↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
となりのとなりの物語  作者: 福本銀太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/24

第21話 いい日旅立ち

 コンコンとドアをノックした。

「コバちゃんいる?」

 ひなのは声をかけたが返事がない。

 耳を澄ませば、部屋の中の音が聞こえる気がした。

 漫画を描いているのかもしれない。

 それとも留守なのか。

 ドア一枚隔てた向こうにいるのか、いないのか、それすらわからなかった。


 もう一度ノックする。反応はない。

 どうやら小林は留守のようだ。

 あずさのマンガ「カナヘビマン」を読んで、アドバイスを貰えないか?

 と頼んでから一か月以上は立つ。小林からは何の音沙汰もない。


 ひなのは、合鍵で部屋に入って小林の帰りを待とうと、玄関横の鉢植えを上げた。

 ところが、鍵がない。

 湿気が多いと、鉢植えの底に張り付いている場合があるが、そこにもない。


 ひなのは、あれ?っと思った。

 鍵がないなんて初めてだ。

 いつも、それで勝手に部屋に上がって、勝手にマンガを読み、勝手にお茶を飲んで、勝手にお掃除して、アイロン掛けまでしたこともあった。

 ほっておくと、ゴミを溜める癖があるから、ゴミ出しの日は出来るだけ声をかける。

「もう、だらしないんだから」

 が、いつの間にか自分の口癖になっていた。


 ひなのは、小林が真剣にマンガに打ち込んでいた姿を思い出した。

「そっか。相当頑張っているんだ。邪魔しちゃまずいわ」

 小林の、「今、集中しているから、しばらく遠慮してくれ」との意図だとくみ取ったひなのは、鉢植えをそっと置き直して、立ち去った。


 *


 小林は、玄関の覗き穴から、ひなのが帰っていく様子を見ていた。

「ふううう・・・」

 息をひそめていたので、ため息を深く吐いた。

 思わず、ガンッと、横の壁に拳を叩きつけた。

 振り返ると、部屋の奥にあるスタンドミラーに、ぼんやりと自分の姿が写っている。

 カーテンも閉め、電気も消したまま、薄暗い部屋の中で息をひそめて、小学生相手に居留守を決め込む男の姿がそこにあった。


 *   *   *


「お疲れさまでした」

 小林がバイトを終え、コンビニの自動ドアを出たところで、スマホが震えた。

 立石からの着信だ。

「もしもし・・・」

「小林。おめでとう。上杉さんから聞いたよ。いよいよだな」

 立石の声は、弾んでいる。

 自分はもうすでにデビューを決めているだけに、余裕綽々ってヤツか。


「ああ、ありがとう。遅まきながら、俺もデビューにこぎつけることが出来たよ」

「掲載はいつになりそうだ?」

「編集部の調整では三か月後ぐらいだって。年明けだと。一月号か二月号か。立石は?」

「俺は、来月号でデビューだ。絶対読んでくれよ」

「ああ、楽しみにしてる」

「こっちもだよ。小林。じゃあな」

 スマホを切った。

 普通ならこういう場合。いいライバル関係になった。お互い切磋琢磨していこう。

 と、飲みにでも行って旧交を温めながら、将来の夢や展望を語り合うのかもしれない。

 冗談じゃない。立石と。そんなことまっぴら御免だ。

 小林はスマホを、ポケットにグッと突っ込んだ。


「マンガ家さん。こんにちは」

 見ると、詩織と美咲が目の前に立っていた。

 コンビニの自動ドアの前に突っ立っていたから、来店の邪魔をしていたみたいだ。

「あ、ごめん。邪魔だったね。どうぞどうぞ。俺はバイト終わったから」

「ううん。そんなことより、マンガ家さん。デビューが決まったの?」

 詩織が目をキラキラさせている。

「すいません。今、お電話で話しているのが聞こえちゃって」

 美咲も、少し伏し目がちに、それでも興味津々に聞いてきた。


「ああ・・・うん・・・」

 小林は、視線を落として頷いた。

「凄い凄い。ヤッター!」

 詩織は右手の拳を突き上げて、小躍りするように飛び跳ねた。

「ちょっと、詩織。騒がないの」

 美咲は詩織の袖を引っ張った。


「だって。こんな嬉しいことないじゃない。ねえ、マンガ家さん」

 詩織は小林の腕に巻きつくように、抱きついてきた。

「私達、受験生だから毎日つまんなかったの。今日はいいニュースが飛び込んできちゃった」

