない。
玄関を出ると、そこには通学鞄を持ったポニーテールがあった。
「おはよ」
「おはよう」
夏菜はいつも通り笑顔で先を行く。
市街地行きのバス停まで、二人で並んで歩き出す。八郷ののどかな田園風景を横目に進んでいると、昨日の大惨事が嘘のようだ。
「……茜さん、本当に住むことになったんだ?」
「うん。父さん達にも話は通したよ。家が直るまでだけどね」
「ふーん……でも茜さんは同棲だって言ってたよ?」
夏菜は目を細め俺を睨む。
「それも誤解だって、昨日の夜それもちゃんと話したよ」
あれで大丈夫だとは思いたい。
「まあ、そんなことだとは思ったけどね〜でも一緒に住むことに変わりはないし、茜さんが可愛いからって変なことしたらダメだからね?」
「は?変なことなんかする訳ないだろ!何言ってんだよ!」
「どうだかねーまぁ、何かあったら私が直ぐに駆けつけるからそのつもりでね!」
「しないっていってるだろ!」
笑いながら歩いているとバス停に着いた。
少しすると、バスがやって来た。揃って乗り込むとバスの一番後ろの席に並んで座る。
「そういえばハングはどうなったの?」
「どうだろう、見た感じクロスバーだけじゃなくあっちこっち折れてたし、修理出来れば良いけど、買い直すのもな……でもバイト代だけだと……」
競技用のハンググライダーは新品だと安くとも100万以上する。今のヤツだって中古でスクールから譲ってもらった機体だが、一年半バイト代と小遣いを貯めてやっと買えた俺の相棒だ。
「ハングって高いんだよね?」
「目ん玉飛び出るよ?」
「見る時、飛び出ないように抑えとかないと」
夏菜は目を手で覆う仕草をしながら笑っている。
「そう言えば、もう少しで夏休みだな〜」
「……うん」
夏菜がぷいっとそっぽを向いた。
ん?何だ?
「夏休み何処か行きたいよなー」
「それなら、海行こうよ。もう少しで進路も決めなきゃだし、思い出作りにさ」
「そうだな。海かーそれなら、イルカ持ってかなきゃな!」
「ふふふ、楽しみだね」
そんな話をしてると俺達の学校、石岡商業高等学校へと着いた。
一限目の簿記の授業中。
俺はノートの端に、『今後の必要経費リスト』を書き殴っていた。
・テーピング……¥2000
・アイシング用バッグ……¥3,000
・ハンググライダー・メインフレーム溶接修理……¥30,000〜
・その他修理費……¥50,000〜
金が、足りない。
高校生のお小遣いやバイトを増やすと言ったが、それだけで足りる額じゃない。
窓の外を見上げれば、絶好のサーマル(上昇気流)が発生していそうな入道雲が見える。
茜の炎症期が過ぎるまで、あと二日。
単なる筋損傷なら良いけど、部分断裂や骨に異常がないとも限らない。帰って痛みのチェックをして、必要そうなら病院でレントゲンを撮ってもらう方が良いかもしれない。
それらの費用や、も考えると絶対的にお金が足りない。
「おい、桜咲。ここわかるか?」
先生に指され、俺はノートの隅の「¥85,000」という数字を慌てて手で隠した。
とりあえず今はこの危機を乗り越えるのが先だな。
その日の放課後。
夏菜と買い食いをしながらバスに揺られ、八郷に着いた。
家に着き、夏菜と別れて玄関に入る。
「ただいまー」
「何処に行ってたのだ!起きたら誰もいないし、お腹は空くし……一言言ってから出かけるのが筋であろう!」
玄関で仁王立ちの茜さんがご立腹である。
「いや、学校行ってたんですから仕方ないでしょ。それに朝何度も起こしましたよ。だけど全然起きないし、朝ごはんも、お昼も置いとくって母さん言ってましたよ?」
実際母さんは茜さんを心配して、作り置きを冷蔵庫に入れておくと言っていた。メモも残すって言ってたけど……
「何!?母殿がご飯を?それは全く聞いておらん!起きたら誰もいなかったのだぞ?とても寂しくて、何度名前を呼んだことか……」
ウルっとした目で俺の袖を掴む。
「あー、メモも見てないんですね?」
「……めも?」
なるほど、神様は当たり前も知らないんだな。当然なんだけどこれは俺の失敗だ。
「すみません。俺がもっと家のことを教えるべきでした。とりあえずお腹空いてるでしょ?作り置きしてくれてるものを食べましょう」
「うむ!」
俺は冷蔵庫にある昨日のカレーと母さんが作ってくれた
お昼のオムライスを温めて茜さんに出す。
「おー!美味しそうだの!いただきます!」
美味しそうに食べてるのを見ているとこっちまでお腹が空いてくる。一口もらおう。
「あ!こら!これは母殿が私の為に用意してくれた馳走なのだぞ!ダメダメ!」
「そんなこと言わずに少しくらいくださいよ」
皿に手を伸ばすと、ヒョイッと皿を持ち上げて交わされる。
「ダメだと言っとろう!っ!?いててて」
肩を痛そうにする。
「あーそんな動きするから。でも、まだ痛みはありそうですね。昨日よりも痛み強くなってますか?」
「いや、それはないな。昨日よりも随分と楽だぞ?」
痛みが減っているなら大丈夫か。まだ様子見だが、とりあえず安心できる。
「それなら安心しました。オムライスは取らないからゆっくり食べてください」
「……一口だけならやらんでもない。ほれ」
そう言ってスプーンで小さい一口を俺に差し出す。
「ふふ、ありがとうございます」
「あ!何を笑っておる!やはりやらん!」
そのままスプーンを自分の口に運び、黙々と食べてしまった。
食事を終え、茜さんの肩の状態をチェックする。
「茜さん、少し動かしますね。痛みますか?」
「……大丈夫だ。それよりも蒼也、敬語は辞めぬか?」
「……良いんですか?仮にも神様と人なのに」
「仮にもとはなんだ!正真正銘の神であるぞ!神である私が良いと言っておるのだ、楽に話せ」
着物の袖を捲っていると艶やかな腕が露わになる。
「……じゃあ、茜さん」
「茜でよい」
「………茜、良くなってきてるね。明日には炎症期を抜けるから、そしたら少しづつ動かさないとね」
「うむ」
茜は窓答えつつ、の外の薄暗い空を、どこか遠くを見つめていた。
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