68 再び医務室
気がつくと、寝台を囲む用に設置されたカーテンレールが俺を見下ろしていた。
最近、気がついたら保健室……いや、医務室だったなここは……ってパターンが、根付きつつあるな。俺は病弱じゃないはずなんだが……。
(さて、今回は、なんでこうなった?)
ええっと? 確か土曜は、小桃主催の食事会に誘われ、そこで、同学年の色んなヤツに出会って楽しかったっけ。
そして、美洲丸が連れてきてくれた仔猫(放課後貰い受けに行くのを忘れていた)を受け取って、そいつを屋敷に連れ帰ってきたら、ロボ梓にやたら懐いた。
妙な懐き具合を不思議に思っていたら、仔猫が急に巨大化してサーベルタイガーになっちまった。
夜遅くにも関わらず俺の呼び出しに応えて来てくれた美洲丸に仔猫のことを聞いたら、『竜洞生徒』の妹の梓が、生前、国から貸与された使い魔であることが判った。
そしてまた、ロボ梓が、データ化した『竜洞生徒』の妹の全人格をインストールされた精巧なアンドロイドであることも判明した。
そして、その場にいたメイドさん全員が凍りついた、泥酔した竜洞家家令鳳翔絢さんの醜態が止めを刺した。……いや、何に止めを刺した? っていう突っ込みは無しだ。
それが一昨日の土曜日のことだった。通常の三倍以上の濃い一日だった。赤い何かは出なかったがな。
昨日は昨日で、梓とアルジェンテ、そして、でかい犬スパイナーの相手、それから、学校で出された課題で一日があっという間に過ぎ去っていた。
せっかくの日曜なのに、休日を自分の自由にできなかった。
まあ、元いた世界でも日曜日は、常に人手が足りなくて過労気味の施設スタッフにゆっくり休んでもらおうと、ガキどもの世話を年長者が持ち回りで買ってでていたから、自分だけ曜日なんてものは殆どなかったしな。
そんなのは慣れっこだ。むしろ、時間が空いたら暇で死んでしまうかもしれない。
うそだ。暇になったらなったで惰眠を貪るだけだ。
……そして。
今日も俺は、早朝に登校して補習を受けることを命じられていた。
例によって、校門で長門教官に“偶然”出くわし、制服の校章が曲がっていることを指摘され
“反省”と称する腕立て伏せをさせられること三十回。
土曜日と同じように、続いてグラウンドで基本教練。今日のバディは“偶然”部活で早出してきていた太刀浦だった。
付き合いがいい太刀浦と一緒に反省三昧の基本教練を終え、シャワーを浴びようとトレーニングセンターのグラウンド側出入り口に向かっていた時、俺は、歩きながらロボ梓のことを考えていた。
やはり、俺がロボ梓を発見した状況は、不自然に過ぎる。
たまたま俺を見舞いに来た鈴縫響を家に送るついでに、犬の散歩をしていた俺が、某国のスパイに輸送車両から拉致られたロボ梓をたまたま発見するなんて、いったいどれだけのたまたまが重なったら発現する現象だ?
いや、在るか無いかだったら、確率は二分の一だ。選択肢は在るか無いかだけだからな。
だが、今回は違う。
無数に選択肢があった。
そもそも俺が散歩に出なかったら?
あの路地がある道を選ばなかったら?
そもそものロボ梓……の存在。
確かにたった一人残された家族、梓の存在が失われることは、はらわたを喰いちぎられるよりも辛い事だろうと思う。
その、『竜洞生徒』の心情と国や、軍の梓の才能に対する思惑が合致して進められた、梓のアンドロイド化計画。
梓の脳を電気的にスキャニングして全記憶をコピー。それをアンドロイドのコンピュータにインストール。
画期的としか言いようの無い新技術だ。
だが、それは果たして本当に可能なのか? 死にたての梓から脳を取り出して、ロボットに移植したっていう方が、まだ可能な気がする。
オカルティックになってしまうが、果たして電気信号のデータだけの存在に魂が宿っているだろうか?
