第23話 ミトコンドリアン
湿った段ボールの匂い。
青臭い、茎を切ったばかりの匂い。
花桶の水の匂い。
甘い花の香りが、その奥で静かに漂っていた。
小林はゆっくりと目を覚ました。
起き上がってみると、そこは、花屋の資材置き場だった。
敷き詰められた段ボールの上に倒れ込んでいた。
「イテテ・・・」
頭に響く痛みを振り払いながら、小林は昨日の記憶を手繰ってみた。
田村かすみに会いに中野にやって来た。
立石に言われたから、マンガを届けに来た。
――いや、違う。
それは口実だ。
俺は、誰かに全部話してしまいたかった。
誰かに聞いてほしかった。
そして、楽になりたかった。
で、田村かすみを選んだ。
彼女になら、なにを言われてもいい。
いっそのこと、全否定された方が、マンガをやめられる。諦められる。
そう思った小林は、昨日の夜、花屋にやって来た。
閉店間際だったからか、遠目で、店の前をほうきで掃いているかすみの姿を見た。
見た途端、反射的に自動販売機の陰に隠れた。声を掛けようかどうかと、ウジウジしている間に、そのまま、花屋は店を閉めた。
気が付けば、朝までやっている居酒屋にいた。
あとは、もう覚えていない。
ドアがガチャっと開いた。
「小林君。目が覚めた?」
かすみがそっと顔を覗かせた。
――あっ。
小林はフリーズした。
そっか。酔った勢いで花屋を訪れた。
そんな自分を段ボールを敷いて、ここに寝かせてくれていたんだ。
小林は、今の状況を理解した。
「ごめん。迷惑だったよね。すぐ帰るから・・・」
立ち上がろうとした小林だったが、ふらついて腰を落とし手をついた。
「はい。お水」
かすみがペットボトルを差し出してくれた。
「ありがとう」
小林は、無造作に蓋を開け、ゴクゴクゴクと飲んだ。
「はあ、はあ、はあ」
と息継ぎをして、もう一度口をつけ、残った水を一気飲みした。
「かすみちゃん。俺は・・・」
と言いかけたところで、
「聞いたよ。このマンガのことでしょ」
かすみは、手に持ったマンガ雑誌を胸の前に掲げて見せた。
クソ。どこまで喋ったんだ。いや、もう関係ない。
どうせ話すつもりで来たんだ。と小林は腹を括った。
「うん。そのマンガは、実は・・・」
「小林君のマンガじゃないのね」
「そうなんだ。僕のじゃない」
敷き詰められた段ボールに視線を落としたまま、そう言った。
「じゃあ、私は読まない。小林君のマンガじゃないなら、読まない」
――えっ。
小林は視線をあげた。
「描いたら読ませてよ」
かすみは、雑誌をパラパラとめくって静かに閉じた。
「小林君のマンガを、読ませてよ」
そう言って、段ボールの上にそっと置いた。
そして、作業台の上に置いてあった木片を手に取った。
「これ見て。今、私が制作中のモノなんだ」
かずみが見せてくれたのは、つくりかけの木工彫刻だった。
「まだ、最終形が見えてないの。もう少し彫り込まないと、本質に届かない気がして」
そうか。まだやってるんだ。彫刻続けてるんだ。
小林は、ふっと緩んで、それを手に取った。
「そうだね。まだまだみたいだけど、いい線いってると思うよ」
素直な感想を述べて、返した。
かすみは、嬉しそうに頷いた。
「ありがとう」
と、木片を指でそっと撫でる。
「まだ完成してないんだけどね。でも、不思議なの。毎日少しずつ削ってるだけなのに、全然飽きない」
小林は黙って聞いていた。
「やっぱり私、創るの好きみたい」
少し照れたように笑って、
「創作って、楽しいよね。私は、やめられないな」
小林はかすみの横顔をじっと見詰めた。
その透き通るような肌が、一層キラキラ光っていた。
創ることを楽しそうに語る、その笑顔が眩しかった。
君は相変わらず、綺麗だった。
* * *
次の日、かすみが花屋で働いていると、立石から電話が掛かってきた。
かすみは、困ったような顔をして、受話器をとった。
「どうだい? 小林は来たかい?」
やはり、その話だ。
「うん。昨日来たよ。マンガを持ってきた」
「そっか。ふううう」
立石は大きくため息をついて、続けた。
「じゃあ、約束だ。俺と小林、どっちが面白かったか、聞かせて貰っていいかな?」
「・・・」
返事に困ったかすみは、言葉が出なかった。
「かすみちゃん。俺は大丈夫だから、はっきり言ってくれ。我儘言って悪いけど、ちゃんとケジメをつけたいんだ。そして、また・・・描くから」
