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家のため国のためと何度も言われましたので  作者: 九葉(くずは)


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第1話 王妃様の優しい命令

王妃様は、いつも人を傷つけない声で、人の人生を決めてしまわれる。


王宮の午後は、花の香りが濃い。


窓辺には白薔薇。銀の茶器には、東方から届いたという柑橘の茶葉。磨き込まれた床には、窓枠の影が細く落ちている。


優雅で、穏やかで、誰も声を荒らげない場所。


だからこそ、逃げ道がどこにもないことに気づくのが遅れる。


「アデリナ」


王妃エレオノーラ様が、私の名を呼ばれた。


私は膝の上に置いた席次表から顔を上げる。明後日の慈善会に出席なさる夫人方の名札を、もう一度だけ確認していたところだった。


離婚したばかりのエミリア伯爵夫人を、未婚令嬢の列へ戻してはいけない。喪が明けたばかりのダルトン侯爵夫人の近くに、赤い薔薇を置いてはいけない。隣国の王女殿下は、食事前の祈りに銀器の音が重なることを嫌われる。


そういう小さなことは、礼法書には載っていない。


けれど、王宮では時に、小さなことほど長く人を傷つける。


「はい、王妃様」


私は席次表の端をそろえ、微笑んだ。


王妃様は、満足そうに目元を和らげられる。

そのお顔を見て、私は次に来る言葉が、褒め言葉ではないことを知った。


王妃様が優しく笑われる時は、たいてい誰かに役目が与えられる。


「ガルディス伯爵のことは、あなたも知っているでしょう?」


「はい。奥方様を三年前に亡くされたと伺っております」


「ええ。お気の毒に、まだ立ち直れていらっしゃらないの。お屋敷も以前ほど整っていないようで、娘御も社交に出られずにいるそうよ」


茶器の中で、淡い琥珀色の水面が揺れた。


私は返事をしなかった。


王妃様は、返事を待っておられない。

続く言葉は、すでに決まっている。


「あなたなら、あの方を支えてあげられると思うの」


白手袋の内側で、指先がわずかに冷えた。


王妃様の声は春の午後のようにやわらかい。

けれど、その言葉は扉の閂に似ていた。音もなく落ちて、出口をふさぐ。


「私が、でございますか」


「ええ。あなたは聡明で、落ち着いていて、何より人の痛みに寄り添える方だわ。ガルディス伯爵にも、きっと良い支えになるでしょう」


支え。


その言葉は、王宮でよく使われる。


夫を支える妻。家を支える娘。国を支える貴族令嬢。王妃様を支える礼法官。


支えられる側について語られることは、あまりない。


「恐れながら、王妃様。ガルディス伯爵には、すでにご親族から再婚のお話があるのでは」


「ええ、けれど、どれもうまくいっていないの。伯爵は繊細な方だから。亡き奥方のこともあるでしょうし、急に華やかな令嬢を迎えるのは難しいと思うのよ」


王妃様は、私を見て微笑まれた。


華やかではない令嬢。


穏やかで、扱いやすく、取り乱さず、亡き妻の影を踏まない女。


言葉にされなかった意味は、言葉にされたものより正確に届く。


「あなたなら分かってくれるでしょう? これは、あの方のためでもあり、国のためでもあるのよ」


私の前に置かれた紅茶は、もう湯気を失っていた。


飲む機会を逃した茶は、いつもそうだ。

香りだけが残って、温度は戻らない。


「王妃様のお心遣い、身に余る光栄にございます」


私はそう答えた。


ほかに、何と答えればよかったのだろう。


嫌です、と言うには、王妃様はあまりに優しかった。

お断りします、と言うには、ガルディス伯爵はあまりにお気の毒だった。

私には関係ありません、と言うには、私はあまりに長く、誰かの事情を整えてきた。


隣に控えていた父が、静かに咳払いをした。


フォーリア侯爵。私の父であり、家の名を何より重んじる人。


「アデリナ。王妃様がこれほどお気にかけてくださっているのだ。光栄なことではないか」


「はい、お父様」


「お前は昔から、物事の道理が分かる子だった。家のことも、国のことも、きちんと考えられる。だからこそ王妃様もお声をかけてくださったのだ」


父の声に悪意はない。


それが、いっそう重かった。


悪意なら、避けることができる。

刃なら、血を見せればよい。


けれど、誇りという布で包まれた重石は、落とされても音がしない。


王妃様は嬉しそうに頷かれた。


「そうね。フォーリア嬢なら大丈夫ですわ。あなたは昔から、取り乱したりなさらないもの」


大丈夫。


その言葉を聞くたびに、私はどこかを少しずつ失ってきた気がする。


幼い弟が熱を出した夜も、親族の不始末を謝る手紙を代筆した朝も、婚約を破棄された従妹を慰める席を用意した時も、私は大丈夫な娘だった。


泣かないから。

声を荒らげないから。

最後まで務めを終えるから。


大丈夫に見える者は、大丈夫であり続けなければならない。


「慈善会の席次は、整っているかしら」


王妃様が話題を戻された。


私は膝の上の紙束を差し出す。


「はい。エミリア伯爵夫人は、南窓側の三番目のお席に。離婚後初めての公の場ですので、王妃様の視線が届きやすく、かつ注目されすぎない位置にいたしました」


「まあ、さすがね。あなたに任せておけば安心だわ」


王妃様は、席次表に軽く目を通すだけで、すぐに脇へ置かれた。


私はその紙の端が、茶器の影に触れないよう、そっと直した。


王妃様は気づかれない。


気づかなくてよいことにするのが、私の仕事だったから。


「それから、挨拶文のほうですが」


私は別の紙を取り出す。


「再婚や再出発という語は、今回は少し控えめになさったほうがよろしいかと存じます。エミリア伯爵夫人には、まだ時期が早うございますし、ガルディス伯爵のお話と重なると、不要な憶測を招きます」


