58 お前ら一人当たり厚さ2センチのサーロインを辞退するっていうのか?
「いっぱいって言ってもな……」
ここにいる全員で分けても、20ミリ弱だ。昨日食べたビフテキよりも厚い。
「サーブいたします。お好みの厚さをお申し付けくださいませ」
ウェイターさんが俺の前から肉塊を持っていって、細長いサーベルみたいな包丁……でいいんだよな。と、でかいさすまたみたいなフォークを構える。
「じゃあ、わたしは3ミリ位で」
小桃が言う。
なんだと小桃、そんなに薄くていいのか?
「あ、あたしもそれくらいで」
胡蜂さんが続く。
「「「「あたしもそれくらい」」」」
二組の女の子たちも3ミリだ。
ちょっと待て、薄すぎだろ!
この人数だと一人頭二十ミリ弱は食べられるんだぞ!
「ん~、じゃあ、あたしは10ミリ二枚いっていいかな?」
楓がすまなそうに小桃にウィンクをする。
小桃がふっと笑って頷いた。
「わはッ! 陽んちのこれ、おいしいからなー! お肉自体ももちろんだけど、ソースがまた絶品なんだよねぇ」
店内にみんなの笑い声が響く。
楓が絵に描いたような顔で笑う。やっぱりこういう顔で笑うやつはその場の空気をよくしてくれる。
ああ、楓はもっと食べたっていいだろ。みんなが食べない分。
「わたしは2ミリいただいていいでしょうか?」
香取さんが薄切りといっていい厚さをオーダーする。
「あ、あたしもそれくらい」
鹿島さんまで……。
「わたくしも2ミリくらいでお願いできますでしょうか」
と、子ノ日さんまでが超薄切りをオーダーした。
「わたしも10ミリ二枚いいかな。しな……もとい、小桃?」
美洲丸が微妙にほほを染めて小桃に尋ねる。
「うん! もちろんかな。きょうはたっちゃんがずいぶん迷惑かけたみたいだし」
俺からは、美洲丸の方を向いている小桃の表情はうかがい知れなかったが、苦笑する美洲丸と、引きつったような笑顔を貼り付けた子ノ日さんの顔から、小桃がどんな表情ををしているのかが、予想できた。
ってか、おい、お前ら、あと、186ミリあるぞ。俺がここで、10ミリ二枚なんて贅沢言っても、あと、一人頭10ミリ以上だ。
「辰哉さんは……?」
ウェイターさんの問いに俺は答えられない。
「みんな、もちろんお代わりするよね」
そうでもしないと平等じゃない。
「「「「「「「「「「「「「え?」」」」」」」」」」」」
俺以外のみんなが半笑いの顔を俺に向ける。
「たっちゃん、余ったの押し付けるようでごめんなさいなんだけど、ね、みんな、ね、お代わりしないから」
なんだって? じゃあお前ら、一人頭20ミリのサーロインを辞退するっていうのか?
「たっちゃん、女の子って、ね、そんなに、ね、いっぱい食べないんだよ」
小桃の言葉に驚いている俺の視界の端で、ウェイターさんが手際よく肉塊にナイフを入れていく。
こんがりと焼き色がついた端っこが切り落とされてゆく。
「うおぉ……」
俺は思わず呻いた。
昨日食べたビフテキに負けず劣らず、その断面は見事なまでに美しいピンクだった。
「二日続けて伝説肉を食べられるなんて……。俺、きょう死ぬのかな……」
思わずそう呟いていた俺に、どこからかツッコミが入った。
『いやあ、一昨日、一回死んでるからねぇ』
ごもっともだ。
……ってことは、これは極楽での食事なのか……。
死ぬってのも、まんざらじゃねえな。
そう思った俺の目の前に、10ミリ厚のサーロインが三枚載った皿が置かれた。
「デミグラスソース、ワサビ醤油ソース、グレービーがございますがどれになさいますか? ホースラディッシュはお付けしてよろしいでしょうか?」
ウェイターさんが未知の単語を並べ立てる。
「あにきは、まず、グレービーとホースラディッシュからだよ。知ってるでしょ。ああッ、
そうだ、パンがまだだった。ごめんなさい!」
助け舟を出してくれた陽が小走りに厨房に向かう。
「では」