立石の声は震えていたが、明らかに振り絞っていた。
この人の、マンガに対する姿勢は立派だ。
かずみは頭が下がる思いだった。
小林君に負ける覚悟を決めて電話をしてきたんだ。
それでも、自分の耳で結果を聞いて、次へ進もうとしている。
かすみは、その誠実さに胸を打たれた。
「ごめんね。立石君」
「うん。いいよ」
「答えられない・・・」
「え?」
「ごめんね。約束したのに・・・」
「そっか。俺も小林も、まだまだだったか。ははは・・・」
立石は小さく笑った。声の調子が緩んでいた。
「ううん。そうじゃないの」
「じゃ、なんで?」
「とにかく、答えられないの」
そういうしか無かった。
暫く沈黙が続いてから、立石が聞いてきた。
「なにかあった?」
「ごめんね。また、電話するね」
かすみは電話を切った。
一方、立石は、電話を切ったあとに呟いた。
「答えられない・・・か」
勝ち負けの話ではなかった。
* * *
山崎鉄平がタクシーを運転していると、電話が鳴った。見たことない番号だ。
タクシーを止め電話に出てみると、イベント会社の者だという。
「え? キャンディーズで?」
話を聞いて驚いた。
年末の、のど自慢大会を見たらしく、ママさん達のキャンディーズに出演依頼をしてきた。
春に行われるショッピングモールのイベントらしい。
のど自慢大会はその担当者も見ていたらしく、今度のイベントで是非一曲歌ってもらいたい。洗練されたママさん達の華やかさと、キャンディーズの懐かしさが相まって、たちまち魅了されてしまいました。必ず盛り上がると思います。ご検討願えませんか? と言う。
「そりゃ、本人たちがやると言えば、いいと思いますが」
素っ気なく答えながらも、鉄平はまんざらでもなかった。
自分が探し当てた、キャンディーズだ。
これだけの高評価を得るとは思ってなかったが、俺の目に狂いはなかった。と内心ほくそ笑んだ。
「つきましては、当然、ギャラの方もご用意させて頂いております」
「ギャラ? おいくらですか?」
「五万円ほど」
「五万? 一曲で?」
「はい」
鉄平は、そろばんを弾いた。
三人に一万ずつ払ったとして、二万残る。悪くない。
「まずは、本人達の意向も聞かないとご返事できません。もしかしたら、断られるかもしれません。彼女達はタレントさんでも、何でもないですからね」
「はい。勿論です。一度お伺いして貰えませんでしょうか?」
「では改めて、ご返事させて頂きます」
鉄平は、電話を切った。
そして、すぐかけ直した。
「あ、もしもし、礼子。おれおれ」
「喜べ。キャンディーズを歌って欲しいって電話があった」
「え? 誰から?」
「ショッピングモールのイベントだって」
「イベント?」
「なんでも、えらい評判になってるって」
「あんた、引き受けちゃったの?」
「いやいや。まずは本人達に聞いてみます。って返した」
「なに、声弾ませちゃってんの」
「俺ぁ、嬉しいさ」
「もう、まったく・・・」
「近いうち、店に行くよ。詳しいことはその時に。じゃあ」
鉄平はニヤリと笑って、電話を切った。
* * *
「なに! 盗まれた!」
クル爺がおもむろに立ち上がった。
「まだ、かもしれないの。これが、そのマンガなんだけど・・・」
ひなのは、ランドセルからマンガ雑誌を取り出しテーブルの上に置いた。
「トカゲマンって。やだ、カナヘビマンとそっくり。どういうこと!」
アンナがマンガをパラパラとめくり、急に顔が険しくなった。
ひなのは、カラオケボックスの一室でマンガを取り出してみんなに見せた。
カラオケは、あずさの吃音治療にもなるという事で、放課後になると、たまにクル爺が3人を迎えに来ては立ち寄っていた。だが、もう歌どころではない。ひなのは良心の呵責に堪えられなくなっていた。
カラオケに来るまでは、あずさはいつも通り楽しそうだった。
その笑顔を見るたび、ひなのの胸は締め付けられた。
このまま黙っているわけにはいかない。
自分があずさのマンガを小林に見せに行った。
私があんなことをしなければ、こんなことにはなっていない。
小林は、今では返事もしてくれない。
なんにしても、黙ってていいはずがない。
と意を決して、ひなのはみんなに打ち明けた。
あずさは、マンガを手に取り、目を見開いて入念に読み込んでいる。
