92 俺は、初めての相手の名前を聞いた
「お前の言いたいことはよぉっくわかった。だが、俺はお前の思う通りにはならないいッ!」
女スパイの眉間にポッカリと示されたスポットに向けて、ピストルを2連射する。
「うぐ!」
撃鉄が雷管を叩くその瞬間、嘔吐いてしまい、照門と照星がかすかにずれてしまった。
引き金を絞り込む瞬間、射撃訓練を始めるときに、頭を撃たれ無残な死を遂げた雌豚のモンロー伍長の姿がよぎったのだった。
ぱぱんッ!
乾いた破裂音が再び格納庫に響く。
正確に撃てていれば、この状況はこれで決していたはずだった。
「ひゅぅーう! さすが勲爵閣下だねぇ、決断が早ぁい、だが、ガキだねぇ詰めが甘い。鉄砲撃つ訓練は受けても、人を殺す訓練は受けてないんだろう。ぎゃはははははぁ……」
俺が放った弾丸は呉竹のコメカミをかすめて明後日の方向に飛んで格納庫の壁に穴を開けただけだった。
「クソッ!」
続けて撃とうとする俺の機先を制して呉竹が響を盾にする。
「アタイはチガウよ、上級国民様よぅ! 銃を捨てな! じゃないとぉ……わかるだろう?」
呉竹のピストルが響のコメカミを躙る。
「アタイたちは、まず、殺す訓練を受けるんだ。学期末にさぁ山奥でねぇ。あんたたち上級国民様たちが、暢気に小学校に通っている時分からねぇ……きゃははははぁ。昨日まで机を並べていた同族の子たちがね、しょっちゅう転校していくんだ。ぎゃはははぁ……転校しないで済んだのがアタイたちってわけさぁ」
背中に冷たくて粘ついたものが流れる。
呉竹韻を騙る女スパイが送ってきた人生の悍ましさに吐き気がする。
根本的に違う! くぐり抜けてきた死線が俺程度のとは次元が違う。
途端に収まっていたはずの膝の震えが甦る。
「搭乗員の柄の確保が困難な場合は遺伝子だけを持って帰ればいいことになってるんだ。ははははぁ……うん、おまえ、めんどくさそうだから殺してキンタマだけ持ってくことにするよ。ぎゃははははぁ」
手から力が抜けて、ピストルを構えていられなくなる。
俺の心はいともかんたんにへし折られてしまった。
こんな悍ましい人生を送ってきた人間になんて敵うわけないじゃないか。
「「もがーーーーっ!」」
「たっちゃん!」
「辰哉ぁっ!」
口を塞がれた美洲丸と陽、そして、小桃と楓が俺の名を叫んでいる。
呉竹の銃口が俺の心臓をロックオンしたのを感じる。
「兄様、ダメ。諦めないで」
「あ、梓……っ」
「兄様が諦めたら、呉竹の殺害を陸奥中佐は命じる。響ごと」
「そんな……っ!」
「そして、奪われるくらいなら、敵が侵入してきた瞬間、敵ごとこの格納庫を爆破するはず」
「お、おい……そんな」
「兄様! 悲しいけれどそれが、戦争。更に悲しいことだけれど、梓たちは今、戦争しているの! 梓のことを兄様が拾ったときから、兄様は戦争をしているの!」
梓が凛と言い放つ。
「せ……んそう……だと? 俺が、戦争をしていただと?」
「おやおやぁ……勲爵閣下様はご自覚されておられなかったとぉ……ぎゃははははぁ、こりゃぁ傑作だぁ! この戦争の一番中心が戦争をしていた自覚がないなんてなぁっ! これだから上級国民様はよおぉっ! ぎゃははははぁ……」
女スパイの耳障りな笑い声が木霊する。
「死ね!」
まだ数メートル離れているはずなのに、耳元に死の宣告が届く。まるでオカルト現象だ。ひょっとして、この女スパイはそういう魔法でも使えるのか? 耳元に囁きを飛ばせるような魔法を。
女スパイの銃口が俺を向いている。発射される弾丸が確実に心臓を貫くようにだ。
「兄様!」
梓が両手を広げ、俺を庇うように立つ。
だが、身長差で俺の心臓は、梓の頭の天辺から出ている。つまり、俺の急所は梓の体では庇い切れない。
「ムガぁあああああああああっ!」
くぐもったボーイソプラノが俺の耳を揺さぶったのと同時に女スパイがカクンと膝を折った。
紅黄陽が女スパイの膝裏に体当たりを敢行したのだった。
「チイイイイイッ! こんのクソガキいいいいッ!」
パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!
破裂音が格納庫に木霊する。
「んぐうぅッ!」
「陽? 陽!? よおおおおおおおおおッ!」
陽が撃たれた? 倒れ伏した陽の体を中心に真っ赤な液体が広がってゆく。
「ぎざばあああああああっ、よぐもおおおおおおおッ!」
「ぎゃははははぁッ! それもこれもあんたが悪い! あんたがアタイの命を奪うことをためらったせいさぁッ! ぎゃはははははぁッ!」
女スパイの銃口が再び俺の心臓を捉える。
「黙れ、黙れ黙れえええええええええッ!」
俺は左腰の重く長いものを引き抜きながら、真紅に染まった視界の中で唯一元の色彩を留めている一点を見つめる。
「はああぁ? そんなお飾りで何をしようってええッ!」
パァンッ!
女スパイが放った銃弾が脇腹を掠める。
(あっちいいいいいッ!)
