第2話 号砲
6kmという距離は、陸上未経験者にとって絶望的であることは言うまでもない。
いや、キツいと知っていて、俺は「始める」と決めたのだ。今さら逃げるわけにはいかない。
そう心の中で自分を鼓舞し、重い足取りで走り出す。
――が、走れるわけがなかった。
俺は2km、河野は3.5kmで無念のリタイアだ。
佐伯や、後輩の花咲は余裕そうな顔で、そして俺より遥かに速いスピードで駆け抜けていく。
彼らの背中は、俺から何百メートル、いや、何キロ離れているのだろう。届きそうにないその背中を見つめながら、俺はグラウンドに這いつくばった。
「巽〜、初練習はどうだった?」
壁にもたれかかっていた俺の元に、舛谷先生がやってきた。
「全然ダメでした……」
絞り出すような声で俺が言うと、先生はあっけらかんと言い放った。
「どうやら巽は、走りに秀でた才能があるわけではなさそうだな」
そう笑いながら、こちらの心をえぐるような残酷な事実を告げる。
「あはは……。ちょっとは速くなれるように頑張ります」
引きつった笑いで答える俺を背に、舛谷先生は不敵な笑みを浮かべながら、短距離の指導へと向かっていった。
「お疲れ、薄暮」
そう言いながら、河野が俺の隣にへたり込む。
自主トレをしていた河野でさえ、6kmはさすがに長すぎたようだ。
「ここが俺のスタートラインか。これからが恐ろしいな」
俺のその一言で、地獄の初練習は幕を閉じた。
練習が終わり、いつものように自転車を漕ぐ。
だが、その景色はこれまでとは違っていた。非日常的な疲労感のせいか、いつもより空が暗く感じられ、ライトがなければ行く先も見えない。
けれど、そんな不安だらけの道中でも、今は不思議と怖くなかった。
それから、毎日のように地獄のような練習が続いた。
舛谷先生が課すメニューは数種類あった。
1つ目が、ゆっくりとしたペースで走り、基礎を作るジョギング。
2つ目が、少しきついペースで走り続けるペース走。
3つ目が、試合に近いペースを繰り返すインターバル。
4つ目が、体づくりを目的としたサーキットトレーニング。
この4つの中で、ペース走とインターバルは格別にきつかった。
この2つの練習は、中一の後輩たちや、同級生の女子と行っていたが、ついていけないこともしばしばあった。
だが、その中で実力がついている確信もあり、来るデビュー戦に向けて、内心ワクワクが止まらなかった。
ある日の練習終わり。更衣室で、花咲と二人きりになった。
彼は、いわゆるクールキャラで、人と進んで話すようなタイプではない。そのため、これまであまり親しくなれなかったが、これを機に話しかけてみようと思った。
「いつも練習のとき、めっちゃ速いな」
俺が言うと、
「先輩もいずれ慣れてきますよ」
と、あっさり返される。
会話は続かず、気まずい時間が流れる。そのまま花咲は、一言も発することなく更衣室を退室した。
「……冷たいやつだな」
そうぼそっと呟き、俺も更衣室を後にした。
この時の俺は、後に花咲が最高の練習パートナーになることなど、知る由もなかった。
ほんの少しずつ練習に体が慣れてきた二週間後。
舛谷先生はグラウンドの片隅に全部員を集めた。
「来週の記録会は、新入部員も全員出場してもらう! デビュー戦になると思うが、頑張るように」
その一言を聞き、俺は「待ってました」と言わんばかりに目を輝かせる。
「長距離の部員は全員、1500mに出場してどうだ。大丈夫か?」
先生が続ける。1500m……体育の持久走と同じ距離だ。
自分の成長を試す、最高の機会。そして何より、河野へのリベンジチャンスでもある。ますます、試合が楽しみになってきた。
その先にあるのが絶望であれ、歓喜であれ、それが何かを「知る」ことに意味がある。
内心にやけている俺に、実力者の佐伯が冷ややかな声で告げた。
「今の薄暮にとって、このレースは惨めなものになると思うが、精一杯がんばれ」と。