「ひなちゃん。こいつの家はどこだって?」
「うちの隣のアパートに住んでる人なの。でも、最近は顔も合わせてくれない」
「うちの孫をナメくさりおってからに。人の描いたモンを盗むとは何事じゃ」
「ワシが行って、ケジメをつけちゃる!」
クル爺は目を吊り上げて、怒髪天を衝くほどの剣幕だった。
* * *
「この泥棒野郎が! わりゃ、なにをしとるんか!」
クル爺が、小林の胸倉をつかんでドアに押し付けた。
小林は、クル爺の為すがままにされ、目を瞑って黙っている。
「なんとか言ってよ。コバちゃん!」
「こんなことするなんて、酷いじゃないですか!」
ひなのとアンナも小林に詰め寄る。あずさは、少し離れたところで見ていた。
怒号を聞いて、パトロール中の大久保が自転車を止めた。
何やら揉め事だ。小林のアパートの前だ。
この最近、酔いつぶれた小林をおぶってここに何回も送り届けた。
大久保はすぐに駆け寄って、
「どうしました? まず、手を離しましょう」
いきりたっているおじいさんを引き剥がし、事情を伺った。
「おお、お巡りさん。こいつは泥棒じゃ。逮捕せい!」
「え?・・・コバちゃん・・・」
大久保が目を向けると、小林は黙って下を見ている。
「なにを盗まれたんですか?」
「マンガじゃ。マンガのアイデアをこいつは盗みよった。このクソたれが!」
大久保に制されながらも、クル爺の怒りはおさまらない。どんどん目がつり上がっていく。
うん? マンガ? アイデア? 大久保は首を傾げた。
「なにをしとるんじゃ。さっさと手錠を掛けんか」
「いや、そう言われましても・・・」
大久保が戸惑っていると、
「もうええ。このガキャ、今ここで腹きれ。こうなったらワシが介錯しちゃるわ。一太刀でケリつけちゃる。離せ! はなさんか!」
クル爺に来島又兵衛が憑依した。長州藩で最も過激な老武者である。大暴れだ。
大久保も押さえつけるのがやっとだった。
キキーッと、ブレーキ音。
そばを通りがかかった鉄平が、車から降りてきた。騒ぎを見て驚いた。
ひなの、アンナ、あずさがいて、あずさのおじいちゃんが、なんと、大久保に取り押さえられていた。何事かと思い駆け寄った。
「りゅう。どうした?」
「あ、先輩。ちょっと揉めてまして」
大久保と鉄平は高校時代の先輩後輩の仲だ。
鉄平は大久保を『りゅう』と呼び、大久保は『先輩』と呼ぶ。
「おじいちゃん。落ち着きましょう。どうしました?」
鉄平も暴れるクル爺を落ち着かせようと、なだめる。
「ああ、あんたか。コイツがうちの孫のマンガを盗んだ。生かしちゃおけん。叩き切っちゃる。手伝え!」
大久保と鉄平で羽交い絞めにして、暴れるクル爺をなんとか静めた。
交番で話を聞きましょう。と大久保が言うと、鉄平が止めた。
「りゅう、ちょっと待て。松田のおじいちゃんのことは良く知ってる。子供たちのこともよーく知ってる。交番なんかに連れて行くな」
鉄平はじっと大久保を見た。
「礼子の店ならゆっくり話せる。まずは話を聞こうや」
「そうですね。コバちゃんは、どうだ?」
大久保が聞くと、小林は「はい」と小さく返事した。
「丁度俺は礼子の店に行くところだ。子供たちは一旦、家に送るから。大人だけで話そうや。さあ、車に乗って。おじいちゃんも、いいですね」
鉄平がそう言って、みんなを自分の軽自動車に乗りこませた。
「なら、コバちゃんは僕が連れて行きます。もうすぐ上がりですから。僕も話を聞きます。先輩、店で待っててください」
おお、と言って、鉄平は車を出した。
* * *
「大村。大村はどこじゃ。どこへおる」
いつもごとく、あずさ姫が屋敷の中を探し回っている。
大村とは、大村益次郎。長州藩の軍師で、あずさのイマジナリーフレンドである。
「姫様。何やら慌ただしいですな」
大村が現れた。
「見て。私のマンガが、こんなことになったの」
あずさ姫は、マンガ雑誌を開いて見せた。
* * *
スナック止まり木。
「盗作しました。僕はとんでもないことをしました。すいません」
小林は罪を認め、何度も何度も謝り倒していた。
カウンターの中には礼子がいる。
カウンターには、左から、小林、大久保、井上、社長、鉄平、クル爺と並んで座っていた。
話し合いはかれこれ一時間は経っていた。
だが、クル爺の怒りはおさまらない。
「警察が泥棒を逮捕しないのはおかしいじゃないか!」