 満面の笑みを向けながら、小林の腕を、大きく振ってくる詩織。

 その反動が、小林の胸の奥の引っ掛かりを、少しほぐしてくれたみたいだ。

「ありがとう。詩織ちゃんにはいろいろ協力してもらったからね」

 小林も、笑顔で答えた。


「でも、本当によかったですね。一月号か二月号に載るんですか?」

 美咲も、優しい笑顔のまま聞いてきた。

「今のところの予定では、そうみたいなんだ」

「ねえ。そのマンガが出たら、お祝いしようよ。スイーツパラダイスで」

 詩織がそう言うと、美咲が突っ込んだ。

「あんたはただ、食べたいだけだろ」

「てへ。バレたか」

 詩織が舌をペロっと出した。


「いいよ。スイーツパラダイスに行こう。受験も煮詰まっている頃だろうから、息抜きになればいいし。僕がおごるよ」

 小林は、可愛い女子中学生を目の前にして、瞬間、いい恰好したくなった。


「ヤッター。」

 詩織と美咲は、二人同時に手を叩いて喜んだ。


 *   *   *


「ありがとう御座いました」

 田村かすみは、花束を渡し、深くお辞儀をしてお客様を見送った。

 フラワーショップ・ミウラでは、今日も、かすみのよく通る声が響いていた。


 かすみが顔を上げると、「よお」と声がした。

「俺のこと、わかる?」

 一人の男性が立っていた。


「立石君?」

 かすみは、恐る恐る聞いた。

「やった。覚えてくれてたんだ。悦ちゃんから聞いてさ。中野に来たからさ、ちょっと足を伸ばしてみたんだ。元気でやってる?」

「わあ。久しぶり。立石君も元気?」


 立石は、美大時代のかすみの友達から、ここで働いている。と聞いたらしい。

 卒業してから会うのは初めてだ。体格が少しガッシリして、貫禄がついた感じだ。

「花屋さんで働いてるなんて、かすみちゃんにぴったりだ」

「結構、力仕事だからね。手にいっぱい傷もついて、絆創膏だらけで恥ずかしい」

 かすみは、両手を後ろに組んで、隠した。

「そんなことないよ。カッコいい手だよ」

 立石は、真っすぐにかすみを見ていた。


「あ、これって。かすみちゃんの作品?」

 店の棚に飾ってある、小ぶりのブロンズ像を、立石が手に取った。

「そう。よくわかったわね」

「わかるよ。ジャコメッティみ、があるからね。好きだったもんね。まだ彫刻やってる?」

「うん。時々、無性にやりたくなって、没頭するのが楽しいみたい。立石君は?」


 すると立石は、肩掛け鞄の中から、一冊の漫画雑誌を取り出して、

「実は、俺。漫画家デビューしたんだ。これがその、今月号」

「ええ。すご~い。漫画家さんになったの。凄い凄い。見ていい」

 そう言って、かすみはマンガを開いた。


「苦労してようやくデビュー出来たから、嬉しくてね。昔の知り合いに見せたくて、配って回っていたら、悦ちゃんから、かすみちゃんのことを聞いて、それでね」

「わあ、知らせてくれてありがとう。なんか感激感激」

 かすみは、パラパラとマンガをめくりながら、声を弾ませた。


「ところで、小林もデビューするんだ。年明けの一月号か二月号で」

「え?」

 かすみは手を止めて、顔をあげた。

「同じ漫画雑誌で同じ編集者。偶然にも同級生の俺達がだ」

 立石の顔が、グッと引き締まっていた。


「小林って、あの、小林君?」

「ああ。あの小林だ」

「そうなの? 小林君も漫画家に・・・」

「ごめん。別れたって聞いたから、あいつのことは聞きたくないかな?」

「そんなことないよ。元気でやってるんだ。小林君」

 かすみは、小林の朗報を聞いて、ホッと、胸を撫でおろした。

 自分の父親との衝突が原因で、小林とは自然消滅のように別れた。

 でも、彼に非はない。

 小林君は悪くないのに、辛い思いさせてしまった。

 と、今でも思っている。


「そこで、みんなにお願いしてるんだけど。いいかな?」

「なに?」

 かすみは眉間に皺を寄せて、聞き返した。

「俺のマンガと、二、三か月後に出る、小林のマンガ。どっちが面白いか。読んで、感想を聞かせてくれないか?」

「え?」


「俺と小林は、これからライバル関係として、凌ぎを削っていくことになる。とんでもなくシビアな世界だ。昔の、同級生時代の様なわけにはいかない。プロとして、戦うことになる。その初戦が幕を切る。まずは、俺達のどちらが、スタートダッシュで相手を制するか。要は、どっちが面白いか。を知りたい。どっちに転んでも、それは俺達のバネになると思うんだ」


