3話 里
バザルをはじめとした亜人たちが、人間の街で暮らすことはできない。
表向きは『人の姿を捨てた異端』として忌み嫌われ、裏では都合のいい掃き溜めとして扱われるのが彼らの現実だった。
なぜ、そこまで虐げられなければならないのか。
答えは単純だ。彼らが――あまりにも「強すぎる」からだ。
この世界において、神から授かる『特質』には明確な優劣がある。
【脚力向上】、【腕力向上】、【身体硬化】、【治癒力向上】。そしてそれらを複合した【身体強化】は、どれも兵士向きの特質とされていた。
たとえば【腕力向上】なら、通常の発動で上がる力はせいぜい一・二倍程度。しかし、ごく稀に二倍近く跳ね上がるような、圧倒的な性能を持つ特質を授かる者がいる。そういう例外には、最初に『超』がついたり、名称そのものが変わったりする。
では、亜人たちはどうなのか。
【狼】の亜人は、【身体強化】と【超嗅覚】を生まれながらに複合し、おまけに爪や歯を異常に硬く鋭くできる。【馬】の亜人は【身体強化】に加えて【超脚力】と【超体力】を宿し、【熊】の亜人に至っては【超身体強化】そのものを平然と扱ってみせる。
一つの特質だけで人生の優劣が決まる世界で、彼らは最初から、最高性能の特質をいくつも内包しているのだ。
だが、その力には代償があった。動物の特徴が身体に現れてしまうという、外見の変異。
人間たちはそこを突いたのだ。彼らを『悪魔と契約して自ら人の姿を捨てた異端』として迫害することで、歪な特質のパワーバランスを無理やり保とうとした。それが人間の、王国の歴史だった。
国を追われた亜人たちの多くは、国境の狭間にある、魔物の巣窟でひっそりと暮らすしかない。
今回の遠征もそうだった。元々の里が受け入れられる人口の限界を迎えたため、バザルたちは新しく里にする場所を探していたのだ。だからこそ、ここにいるのは過酷な原生林を切り開くために選ばれた、戦闘に特化した屈強な戦士たちだった。
――しかし、それはあくまで「個」の強さに過ぎなかった。
一網打尽にされた理由は、あまりにも理不尽だった。
昨日、上流で響いたガルカ帝国軍の魔法の爆破――その余波がこの渓谷にまで届き、混乱に乗じて戦場から逃げ延びてきた人間の兵士たちに、この場所が見つかってしまったのだ。
組織された人間の戦術と暴力の前に、個の強さは無残にすり潰された。
三人が、一瞬にして首を刎ねられ、あるいは胸を撃ち抜かれて物言わぬ肉塊として転がっている。かろうじて息のある一人も片腕を失って大量の血を流し、もう一人は、恐怖のあまり虚空を見つめてただガタガタと震え、完全に精神を崩壊させていた。
この地に来たのは、バザルとルカを抜いて五人。
どれも里の中で優秀な者だった。
それが、たった一瞬で、全滅させられたのだ
この地に来たのは、自分たちを含めてわずか七人。里を護るはずの戦力が、一瞬で全滅したのだ。
「ちっ、まだ残党がいたか! おい、そこの獣耳もとっとと片付けちまえ!」
爆笑と炎の向こうから、抜刀した二十もの兵士たちが生き残りのバザルたちに気づいて殺到する。彼らの目に宿るのは、大義名分を盾にした、ただの残虐な愉悦だった。
そしてその兵士たちの安全な後方から、彼らの威を借るように、指先からパチパチと小さな火花を散らしてニヤニヤと笑っている男がいた。自分は戦いもせず後ろに隠れているくせに、まるで自分が一番偉いかのような傲慢な態度で前線を眺めていた。
「お前ら、逃げろ」
バザルは片手でグリスもう片方でルカを持ち、洞窟の方角へ投げ飛ばす。
「バザル!!」「バザル兄ちゃああん!!!」
二人の叫びを背に黒い鉈を構える。
ギィィンッ! と激しい火花が散り、襲いかかった兵士の剣を力任せに弾く。体勢を崩した兵士の胸元へ、間髪入れずに鋭い刃を叩き込む。その勢いのまま後ろの兵士の懐に入り首元を噛みちぎる。
「な、なんだこの化け物はッ!?」
「ひるむな、囲め!」
刺さった鉈を抜いて次々と襲いかかる兵士たちを、バザルは圧倒的な実戦経験で迎え撃っていった。裂帛の気合とともに鉈が閃くたび、人間の肉が裂け、鮮血が舞う。驚異的な反応速度と力技で、瞬く間に七人もの兵士を血の海に沈めるその姿は、まさに里の用心棒としての圧倒的な貫禄そのものだった。
「おいおい、お前ら何を手こずってんだよ! 早く殺せ!」
