61 とある予科士官学校(防衛大学校)同期生たちの酒盛り
男という種が少なくなって、最も影響が出た産業といえば第三次産業の飲食業。特に居酒屋やスナック、バーの類がその影響をもろに受けていた。
人口十万と少しの地方都市においてもそれは顕著で、平日はさっぱり客足が無いために、週末だけ営業するという店も少なくない。
そんな繁華街のハズレにある、バーテンダーひとりで回している小さなカウンターバーは、週末で、夜の帳が下りたばかりのゴールデンタイム。これからが稼ぎ時だというのに、たった二人しか止まり木に止まっていなかった。
「一昨日は、ごあいさつだったな。同じ戦場で死線を彷徨った戦友に、はじめましてだと」
先制パンチを放ったのは、香気を放つ薄緑の液体を湛えたショットグラスとミネラルウォーターがなみなみと注がれたグラスを前にした、竜洞辰哉の担任長門延だった。
「竜洞家の家令とぉ、そぉこの令息のぉ担任教師は、初めて会ったはずだぁったぁけぇどねぇ」
長門の言葉のジャブをスウェーで躱し、間延びした口調で、そこらじゅうの全てを茶化しているような態度を取るのは、結露したロングドリンクのグラスの中のライムをマドラーでつぶしている古風なロングスーツ姿の竜洞家家令、鳳翔絢だった。
「そうそう、竜洞の略帽、あれ、おまえの仕込みだろ絢」
ため息をひとつついて、トロリと凍らせた薄い緑色の蒸留酒をあおり、ノースリーブのタートルネックとジーンズというカジュアルな洋装に、ゴージャスなボディを詰め込んだ予備役陸軍大尉長門延は、すぐ隣で、細長いグラスのロングドリンクを眺め、口角を上げている同期の戦友を睨んだ。
「うっふふーん、おまぁえならわかぁってくれると、思ぉってたよぉん延」
辰哉に対する態度とは全く違う、間延びしたおちゃらけ口調で応えた竜洞家家令、鳳翔絢はグラスの中のライムをマドラーでつぶしながら、長門にウィンクを飛ばす。
「その、ちゃらけた口調……、どうにもならないか…はあぁ」
長門は鳳翔のおちゃらけた口調を嗜めようとしたが、再びため息をついて、早々に諦めることにした。それが可能なら、もう何年も前に鳳翔のおちゃらけた口調や態度はどうにかなっていたはずだった。
「ウチの家ぁ督様をねぇ、早ぉ急ぅにぃ、一人前にぃしぃなくちゃぁなぁらなくぅなぁったんだなはぁん」
オールドスタイルのロングスーツの内ポケットから細巻きを取り出し咥え、オイルライターで点火して吸い込み、紫煙を吐き出すまで流れるような一挙動でこなした鳳翔が、長門に顔を向けて微笑んだ。
「ん? 早急に? 一人前の将校を育てるのに、どれくらいの時間と金がかかるか知らないお前じゃないだろう? 現に私たちはそうやって育てられた」
長門は薄緑の蒸留酒のお代わりをバーテンダーに告げ、細切りの干し肉を咥える。
「ん、十年計画だぁったんだぁけどねぇ。どぉっかの阿呆ぅが、ウチの大事な家督様を馬鹿げた事にぃ巻ぁき込もぉうとしぃてるんだぁ。だからね、三年で仕上げなくちゃならなくなっちまったのさ」
言葉の後半はチャラけた口調が消えていた。ロングドリンクのグラスを睨みつける鳳翔のまなざしは、事態がかなり深刻な状況であることを物語っていた。
「なあ、あーや。あそこと比べて、どっちがしんどそうだ?」
長門が己の左目を指差した。
「ああ、あああぁ! あぁそこと比べたぁら、極楽もぉいぃいとぉころだよ延、なんといってぇも命の危険がなぁいかぁらねぇい」
「ふん! なら、楽勝じゃないか。お前の目論見に一枚噛んでやる。話してみろ。ああ、そうだ、ボンベイサファイアを奢れ」
長門は白い歯を見せ、微笑んだ。
「いぃいさぁ、いぃいさぁ。そぉれくらぁい。マスター!」
長門の前に新しいショットグラスが置かれ、霜がついたサファイヤブルーの壜からトロリと凍った蒸留酒が注がれる。
長門が相好を崩し、ショットグラスに口をつけたそのとき。
「お待たせ!」
ドアベルを勢いよく鳴らし、タイトなスカートスーツの陸奥然が現れた。
「丁ぅ度いい。どぉっかぁの阿呆のご入ぅ来だ」
鳳翔絢は、静かに獰猛そうな笑顔を浮かべた。
「ああ、マスター、あたしには、モヒートをくださいな。あと、カシューナッツ山盛りで」
現役海軍中佐陸奥然は、わざとらしく長門を鳳翔と自分の間に入れる形でカウンターについた。