 立石の、突き刺さるよな真剣な眼に、かすみは少したじろいだ。

「いいけど。両方面白かったら、優劣つけられないかも」

「それならそれでいい。それも一興だからね」

 立石はほのかに笑って、返した。


 *   *   *


「コバちゃん。扉絵を頼む」

 上杉さんから、電話があった。

 扉絵とは、タイトルページだ。

 そっか、掲載が決まると必要な段取りだ。

 完成原稿を仕上げたあとにくる、大事な作業が残っていた。

 掲載される実感が、リアリティを持ち始めた。


「上杉さん、扉絵を描くのに何か決まり事はありますか?」

「多少あるけど、気にしなくていい。好きにやってくれていいぞ」

「タイトルも自分で入れていいんですか?」

「ああ、任せる。こちらで入れてもいいし、そっちで決め打ちしてもいいよ。コバちゃんの画力なら、その辺のデザイナーより信頼できる」

「はい。ありがとうございます」

 上杉の言葉が、不安定な小林の気持ちを、つなぎとめた。


「上杉さん。扉絵のコンセプトは、友情。でいきます」

 咄嗟に口から出た。

「早速来たな。このヒーローの武器は、友情。だからな。それで行こう」

「はい。締め切りは?」

「一週間後には欲しい」

「わかりました」

「いいのを頼むぞ! コバちゃん」

「はい!」


 ヨッシャー。と声をあげ、小林は椅子から立ち上がった。


 *


 まずは、ラフ案を10枚だ。

 小林は次から次へと、アイデアを紡いではラフに落とし込んでいった。


 主人公の少年二人。

 少年達の友情がほとばしるような、構図、ポーズ、表情、シチュエーション。

「違う。こんなもんじゃねえ」

 何度も消しゴムをかける。

「もっと手を伸ばせ。こうだ。このぐらい」

 鉛筆が勝手に走り回る。

「歯を食いしばってるはずだ」

 目を爛々と輝かせ、口角をあげながら、小林は紙に向かっていた。


 悪の組織の魔怪人はシルエットだ。目だけが光っている。

 俯瞰して、離れたところから狙っている。

「おどろおどろしい、不穏な空気感だ」


 トカゲマンはアップにするか、バストショットか、いっそ立ち絵にするか。

 印象的な鋭い眼。鱗の質感。筋肉のライン。マントのひるがえし方。

 アップにすると引き立つ、所々、鱗から羽根に、段階的に変化しているディテール。

 恐竜から鳥類へ、進化の過程を模した。このこだわりは見せたい。


「そう言えば、進化生物学の先生が言ってたな。どれだっけ」

 小林は、ネットの動画をあさった。

「生物には必ず個体がある。個体には必ず遺伝物質が入っていて、世代を超えて変化する」


 ――そうだ。変化だ。


 トカゲマンの変身は変化だ。

「DNAの二重螺旋構造をイメージとして打ち出そう」

 アデニン・チミン・グアニン・シトシン。

 4種類の塩基配列が結合しては、離れ、ズレて、また結合する。

「まるで、精密稼動する産業用ロボットのごとく。ガシャーンと音が響く」

 トカゲマンの、鱗が変化して羽根になる。一本だけ長く伸ばしてみた。

「そうか。コイツ、そのうち羽根が生えて、飛び始めるぞ」

 小林は興奮しながら、夢中でペンを走らせた。


 10枚のラフを描き上げた小林は、全部を壁に張り出して、腕を組んでじっと見つめた。

 カレーパンの袋を引きちぎるように開けて、がっついた。

 ムシャムシャと租借しながらも、ラフ案を睨みつけた。

 キッチンに向かい冷蔵庫を開けた。

 二リットルの麦茶をそのまま口につけ、カレーパンを流し込んだ。

 ふうう。と深いため息をつきながらも、集中は切らさずに、またラフ原稿の前に立った。


 そのまま、壁に貼り付けたラフに修正を加えていく。

 右端から順番に手を入れていった。

 気に入らないものには、途中でグシャグシャと線を走らせ、投げ捨てた。

 三枚残った。

 いつの間にか、外が白白と明るくなり、朝が来ていた。


 小林は窓の外を見た。朝焼けが眩しい。

 一睡もしていない。だが、不思議と眠くなかった。

 壁に残った三枚のラフ。自然光に照らされている。

 どれも悪くない。いや、悪くないどころじゃない。

「世界が広がった」

 気が付くと、そう呟いていた。


 向かいの家の窓に、人影が現れた。