「そうなの?」


「はい。王妃様のお気持ちは十分伝わります。ただ、慈善会では未亡人、離婚された方、婚約を解消された令嬢が同じ場にいらっしゃいます。救済という言葉も、受け取る方によっては、ご自身が救われるべき存在だと示されたように感じられるかもしれません」


王妃様は、少し驚いたように瞬かれた。


それから、困ったように微笑まれる。


「あなたは本当に細やかね。私など、つい良いことだと思うと進めてしまうわ」


「王妃様のお心が温かいからでございます」


その言葉は嘘ではなかった。


王妃様は温かい。

温かいからこそ、ご自身の手が誰かを火傷させていることに気づかれない。


「では、あなたが直しておいてちょうだい」


「承知いたしました」


紙を受け取る。


私の仕事は、言葉を柔らかくすることだった。


誰かの善意が、誰かの喉に刺さらないように。

誰かの命令が、美しい提案に見えるように。

誰かの犠牲が、誉れという名で包まれるように。


そして今日、包まれるのは私なのだろう。


「アデリナ」


退出の礼を取ろうとした私を、王妃様が呼び止めた。


侍女が小箱を運んでくる。淡い真珠の髪飾りだった。


「嫁ぐ前に、あなたにも少し華やかなものをと思って。ガルディス伯爵のお屋敷はまだ暗いでしょうから、あなたが明るくしてあげて」


真珠は、美しかった。


小さく、丸く、光を静かに返している。


けれどその白さは、喪の屋敷に置かれる灯りのようにも見えた。


私は両手で箱を受け取った。


「ありがたく頂戴いたします」


声は震えなかった。


父が満足そうに息をつく。王妃様は安心したように微笑まれる。侍女たちは、この場が美しくまとまったことを喜ぶように、静かに頭を下げた。


誰も、私が返事をしていないことに気づかなかった。


王妃様の私室を出ると、廊下の空気は少し冷たかった。


私は歩きながら、白手袋の指先を見た。朝、書類で切った小さな傷が、布の下でじんじんと痛む。


大した傷ではない。


そう思う癖が、私にはある。


礼法局の部屋へ戻ると、若手礼法官のリネットが駆け寄ってきた。


「フォーリア様、こちらの席次でよろしいでしょうか。ダルトン侯爵夫人を赤薔薇の近くに」


「赤薔薇は外して。白百合に替えてください」


「けれど、赤のほうが王妃様のお好みでは」


「明後日の主役は王妃様のお好みではありません。招かれた方々の心地です」


リネットは不満そうに唇を引いたが、すぐに礼をした。


「承知いたしました。フォーリア様は、本当に細かいところまでご覧になるのですね」


「必要なことです」


「私にはまだ難しくて。フォーリア様がいらっしゃると安心です」


安心。


また、その言葉。


私は机に向かい、王妃様の挨拶文に羽根ペンを入れた。

救済、という語を、支援へ。

哀れな方々、という語を、新たな道を歩む方々へ。

再婚こそ幸せ、という一文は、まるごと削った。


紙の上では、人は簡単に傷つかない形へ直せる。


現実は、そうはいかない。


夕刻、礼法局の窓から王宮の庭が見えた。噴水のそばでは、白薔薇の花びらが石畳に落ちている。


私は最後の席次表を清書した。


エミリア伯爵夫人の席。

隣国王女殿下の食事。

寄付順。

控室の動線。

王妃様の挨拶文。


すべて、整えた。


私がいなくても、明後日の慈善会だけはきっと無事に終わる。

少なくとも、私が守りたいと思った方々が、必要以上に傷つかないようにはした。


それが最後の務めになるなら、丁寧に終えたかった。


夜、礼法局には私一人が残った。


燭台の火が、机の上の小箱を淡く照らしている。真珠の髪飾りは、まだ開けていない。開ければ、嫁ぐ準備を始めたように見えるから。


私は白手袋を外した。


指先には、紙で切った傷が三つ。古いインク染みがひとつ。消えない小さな痕が、いくつもあった。


大したことではない。


そう思おうとして、やめた。


引き出しの奥から、白い封筒を取り出す。礼法局の正式な辞表用紙は、以前から場所を知っていた。誰かが辞める時、いつも私が手続きを整えてきたからだ。


自分のために使う日が来るとは思わなかった。


いいえ。


本当は、少し前から知っていたのかもしれない。


羽根ペンを取り、名前を書く。


アデリナ・フォーリア。


誰かの娘でも、王妃様のお気に入りでも、礼法局の便利な補佐でもない、私の名前。


封筒の横に、礼法局の鍵を置いた。


銀色の小さな鍵は、燭火を受けて冷たく光っている。


私はしばらくそれを見つめ、それから静かに目を閉じた。


その夜、私は礼法局の鍵を、机の上に置いた。

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