「やあぁ、然。先日はぁ、イぃンド人もぉびっくりのすぅごいもんを見ぃせてくれてぇえ、おありがとうごぁざいだね。おぉかげさまぁで、あぁれから一晩使い物にぃなぁらなかったよぉぅお。竜洞勲爵家の家令をハングアップさせるなんざ、そうそうできることじゃぁない。ルビヤンカでサマーフェス興行できちゃぁうねぇ」
鳳翔が言っているのは、昨日梓の初期メンテナンスに陸奥が竜洞邸を訪れた際に、辰哉に対して陸奥が土下座をした一件のことだった。
「あんたたちがおかしいの、延あんたもよ。あんたたち、あんなのと毎日一緒にいてよく気がおかしくならないわね」
上着をハンガーに掛け、グラマラスなボディラインをくっきりと浮き立たせる裁断のブラウスにタイトスカートという、崩れたスタイルになった陸奥の前にアメリカ人の文豪が愛したというカクテルが置かれる。その傍らには、特用袋をぶちまけたように皿に山盛りのカシューナッツが添えられる。
「ああ、きぃさまが土ぉ下座したぁ件なぁ」
「なに! 然が土下座!」
「ああっ! もうっ! 仕方ないじゃないしちゃったんだからッ! ……にしても、あーや! あんた延にどんだけ飲ませたの?」
「いいぃやぁ、ジュブルフカを2ショットとボンベイサファイア1ショットだぁけぇだぁよぉ。ああ、トリマビア(とりあえずまあビール)は大ジョッキで2杯だぁけどねぇ」
細巻きの紫煙をくゆらせながらウィンクして、鳳翔は陸奥の問いに答える。
「たったそれだけで、こんなに上機嫌になる延なんて、防大以来だわね」
憮然としてモヒートを流し込む陸奥に、長門が絡みついた。
「ぬはははっ! 一昨日の事故からこっち、あれは別物だ。生まれ変わったと言っていいレベルだな」
「あんたも気がついてるんでしょ? あーや」
「そうだぁね、ウチの坊ちゃんは、一昨日以来、全く別のぉ人間にぃなぁってしぃまったといっていいねぇえ。延が言ってるようにぃだぁね」
「全くだ、器はそのままで、中身がそっくり入れ替わった感じだな。以前はいい意味でも悪い意味でも、竜洞辰哉は王様だった。が、今は例えるなら蛮族の勇者だ。本人は隠しているつもりなんだろうが、ギラツキ具合が、他の男子とは質を異にしている。泥水を啜ったことがあるやつにしか、あの目の奥のギラツキはわからんだろうがな」
「はあ、幼年学校に行ってるような女の子には分からないってこと? でもあれ、本能的な部分でクるわよ。生徒、大丈夫かしら」
陸奥が心配そうに長門に尋ねる。
「とりあえず、今のところは目立った障害は出ていない。が、薄々気がついてはいるだろうな。アレが放つ強烈なオスの匂いってやつに」
長門はにやりと口角を上げる。
「へぇえ、やぁっぱりかぁ。わぁたしも…さぁ。一昨日、延が、坊ちゃんを連れ帰ったとき、久しぶりに昂ぶったぁねぇ。あの方と初めて会ったあのときみたいに、激しぃいのぉがきたぁよ。あの日は昂ぶりすぎてねむれなかったぁねぇ。ウチの連中も大同小異そうだったぁよ」
「私もだ! あーや、然! 教室に入ってすぐ、あれが放つものに中てられた。あの気の中でよく平気でいられると、生徒たちの正気を疑ったよ。あれは、あのときのあの方が放っていたものに限りなく近いものだ」
長門が言っているのは自分が左目を失うことになった撤退戦で、文字通り殲滅されそうになっていた彼女たち敗残部隊を救出した部隊の男性指揮官のことだった。
「あんたたち、あの激戦の中でよくもまあ……」
「ばぁかだなぁ、然はぁあ。すぐ死ぬかもしれないから余計に昂るんじゃァないかぃ」
「ああ、まったくだ。泥と硝煙と血と糞と小便と腐肉の匂いの中であんなすごいものに出会ったから、余計に昂るんだ」
鳳翔がケラケラと笑いながら、甘苦いロングドリンクを飲み干し、長門もまた透明で香気が芳しい酒を呷る。
「くっそ! あたしだって、あたしだってね、行きたかったんだからね! あんたたちが死にかけてるの指咥えて見てただけじゃないんだからね」
陸奥はその双眸に涙を湛えていた。同期の二人が死にかけていた戦場で、同じ苦しみを分かち合えなかったことに後ろめたさがあった。
そのとき陸奥は、撤退作戦の中枢で作戦参謀として、不利な戦局を打開する作戦を立案することを任務としていたから、長門と鳳翔がいた前線には、出られなかったのだった。