 多分、ひなのだ。合わせる顔がない。

 小林は素早く窓とカーテンを閉めた。


 すると、ひなのの歌声が聞こえてきた。

「いい日、旅立ち~」

 かすかに聞こえてくる歌声。

 その声は明るくて、どこまでも真っ直ぐだった。 


 小林は、カーテンをグッと握り締めた。


 *   *   *


 結局、扉絵は三枚完成させた。あとは、上杉さんに選んでもらえばいい。

 そう思って、持ち込みブースのテーブルの上に、三枚を横に並べた。

 久々に編集部を訪れた小林は、意気揚々と上杉を待っていた。


「コバちゃん。お待たせ。おお、いいね。迫力あるな」

 上杉さんが扉絵を見て、開口一番響かせた。

「結局、三枚仕上げちゃいました。上杉さんが選んでください」

「よし。編集長とも相談して決めよう。そうだ。コバちゃん、立石君が打ち合わせで来ている。コバちゃんに会いたいって言うから、ほら」

「えっ・・・」

 立石が顔をヒョコっと、覗かせた。

「よお」

「ああ・・・」

 すると、立石が、テーブルに視線を落とした。

「さすが、小林だな。圧倒的な画力だ。俺なんか、まだまだだな」

 扉絵に顔を近づけ、なめるように見回している。

「そんなことないよ。俺だって、まだまだだよ」

 小林は、上から、立石の頭に向かって、そう投げかけた。

 すると、立石はむっくりと顔をあげた。

「けど、マンガは画力だけじゃない。そうだろ。小林」

「ああ、その通りだ」

 思わず、返した。


「いいねえ。同級生がライバルとして競い合う。美しいな~」

 上杉さんが、パンパンと手を叩き、変に澱みかけていた空気を払った。

「わかった。そのうち誌上対談企画をやろう。同じ大学の同級生が二人。同時期にデビューを飾った。これまでの苦労話や学生時代の思い出話など、話題は豊富だろうからな」

「いいですね。是非、その企画お願いします」

 立石は二つ返事だった。


「じゃあ、コバちゃん。この三枚は預かる。ちょっと待っててくれ」

 上杉さんが出て行くと、ブースの中で、立石と二人で、向かい合って座った。

 立石のマンガはとっくに読んでいた。

 なかなか面白かった。自分には無い発想だと感心した。

 この場合、変に誤魔化さず、取り繕わず、正直に感想を述べるべきだと思っていると、立石が先に口を開いた。


「田村かすみに会ってきた」

「え? なんで」

「俺のデビュー作を読んで貰うためだ。直接、届けてきた」

 こいつ、何考えているだ。今さら、田村かすみの話題なんて、どうしたいんだ。


「小林がデビューすることも伝えた」

「ええ?」

「彼女、喜んでいたよ。お前が元気でやっているって聞いて」

「そうか・・・」

 小林の脳裏に、かすみの、かつての笑顔がよぎった。


「よかったら、俺のマンガを読んで、感想を聞かせてくれって、頼んできた」

「なるほど・・・」

「そして、こうも頼んできた。小林のデビュー作も読んで欲しい。そして、どちらが面白かったか。正直に言って欲しい」

「はあ?」

 小林は表情を硬くした。


「田村かすみは、了承してくれたよ。但し、両方面白かったら、優劣はつけられない。とも言ってた」

「両方つまらないって言われたら、どうするんだ」

 小林は低い声で言った。

「いいじゃないか。面白いって言わせるまで、描き続けるさ」

 立石は、大きく頷いていた。

 小林は、視線を外した。


「小林。俺はお前と勝負したい。受けるか?」

 小林は、外した視線を元に戻すことが出来なかった。

「もし受けるなら、お前の手で直接、田村かすみにデビュー作を届けてくれ。俺と同じように。これが、彼女が働いている花屋さんの名刺だ。中野の新井に店はある。駅から歩いて20分ぐらいだ」

「花屋で働いているのか?」

「ああ、石田悦子に聞いて、やっと彼女の居場所をつきとめた。勘違いするな、ストーカーなんて、やっていないからな」

「わかってる。バカなこと言うな」

 小林はテーブルに置かれた、花屋の名刺に手を伸ばした。


「俺が、お前のマンガを持って行くのはおかしいよな。わかるだろ。それに、条件を揃えたい。俺は直接手渡した。お前も直接渡してきてくれ。電話して、郵送するとか、それでは意味がない」