確かに魂は電気的信号だという説もあるが……。
それに魔力というものの存在。それこそ魂のチカラが必要なものなんじゃないだろうか?
だから、俺は、どうしても、梓の人格が電気的にデータ化された存在だとは信じられないでいる。
俺は向こうの世界で死んで魂がこっちの世界で死んだ『竜洞生徒』の体に入って生き返った。
そこには、肉の器があったからだ。
梓はどうだ? 電子回路に魂は宿れるのか? 俺は、それについては否定する。
どこかに梓の人格を宿した魂の肉の器があるはずだ。
そして『極東人工少女廠』なんていう、架空のセクサロイドメーカーの存在。
『竜洞生徒』が梓の生前から、死亡時のロボ化を承認していたのなら、そんな回りくどいことをしないで、完成したロボ梓をデリバれば済むことだ。
どこかで何かが狂って当初の計画から外れてしまった故の、俺とロボ梓のあの出会い……。
何者かの明確な意思があるように思えてならない。
梓と『竜洞生徒』に何かをさせたい誰かの……。
「………まさかな。ゲームや漫画、ラノベじゃないんだ。そんなこと……」
そうつぶやいたとき、左側頭部に激しい衝撃を感じて、俺の意識は暗転したのだった。
※※※※※
「あ、気がつきました? 先輩!」
心配そうに声をかけてきたのは、大きな眼鏡が印象的なおかっぱ頭の細身の美少女……鈴縫響だった。
「響、衛生員なの…で、今日は医務室の係だったの…です。さっきまで、近所のおじいさんおばあさんでごった返してたの…です」
響は『竜洞生徒』の妹の梓の大親友だったという少女だ。
俺がこっちの世界に生き返ってきた日、事故って頭を強打したために早退させてもらったのだが、その時に見舞いに来てくれたことで知り合った。
ベッドの脇にイスを寄せて、俺が目覚めるのを待っていたようだ。
「やあ、響……ちゃん。ここは…? ああ、医務室か……ええ、と……あたた」
側頭部の痛みに顔をしかめる。そおっと触れてみると、タンコブができていた。
「先輩、今朝、トレセンの入り口のところで、頭にソフトボールの打球の直撃受けたの…ですよ」
なるほど、このコブはそのせいか。救急車で運ばれなくてよかった。ってか、ふつう打球が頭直撃したら、救急車呼ぶだろ。
「トレセンのシャワールームに美洲丸君がいて、頭部のスキャンしたら、コブ以外に異常がないって分かって、苺狩先生と美洲丸君と太刀浦君が、担架でここに運んできたの、です」
それで、先日と同じように、ここの地域一番の設備でさらに検査して、異常無しだったから、寝かされていたわけだ。
「ずいぶん長いこと眠っていたみたいだ」
俺は体を起こす。
「はい、今はもう放課後なの……あ」
何かに気がついたように、響が顔を真っ赤に染めた。
響の視線を辿る。ベッドの脇にある籠に俺の体操着がきれいに畳んで入れてあった。
「ご、ごめんなさいなの! 勝手に先輩のジャージ畳んだの」
ああ、検査するのに苺狩先生が俺のジャージを脱がせ、籠に放り込んでおいたのを、響が畳んでおいてくれたってことなのだろう。
「ありがとう。脱ぎ散らかしたままのところを、長門教官に見つかったら、台風が発生していたところだ」
肩をすくめて、響に礼を言う。
ん? ってことは、俺は今Tシャツにパンツだけという、とても情けない姿ってことか?
「た、畳んだだけなの! 他には何もしてないの」
響は顔をますます赤くして、両手で押さえイヤイヤをする。なぜそんなにうろたえる?俺のジャージを畳んだときになにかしてたのか?