「はあ…あたしがあの人に会ったのは全部が終わって、あんたたちがティルトローター機で脱出してきたのを迎えに出たときだもの。あの方は全部が終わってフニャフニャになっちゃってたわ」
「ああそうだ、あーや、勲爵閣下の坊ちゃんを急に一人前にしなくちゃならなくなった理由だ」
「そこのどこかの阿呆に聞ぃくとぉいい。そぉいつぅの都合だぁからねぇえ」
鳳翔は細巻きの煙を吐き出し、ジンをライムジュースと炭酸飲料でビルドしたロングドリンクをを注文する。
「次はモスクワのラバを。ククッ、アメリカ製のレシピなのにモスクワだって」
「アメリカの欺瞞体質がよーっく現れている逸品だな」
「でもねぇ、延。こぉこのモスコミュールはぁ、ジンジャーエールじゃあなくて、ジンジャービアを使ってぇるんだぁよ。だぁから、生姜の味がビリビリでおいしいんだぁよ」
「ああ、そうだったなあーや、ここのモスコミュールはそうだった。で、然、そっちの都合を話せ。さあ話せ!」
「はあ、やってらんないわ。このヨッパライども! いいわ、教えてあげる。新型の歩兵装甲よ」
陸奥の言葉に、長門の顔が青ざめる。
「それの実用評価試験が滞っているって噂は聞いている」
「へえ、耳が早いじゃない。ウチに調別でも入ってるのかしら」
「茶化すなよ。技研に陸士の同期がいるんだ。お前がやってたのは知らなかった。搭乗員の質が問題だという話だが?」
「まぁさに、それさぁあ」
「竜洞辰哉幼年学校生徒の適合率がとんでもない件についてよ。モヒートおかわり。あと、干し肉とカシューナッツも特盛で、あとチーズの盛り合わせとチョコレート」
「他にいないのか?」
「いたら、誰が、ワザワザあんな手のこんだことしてまであーやのとこなんかに行くもんですか。仕方ないじゃない。あの娘が当代の勲爵閣下以外を乗せるの嫌だっていうんだもの。おかげでね、起動試験すらできてないのよ」
「兵器が搭乗員を選ぶだと? そんなの、欠陥兵器じゃないか…ってか、そんなのは最早兵器じゃない! 技研は何てバカなもんに予算を使ってるんだ! 20年も!」
長門はすっかり酔いが覚め、現役のころの軍人の顔になっていた。
対して、現役軍人の陸奥は杯を重ね、メートルが上がって今や絶好調だ。飲み干したモヒートはすでに六杯を数えている。
「れも……れもね、今やってる実用試験が成功したら、すぐさま二百機は量産できるようになってるのよ。そんだけあれば、アメ公の全軍とだって正面から殴りあえるんらから……」
「た、たった二百機でアメ公の全軍とだとッ!?」
「そぉうなのさぁ! だぁから、あたしは然の計画に一枚噛む事にしたぁんだぁよ」
「こんろはこっちのルールで、奴らを完膚なきまでに叩きのめしてやるんらッ!」
いよいよもって陸奥は饒舌に、しかし、呂律怪しく雄たけぶ。もはや、目つきも怪しくなってきている。
「いまさら、アメリカとやり合おうなんて考えてるやつなんか、流石にいないだろ」
長門がアメリカとの戦争の可能性を否定する。
「だぁけどねぇえ、日本の富を奪いたい、ふとどきな奴バラはぁね、たぁくさんいそうだぁね」
「そうらッ! こんへいきにひゃいっへ、エネルギーゆひゅるこふになった、わが国を根こそぎ我が物にしたいところは、ウマに食わせるくらい存在しているのよ」
「ひがしにぃも、にしにぃもだぁね」
「だからといって、まだ、入隊できる年齢にも達していない幼年学校の生徒を……」
長門はこめかみを押さえ考え込む。
「マスター、マティーニをチャーチルで、ジンはビフィーターがあれば最高だ」
長門の目の前にベルモットの壜が置かれる。白く曇ったカクテルグラスに、紅く古式ゆかしい軍服の兵隊が描かれたボトルから冷えたジンが注がれ、オリーブが落とされた。
グラスの足を持って、長門は“マティーニ”を飲み干す。その右目の端にベルモットの壜が映っていた。
「喫緊は西か」
タン! っと、グラスをカウンターに叩き付けるようにおいて、長門が誰とはなしに問いかける。
「そうだぁねぇえ」
「最近うっざうざでうるさいから、早々に黙らせて、千年ぐらい口が利けないようにしてやる必要があんらッ!」
「わかった、噛んでやる。あーや、辰哉のことはハイハイする前に敬礼を叩き込まれた疾風烈火の息子の『竜洞辰哉』ではなく、敬礼のけの字も知らない全くの素人のガキを練磨の兵隊にして常勝の将校にするという方針でかまわないな」
