10月11日
今、最凶将軍が揺れていない。財布を忘れてきてしまったのです。
「ま、いいか」
そうです。そんなことよりも、今日のハンバーグの話です。優人の大好きなハンバーグです。
夫が「たまには和風がいい」というので、私もそれに強く心がひかれたのです。ただ、川井優人6歳に、「おろしソースに挑戦してみよう」という心があるのか?
いや、ないだろう。……しかし、何も告げずに、自分の両親が、自分を仲間はずれにするかのように、根菜をぐちゃぐちゃにしたものをハンバーグに「ペロリ」と舌を舐めながらかけている様子にビックリしてしまうのではないか?
自分の目の前のハンバーグにその根菜のぐちゃぐちゃがかかっているにしても、自分だけいつものソースで、仲間はずれになっているにしても、どちらにしてもショックを受けるのではないか。
だから、
「聞かなければ」
これから起こることが決して特別なことではなく、レストランのメニューで見る、ハンバーグの横の「和風ハンバーグ」というそれのことなのだ、ということ。
それを伝えたうえで、優人が洋風和風のどちらを選ぶのか、今から聞かなければならないのです。
それだけの事なのです。
だから財布はいりません。
よって、最凶将軍も揺れていません。
最凶将軍を家に残したまま、公園に向かいます。
私が公園に行くことは珍しいことではありません。今までに何度もあります。
私が公園に行くと、いつも優人はりっくんと一緒に、遊んでいたり、ロボギガマンの話をしていたり、紛失したロケットパンチを探していたりなどしました。今まではそうでした。
今日は。
「ゆ……」
かけようとした声が止まりました。
優人は一人でした。
りっくんと一緒にいるはずです。そういう約束でしたから。優人は一人で歩いています。
公園には他にも子供たちがいて、優人より少し大きい子供たちは友達数人で遊んでいます。優人より少し小さい子供は、お母さんとペットの犬と一緒に来ています。ペットの犬は大きくて、小さな子供は小さくて、犬に乗ろうとしています。犬は迷惑そうですが、ボスであるお母さんの顔色をうかがっています。中間管理職の自覚がありそうです。
公園の隅に草木の茂っている場所があり、その少し前あたりに自動販売機が3つ並んで立っています。優人はその裏側に歩いていきます。
見間違いとか、りっくんがトイレに行ってるだけとか、いろいろ考えられることはあると思いますが、私はなんだか、その歩いている優人が、スローモーションで自動販売機の裏側に消えていくように見えるほど、何か不思議に感じて、その瞬間の判断で「見つかってはいけない」と思ってしまいました。
だから私は、コソコソと優人の後を追うように自販機の方に移動していったんです。そして見ました。
自動販売機の裏側の世界を………。
第2研究ラボ。
看板にそう書かれていて、そのラボというのはおそらく、優人が中に入り込んでいる大きなダンボールの事でしょう。
看板もダンボールで、「第2研究ラボ」の文字は黒のマジックで書かれたと思われます。
第2ということは第1もあるのだろうか?
第2研究ラボはほとんど人目につかないような場所に設置してあり、優人の秘密基地なのだろうと思います。
優人はこちらに背を向けて座っていて、その優人の向かいに立っているロボギガマンとは、ちょっと目が合っています。
ただ、そのラボと私との間にも草木は茂っていて、仮に優人が振り返ったとしてもすぐには気づかないでしょう。
なので、すなわち、わりとしっかりと盗み聞きをしています。
「よし!博士のおかげで、ロケットパンチもだいぶ強化されたはずだ」
(博士?……アニメに出てくる博士の事だろうか?)
バシンッッ!!!
ロケットパンチが発射された。
確かに、ダンボール…第2研究ラボに穴が開くのではと思うほどの音がしました。
「待ってろ、今、新しいロケットパンチを作っているからな」
優人がロボギガマンに話しかけている。
「新しいロケットパンチはじゅうしんとあんていせいをびちょーせいしたやつでもっと最強だぞ」
(「重心」?「安定性」?「微調整」?なんでそんな言葉知ってるの?アニメで出てきたっけ?)
「もうびちょーせいは終わっていて、今エアブラシで塗装しているからちょっと待ってろよ。エアブラシはマスクとかしなきゃダメだけど、僕のマスク無いから僕は外で待ってるんだ」
(え?どういうこと?誰かが今、エアブラシでロケットパンチの塗装をしているってこと?誰が?博士?博士が本当にいるってこと???)
「博士のおかげでどんどん最強になっていくだろ。これからもちゃんと博士の言うこと聞いて、もっと最強になるんだぞ!」
(博士って誰なの?もしかして……りっくん?りっくんが博士なの?いや、そんな……そんなわけないよね?……はは)
「バネの強いやつの予備ももうちょっとほしいな。また博士にビールを持って行って強いバネ買ってもらおう。そしたらこれからもずっと最強だぞ」
(ビール?今、ビールって言った?)