痛いというよりもものすごく熱い。
「このガキいいいいッ! しぃいいいいいぃねええええええッ!」
「断るッ! お前が死ね!」
抜き打ちで片手逆袈裟に振り上げた軍刀の切っ先が、女スパイの腕を肩口から切り飛ばす。
「ぎゃあああああああああッ! 腕ぇッ! アタイの腕ええええええッ!」
女スパイの絶叫が鼓膜に突き刺さる。
勢いでクルリとバレエダンサーのように一回転して俺は、刃を女の首に叩きつけた。
「ごぽッ……ごぼぁああッ!」
女の口から大量の血が吐き出される。
俺の軍刀は女の首筋を深々と切り裂いていた。
「きゃははははぁ……なぁんだ、やれるんだぁ……ゴポっ」
女スパイが自分の血に溺れながら笑う。
「ああ、キサマのおかげだ」
自分でも呆れるくらいに冷たい声が口から漏れていた。
「名前……お前の名前聞かせてくれるか?」
俺は、自分が作った血溜まりに沈んだ女スパイに話しかけていた。陽を撃った憎いヤツなのに……。
なぜだか彼女の名前を聞かなければならない気がしたのだった。
「きゃはは……勲爵閣下様は、こんな、草の名前をご所望で? ぎゃはははぁ」
「ああ、俺を人殺しにしたやつの名前だからな」
「ギャハ……ハハハァ……アタイの名前は……」
それまでスパイだった女は一族に伝わる命名法でつけられた名前を俺に告げ息絶える。
「地獄で誇るといい。これから俺がそこに送り込む幾千幾万のオマエの同胞に。俺が最初に殺したのがオマエだってな」
女スパイだった骸に、俺は彼女の名前を呟いた。
※※※※※
「紅黄! しっかりしろ! こんな掠り傷で死ぬなんて許さんからな!」
「陽くん、しっかりして!」
「陽ッ、陽ッ!」
「陽くんッ!」
陽の名を叫ぶ皆の声にハッとして振り返る。
仰向けに横たえられた陽の顔からは既に血の気というものが失せきって真っ白になっている。
「だ、だめだ陽、逝くな! まだ逝くな!」
「あ、あにきぃ……」
虚ろに開いた陽の瞳から急激に光が失われてゆく。
「死なせはしないからな紅黄ッ! キサマがこんなことで死んでいいわけがないッ!」
陽が流した血に夏服を染めた美洲丸が傷口に手をかざして呪文を唱え始める。
「回復魔法かそれ!」
思わず叫んでしまった俺に美洲丸が儚げな微笑を浮かべ頷く。
「これがバレてしまったら、千代田のお城の奥の院勤務が決定だから、な。誰にも……オマエにも知られたくはなかったんだが、なぁ」
のんびりとした口調で答える美洲丸の手の下で、逆再生を見ているように傷口が塞がっていく。
「よ、陽ッ!」
俺の声に陽が虚ろに目を開く。
「あ、あにき、ぼく、あにきの役に立った?」
「ああ、ああッ! お前が作ってくれたスキを突いてあの女スパイを倒すことができた。ありがとうな陽ッ!」
「よ、よかったぁ、こ、これでとーさんに自慢できるよ。親子二代で仕えることができたって……へ、へへへへッ」
カクンと陽の首から力が抜ける。
「美洲丸ッ!」
「大丈夫、ダイジョウブだ、失血で気を失っただけだ。このまま医療機関で治療を受けられれば命を失うことはないはずだ」
額から汗を流しながら美洲丸が微笑む。
「って、オマエは大丈夫なのかよ」
「わ、分からん。っくう……、こんな大怪我、治療したことないからなぁ」
「クソッ、どうすりゃ……」
ドガアアアアアアァンッ!
俺が苛立った声を上げたのと同時に格納庫の滑走路側の扉がこじ開けられ吹き飛んだ。
「総員戦闘用意! 新型を守り抜け!」
「おおおおおおおおおおおッ!」
お姉さん兵士たちの声が響く。
「くッそおおおおおおッ!」
「あにさまッ!」
俺の悪態に梓が応える!
「兄様! 零式に乗って!」
「梓ッ、乗れば、この状況をひっくり返せるのか!」
俺は梓に問い返す。もう答えは出ているのに。選択肢はそれしかないのに。
梓はニヤリと底意地が悪そうな微笑を浮かべ答える。
「兄様と梓が繰る白兵戦闘機が、この状況をひっくり返すのは天地開闢以来の真理ッ! 梓は兄様に誓う! 兄様と梓であの蛆虫どもを踏み潰し尽くすことをッ!」
「そうか、わかった梓……皆、陽を頼む。響……怖い思いさせたな」
「ううん、お兄ちゃん、響こそごめんなさいなの。……ご武運を、なの」
響が俺に向かって敬礼をする。
「あああああッ! ビッキーそりゃないぜ! そのセリフはぁ……」
「皆で言うって約束だったじゃないかなぁッ! ビッキー」
「えへへへ 早いもの勝ちなの!」
「辰哉、紅黄は任せろ。私も大丈夫だ。武運を、な!」
「辰哉ぁ…武運を!」
「たっちゃん……ご武運を!」
皆が敬礼を俺に向ける。
俺は姿勢を糺し、ビシリと音が立つような答礼を決めてみせた。
「ああッ! 行って来るッ!」
そうして俺は、試製機動歩兵装甲零式白兵戦闘機に乗り込んだのだった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
並びにブクマご評価ありがとうございます。