「ってかぁ、もう、そうしてると思ってたんだけどねぇ。略帽を傾けたままおまえの前に坊ちゃんが立ったことで、今の坊ちゃんが今までの坊ちゃんじゃないことを、分からないおまえじゃあなぁいと思ってたんだぁけどねぇえ」
「ふん、今日は早速、朝から、大反省大会だったよ。月曜日からも早朝補習を実施する。あーや、毎日どこかに必ず容儀不備を作っておけ。シゴキまくってやる。休日はお前がお前たちの戦技を叩き込んでやれ」
「もぉちろぉんだともぉお」
「あんたたち、壊さないでよ。彼は国の大事なモルモットなんだから」
「ああ、そうだ、然にお礼を言っておかなきゃだぁね。あたしたちの現役復帰と指揮権の完全独立。ずいぶん、無理を通してもらったぁねぇ」
「特に指揮権の完全独立は骨を折ったわ。あんたたちって、とぉっても使い勝手のいい部隊だから、参謀本部が現役復帰させるならこっちによこせって言ってきたくらいだもの。だから、名目上は連合艦隊司令長官直轄ってことにさせてもらったわ。まあ、長官があんたたちに命令することはないけどね。おかげで、出世するために溜め込んだ手札が一気に無くなっちゃったわ」
「ウチの坊ちゃんをモルモットにしようってんだからぁあ、そぉれくらいはしてもらわないとだぁね」
鳳翔は、干し肉を齧り、黄緑色のカクテルを一気に流し込む。
「あと、陸軍の訓練施設、使えるようにしてくれただろぅ? さっそくウチの家督様の目を盗んで訓練を始めたぁよ。ありがとうねぇ」
「目を盗んで?」
長門が聞き返す。
「ああ、目を盗んでだぁよ。一昨日までの坊ちゃまは、全てにおいてよきにはからえだったんだぁよ。ところが、一昨日帰ってきてからこっち、うちの総員が何名か、そのうち何名が何交代で勤務しているか把握しているようなんだぁねぇ。しかぁも、忘れたからって、全員の氏名誕生日まで聞きまわってるようなんだぁよ。今まで、使用人の名前なんか、まぁったく気にもとめてなかったくせにだぁよ」
「本当に別人だな」
「だぁが、そぉおのおかげぇで、十年かかると思っていたことぉぅを、五年…いぃや、三年でやぁれてしぃまえぇるかぁもなぁ可能性が出ぇてきぃたのさぁあ」
「兵隊としては、変なくせがついてないぶん、やりやすいんじゃない?」
「三年で鬼共の頭張れるくらいぃにぃ、でぇきるといいんだけどぉお」
「やる価値はある」
いつの間にか、辰哉があずかり知らぬところで、辰哉を何者かに仕立て上げようとする密談がなされていた。
「ああ、あと、増強のこともお礼言っとかなきゃねぇえ」
「ふん、こういう事態を予想して最古参の下士官と新米一個班を現役に残しといたんでしょうが。今度ウチのASWOCの指令補に、銀座東のドライケーキでも差し入れして頂戴。あの子が殆ど実務をやってくれてたから、書類上の手続きが、まあ、早かったこと早かったこと。あと、ウチの群司令に挨拶に来なさいよ。一応ウチの基地があんたたちの駐屯所になってるんだから」
「わぁかったよ。二三日うちに伺うって司令に……橘提督につたえといておくぅれ。しかしまぁ、然の考えを先読みして、書類を用意できる部下がいるとはねぇえ」
「二十年後の作戦部長だな」
三人の前に、足つきの細長いグラスが置かれる。
「当店から皆様に」
ポンッ! っと、景気がいい音が店内に響く。しゅわしゅわと発泡するピンクのワインが注がれた。
「皆様のプロジェクトの成功を祝って」
マスターがグラスを掲げる。
「まだ、始まってもいないんだがな」
「お前たちぃが、こぉの計画をぉお、やぁると決めた時点でぇえ、成功が約束されたのさぁあ。この化物どもめ」
「あら、延どこかの化物が何かをほざいてるわ」
「まったくだな。あの場所の最前列にいて、傷ひとつ負わなかった化物がな」
三人が杯を掲げる。
「「「「乾杯!」」」」
グラスが触れ合う透明な衝突音が、防衛省共済組合直営カクテルラウンジ「護桜」45号店に鳴り響く。
このときに、あらゆるものの未来が、あらゆる事象を巻き込んで動き出したのだったと知るものは、いなかった。
そして、その流れに自分が深く巻き込まれていくことになるなど、辰哉は知る由もなかった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
並びにブクマご評価感謝であります。