と、いつまでも引かない。
「ですから、警察には民事不介入という決まりがありましてね」
と井上がクル爺をなだめる。
「当人同士の権利や約束の問題には、警察は基本的に立ち入れないんです。マンガのアイデアを盗まれたという話も、その場で『泥棒だから逮捕』というわけにはいかないんですよ」
大久保も割って入った。
「暴力や脅し、器物損壊なら警察が動けます。しかし、今回の件は、まず当事者同士で話し合う問題だと思います」
「話し合いで済むか! 人のモン盗んどるんじゃぞ!」
「お気持ちは分かります。でも、僕らは法律で動く仕事なんで・・・」
大久保の返答は、何故か歯切れが悪かった。
「しかし、道義的には問題だ。しかも小学生の描いたものを、大の大人が盗作したなんて、恥ずかしい限りだぞ。コバちゃん!」
社長が厳しく叱咤した。
「すいません!」
小林は、カウンターに頭をこすり付けるようにして、謝った。
「ふざけるな。謝って済むなら、警察はいらんわ!」
クル爺が怒鳴る。
「まあまあ。それにしてもおじいちゃん。そのマンガでデビューが決まったんでしょ。だったら、あずさちゃんは大したもんですよ」
鉄平が、クル爺をなだめながら、そう言うと、
「当たり前じゃ。うちの孫は天才なんじゃ。そこのボンクラ小僧とわけが違うんじゃ!」
クル爺が投げたおしぼりが、小林の顔にボスっと当たった。
* * *
あずさ姫は、大村益次郎と一緒に小林のトカゲマンを熟読していた。
大村は、腕組みをして、「う~ん」と唸ってから、聞いた。
「姫は、どこが気になりしたかな?」
「私はこれ。ミトコンドリアン」
あずさ姫が指差したコマは、少年たちの指南役で出てくる、お爺さんだ。
「二人の友情が噛み合わなければ、トカゲマンは現れない」と告げて、姿を消す。
あずさが、カナヘビマンを描いたときに指南役にしたのは、猿神様という猿キャラだった。
だが小林は、『水戸様』と呼ばれる、現れては消える不思議なお爺さんに変えていた。
少年たちが、水戸様は何者なの? と聞くと、
「私はミトコンドリアン。二十億年前から、ここにいたよ」と言って、ふっと消える。
「ミトコンドリアンって、宇宙人かな?」
「これは、ミトコンドリアの擬人化ですな」
「なにそれ?」
大村はゆっくりと話し始めた。
「ミトコンドリアとは、生き物の細胞の中におる、小さな働き者ですな」
「働き者?」
「はい。食べ物からエネルギーをつくる、細胞の中のエネルギー生産工場のような役目です。これがおらんと、人もカナヘビもトカゲも、みんな動けません」
「へえー」
「しかも、このミトコンドリア。もともとは別の生き物だったと考えられております」
「えっ?」
「二十億年ほど前、まだ生き物が今ほど複雑ではなかった頃ですな。一つの生き物が、別の小さな生き物を体の中に迎え入れました。それが今のミトコンドリアです」
「食べられたの?」
「いいえ。敵になるのではなく、一緒に生きる道を選んだのです。それ以来、人も、カナヘビも、トカゲも、ほとんどすべての生き物が、今でもその仲間と共に生きております」
「だから味方なんだ」
「ええ。『二十億年前からここにいた』という台詞には、そういう意味が込められているのでしょうな。実に面白い発想ですな」
と、大村は大きく頷いた。
あずさ姫は、もう一度マンガに目を落とした。
水戸様のコマをじっと見詰めた。
* * *
「どうすれば、こいつを逮捕するんじゃ!」
クル爺がおさまらない。
井上が少し困った顔で、切り出した。
「実は、先ほどから民事不介入のことを話していたのは、穏便に話し合いで解決してもらおうと思っておりましたが・・・」
どうやらこれは、少し突っ込んだ話に切り替えたほうがいい。と井上は判断した。
「著作権侵害にあたる可能性がある場合は、権利者から被害の申告があって、警察も初めて本格的な捜査に入れます」
大久保も井上の判断を是とした。
「まずは、あずさちゃん本人の意思を確認することになります」
そう言って補足した。
「本人じゃな。分かった。あずさが被害届を出しゃええんじゃな!」
「・・・・・・」
小林は、無言のまま、下を向いている。
「コバちゃん。もうお前が決める話じゃないぞ。いいな」
社長の厳しい口調が後追いした。
「ちょっと待って!」
礼子が遮った。