俺の厚切り肉の上に、半透明褐色の甘酢餡みたいな色をしたソースがかけられた。
初めて食べる俺の知識の埒外の料理に、右手に持ったナイフの先が小刻みに震えている。
その肉……しおがまろおすとビーフ……は、昨日食べたビフテキとは真逆の色彩配置だった。
昨日のビフテキは全体がこんがりと焼けていて、ナイフで切った切断面……厚みの部分が半生のピンク色をしていた。
ところがこの、しおがまろおすとビーフは、厚みの部分がこんがりと焼けていて、俺に向いている部分が半生なピンク色だった。
ソースがかかっていない部分を口に入れる。
昨日のビフテキとは違った味と食感に俺のカルチャーはショック状態に陥った。
じゅわわわっと口の中に肉自体のうま味が広がり、かむたびにホロホロと肉の繊維が解けていく。
「うまっ!」
こんどは、ぐれえびいだっけ? ソースがかかった部分をほおすらでぃっしゅっていったか? その、大根おろしみたいな薬味といっしょにフォークに載せる。
ぐれぇびぃとかいう餡かけみたいなソースとほおすらでぃっしゅとかいう山葵みたいな味の大根おろし状の薬味が絶妙なバランスで絡み、半生に焼けた肉汁と混じりあって、そのうまさに眩暈がする。
あっという間に、縦横それぞれ100ミリ×150ミリ、厚さ10ミリのろおすとビーフは俺の胃袋に落ちて行った。
「失礼します。次はデミグラスソースでしたね」
すかさず再び三枚のろおすとビーフが給仕される。
それもまた、あっという間に胃袋に……。
「はははっ、すごいなぁ。こんなに食べるあにきは初めて見た」
俺の前に香ばしい匂いを放つパンが入った籠を置きながら、陽が呆れたように笑った。
「た、たっちゃん、そんなに慌てて食べなくても、まだ、ね、いっぱいあるから、ね」
「こんなに食欲丸出しの辰哉なんて初めてだ。そういえば、前菜、何にも食べてなかったんだっけ」
苦笑混じりの小桃と楓の声に、ハッと我に返って、辺りを見回すと、みんながぽかんと口を開けて俺を見ていた。
「んぐっ……んっ! す、すまない、ち、ちょっと腹が減ってたみたいだ。うん、下品だったな。申し訳ない……」
フォークとナイフを置いて、肩を竦める。
そりゃ、そうだ、みんなが知っている竜洞辰哉はお貴族様で、大金持ちで、食通の間で名高いレストランマリーゴールドの常連で、来るたびにこんなにうまい肉の丸焼きを食ってるんだから。こんなにガツガツ食わねえよな。
「そ、そんなことないのですっ! みなさん、竜洞君のワイルドな一面を垣間見てその意外性に、ちょっとびっくりしただけなのです」
「そ、そうだよ。さっきのおしぼりだって、見方を変えればワイルドで通るし!」
フォローしてるつもりなのは理解した。だが、やっぱり、実年齢中一だ。フォローのしかたが微妙にズレている。
「気にするな竜洞! 胃袋に入ってしまえば、みな一緒だ。戦場の陸戦兵がマナーなど気にしていたら食いっぱぐれて、チカラが発揮できんからな! ははははははっ!」
うん、それもフォローになってねえぞ美洲丸! ここ、戦場じゃなくて街のレストランだからな。
「ほんと、下品にもほどがありますわ。勇さまのお目を汚しまくりですわっ! まあ、勇さまお口の端にソースが……、い、今、拭いて差し上げますわ」
さすが、子ノ日さんはブレないね。
「た、たっちゃん、すごく豪快な食べっぷりかなっ! かっこいいかなっ! 昔、たくさんいたころの男って、今のたっちゃんみたいに、豪快に食べる人いっぱいいたんじゃないかなっ! 前田利益とか……。それに、食べてるたっちゃん見てて、とおってもおいしそうだったから……わたしも、こ、こんどは、5ミリ食べようかなっ! 5ミリ厚でお代わりください!」
小桃が(たぶん)戦国時代の武将の名前を出して、俺の食べ方が下品なものではなく、豪快さんなんだと面目を保つようなことを言ってくれた。