「ほ、ほんとうなの何もしてないの!」
上半身をツイストしたその拍子に、何かが床に転がり落ちた。
「あ、端末……」
ああ、スマホが落ちたのか。
響が拾ったスマホの待ち受けが、ふと、目に入る。
黒いブレザーみたいな服を着た、意志が強そうな瞳の女性が、スマホの画面の中から優しげな微笑を湛えてこちらを見つめていた。
眉の辺りがどことなく響に似ていた。
「お姉さん?」
カマをかけてみる。こういった状況での俺のカマはほぼ十割の打率だ。
「う…はい。おね…八つ上の姉です。先輩や梓ちゃんは会ったことないの…です。もう、ずっと昔に遠い親戚のところに養子に行ってて。でも、この春から、ここの海軍基地に転勤してきたの…です。中間テスト明けの校外活動で、実弾射撃体験と基地見学があるので、そのときに久しぶりに会えるの…です」
「お姉さんのこと…、好きなんだな」
「はいなの…です」
はにかむように響はうつむき加減で笑う。その笑顔は医務室のカーテン越しに射し込んで来る午後の日差しに溶け込みそうなくらい儚げだった。
「そ、そう響、今、チェスをやってたの……です。わたしと梓ちゃんと先輩でよく対戦してたの……です。先輩が起きそうだったから、中断して待ち受けにしていたの…です」
木曜日に見舞いに来てくれたときから思っていたのだが、敬語が微妙に付け足しっぽい。きっと以前は『竜洞生徒』と響の間には、敬語を使うという習慣がなかったか、最近になって、それこそ微妙な距離感ができたことから、付け足しっぽい敬語の使い方になっていたのではないだろうか?
「ねえ、響ちゃん」
「なぁ、ん…です、か? 先輩」
「よけいなことだと思うんだけど、しゃべり方……、気を使わなくていいと思うよ。楽にお話ができるしゃべり方でいいと思う。こないだウチに来たときも、なんか、ぎこちなかったし」
一瞬、火が出るかと思うくらい赤面してうつむいた響は、肩をフルフルと震わせていたが、やがて、がばっと音が出るくらいに勢いよく顔を上げ破顔した。
「や、やっぱり辰哉お兄ちゃんはお見通しだったの! わたし、むりしてたの!」
響曰く、梓が亡くなってからの『竜洞生徒』は以前に比べ、塞ぎ込みがちで、覇気がなかったのだという。
それで、近寄りがたくなって、話し方にも微妙に距離ができていたわけか。
「ねえ、ねえ、辰哉お兄ちゃん! 久しぶりにチェスするの! 対戦成績は、わたしの113勝23敗なの」
「なんだと? それは、是非、雪辱をせねばなるまい! ここから俺の連勝街道が始まるのだ!」
「あははっ! おもしろいの! 辰哉お兄ちゃん。じゃあ、お兄ちゃんは、今、端末持ってないから、響の端末で勝負なの。いつもは、通信で対戦していたの。今日は一台で対戦なの」
響が端末を差し出す。
画面いっぱいに8×8の盤面が映し出されている。
動かしたい駒をタップして、動かしたい場所をタップするという動かし方らしい。
「ん?」
俺は目をしばたかせる。
盤面上のひとマスだけが違う色になっている。俺のポーンの前だ。
なるほどこれは、チュートリアルモードか。対戦しながら駒の動かし方と基本的ゲームの進め方を例示するアレだな。
将棋で言ったら、始めの方での角道とか言う戦術があったような気がするが、対戦相手の差し手に対応する形でセオリー的なことを教えてくれるモードなのだろう。
つまり、コンピューターの力を借りて、響と対戦するわけだ。『竜洞生徒』に113勝している響は、自信たっぷりにハンデをくれているわけだ。
なら、お言葉に甘えよう。そうしたところで、チェスの駒の動かし方しか知らない俺は、きっといいカモなんだろうがな。
光っているところにポーンを動かす。
「え?」
響がうろたえたような声を上げる。
その後もコンピューターの指示通りに、色違いのマスに駒を動かし続ける。
「あれ? あれなの。 辰哉お兄ちゃん、全然ちがう人みたいなの。なんか変なの……!」
十数分後。
「これ、チェックメイト?」
「……はいなの。響の24敗目なの。お兄ちゃん腕を上げたの」
俺が、勝っていたのだった。