「なに勝手なこと言ってんだ」

 小林は、ボソッと呟いた。

「わかってる。小林。俺はお前に、勝手に宣戦布告しているんだ。お前と勝負がしたい。マンガだけではなく、何もかも」

 ようやく、視線を戻すと、

 立石が、真っすぐにこちらを見ていた。


「ごめんごめん。お待たせ」

 上杉さんが帰ってきた。

「どう。これから飯でも行こう。神田に、いいウナギ屋があるんだ」

「ああ、いいですね。俺ウナギ大好きなんですよ」

 立石が返した。

「すいません。俺はこれからバイトがあるんで・・・」

 小林は、そう言って断った。


 *   *   *


 その夜、小林はビールや焼酎など、慣れないお酒を買い込んで帰宅した。

 バイトなんか、その日は入れてなかった。

 なんだったら、上杉さんと食事に行くかもしれない。と期待していた。

 だが、逃げるように帰ってきた。


 立石の真剣な眼差しがこびり付いて、頭から離れない。

 ビールや焼酎の缶を次々と開けて、がぶ飲みした。

 飲んでは吐き、飲んでは吐きを繰り返した。

 そのうち、トイレの縁に手を掛けたまま、意識を失った。


 *   *   *


 クリスマスソングが町に溢れている。

 大きなクリスマスツリーには、赤や金のボールや星などの装飾がぶら下がっている。

 それらは光を反射して、きらきらと揺れていた。

 駅ビルでは、今年も恒例の、のど自慢大会が開催されていた。

「もう、そんな時期か」

 小林はそう呟いて、遠くから、ステージに目を移した。


 ひなのが歌っていた。


「いい日、旅立ち~」


 これに出るための歌だったのか。

 ひなのは、マイクを両手で握り締め、はるか遠くを望むように伸びやかに歌っていた。

 小林は最後まで聞くことなく、足早にその場を離れていった。

 駅ビルから出るころに拍手が起こった。

 小林は振り返ることなく、雑踏の中に消えた。


 *   *   *


 年が明け、スナック止まり木にも新年が訪れた。

 玄関には礼子が飾ったしめ縄が掛かっていた。

 しめ縄の横には、近所の子供達が折った折り紙の鶴がぶら下がっている。

 入口の両脇にはミニ門松が置かれていた。礼子が毎年飾る正月の定番だ。

 その横には、常連の誰かが置いていった小さな干支の置物が並んでいる。

 いつの間にか、正月飾りなのか何なのかわからない賑やかさになっていた。


「ママさん。もう一杯ください。ヒック・・・」

 カウンターに突っ伏した客が、手に掴んだグラスを差し出した。

「ちょっと、大丈夫かい。飲み過ぎなんじゃないかい?」

 ほとんど酔いつぶれた客に向かって、礼子は、心配気味に声を掛けた。