ここ数か月に起こったいろんなことがつながっていく感じがしました。
「博士が好きなものは、野球とビールと唐揚げしかないんだってさ、でも野球は持っていけないから、ビールを持って行ったんだ。博士はいつも「子供がこんなもの持ってきちゃいけない」って言うけど、最後は絶対受け取るから大丈夫なんだぞ。ビール持っていけば!博士はどんどんお前を最強にしてくれるからな。博士は唐揚げを食べながらビールを飲むのが大好きな、最高の博士なんだぞ」
(最低の人間だ……うちの優人に何させてるんだ)
「よくわからないけど、ビールがあると、ママとパパがケンカするんだ。だからさ、ビール全部、博士に飲んでもらうんだ」
(う……最低のママとパパだ……)
草木の隙間から覗いているので、まだベストの体勢を見つけられておらず、足の筋肉がプルプル言っている。
音が出ないように気をつけながら、一旦体を戻し、自販機の横に隠れる。
(とりあえず、博士はりっくんではないみたいね。いくらりっくんが頭がよくて大人っぽいからって、ビールは飲まないでしょ…さすがに……)
顔を上げたら知らない子供と目が合ってしまった。優人と同じか、少し大きいくらいだろうか?1人で遊びに来ているようだ。
(一人で大丈夫)
勝手にちょっと、その子の心配をしたりします。
(意外と、世の中には変な人がいっぱいいるんだよ)
なんて思います。
例えば、小さい子にビールを持ってこさせる謎の博士だったり、足をプルプルさせながら、ずっと自販機の後ろをのぞき込んでいる人とか……。
その子供は、そんな女を見て「この世界の、少し深い部分を見た」と思ったことでしょう。
その女が親指をグッと立てて「いいね!」とウィンクしてきたのを見て逃げるように走っていった。とても速い。いつか金メダルを取るかもしれない。
「はあ……」
と小さくため息をつく。
自分でもどういう感情から生まれたため息なのかわからない。
そういう、とても小さなため息をして、また、のぞきと盗み聞きを再開する。
今度はさっきより良い体勢を見つけられた。これなら大丈夫そう。
「ママにバレないようにな!まあ、博士がマグマデビルの中にじーぴーえす入れてくれたから大丈夫だと思うけど、気をつけるんだぞ」
(GPS?……あのキーホルダー!…あのキーホルダーにそんなものが…)
「僕はもっとママに嫌われないといけないからな」
(え?え?…嫌われないといけない?……って言った?どういうこと?無理やり反抗期をやってたってこと?)
反抗期の友達がいて、その子がかっこよく見えてマネをしていたとか?そんなことなのかな?りっくんが反抗期なんて聞いたことないし、別の友達?え?まさか博士じゃないよね???
「だから「うんこ」とかももっと言うんだ。博士が頭脳で言うには、食べ物を食べてるときにうんこっていうと嫌われるんだって」
(博士が頭脳で言うには……?)
なんなの?博士って…。
「嫌われるためにはもっとわがままも言うんだ。だから、お前のロケットパンチも買ってもらうんだ。そうすればお前も最強だし、僕も嫌われるから両方いいことなんだぞ」
(わざとわがままを言っていたんだ)
「僕のことが嫌いになれば、きっとママは泣かないだろ」
(?)
どういうこと?
「ママのこと「嫌い」って言いたくないけど、ママは僕のことが好きだと泣いちゃうんだ」
(?)
…………。
「僕の事嫌いにならないと、僕が死んだとき、ママ泣いちゃうだろ」
(え?)
「だから僕はもっと嫌われなくちゃダメなんだ」
(え……?)
「ママが泣いちゃうのは嫌だから、僕はもっともっともっと嫌われないといけないんだ」
(待って…待って、嘘……そんな………)
心臓の形がはっきりとわかるほどドクンと痛み、みぞおちがギュウッと縮み穴が開きそう。
優人は、自分が死ぬことを知っていました。
優人は今日、笑っていました。
昨日も笑っていました。
確かに思い出せます。
無理をしてではなく、自然に笑っていました。だから私たちは気づかなかったし、だから本当に、本当に強い子なんだって…思います。
(ああ……ああ……どうしよう……どうしたらいいの……)
「それが僕が、最後にママを守れる方法だからな。ママが笑っていたら、僕は死んでも、ずっとうれしいんだ」
ダメなことはわかっています。泣いちゃダメなんです。でも、涙があふれてしまいます。優人が命懸けで止めようとしてる涙が…。
(うわーーーーーーーっっ!うわーーーーーーーっっ!うわーーーーーーーっっ!)
声には出せません。絶対に声は出せませんが、私の心の中が泣き叫び、目から涙があふれ出ます。
私が弱いから……優人がこんなにも強くなってしまった。
「ママは僕がニンジンを食べないと怒るから、怒りたくないのに僕がダメだから、ニンジン食べなくてダメだから、本当は怒りたくないのに怒んなきゃいけなくて、かわいそうだろ?」
優人がロボギガマンの目を見てしゃべっています。たぶん、目を見て、真剣な顔でしゃべっています。
(ダメなんて言わないで………)
「でも、お前はニンジン食べなくていいから、ママは怒らなくてよくなるから良かったよな」
(そうやって、また……)
そうです。優人はずっと私を思っていて、「怒られた」ではなく「怒らせた」と反省したんです。
「だから、いいか?僕が死んだら、おまえがママを守るんだぞ」
(優人………)
優人が、男同士の友情のように、ロボギガマンの手を握っています。
「今度、デスハンマーとジェットブースターを博士に付けてもらうからな!だからビール何とかしないと…、あとロケットパンチの予備の方もパワーアップしないとな!ロケットパンチが1番強いからな!」
(ああ、私のためだった………)
私に嫌われるという不可能なことを必死に頑張ってるのも、こっそり盗んでリュックにしまい込んだ悪いことも、みんなみんな。
ロボギガマンのおねだりが成功して、踊るように喜んだあの笑顔も、ロケットパンチを強くするのに夢中になっていたことも、みんな、みんな、みんな……。
(優人がやっていたこと、全部!全部!全部!全部!全部!全部!…………………私のためだった)
私のためだったんです。
ロボギガマンと目が合っています。
私はたまらなくなって、自販機の横に体を戻します。
座り込んで、前を向いても涙に太陽が入り込んで、ギラギラと世界が光ってしまって何も見えません。
涙をぬぐって見た世界は夢のようです。子供たちがキラキラの笑顔で遊んでいます。なんで………。
(なんで、優人だけが死ぬんだろう……)
これが、私が最後にに泣いた日の話です。