後方から男が、他人の強さを自分の強さと勘違いした偉そうな声を張り上げる。しかし兵士達は意に介す様子もなかった。
相手は軍の兵士だ。バザルの異常な強さを察するや否や、正面からのぶつかり合いを避け、数人がかりで執拗に視界の外から入れ替わり立ち替わり剣や槍の刃を突き出してくる。
一向に減らない数の暴力。息が上がり、重い鉈を振り回すバザルの強靭な肉体に、着実に疲労が蓄積していく。
その一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。
「今だ、足を狙え!」
背後からの容赦のない刺突、太ももを深く貫かれ、ついにドサリとバザルが膝をついた。トカゲの鱗の隙間から鮮血が溢れ、鉈が手から転がり落ちる。すかさず数人の兵士がバザルの上に組み伏さり、その腕を捻り上げて完全に拘束した。
「嫌だ、嫌だ……! 離して、グリス! 僕がアイツらを噛み殺してくるッ!!」
ルカが小さな牙を剥き出しにし、勝ち誇る兵士たちへ無謀に飛び出そうとする。
グリスは、そのルカの細い体を必死に抱き止めた。あの最強のバザルですら消耗戦の末に捕らえられたのだ。子供のルカが今飛び出せば、一瞬で肉片にされる。
「離して、離してよぅ……!」
暴れていたルカの身体から、急激に力が抜けていった。
血を流して倒れる戦士たち。力なく地面に押さえつけられるバザル。絶対に勝てない、追いつけない人間の数。怒りの糸がぷつりと切れたルカの瞳から、光が消える。
「……あ、お母ちゃん。みんな、死んじゃう……。バザル兄ちゃんも、僕らも、みんな殺されるんだ……」
ぽっかりと胸に穴が空いたような、完全な無気力。大粒の涙を流しながら、ルカは抵抗をやめ、人形のようにただガタガタと震え始めた。もう叫ぶ気力すら残っていない。
――その時、グリスの目が、燃え盛る里の一角にある『天然の岩穴』を捉えた。
周りの簡易的な家屋が激しく燃える中、そこだけは渓谷の岩肌にそのまま掘られた、入り口が狭く奥が深い、天然の空洞だった。かんぬきの着いた扉が開いており、まだ火の手は回っていない。
「ルカ、しっかりしろ! あそこは何の部屋だ!?」
グリスは無気力になったルカの濡れた顔を両手で強く挟み込み、無理やり視線を合わさせた。
「……え? あそこ……? あそこは、穀物の、粉とか……芋、いっぱい、詰まってる、貯蔵庫……。でも、もう、どうでもいいよ……おわりだよ……」
虚ろな声で呟くルカ。
だが、その言葉に、グリスの脳裏が弾けた。
穀物の、粉。
限界まで細かくした「粉」なら、あの狭い岩穴の中に一瞬で、濃密に撒き散らすことができる。
目の前が真っ白になれば、完全な煙幕になる。奴らが混乱している隙に、バザルさんを助け出して逃げるチャンスが作れるかもしれない。
グリスの頭の中で、必死の作戦が組み上がっていく。
自信のなさで震えていたグリスの足が、ピタリと止まった。
「ルカ、僕を見て。……バザルさんを、みんなを救う方法が、一つだけある」
グリスは魂の抜けたようなルカを見つめ、かつてないほど冷徹で、確信に満ちた声で告げた。
「僕の『知恵』を信じて。」グリスはルカの耳元で何かを囁き始めた
「おいおい、誰かと思えば、川に突き落とされて死んだはずの完全無能じゃねぇか!」
バザルを囲んでいた兵士たちの間を、これみよがしに割り裂くようにして、あの男が前に進み出てきた。
指先からパチパチと火花を生み出し、下卑た笑みを浮かべる雑用係の先輩。
男はグリスが生きていたことに、そして亜人の子供を庇うように立ちはだかっていることに、ここぞとばかりに大声を上げて爆笑した。
「ははっ! 特質なしのゴミ屑が、底辺の亜人の化け物を守るか! 底辺同士、お似合いの最期だな!」
「ひ、ひぃっ……! 来るな、来るな……!」
グリスはわざと涙を浮かべ、恐怖に腰を抜かしたフリをして、這うようにして背後の『岩穴の貯蔵庫』へと逃げ込んだ。
「逃げたぞ!追えッ!」
誰かが叫ぶ。
兵士はとことん腐っていた。いじめがいのある弱者を見るや否やほとんどグリスに向かっていった
――それこそが、グリスの狙い通りだった。
薄暗い岩穴の奥に滑り込んだグリスが、鋭く叫ぶ。
「ルカ、今だっ!!」
「うおおおおおッ!」