「何のための話し合いなの、これは。大体、子供に被害届を出せだの出すなだの。そんなことを言わせたいの。あんたらは!」
しばらく沈黙が続いた。
「とにかく、編集部に全部話して。それからどうするか考えるべきじゃないかしら」
礼子が冷静にそう言うと、鉄平が頷いた。
「うん。まずは編集部だな。それが筋でしょう」
誰も異論はなかった。
重苦しい空気の中、それぞれが黙って頷いた。
* * *
「ふ~ん・・・」
と、大村はマンガを見ながら、顎に手を当てて考え込んでいる。
どうしたの? とあずさ姫が聞く。
「姫。拙者はもうひとつ、気になるところがありましてな」
「なに?」
「この、ミトコンドリアンを水戸様と呼ばせているところです」
「どういうこと?」
いや、深読みのし過ぎかもしれませんが。といい、大村は続けた。
「もし、水戸様を、水戸藩とかけているなら、この悪の組織の名前にも意味があるのかもしれませぬ・・・。姫がつけた悪の組織はなんでした?」
「ゾルゲよ。悪の組織ゾルゲ」
「こちらは、テング団。偶然とは思えませんな」
「なになに。聞かせて」
あずさ姫は、ワクワクしながら、目を輝かせた。
「ええ、水戸藩の話は多分、桂さんの方が詳しいでしょうな」
大村がそう言うと、あずさ姫が首を振って叫んだ。
「桂! 桂はいないの」
「お呼びですかな、姫」
ガラッと襖を開けて、登場したのは、桂小五郎だった。
* * *
「よし。早速明日、編集部に正直に話しに行こう。いいなコバちゃん」
鉄平がそう言うと、小林は黙って頷いた。
「なら、ワシも一緒に行くわい。こんなヤツ正直に言うかどうか、信じられん」
「じゃあ、僕も一緒に行きますよ」
大久保は、何かあって、またクル爺が暴れ出すとまずい。と思ったのか、同行することにした。明日は休みで、ちょうど体が空いていた。
「それがいい。りゅう、頼んだぞ。俺は松田のおじいちゃんを車で送って、帰るわ」
鉄平がそう言って、クル爺を連れて店を出た。
シーンと静まり返った店内。
社長が切り出した。
「コバちゃん。もう酒に逃げるのはよそうや」
「はい」
「ああいう飲み方は、いただけない。ここで飲む酒は楽しくなきゃな」
「は、はい・・・」
小林は、か細く返事をした。
カランコロンとドアが開き、鉄平が戻ってきた。
カウンターに駆け寄って、礼子に耳打ちをする。
「キャンディーズの件。また、今度な」
そう言って、すぐまた出て行った。
礼子は呆れて、「まったく」と呟いた。
* * *
あずさ姫と大村は、桂小五郎にトカゲマンを読ませた。
桂は、マンガを読み進めていき、急に顔をあげた。
「ほお、驚いた。このテング団の首領、フジータとは、藤田小四郎君のことですな」
「お、桂さんは、その男ご存じですかな?」
大村が聞くと、
「もちろんです。水戸藩の尊王攘夷派『天狗党』を率いた人物です」
「やはり、水戸様は水戸藩を指しているか・・・」
大村が頷いた。
「どういうこと? 水戸藩って?」
あずさ姫は会話についていけない。おいてけぼりを喰らってしまった。
桂が丁寧に説明する。
「水戸藩とは、徳川御三家の一つで、本来は幕府を支える立場でした。しかし藩内では尊王攘夷を巡って対立が深まり、天狗党と呼ばれる一派が挙兵しました。これを見てください」
桂は、マンガの一コマを指差した。
「それを模して、悪の組織をテング団と名付けたのでしょうな」
「水戸藩の天狗党?」
「はい。彼らは水戸藩を二つに割り、大きな内紛を招きました」
「じゃあ、水戸様と悪の組織はもともと、仲間だったってこと?」
あずさ姫は、手を叩いて喜んだ。ワクワクが止まらない。
「なるほど。敵味方というより、同じところから生まれたという構図ですかな」
大村も、パンと手を叩いた。
「こいつは面白い」と、思わず言った。
「それにしても、藤田小四郎君が出てくるとは。もし作者がそこまで考えておられるなら、大したものです。よく勉強しておられますな。この方」
桂はそう言って、マンガの続きを読んだ。
*
あずさは、自分の部屋で妄想にふけっていた。
目を閉じたまま、目玉だけがぐるぐると動いている。
やがて、かっと目を見開いた。
目の前のマンガ雑誌を手に取り、おもむろに開いた。
ふと気がつくと、ミトコンドリアンのページを、何度も何度も見直していた。
第23話 終