 スナック止まり木に、今日初めてふらっと訪れた一見のお客さんだ。

 新年一発目から、新規のお客さんとは、縁起がいいと思って向かい入れていた。


「いいじゃないですか。お祝いなんですよ。お祝い。飲ませてくださいよ」

 その若い男は、顔をあげ、焦点の定まらない目で礼子にうったえた。

「そうかい。そんなにいいことがあったらならね」

 と、礼子は、グラスを受け取り、焼酎の水割りを作り直した。


「で、どんないいことがあったの?」

 礼子が焼酎の水割りを差し出して、そう聞くと、

「僕、今年デビューするんです。デビューが決まったんですよ」

「へえ、それは良かったわね」

 礼子がそう答えると、男の顔が歪んだ。

「で、なんのデビュー?」

「こう見えて、マンガ家なんですよ。僕は」

「へえ、それはすごいわね。じゃあ、お祝いしなくちゃね」

「でしょ。喜んでくれます? 嬉しいな。喜んでくれるんだ。ママさんいい人だ」

 その若い男の顔が青ざめてきた。

 礼子は、嫌な予感がして、その辺にある、おしぼりやタオルを掴んだ。


「僕は、僕は、ちっとも・・・オエッ」

 と、男はそのまま、少し嘔吐した。案の定だ。

 カウンターに咄嗟に置いたタオルがなんとか受け止め、幸い、辺りを汚すことはなかった。


「大久保ちゃん!」

 礼子がそう叫ぶと、

 カウンター席の反対側で、社長と飲んでいた大久保が、反射的に動いた。

 大久保が、その若い男をトイレに抱きかかえて連れて行き、背中を擦って全部吐かせた。


「ふう・・・」

 大久保が嘆息して、トイレから男を抱きかかえて出てきた。

 ボックス席に座らせると、

 その男は、バタッと倒れて、死体同然のようにつぶれてしまった。


「参ったわね。今日初めて来た客だから、どこの誰かもわからないのよ」

 礼子は、腕を組んで首を傾げた。

 すると、社長が男の尻ポケットにある財布を見つけて、指差した。

「おい、警察官。この男の素性を調べなさい」

 と、大久保に促した。


 大久保が、財布の中にある免許証を取り出して確認した。

「近くのアパートに住んでいますね。僕が担いでいって、家まで送りますよ」

「うん。たまには役に立つじゃないか」

 社長が、冷やかした。

「たまにはって、厳しいなぁ」

 よっこいしょっと。

 大久保が若い男をおぶって店を出て行こうとした。

 礼子が聞いた。

「ねえ、その子。なんて名前なの?」

「小林君ですね。小林祐樹と免許証にはありましたよ」


 大久保は、背中からずり落ちそうな小林を、グッと持ちあげ、店を出て行った。



 第21話 終


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。