60 神話に詠われる幸せといわれるやつはこれのことか?
「「「はい! あーん」」」
俺の目の前に、一口サイズにカットされ、フォークに載せられた洋食屋マリーゴールドの自慢の一品『しおがまろおすとビーフ』が、三方向から差し出され、俺が口を開けるのをいまや遅しと待ち受けている。
(おいおい、まったくもってほんとうにモテモテくんだなぁ『竜洞生徒』よぉ……)
それぞれが、いい匂いのソースに塗れていてうまそうだ。
が、この場に漂う妙な緊張感が、俺に安易に口を開けるなと警告している。
「はい、竜洞君、グレービーにホースラディッシュなのです。パンもご用意してあるのです。あーん」
愛らしい仕草で香取さんがろおすとビーフを俺の口元に差し出し、微笑む。
「ちょっと、香取ちゃん、たっちゃんは今度はこのデミグラスを食べるんだから、余計なことしないでくれるかなッ」
小桃が俺の腕を掴んで引っ張り、茶色いソースに塗れた肉片を突きつける。
「違うと思うなぁ、竜洞君はガーリックしょうゆの気分だよきっと」
そして鹿島さんは、ニンニクのみじん切りが入った少し粘り気のあるしょうゆをつけた肉を俺の目に前でゆらゆらと揺らしていた。
ちょっとでも口を開けたら、三枚の肉が雪崩を打って口の中に突撃してきそうだ。
「鹿島ちゃん! あたしの席で何してるのさ! それに、そのローストビーフは、あたしが辰哉にアーンしようと思って取っておいたヤツだからねっ!」
楓が足音激しく鹿島さんに詰め寄る。
なんだって? 目の前のガーリックしょうゆは元々楓が『竜洞生徒』のために用意していたものなのか?
「なによう! 楓ちゃんが竜洞君の幼馴染だからって、竜洞君のこと独り占めはよくないと思いまーす!」
「「「「「そうだそうだ! 独り占めはんたーい!」」」」」
「男は、みんなに分け与えられるべきものだと思いまーす!」
鹿島さんの楓への抗議に胡蜂さんやのーまさんたちが、ひやかすように相槌を打つ。
が、その相槌に冗談ではない一抹の真剣さを俺は見て取れてしまう。
(……ッなんか、必死さが滲んでるな)
なるほど、この世界の男不足はこんな低年齢層にも深刻な影響が出ているのだと、あらためて実感する。
「あんたたち、おもしろがってるでしょ!」
「なんで、そこで小学生の学級会みたいなノリになるかなぁっ!」
小桃と楓は、学級会で吊るし上げを食ったみたいにすっかりうろたえている。
「もおおおッ! いったいなんなのかなッ! みんなして! ぼ、僕はたっちゃんに恥ずかしいところ見られてるから、責任とってもらうかなッ!」
右隣で小桃が立ち上がり、不用意に『かくへいき』を放り投げた。
「「「「「「「「「「「なんだってええええええええええッ!」」」」」」」」」」」
みんなの注目がいっせいに俺に向いた!
「い、いやそれ、違うから! 恥ずかしさの種類が違うから!」
「たっちゃ~ん、存外やるじゃ~ん!」
「んで、んでッ! なに見せたの? ナニ?」
「小桃っち! どんな恥ずかしいところをみせたんっすか?」
みんな好奇心丸出しで、食いついてくる。
「ちがうって、みんなが想像しているようなものじゃないから。なあ、小桃」
って、小桃! お前なんで頬を染めて微妙に笑ってる?
このタイミングでそういう表情は絶対的に最悪だからな。
「いやいやぁ。竜洞くぅん小桃にナニを教練したのかなぁ?」
のーまさんが目じりを思いっきり下げて、俺を問い詰める。
「だからちがうって」
小桃との間にそんな事実はないから、俺は必死に否定する。
「竜洞教官! 自分にも夜の基本教練して欲しいっす!」
「あんた、どさくさにまぎれて何言ってんのよ!」
「え? 竜洞くんが赤ちゃん作るの協力してくれるって?」
「ほんと? あたしも立候補!」
こらこら! 話が猥談方向に向かってるぞ!