俺は、豪快な前田といったら、劇画で有名な慶次しか思い浮かばないが……。ありがたい。
「そうそう、辰哉の食べ方は豪快の範疇だね。でも、利益より、柴田勝家っぽくない? あ、あたしも10ミリ二枚おかわり! にんにく醤油ソース! じつは、まだ、食べ足りなかったんだよねぇ!」
楓が、戦国時代の武将の中でも、その豪快さがあまねく知られている武将に例えてくれた。柴田勝家なら俺だって知っている。歴史の教科書に載ってるくらいだからな。
「わたしにも5ミリでください! ああ、だったら、それこそ信繁とか……」
小桃の向かいで固まっていた胡蜂さんが、続いた。さっき言ってたマイナー武将の真田信繁だな。そうか、真田信繁は豪快な武将だったのか。
真田幸村も単騎で徳川家康に肉迫したっていう逸話がまことしやかに伝わっているからな。同じ真田だからきっと、血筋なんだろうな。
「ええっ! 信くんが豪快さんなの創作上だよお! あたしなら長宗我部元親押しだな。あたしもお代わり!」
小桃の『どうじんなかま』のーまさんが声を上げた。なるほど、いろいろ説があるんだな。
「あたしも!」
「私も!」
「わたしだってまだ食べたいな!」
気がつけば、みんながろおすとビーフをお代わりしていた。
ウェイターさんと陽が、踊るように切り分けたろおすとビーフを配膳していく。
「そっかぁ、ガツガツ豪快に食べる辰哉ってのもいいな! 料理がほんとうにおいしそうに見える。みーんな食欲を刺激されちゃって……。すっごいいい顔で食べてる。こういうのあたし好きだな。陽! あたしにもっかいお代わり!」
楓が破顔して、さっきの俺顔負けに、切り刻んだろおすとビーフを重ねて口に放り込み皿を掲げた。
いや、大食い大会じゃないんだから、皿を掲げたら、それこそお下品だろ楓。
店内に明るい笑い声があふれ返った。
小桃や楓、胡蜂さんやのーまさんたちのフォローで気を取り直した俺は、ろおすとビーフを食べるのを再開した。
ほんとうにうまいぞこれ、元いた世界のテレビで、レンズが入っていない眼鏡をかけた芸人みたいに「うまあああああぁい!」って叫びたいぐらいだ。
「みなさん、太るの気にして、ふだんから節制してるのです。でも、竜洞くんの食べっぷりを見てたら……。わたしもお代わりなのです!」
「うふふふふ、ほおんと、ダイエットなんてばかばかしくなっちゃう! 竜洞くん責任取ってよね! あたしもお代わりください!」
香取さんと鹿島さんも、ろおすとビーフをお代わりして、目を輝かせている。
「へへへっ、あにき、盛り上がったねぇ。こぉんな盛り上がり方、初めてだけど。いつもは、みんなおしゃべりばっかりで、サーブ忙しくないんだけど、今日はやりがいあるよ」
いつの間にか、陽が、新しいイスを持って来て、お誕生日席に座り、ニコニコと笑っている。
「おまえは、これ、食べないのか? 陽……」
俺の問いに陽はにっこりと笑う。
「ボクはこの店のウェイターだよあにき。小桃姉がいいって言ってくれて、母さんがオーケーしてくれてるからここに座ってるけど……」
すげえな、実年齢小六のくせに、気構えは元いた世界の成人男子より上行ってるぞたぶん。
「あ、そうだ、あにき、美洲丸君に……」
陽が声をひそめ、テーブルの下を覗き込む。
テーブルの下では、白黒の虎縞の仔猫がでかい牛の骨と格闘をしている。
「そ、そうだった」
皿に載っているろおすとビーフを口に入れ、再びナイフとフォークをテーブルに置く。
「ちょっと、ごめんな」
俺はカウンターの向こうにあるトイレの方を手で指し示す。
「うん、いってらっしゃい」
「お早いお帰りをー」
「いってらっしゃいなのです」
席を立った俺は、ぐるりと店内を見回す。
そこにあったのは笑顔笑顔笑顔……そして笑顔だった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
並びにブクマご評価感謝であります。




