57 レストランマリーゴールド特製塩釜ローストビーフ
「あらぁ竜洞君、カルパッチョが……。わたしが食べさせてあげるです」
香取さん、鹿島さんが、お誕生日席からイスを俺の左隣に移動させ、ピタリとくっつける。
必然的に、香取さんと俺の体が接触した。
「はい、竜洞君。どうぞです。あーん」
いつの間にどこからか持ってきたのか、フォークにいい匂いがする油に塗れたホタテの刺身……香取さんはこれを“かるぱっちょ”といってたな……を俺の目の前に差し出す。
いやいや、親子でも夫婦でも仲良しな恋人同士でもない女の子がしていい行動じゃないだろ。
「たぁつぅやぁ~~~ッ!」
「たぁっちゃぁ~~んッ!」
小桃と楓からの圧力がその質量を増す。人の顔色を窺うことに敏な俺にはそれが嫉妬であることが瞬時に理解できた。
(けッ! なんてぇ幸せくんなんだよ『竜洞生徒』よぉ)
こんな美少女たちにこんなに想いを寄せられて、んッとにモテモテ幸せくんじゃねえか。
「はい、あーん」
誰かにこんな風に食べさせてもらったのは、小学校に上がる前、熱を出して保育園を休んだ時に、今は亡き祖母に缶詰の桃を食べさせてもらったのが最古の記憶だ。
俺たち兄妹の女親が、こんな風に俺に食べさせてくれたことも、三歳下の梓に食べさせていた記憶も全く無い。
「い、いや、香取さん自分で食べられるから……こういうのは、もっと、こう、親密な関係にある男女がすることだとおもうし……」
「わたしと竜洞君は、親密ではないのです?」
香取さんのアンダーリムの眼鏡の奥の大きな瞳が、みるみる潤んでくる。
しまった、墓穴を掘った! しかもこれは、ユンボで掘った感触だ。
「あ……その、いや、親しいとは思うけど……。そ、そうだ! こないだのアップルパイのリンゴとパイ生地の間の黄色いクリーム、なんていうのかな? シュークリームとかクリームパンに入ってるのと同じ味だったんだけど」
ものすごい力技だが、話題を別の方向に無理やり転換する。
「カスタードのことです? うふふ、竜洞くんは、カスタードが好きなのです。新しいネタをゲトです、んふふふッ」
香取さんはホッコリと微笑む。話題転換は成功したようだった。
「そっかぁ、あれ、カスタードっていうのか……。うまかったなぁ」
「竜洞くぅん、そんなにひとみが作ったカスタードが気に入ったんなら、こんど、シュークリームでも作ってもらえば? おいしいよぉ、ひとみのシュークリーム」
鹿島さんが、ウィンクしながらニカッと笑う。
なんだと? 作れるのかシュークリーム!
「つ、つくれる? しゅーくりーむが?」
元いた世界の俺たち兄妹が世話になっていた施設では、年に何回かの頻度でおやつにケーキが出ることがあった。
大人気なのはイチゴが載ったヤツで、みんな、それが出るケーキの日を楽しみにしていた。
逆にワースト人気だったのが、かすたーど? 例の黄色いクリームのシュークリームだった。理由は、言わずもがなだ。
ケーキっぽくないからだ。俺たちにとってケーキといったらイチゴが搭載された、白いクリームのあの三角のヤツだからな。
形は丸かったが、ソバみたいなカスタードじゃない黄色いクリームが載ってるのもケーキだったし、形が三角というだけだったがチーズ味のヤツも、まあ、ケーキの範疇だった。
が、シュークリームは別だった。
他のケーキたちと違って、シュークリームはあまりにも地味すぎた。
クリームだって、クリームパンと同じものだ。
そんなケーキ“もどき”のシュークリームが出された日には、みんな、意気消沈したものだった。
だが、俺は、なぜだか、みんながハズレの日だとがっかりする中、ひとりだけ上機嫌だった。
俺は、カスタード? そいつが、大好きだったのだ。
「り、竜洞くんがご所望なら、作るのです」
「そ、そうか? すごいな、作れるんだ、シュークリーム! じゃあ……」
是非お願いします。……と言いかけた俺に、正面と右隣から小桃と楓の怒気を孕んだ声が浴びせかけられた。
「ちょっと待った、アップルパイってなに!」
「なにそれ、手作り? 辰哉! 香取ちゃんの手作りアップルパイ食べたの?」
ガタンと音を立てて、小桃と楓が立ち上がった。
「あ、ああ、昨日の朝、お見舞いに二人で来てくれて、そのときに貰ったんだ。お前たちも食べたかったのか? 申し訳ない。もう、全部食っちまった」
「な、な、な、な、な、なんですってぇ!」
「食っちまっただって? 全部?」
しまった、墓穴を更に深く掘り下げちまったみたいだ。香取さんの手作りケーキがそんなに人気だったとは。
今度、香取さんにケーキを貰ったときには、小桃と楓を、あの応接室に呼んでティーパーティでも開かなきゃいかんな。
「うくくくっ、たっちゃ~ん、そういうことじゃぁ~あ、ないんだよねぇ~」
胡蜂さんが、何かを企んでいるように眉尻を下げニヤニヤしている。
一番奥の二組の女子たちのテーブルからも、クスクス笑いが聞こえてきた。
「たっちゃん!」
「辰哉ぁっ!」
女の子の甘味に対する執念は、恐ろしいものがあるからな。
こ、これは、ティーパーティーを確約しないことには収まりそうもない。
『竜洞生徒』の名を騙るみたいで後ろめたいが、この場の雰囲気を壊してはだめだ!