いや、この世界の実情からして、ワンチャンに賭けたくなる気持ちはあるだろうが、そんなのは女子だけの席でやってくれ!
「あはははははっ! よしなよ、竜洞くん真っ赤になっるし、小桃が真っ青になってるよ」
「やばっ!」
今この場を満たしていたのは、笑顔笑顔笑顔。
下衆な笑顔ではない。好奇心に満ちてはいるが、その笑顔の目に大好きな誰かの幸せを願っている色が湛えられている。
俺はこういう眼の色をよく知っている。
あの朝、妹を施設の玄関から送り出したあの朝の俺の目の色だ。
胸の奥がじんわりと温かくなってくる。
なんだろうこの感覚、たぶん、この感覚は経験したことがない。
ひょっとしてこれ……。
「ば、ばかじゃないかなぁッ! わたし、たっちゃんとはまだ、なんにもないかな! たっちゃんに見せた恥ずかしいものって寝顔だし」
だまって頬を染めて微笑んでいた小桃がみんなの会話のエスカレートに耐えられず爆発した。
「って、それって、寝顔を見せるくらいの時間と空間を共有してたってこと? それで何にもしてないなんて、信じられない!」
すかさずのーまさんが突っ込む。
「え~、じゃあ、ベッドを共にしたってことでおK?」
「ぱ、ぱないっす小桃っち! まさか、本当に大人の階段を登ったんっすか?」
「ち、ちがうかな! 昨日原稿発送した後、たっちゃんとスパイナーとお散歩して、公園のベンチで居眠りしてた顔かなっ!」
小桃は大慌てで火消しを始める。
おい小桃、気がついていないようだから、突っ込んでおくが、原稿がどうのこうのって言っちまってるぞ。
俺に「どうじんかつどう」は内緒にしてるんじゃなかったのか?
「「「「「「「「「「なぁんだ」」」」」」」」」」
みんなが呆れたように、でも、なんかホッとしたような反応を示した。
「え? じゃあ、あたし、一歩リード! あたし、今朝、辰哉にチューしたもんね!」
今度は楓が1トン爆弾を放り込みやがった。
「「「「「「「「「「「なんだってえええええええッ!」」」」」」」」」」」
しまった、これは事実だ否定のしようがない!
「チュウって? どんな風に?」
「入れたの?」
「チュウで何入れんのよ。入れるのはその三段階くらい後でしょ」
「ば、ばか! 舌に決まってるじゃない」
「竜洞くんの舌、略して竜タン」
おいおい、そんなにエスカレートさせないでくれ。
そんな調子じゃ、この食事会が終わるころには、楓は妊娠してそうだ。
「唇狙ったんだけど、辰哉がコケちゃってほっぺだったけどね」
「「「「「「「「「なぁんだ」」」」」」」」」」
「よかったぁ」
「おどろかさないでくださいのです。でもこれで、竜洞くんにワタシお手製のスイーツをいっぱい貢いでリードを稼ぐのですッ!」
香取さんがスカートの裾を握り締め、俺の顔をアンダーリムの眼鏡の奥の大きな瞳で捉える。
「ふ、ふん、香取ちゃんのスイーツ攻勢には負けられないかなッ! カスタードなら僕だって炊けるし! 香取ちゃんが知らないたっちゃんの好きなものたくさん知ってるかなッ!」
「それをいうなら、あたしだってぇ、んーと、そうだッ、辰哉が忘れちまった防衛基礎学の補習つきあうッ!」
「「「「「それはみんなができるし!」」」」」
おいおい、本当にモテモテくんだな『竜洞生徒』よぉ……。
「くくくッ! ははッ! あははははははは……」
ひとりでに腹筋が崩壊を始める。
「ちょ、たっちゃん! どうしたの?」
「竜洞くん?」
「す、すまん。なんか……なんか…な」
そうか、これが、幸せと呼ばれるものなのか。
俺の心が、またぞろ勝手にサウナに入ってしまっていたようだ。しかもかなりの高温ときている。
目があられもなく汗びっしょりだ。
そのせいで、視界がぼやけまくって、不明瞭なことこの上ない。