グリスの声に弾かれたように、岩陰に潜んでいたルカが、狼の特性である圧倒的な身体能力を解放した。無気力から覚醒したその『俊敏な動き』で、岩穴に積み上げられていた乾燥穀物や芋粉の袋を、鋭い爪で一瞬にしてすべてズタズタに切り裂いていく。
さらに、ルカはその驚異的な脚力で、床に溢れ出た大量の乾燥粉末を、空間に向けて猛烈に蹴り上げた。
ガサササササッ! という凄まじい音とともに、狭い岩穴の中が、一瞬にして目の前が何も見えなくなるほどの『真っ白な粉の霧』で満たされる。
「ゲホッ、ゴホッ! なんだこれ、ただの目潰しか!?」
「前が見えねぇ! どこだ無能、隠れてないで出てこい!」
粉が視界を奪い、大混乱に陥る兵士たち。
よし、作戦通りだ。
「ルカ、走れ!」
グリスはルカの手を引き、白い霧の中を壁づたいに狂ったように走った。激しく咳き込みながら闇雲に剣を振り回す兵士たちの脇をすり抜け、一気に岩穴の入り口へと滑り出る。
外の空気を吸った瞬間、グリスは振り返り、貯蔵庫の木鉄製の頑丈な扉を全力で掴んだ。
これを外から閉めてかんぬきをかければ、奴らを閉じ込められる。その隙にバザルさんを連れて逃げる――それが、グリスの立てた必死の計画だった。
扉閉めてかんぬきをかけようとした、その時だった。
暗闇と白い霧にキレた男が、周囲を照らそうと、いつもの悪い癖で指先から『チリチリ……』と明かり代わりの火花を灯すのが、扉の隙間から見えた。
「あ……」
グリスの背筋に、本能的な恐怖が走った。
限界まで細かく砕かれ、狭い空間に濃密に充満した、乾燥した可燃性の粉。
それを、自分が今、頑丈な扉で『密閉』しようとしている。
そこに、今、最悪の『火』が灯った。
それが何を意味するのか、グリスの知識では分からない。ただ、彼の知恵は危険を察知した。
「伏せろ!!」
グリスは扉から手を離すと同時に、隣で呆然としていたルカの身体を思いきり引き寄せ、地面へと押し倒した。背後から迫る目に見えない恐怖から少しでも遠ざけるように、ルカの小さな頭を自分の胸に抱え込み、覆いかぶさるようにしてその背中を必死に丸める。
次の刹那――
ドォォォォンッ!!!!!!!!
鼓膜を容赦なく引き裂くような、逃げ場のない超高圧の爆鳴が響き渡った。
天然の頑丈な岩肌と、閉まりかけの重い扉に遮られた密閉空間全体が、一瞬にして大爆発を起こしたのだ。
凄まじい衝撃波と、岩穴の入り口から噴き出した数千度の猛烈な火炎が、夕日に引けを取らないほど燃え盛っている。バキバキと音を立てて木っ端微塵に吹き飛んだ頑丈な扉の破片が、ルカを庇って地面に伏せるグリスの背中の上を、凄まじい速さでかすめていった。
背中に受ける焼け付くような熱風と、内臓を揺らす強烈な地鳴り。
グリスはただ、腕の中のルカを死なせないことだけを願い、歯を食いしばってその身体を強く抱きしめ続けた。
「な……、なんだ、これ……っ!?」
ようやく激しい耳鳴りがおさまりかけた頃、土に顔を伏せたまま、グリスはあまりの恐怖にガタガタと身震いした。
ただの穀物の粉と、小さな火花。それが合わさっただけで、どうしてこんな地獄のような破壊が起きるのか、今のグリスには理解すらできなかった。
中にいた男たちの悲鳴さえ置き去りにして、煙を噴き上げる岩穴は一瞬にして、文字通りの『墓場』へと変貌していた。
モタモタしていられなかった。急いでバザルの元へ向かう。
視界にバザルが入る。
全身がぐったりしており、虫の息だった。その周りを五人の兵士が囲む。
「どうせ他にも隠れ家とかあるんだろ?!」
そう言いながら何度も踏みつける。
「さっさと言えや!!」
兵士たちの怒号に、グリスは息を呑んで思わず後ずさる。
その拍子に、足元でパキリと小さな小枝が折れた。
――しまっ、た。
鋭い泥靴の音が止まる。バザルを踏みつけていた兵士の顔がゆっくりとこちらを向き――完全に、目が合ってしまった。
「あー、もうあいつらに聞くわ。死ね」
兵士がバザルを見限り、その足元にあった一際重そうな岩を両腕で持ち上げる。
ルカは恐怖に耐えかねて目を伏せた。グリスがルカを抱きしめる腕に、さらに力を込める。
兵士の両腕から、力が抜かれた。
「やめろおおおおッ!!」
グリスの絶叫を引き裂くように、ドスン、と鈍い質量が地面を叩く音が響く。
次の瞬間、視界のなかのバザルは、赤に染まってしまった。