蛇に睨まれた蛙状態の俺の恐慌をよそに、俺の周りの女の子たち以外はみんな笑っている。
美洲丸や子ノ日さんまでもが、コメディドラマを観ているように笑っている。
「よ、よし、小桃、楓! 提案がある」
「へ、へえっ! なにかなぁっ! たっちゃん!」
「提案だって? 辰哉がなにを?」
今度、香取さんからケーキを貰ったら、ウチでティーパーティーをしよう。
と、言いかけたそのとき、
「はい、お待ちどおさま! 当店自慢の塩釜ローストビーフが焼き上がりました! まぁ、ウチの料理は全部自慢だけどね!」
キメ台詞を歌うように宣った紅黄陽が、ところどころが焦げたセメントみたいな白い塊を、俺の目の前に音も立てずに置いたのだった。
「な、なんだこれ?」
「「「「「「「「わあああああっ!」」」」」」」」
俺以外が歓声を上げる。
「ははははっ! いっくよーぅ!」
陽が隠し持っていた木槌を振り上げる。俺をそれで殴るつもりなのか?
ま、待て、俺の頭蓋骨は、たぶんそんなものの打撃には耐えられないぞ!
わ、悪かった直径25センチものアップルパイをほとんど一人で食ってしまって悪かった。
そんなに、香取さんの手作りケーキが人気だとは知らなかったんだ。許してくれ!
俺は両手をかざし、頭を防御する。
カンっ! ボコッ!
乾いた打撃音とともに、何者かが割れる音が店内に響いた。
割れたのは俺の頭蓋骨ではなく、俺の目の前に置かれたところどころに焦げがある、白いセメントみたいなものの塊だった。
じゅわわわわッ!
口の中に唾液が溢れ出した。
えもいわれぬ香ばしい匂いが、白い塊のワレメから湧き立っている。
満腹でも、即座に空腹になる魔法がかかっているような、いい匂いだ。
「な、なんだ、これ?」
「だから、当店自慢の塩釜ローストビーフだってば、辰哉にいはこれが大好物だったんだよ! ウチに来るときは、いつもこれ食べてたんだから」
白い塊を木槌で割りながら、陽が答える。
しおがまろーすとびーふ?
ビーフというからには牛肉か? 牛肉なのか? その中にビフテキが入っているのか?
俺の胸元に飛んできた、白いセメントみたいなヤツの破片をつまんでみる。
それはじんわりと熱かったが、火傷をするほどに熱いものではなかった。
なめてみると塩の味がする。
「あにき、自分の大好物も忘れちゃってたんだね。これはね、塩と卵白を混ぜたペーストで、サーロインを包んで、オーブンで焼いたものなんだよ。使った香辛料の分量とかはひ・み・つだよッ!」
サ、サーロインだと? それは、ビフテキでしか食べてはいけない伝説の牛肉じゃないか!
なんて凝った焼き方のビフテキだ。
陽が木槌を振り下ろすたびに、こんがりと焼けた肉の匂いがあたりに充満してゆく。
こ、これは、毒ガスだ! 眩暈がしてきたぞ!
ハーグ陸戦協定違反じゃないのか? これ、非人道兵器だろ!
割れた白いセメントみたいなものの下から現れたのは……。
「な、なんだこれ?」
ぎゅるッ…ぎゅるるるるるうぅッ!
サラダのレタス一枚さえ口に入れていない、乾杯のときのコーラを一口飲んだだけの胃袋が、消化するものを求めて咆哮した。
“しおがま”と陽がいったものの中から現れたのは、縦約十五センチ、横約二十五センチ、高さ約十センチの、巨大としか言いようのない伝説の肉、サーロインの塊だった。
「うふふ、よかった。たっちゃん喜んでくれて」
「おいしそーッ!」
小桃が満足げに微笑み、楓が破顔する。
「さっき母さんから聞いたんだけど、あにきが珍しく小桃姉の食事会に参加するっていうんで、小桃姉が急遽オーダーしたんだって」
な、なんだって?
「こ、小桃?」
「マダムにたっちゃんが来るって言ったら、たっちゃんの大好物がこれだって聞いて……」
こ、こんなにたくさんの伝説の牛肉、昨日食べたステーキはたしか厚さ10ミリくらいだったぞ。
この大きさだと、二十人前くらいのビフテキ分じゃないか。
ずいぶん値がはったんじゃなかったのか?
「いっぱい食べてねたっちゃん」
俺に微笑みかけながらそう言った小桃の顔は、格下の新入幕力士に当然のごとく勝利した横綱みたいだった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
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