神様、俺がこの世界で『竜洞生徒』の代わりに何をするにしても、これは、あまりにも過分な報酬だ。
この二日ばかりで俺は、一生分の幸せを享受してしまった気がしてならない。
ロボとはいえ、梓にも再会できたし、伝説の肉サーロインを調理法を変えて二回も味わうことができた。
元の世界では、二回しか食ったことがないオムライスも食えたし、丸いまんまの塊でアップルパイっていうケーキを独り占めで食えた。
それは、香取さんのお手製だったんだけど、なぜだか小桃や楓が怒った、きっと独り占めしたのが悪かったのだろう。
小桃や楓をはじめとした俺の周りのみんなが、優しくしてくれる。『俺』を包んでいる環境すべてが『俺』に優しくできてやがる。それが、『俺』に対してではなく『竜洞生徒』に対してだということは十分にわきまえている。
けど、それでも、優しくておしとやかな小桃や、積極的に体を張って好意をアピールしてくる楓、そして、俺を殴らない美洲丸に、笑顔が頭蓋骨に貼り付いている陽。
香取さんや鹿島さんからも好意を感じるし、今ここにはいないが、こっちの世界の梓の親友だった鈴縫響さんも、懐いてくれている。
そんなみんなに接していると、間借りの人生の身分を逸脱して勘違いしてしまいそうになる。
『俺』が、みんなから好意を寄せられてるってな。
「たっちゃん……、ね、泣いてるの? だいじょうぶ?」
香取さんと女子力アピールバトルを展開していた小桃が、彼女と一時停戦をしてハンカチを差し出してくれる。
上品な刺繍が施してある、いかにもお嬢様が常備しているって感じの、高そうなハンカチだ。
「あ、ああ、いや、楓と鹿島さんが暴れるから埃が目に入ったみたいだ」
そんな言い訳をしながら、俺は、元いた世界で世話になっていた養護施設で催されていた三ヶ月に一回のお誕生会や、クリスマス会兼忘年会兼新年会を思い出す。
ケーキもしくはお菓子の詰め合わせの存在と、食事が少しだけ豪華なこと以外はいつもと同じだったお誕生会やクリスマス会。ああ、クリスマスは銀紙を巻いた鶏の脚があったっけ。
今、俺が目の前にしているご馳走の数々に比べれば、ショッボショボだったが、それは、俺たちにとっては絶大な楽しみだった。
たしかに楽しみであったそれだったが、俺たちがいたのは何らかの事情で家や両親と離れて暮らしているガキや、両親と死に別れたガキばっかりが保護収容されていた施設だったから、家族と一緒に祝っていたころのことを思い出して泣き出すやつがけっこういた。
元の世界の陽もそうだった。ケーキのイチゴを見つめ、嗚咽してた。
虐待され始める以前は、きっと、ふつうにお誕生日のケーキを食べられるくらいの環境ではあったに違いない。そのころのことを思い出していたんだろう。
だから、イチゴが載った白いふわふわクリームの三角のケーキやお菓子、少しばかり豪華なメシでテンションアゲアゲで盛り上がるなんて、とてもじゃないが憚られた。
元いた世界の梓や陽、みんなから俺の記憶はなくなっているはずだ。こっちの『竜洞生徒』の人生を引き継ぐにあたって、元の世界の俺の痕跡を消してもらうように神様にお願いしたからな。
だから、いじめられていた陽を助けたのは梓ってことになっているはずだ。そして陽は梓を姉のように慕うようになっていたろう。
陽も梓みたいに、いい養い親に巡り会ってくれればと願わずにはいられない。
ああ、これが、幸せというものなのか……。
みんなの笑顔がぼやけた視界に滲む。
頬を伝う涙がこんなに心地いいなんて、生まれて初めてのことだった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
並びにブクマご評価感謝であります。




